とりあえず異常が発生する
カヤノに文字を教えだしてから2週間が経った。
(いってらっしゃい。)
「うん。行ってきます。」
カヤノが街の外へと歩いていくのを俺はいつも通り見送る。
カヤノはやはり頭がいいのかスポンジが水を吸うように言葉を覚えていった。挨拶は既に読み書きできるようになったし、普段使う言葉も少しずつ覚えて行っている。まだまだ書くことには不安が残るが読み取りなら大体行けるはずだ。俺との会話もスムーズになっている。
何より嬉しいのが、カヤノの表情が明るくなったことだ。俺と会話するようになってカヤノは笑顔が増えた。やはり寂しかったんだろう。地面と会話して嬉しいって言うのも傍から見たら可哀想な奴って思われるのかもしれないが、俺も楽しい。
つまり俺とカヤノはWin-Winの関係ってことだ。
ふーん、ふふーん♪
鼻歌も出ようってなもんだ。
今日は恒例の教会の木曜教室の日だ。一応教会には顔を出さないとな。最高率出席者としては行かないと言う選択肢はない。まあ授業内容によっては途中でサボタージュするけど。
教室の始まる10時ごろまで適当に情報収集しながら時間を潰し、そろそろ行くかと考えていた時だった。
んっ?おいおい危ねえな!
馬に乗った冒険者らしき男が街へと駈け込んで来たのだ。かなりのスピードで突っ込んでくる馬に街の人々から悲鳴が上がり、押されて転んだ人がいたりとちょっとした騒動になっていた。もちろん俺も様子を見に行く。
流石に街の中まで全力で走らせるようなことは無く、おばちゃんの宿の手前辺りで馬が止まった。馬も全力疾走のためかなり荒く息を吐いており、その長い舌を出して水を欲しそうにしていた。
人々の視線が馬上の冒険者らしき男へと集まる。馬の手綱を持ったまま微動だにしていなかった男だったが、突然崩れ落ちるように落馬していく。
馬鹿野郎!!
俺はとっさに男の真下へ移動すると地面を盛り返し柔らかくした。その直後そこへと男が落下してくる。
ふぅ~、セーフ。さすが俺。
馬車が通ることもあるからこの道結構硬いんだよな。カヤノが寝ている路地のようなところはまだ柔らかいんだけど。そんなところに馬の上から落ちたらいくら冒険者で鎧を着ているからって言っても大怪我したんじゃないか?思いっきり頭打ってたし。
良く見てみると男の顔はめちゃくちゃ青い。血の気が無いって言う表現がぴったりだ。驚きの白さだな。俺に顔をつけたまま男自身もはぁはぁと荒い息を吐いている。
馬から逃げていた住人達がおそるおそる近寄ってくる。
「あんた、こんな街中に馬で乗りつけるってのはどういう了見だい。危ないじゃないさ!!」
おう、さすが宿のおばちゃん。物怖じしないね。おばちゃんは見守るだけの周囲の人々とは違ってずんずんと男へと近づいていく。そんなおばちゃんに気づいた男が倒れたまま視線を向ける。
「なんかお言い。なんだい、水が欲しいのかい。欲しいなら持ってくるからちょっと待っといで。もちろんお金はもらうよ。」
「・・・」
おばちゃん、がめついよ。倒れてる奴に金の請求かよ。もうちょっと怪我の心配とかしてやれよ。いや、まあ街中まで馬で乗りつけて迷惑って言うのは俺も同感だが。転んで怪我しちゃった子供もいるみたいだしな。
「・・る・・・ろ」
「はっ?聞こえないよ。もっと大きな声ではっきりしゃべりな!」
おばちゃんには聞こえなかったようだ。しかし間近で聞いていた俺にはその男の声がはっきりと聞こえた。男の言う事が本当ならまずい。非常にまずいことになる予感しかない。
おばちゃんが男へとさらに近づく。そして男のそばに座り込んだ。男が最後の力を振り絞るように声を上げた。
「魔物の集団がこっちに来る。逃げろ。」
その声はおばちゃんだけでなく周囲の人々にも聞こえた。男は本当にそれが最後の力だったのか、がくりと気を失った。呼吸しているから死んではいないだろ。
男の言葉を聞いた周りの人々がざわざわとし始め、小さな悲鳴が上がり始めた。おいおい、まずいぞ。集団パニックになったらそれだけで死人が出る。どうする、なんかいい方法があるか?
俺がまごまごしているうちに周囲の状況は悪化している。既に一部は逃げ始めている。これがひどくなれば押し合いへし合いの大混乱だ。
「黙りな!!」
ピシャリ、とした大声に水を打ったかのように一帯が静かになる。俺にとっては聞きなれたおばちゃんの声だ。客引きで通りに響くその声は、人々の不安を黙らせるのに十分なようだった。
「ジーボ、あんた兵士さんに知らせてきな。私はこの冒険者をなんとかする。皆は本街へ避難するんだ。くれぐれも慌てるんじゃないよ!!」
「はっはっは。その冒険者を襲うなよ、ステラ。」
「こんな時に馬鹿言ってんじゃないよ、デブ親父が!!」
宿のおばちゃんと肉屋のオヤジ、ジーボのやり取りに日常を感じ、冷静さを取り戻したのか住人達はそろそろと自分の家へと帰って行った。もちろん走ろうとするやつもいたんだがおばちゃんに「走るんじゃないよ!!」とどやされて落ち着いたようだ。
すげえなおばちゃん。肝っ玉太えよ。
肉屋のオヤジは腹の肉を揺らしながら軽快に街の中心部の方へと走って行った。意外と速い。動けるデブとはあいつのことだな。
住人達も貴重品を持ち、少しずつ本街、つまり防壁の中へと逃げていく。大荷物を持っているような人はほとんどいない。もしかしたらこういうことは初めてじゃないのかもしれないな。
そんな住人の様子を眺めながら俺は少し焦っていた。カヤノは朝に薬草を取りに出かけたままだ。
この世界に魔物がいるってことは冒険者の話から知っていた。もちろん俺は見たことが無いしどれくらい脅威なのかもわからない。しかし護衛中に魔物に襲われて死んでしまった冒険者の話は何度も聞いていたのだ。あんな武装した大人を殺すような生き物だぞ。弱いわけが無い。
そんな奴相手に、子供のカヤノが対抗できるはずもない。心配だから探しに行きたいが俺はここから動くことなんて出来ない。ただカヤノが魔物に会わないことを願うくらいしか出来ないのだ。
くそっ!!
どうしようもない。どうしようもないことは自分自身わかっている。この3年間さんざん動けないか試してきたのはだれでもない、俺だ。それがわかっているからこそ自分自身が情けなくなる。何でこんなことさえできねえんだ!?
避難は着々と進んでいる。おばちゃんも宿の宿泊客を起こしたのか、お姉さん方も眠そうな目をこすりながら宿から出て行った。いつも人がごった返していたこの辺りも人気が無くなりゴーストタウンのように寒々しい風が吹いている。
それにしても兵士が来ないな。さすがにオヤジから連絡が行っているだろうし、てっきりすぐに街を守るために出てくるかと思ったんだが。避難民の誘導を最優先しているとかか?まああれだけ多くの人が避難してくれば混乱するだろうしな。まあ俺は本街を見たことが無いから何とも言えねえけど。
俺は1人道の真ん中で街の外を見ていた。
街の外、遠くの方で砂煙が上がっているのが見えた気がした。
押し合いへし合いするおばちゃんたち。その圧倒的な圧力に気おされながらも、リクはその戦場へと足を踏み出した。
次回:バーゲン
お楽しみに。
あくまで予告です。実際の内容とは異なる場合があります。




