とりあえず専属契約したい
「えっ?」
カヤノの間抜けな声が響く。声に出さないだけで俺とミーゼも同じような表情をしているんだろう。先ほどまで臨戦態勢だったはずのギルド長は今俺たちの視線から消えている。そして俺たちの目の前に代わりにいるのはメガネをかけたメイドだ。真っ白な髪をおかっぱにし、黒のカチューシャをつけているのでどことなくゴスロリのような感じがしないでもないが、メイド服にひらひらがついていないので落ち着いている。見た感じ30くらいだろうか。若いころは図書委員をしていましたって感じの女性だ。
メイドはにこやかにこちらに向けて笑いながらも、スカートの動きから足で何かをぐりぐりと踏み潰しているのがわかった。俺の直感が見に行け!と急かしたのですかさず立ち上がり、テーブルの反対側へと回ると、メイドに踏みつけられているギルド長の姿があった。
「全く、うら若き乙女を連れ込んで何をするのかと思えば、また勝手に妄想して決めつけたんでしょ。あんたって本当にどうしようもないわね。」
「・・・」
ギルド長からの返答はない。最初の一撃で気絶したようだ。なんともあっけない幕切れではあったが俺にとってはそんなことはもうどうでもよくなっていた。
むしろ今、ナウ!今この状況が重要だ。
だって委員長タイプのメガネメイドがぐりぐりと踏んでくれるんだぜ。しかもあの踏み方、素人じゃねえ。あれは慣れた人間の踏み方だ。
よくSMの店には楽そうだという理由で入ってくる新人嬢がいる。確かにSの立場であれば普通よりも肉体的な接触は少なかったりする。背の高い女性なんかは特に採用されやすいからな。
まあ動機なんて些細なことで、その後普通に学習してくれれば良いんだが、たまに全く学びもしないで威力だけを強くすれば喜ぶと勘違いする奴もいるんだ。
違うんだよ。確かに痛みが快感に感じる奴もいるさ。でもそれがすべてじゃない。相手に合わせられるSを目指す。プロってのはそういうもんだろ。
そういう嬢に当たった時は最悪だ。こっちのことなんか考えねえから翌日になって顔に青あざが出来ていたりなんて言うこともざらなのだ。一方でプロのS嬢は後の残らない攻め方、力加減を把握している。そしてその時に感じる快楽も段違いなのだ。どっちが良いかなんて言うまでもないだろ。
話はだいぶ逸れちまったが、メイドの踏み方は絶妙な力加減でなされていることがプロのMである俺にはわかった。遠慮なく体重をかけているように見せて、床と足裏でまともに頭を挟むのではなく少しずらすことで力を逃しているのだ。
出来ることなら今すぐ俺もギルド長の横へ寝転がり、一手お願いしたいところではあるんだが、そんなアダルティな姿をカヤノの目の前でさらすわけにはいかん。
生殺し、まさに生殺しだ。
涙が出なくてよかった。もし俺が涙を流せるのだったら今頃俺の足元には落ちた涙によって小さな水たまりが出来ていたはずだ。確実にな!
踏まれたいという欲求と理性との聖戦が始まった俺をよそに状況は進んでいく。
気絶していたギルド長が目を覚まし、自らの状況に気づくとメイドの足を手で振り払ったのだ。とは言ってもメイドは振り払われる前にふわりと後ろへと飛んで逃げていたが。
あぁ、もったいない。
「プリセラ、何のつもりだ?」
「ルージェスの悪い癖が出たから助けてあげたのよ。全く、前々からそうだったけど貴族になってからますますひどくなったんじゃない?」
「常に最悪を想定して動く。だから俺たちは生き残れた。間違っているとは思わない。」
「はぁ、何事も程々が一番よ。」
どうも2人は知り合いのようだな。踏まれたからかギルド長の顔は仏頂面のままだが、先ほどまでの一触即発の雰囲気ではない。というかメイドに踏まれて白目をむいている姿を見ちまったからなんというか親近感がわいてきたんだよな。
プリセラと呼ばれたメイドはそんなギルド長を見ながらため息をついていた。そして俺たちの方を向き直り、一人一人の目を見た後、ギルド長に向かって振り返る。
「この子たちは安全よ。」
「根拠は?」
「私の勘ね。」
それは根拠じゃねえだろ、と思ったもののプリセラは胸を張り堂々と言い放っていたためツッコミしずらい。ギルド長がツッコムだろうと思ったんだが、俺の予想に反してギルド長は少し驚いた顔をしただけで反論はしなかった。
「勘か。お前の勘は当たるからな。」
ギルド長は倒れていた椅子を直すとそこにやや疲れたような表情でゆっくりと腰を掛けた。メイドのプリムラもその隣に座ったため、俺たちも元の位置に座りなおす。
「どうせルージェスのことだから自己紹介もしてないんでしょ。この男はエイトロンの冒険者ギルドのギルド長兼準男爵のルージェスよ。私はプリセラ。一応2人いる副ギルド長のうちの1人ね。」
「えっ、メイドじゃないの?」
「これは趣味よ。」
メイド服を趣味と言い放ったプリセラにミーゼが驚いている。俺も少し驚いたが、確かにメイド服はプリセラに似合っていた。メイドに踏まれると言う主従関係の倒錯と言う背徳感も味わえるしな。ナイスチョイスだ。
「準男爵様ですか~。」
カヤノがしげしげとルージェスを見る。あんまり見すぎるのもまずいんじゃないかと思わないでもないが、カヤノの好奇の視線を受けても気にしている様子はない。と言うか見た感じ落ち着いて貫禄もあるが高貴な感じはしないんだが。ギルド長室にもろくなものが置いてねえし。
「準男爵と言っても生粋の貴族と言う訳じゃない。」
「褒美で爵位をもらっただけだしね。一応相続できるのに子供がいないから意味がないのよね。根くらで妄想が激しいし。まあ自己紹介はこれくらいにして何があったの?」
「実は・・・」
俺たちの話を聞くにつれてプリムラの表情は険しくなっていき、最後には自分の側頭部をテーブルに肘をついた手でぐりぐりと抑え始めてしまった。あっ、それちょっと俺にやって欲しいなと思ったのはもちろん内緒だ。
「ルージェス、あんた馬鹿でしょ。」
「必ずしもそうとは言えない。取り調べたうえで無実だとわかればそれなりの賠償金を払うつもりだった。」
「そういうところが馬鹿なのよ。ギルド長室に連れ込まれただけでも噂になるのよ。取り調べされたとなればこの子たちの評判は地に落ちるわ。」
「無実なら問題ないだろう。」
「冒険者全員があんたのように判断できるならね。もう少し人の機微を学習しなさい。」
プリムラがルージェスの頭をはたき、パカンといい音がギルド長室に響く。そこでやっと俺は理解した。プリムラはルージェス専属のSであることを。
Mにもいろんな人がいるようにSにも色々いる。普段からSっぽい人もいるがそれは一部に過ぎない。その多くは世間体やなんかを気にして、その溢れ出るほどのパッションを無理矢理押さえ込んでいるんだ。
それが解放される条件は様々だがその一つに特定の相手にだけSになる専属のSと言うものがある。それは相手への全幅の信頼の裏返しであり、逆に言えばそれ以外の人に対してSになることはない。恐らくプリムラはこのタイプだ。
ふぅ、俺の専属S嬢はいつ見つかるんだ?
そんなことを考えながら俺たちは2人の仲の良さそうなやり取りをただ見ているだけだった。
「それにしても本当にただで教えちゃっていいの?情報を売れば結構な金額になるはずよ。」
「別にいいぞ。そこまで金に困っているわけでもねえし。その代わり冒険者に教える時は金をとるなとは言わねえが安くしてやってくれよ。後、練習は絶対に人ではするなよ。下手したら逆に死ぬからな。」
「わかった。感謝する。」
有言実行ってことで早速心肺蘇生法をルージェスとプリムラに教えた。最初はお互いを練習台にしようとしたので慌てて止めた。そんなことをしたら本当に死ぬ確率があるからな。と言うかプリムラはルージェスが胸の間に手を置くのに抵抗がねえんだろうか?恋人のようでもないし何と言うか不思議な関係の2人だ。
俺としては心肺蘇生法が広がって死ぬ奴が減れば良いと思っているので損ではない。ちなみに金をとるなと言わなかったのは教える奴の講師代なんかを考えてのことだ。そこでギルドに負担を強いたら広がらねえ可能性もあるしな。俺が一人一人教えるってのも無理だし。こういうのは組織を利用する方がいいんだ。
とりあえずやることはやったのでカヤノたちと連れ立って部屋を出ようとしたとき、この街に来た目的を思い出し、ついでなので聞いてみることにした。ギルド長なら普通の奴よりは情報を持っているはずだしな。
「そういえばアルラウネの集落があるって聞いたがどこにあるか知っているか?」
「アルラウネか・・・」
俺の質問にルージェスは腕を組み眉間に皺をよせ難しそうな表情をする。あれっ、なんかまずかったか?
自分でも気が付かないうちに心配そうな表情になっていたのか、プリムラがルージェスを再びはたいた。そして少し笑いながら答えた。
「一応森に集落はあるらしいわね。でもどこにあるのかは誰も知らないわ。あの種族は引きこもりだから。」
「了解。知り合いを探していたんだが、気長に探すことにする。」
存在するだろうと言う話が聞けただけでも儲けものだ。プリムラに手を振りギルド長室を出ようとした。
「森に棲むエルフや獣人たちなら知っているかもしれない。」
「わかった。助かる。」
まあ今はこのくらいで満足しておこう。そう考え今度こそ俺たちはギルド長室を後にするのだった。
麗しき主従関係に目を奪われるリク。そしてリクは気づいていなかった。カヤノがじっと自分のことを見つめていたことを。
次回:先生が望むなら
お楽しみに。
あくまで予告です。実際の内容とは異なる場合があります。




