ニーアとジーア
何千、いや何万回と通いなれた道を走る。ここ10年くらいは里を出ていたから通ってはいないけれど、この道はその当時と変わりはない。多分目をつむってでもたどり着ける。
「ウィン、先に行って風の精霊や里長の居場所を探しておいて。」
ウィンは私の呼びかけに応えるかのようにくるりと一回りすると、風の精霊がいつもいる花畑の方へと向かって行った。その速さは私が全力で走るのと比較にならないほど速く、あっという間にその姿が見えなくなる。
「ハッ、ハッ、ハッ、ハッ。」
息が切れる。全力で走るなんてここ何十年間した覚えがない。花畑まではそこまで距離があるわけじゃあないけれどきついものはきつい。でも今は一刻を争う事態だ。辛いからって足を緩めている場合じゃない。
正直に言って、自分一人で風の精霊や里長に会うのは怖い。牢屋に囚われていたカヤノやミーゼを逃がしたのは自分だとわかっているだろうからどうなるのかは火を見るよりも明らかだ。だからリクも実は棒サイちゃんを護衛につけようとしてくれた。でもウィンがいるから大丈夫とそれを断ったのは私自身だ。今は私を守るよりも1人でも魔物と戦う戦力が必要だと思ったから。
私の実力はハイエルフの中では上位に入る。妖精のウィンもいるし、若いハイエルフの中では抜きんでている。それでも私より強い人はいる。もし何かが起こったときに全力で逃げたとして逃げ切れるかはわからない。最近少し魔力が上がった感覚があるけれどそれでも難しいかもしれない。
でもそれでもいいのだ。関係ないエルフやハイエルフを救うためにリクやカヤノ、ミーゼが懸命に戦ってくれている。なら当事者である私がこの程度で動けなくなるなんてことはない。
しばらく走っているとウィンが帰ってきた。どうやら風の精霊も里長もあの花畑にいるらしい。私は気合を入れなおし、走る速度を上げた。
小道を抜け、花畑へと着いた私の目に飛び込んできたのは異様な光景だった。ううん、魔物に里が襲われている今の状況でなければそうは思わなかったかもしれない。
風の精霊は花畑の中央で座るような格好をしながら宙へと浮いている。その風の精霊へと里長を含めた30名ほどの里の主だったハイエルフたちが祈りをささげている。
こんな時に何をやっているの?
一瞬、呆気にとられてしまったがすぐに自分の役割を思い出す。
「風の精霊様。ニリアルーアです。里長からお聞きかもしれませんが魔物に里が襲われています。土の精霊様と光の精霊様が戦ってくださっていますが魔物の数が多くこのままでは危ないかもしれません。お助けください。」
「貴様、裏切り者の分際で風の精霊様に・・・」
「ああ、ちょっと待ってよ。ボクが話すからさ。」
激高する里長を抑えて風の精霊がふわりと浮き上がりこちらへとやってくる。風の精霊をこんなに近くで見るのはリクと一緒に来たときを除けばウィンと契約を結んだ時だけだ。あの時と全く変わらない姿をした風の精霊が私にしか聞こえないような小さな声で囁く。
「助けてほしい?」
「はい。皆必死に戦っています。風の精霊様が助けていただければ魔物など・・・」
「でもだーめ。」
私の言葉を遮って風の精霊は満面の笑みで助けを拒否する。そして唖然とする私の顔を見て笑い始めた。
「何その顔。ちょー受けるんですけど。えっ?本当に助けてくれると思った?えぇー、せっかく閉じ込めた2人を逃がした君の頼みなんか聞くはずないよね。」
「じゃあ私はどうな・・」
「どうなってもいいから助けてくれ?泣かせるよねー。素晴らしい自己犠牲だよねー。でもやっぱりだーめ。」
「そんな!このままではハイエルフの里が壊滅してしまいます。」
私自身が原因で拒否される可能性は考えていた。だから私が捕まることと引き換えにしてでも協力をしてもらおうと思っていたのに。必死に訴える私の耳元に風の精霊がやってきてこっそりと囁く。
「君にとっておきの秘密を教えてあげるよ。ボクにとってハイエルフの里が滅びようがどうでもいいんだ。お疲れ様。」
心にぴしりとひびが入る音がした。私が信じていたものが虚像であったことを他の誰でもない本人から聞いてしまったからだ。その信仰は捨てたはずなのに、私の目からは涙が溢れ止まらなかった。
「ああ、そうだ。裏切り者の君には必要ないよね。帰っておいで。」
ひびの入った心からさらに何かが切れるような感覚がした。風の精霊が元の場所へと戻っていく後をついて見覚えのある小さな後姿が遠ざかっていく。
「嘘だよね、ウィン。」
私の問いかけにいつものようにくるりと回って応えることはしなかった。ただ親の後をついていく子供のようにその背を追うだけで、私の方を見もしなかった。ウィンとの間にあったはずの確かな繋がりが消えていることを自分自身理解しているのに、理解してしまっているのに、どうしてもそれを信じたくなかった。
「ウィン!!」
ウィンが少し止まった気がした。でもそれは一瞬のことで私の気のせいだったのかウィンはそのまま姿を消してしまう。崩れ落ちそうになる体を何とか保つことが出来たのは、リクやカヤノ、ミーゼの顔が頭に浮かんだからだった。
風の精霊は無理だ、でも里の皆なら。
「里長。それに皆もなんでここにいるの!?皆こいつに騙されてるん・・・」
「我々は風の精霊様の寝所であるこの場を死守すると決めたのだ。里などどうとでもなる。」
「おじいちゃん!」
「その呼び名で呼ぶな!裏切り者の孫などもった覚えはないわ!」
そこにいたのは私を膝に乗せながら優しく精霊様のことを教えてくれた祖父ではなく、裏切り者のハイエルフとして私を見る里長だった。つい先日、良く帰ってきたと頭を撫でてくれたその手が、その姿が、今はとてつもなく遠くに感じる。
「くっ!」
そんな姿を見ていたくなくて皆に背を向けて走り出す。呼び止める声とともに攻撃魔法が飛んできたがウインドシールドを張って何とかしのぐ。しばらく無我夢中で走った。追撃は無かった。そのことに気づいた時には集落のある里の中心まで来ていた。人気のない家々はしんと静まりかえっていて、まるで里に一人取り残されてしまったように感じた。
足が止まった。動かなきゃいけない。こんなことをしている時間はないってわかっているのに動けなかった。色々なものを一度に失った喪失感で私の心はぐちゃぐちゃで、何も考えられなくて、ただ誰かに助けてほしくて泣くだけしかできなかった。
風の精霊を信仰するきっかけは里長をしている尊敬する祖父が風の精霊を信仰していたからだった。祖父に褒められたくて毎日お参りに行ったし、ウィンと契約できた時はさすが儂の孫と手放しで褒めてくれた。
エルフの里の里長として派遣されることが決まった時はもちろん寂しかったけれど、お前なら出来ると言われ認められたんだと思った。だから精一杯やろうと決めた。
里ではいろいろあった。里のエルフと喧嘩することもあったし、エルフを誘拐しようとした悪者を捕まえたこともあった。でも一番驚きだったのは、精霊を信仰していない人がいることだった。その当時の私の中では精霊を信仰していない=悪者と決めつけていた。でも違った。
里に来る冒険者の人は信仰がどうあれ、良い人も悪い人もいた。精霊信仰でも忌み嫌われているハーフだからだとかそんなことはこれっぽっちも関係なかった。だからなのか、少しずつ私の中で何かが変わっていった。
たまたま里帰りした時、今まであまり話さなかった幼馴染と話すことがあった。彼女は妖精とは契約していなかったけれど良い人だった。私は彼女がそんな良い人であることにもそれまで気づいていなかった。どちらかと言えば信仰心が足らないから妖精と契約出来ないんだと馬鹿にしていた。
もう何が正しいのかよくわからなくなってきた時にリクたちと出会った。リクたちと一緒にいるのは心地よかった。精霊であるはずなのに人のようにふるまうリクが好きだった。信仰に関係なくリクなら信じられた。仲間だと言ってくれた皆が好きだった。
「助けて、みんな・・・」
そんな弱音が漏れた。こんなところに来るはずがないのに。
「助けて・・・」
「ニーアさん?」
聞こえるはずのない声が聞こえ、顔をあげる。そこにいたのはカヤノと幼馴染のジゼルノーアだった。
「ニーアさん、その目・・・」
「あなたは先に里長の倉庫へ行って。敷地の奥、家の陰になるように立っているから。」
「でも。」
「いいから、ここは私に任せて頂戴。」
ジゼルノーアに促されてカヤノが何度も振り返りながら里長の家の敷地へと入っていく。消えたカヤノから視線をジゼルノーアへと戻すと彼女の手が私の頬へ飛んでくるところだった。ジンジンとした痛みとともに頬が熱くなる。
「何してるの、ニーア。皆が必死に戦っているのにあなたは泣いて助けを求めているだけなの?」
「ウィンが、それにおじいちゃんも・・・」
「それが何?あなたの仲間は私たちのために今も必死で戦ってくれているのよ。その程度のことであなたは動けなくなっているの?」
言い返せなかった。ジゼルノーアの言葉はどこまでも正しかった。本当なら私が一番動かなくちゃいけないのに私は逃げて泣いていただけだった。
「立ちなさい、ニーア。あなたにしか出来ないことがまだあるはずよ。」
「わからない、何をしたらいいのかわからないよ。」
そういった瞬間にジゼルノーアが私の胸倉を掴んだ。その手は震えていた。
「ニーア、いえ神童と呼ばれたニリアルーア。あなたには戦う力があるでしょう。仲間が傷ついていくのを見ているだけしか出来ない私と違って!」
「・・・」
「それでも、それでもまだわからないというなら・・・」
ジゼルノーアの手が上がるのが見え、痛みを覚悟して目をつぶる。でも痛みは無く、そっと自分を優しく包み込む感触があるだけだった。
「お姉ちゃんが導いてあげるわ。あなたがどうすべきかを。だから一緒に行きましょう。泣いている時間は終わりよ。」
「ジーアお姉ちゃん。・・・ありがとう。」
「泣いている時間は終わりだって言ったのに、仕方のない子ね。」
溢れる涙をジーアが拭いてくれる。行こう、何の役にも立てなかった時間を取り戻すために。ジーアと一緒ならきっと何とか出来る。
ジーアに手を引かれ、カヤノが消えていった里長の家へと私は走り始めた。
絶望の縁からかろうじて戻ることが出来たニーア。しかしその絶望が序曲に過ぎないことを彼女は知らなかった。
次回:バナナはおやつに入ります
お楽しみに。
あくまで予告です。実際の内容とは異なる場合があります。




