第4話 不透明な約束
自己嫌悪に塗られた休日。
普段なら土日の為に生きてきた! ってくらい待ち望んでいるのに、この休日はとてもじゃないけどそんな気分にはなれなかった。おそらくこんなこと、羽田恵那の人生初の出来事だと思う。
その原因となった、クリスマスイブ後のことを、美那はずいぶんと丁寧に教えてくれた。
クリスマスの朝、私は珍しく美那に起こされた。いつもはだらしなく昼くらいまで寝ているくせに、一体何のようだろ?
半分しか開かない目をこすりながら、美那に手を引かれ、リビングに案内、というか誘導された。
「恵那、あんた昨日どこ行ってたの? ほら、膝擦りむいてたし、木の枝とか葉っぱとかも体についてたよ。……それにあの男」
今起きたばかりなのにそんなに沢山質問しないでよ。
私はイマイチ動きの悪い頭に準備運動をさせる為、美那
の問いを無視して簡単な話題を振ることにした。
「ところでお母さんは?」
「そうだね、お母さんいると話し辛いことだよね。安心しな。パートに行って一時まで戻ってこないからあと三時間はある。ゆっくりお姉様に話しなさい」
そんな怪しい笑みを向けられると、話せることでも話す気が無くなってしまうよ。
確かに昨日のことはお母さんには話し辛いことだけど、というか誰にでも話し辛いんだけど。
「あたしが話せって言って話せないわけないよな、恵那。貸してあげた服も着ないでだっさいジャージ着てどっか行くし、帰ってきたと思ったら部屋に直行して寝るし」
そういえば、白井くんに着替えてこいって言われて、家に帰ったとき、美那にあの姿見られたんだった。どうやって説明しようかな。うー、早く起きてよ、私の頭。
「話し辛いよね、ならあたしが言ってあげるよ」
なんだ、美那は昨日私がしたことを知っているのか。……何で知ってるの?
「外でやるなんて、いくらお金がないからってしちゃダメだよ。まあ、あたしも一度や二度は経験あるけど、普通の感覚を持ってる人なら次は嫌って思っちゃうでしょ。あんたはどうなのよ?」
「いやいや、外でしか出来ないでしょ。なーんにも見えないでしょ、それだと」
「へー。マニアックだねー、見かけによらず」
マニアック? 中でやる方がマニアックな気がするけど。けど中でも出来るよね、望遠鏡さえあれば。一点しか見れないけど、寒くないからそれを考えれば中の方がいいかも。でもUFOを探す為の望遠鏡を持ってるなんて、すごいお金持ちの友達がいるね、美那は。私たちはお金がないから、現地まで行かなきゃなんないよ、ちょっと羨ましい。
「まさかだけど美那も経験あったんだ。うんうん、確かに普通の人だと次は嫌だよね」
UFO探しなんて興味ある人しか出来ないよ。
「あたしももうしたくないね、いくら男に迫られたって。でも膝擦りむくまでがんばるなんて本当にあんたは見かけによらず、やるときはやる子だね。そんなに盛り上がったなら次もやりたいんじゃないの?」
本当、柄にもなくがんばりすぎたよ。まさか木の枝につまずいて……私その後どうしたっけ? 今、家にいるってことは昨日ちゃんと帰ったってことだよね。でも白井くんと二人乗りして帰った覚えがない。どういうこと?
「美那! 私昨日ちゃんと帰ってきてベッドで寝たよね?」
「どうしたのいきなり? そうに決まってるじゃない。じゃないとどうやって私が恵那を起こしたのよ?」
「どうして私が山に行ったこと知ってるのよ? もしかして白井くんに聞いた?」
「まさか山でやってたなんて、確かに見つかんないだろうけど……。で、白井? あの男の子のこと? どっかで聞いたことある気がするよ、その名前。……あいつは恵那を送ってすぐ帰ったよ」
マ、マジですか? ってことは、私はあれから気絶して、白井くんが家まで送ってくれたのか。何て良い人なの。冷たいと思ってたけどそこまでしてくれるなんて。さすが私の好きな人。
って、そんなこと考えてる場合じゃないよ、最悪じゃん私。冷たくされたあげく、最後の最後で勝手に走ってこけて気絶する。
私の恋路は絶望的だよ。恵那、自業自得の極みだよ。
「どうしたの? 落ち込んじゃって」
心配そうな瞳で見つめないでよ、余計落ち込んじゃうじゃない。
「大丈夫、何でもないから」
こういうときは一人にさせて下さい。そして落ち着いたらレンタルショップに行って恋愛モノのDVDでも借りて涙でも流そう。ああ、私はなんてダメな女だろう。
うなだれながら席を立つと、美那がまだ話したりないみたいで、私の腕を掴んだ。
「お姉さんにもっと教えてくれないかな? 昨日のこと」
ニヤニヤ笑って、何がそんなにおかしいのだろう? こっちは全然楽しくないよ。
「話すことなんてないよ」
「そう? あたしが初めて野外セック――」
「バッ、バカじゃいなの? するわけないじゃん!」
私は慌てて美那の口を抑え、さらに声で、その暴言を消す。
「じゃ、山で何してたの? クリスマスイブに」
「美那には関係ない!」
私は美那から逃げるようにして、部屋に戻り、急いで鍵を閉めた。
違うね。多分、昨日の自分から逃げようとしたんだ、きっと。それを美那に当たるなんて私、最低だよ。
白井くんの電話番号や、家を知っていれば今すぐにでも謝りにいくけど、全く知らないや。寺内くん辺りなら知ってそうだけど、聞くまでして行く気力もない。
十七歳のクリスマス。私は結局、レンタルショップに行くことも、部屋から出ることもなく、ベッドの中で一日を過ごした。眠っても眠っても寝足りなかった。
さすがに日曜日はレンタルショップくらい行ったけど、ほとんど何も食べないで過ごした。食力が湧かないのです。食べたと言えばポテトチップスくらいかな?
そんなこんなで超無気力な休日を過ごしたけ私は、やっぱり元気にはなれなかった。
一番の解決策は白井君に会うことだとわかっているけど、そんな簡単に事が運ぶわけがない。白井くんのことだから、今日も旧図書室にいると思う、会おうと思えば結構簡単。でもあの部屋に行ったってまた白井くんの足手まといになるかもしれない。それにどんな文句を言われるかわかったものじゃない。
そうなればもう私の恋の終末にチェックメイトだよ。
そうだ、もうちょっと心を修復してから白井くんと会うことにしよう、心にもリハビリは大事だよね。会社にだって破局したら休みくれるところだってあるし。
私は布団をかぶり直して、もう一眠りすることにした。
………
言葉を発し続けることで願いが叶う。
俺はそれを聞くたびに常日頃思っていた。そんなことで願い事が叶うなら、毎日だって言ってやる。いや、一時間に一回だって言ってやる。だが、実際はそんなわけがないとわかりきっている。
きっと、その言葉の意味は色々あるだろうが総括すると、それほど言葉には力があると言うことなのだろう、言霊と言うくらいだから。
そして俺はその言霊、言葉の魔力に呪われてしまったらしい。
「白井くんも異星人だよね」
あの言葉が全く離れない。
昼を二回、朝と夜を三回繰り返しても。
きっと俺は罰が当たったのだろう。あのような戯言にもならない戯言を発しているおかげで。
「俺は異星人だ」
まさか、知り合いが異星人なるなんて思ってもいなかった。いや、心から信じてはいない。そんな唐突に人が人でなくなるわけがないのだから。
羽田は人間だ。もう疑いの余地もない。
しかし、あの呪いのような言葉を発した時の雰囲気は、普段通りではなかった。いや、普段の羽田を知らないから、あいつがどうのこうのではなく、あの声、そしてまとわりつくオーラの無機質感は人間には似合わない。どこかそんな気がした。
そして俺はこの休日。考えに考えた結果、二つの答えを導き出した。
一つは、羽田恵那は二重人格者。
今考えると、羽田は異星人がどうとか言うよりは、人間としての俺と関わりを持ちたかったのではないかと思う。探索に行ってわかったが、羽田が異星人に対しそれほど興味を持っているとは中々思えない。なんとなくだが、異星人の話をするよりも、俺自身の話しをした方が、表情が柔らかいように感じた。しかし、探索では俺を異星人だと言うことを意識しすぎてか、思うように関わることが出来ず、ミスもしてしまい、どこまでも自分が情けなくなった。そこで新たな人格。俺と同等であるだろう、異星人としての別人格を生み出した。とは考えられないだろうか。
二つ目は、あの言葉はただの嘘。
いくら関わろうとしても、中々近づくことが出来ず、あげくの果てにあのミス。そんな自分に腹を立て、ついつい、腹いせに嘘をついてしまった。
あの発言は嘘、という可能性が一番高いだろう。しかし、彼女の尋常ではない雰囲気を考えると、多重人格という可能性も否めない。いや、そんな簡単に多重人格などと言う症状が発症するだろうか? 初めて話す異星人と上手く関係を結ぶことが出来なかったからと言って症状に陥るわけがない。だが、確か、女性は皆、演技をして生きていると言う言葉を聞いたことがある。その言葉を考えると、彼女が発した雰囲気も、女性だからなせる技、日々演技をして生きてきた賜物だとも考えられる。
しかしこれは人の心理の問題だ。他人である俺が、いくら羽田の気持ちを考えたってわかるはずがない。なら実際にもう一度羽田を見て、その言葉を聞くことでしか本当の答えは導き出せないだろう。
ということで俺は月曜日、朝の七時半という普段よりも早い時間に登校している。冬休みで授業もないというのに。そして旧図書室についてから三時間ほど、あのような羽田の心理を考察している。
今気付いたが、羽田はここに来るのだろうか? 俺はあいつに活動に参加してもいいと言ったが、冬休みに活動しているとは言っていない。まあ、来なければ羽田の家を訊ねるまでだ。
それにしても、いつもより早起きしたせいか小腹が空いた。
……至極握り飯が食べたい。
食堂は冬休みだから開いていないはずだ。しかたない、少し時間はかかるがコンビニまで行くとしよう。ついでに昼飯も買うか。
いや、コンビニに行ってはいけない気がする。部屋を出ている間に羽田が来る可能性がある。が、そんなことを危惧していては俺の空腹中枢が悲鳴を上げるだろう。
解決策として、俺は部屋の鍵を閉めず、俺が来ているという証拠の為にかばんを机の上に置いて教室の扉を開いた。
………
白井が勢いよく扉を開けると思いもしない人物が目の前に立っていた。そのことに驚き、その名前を呼ぶ。
「うっうわ! ……って羽田か」
羽田は白井の顔を二日前の夕食を思い出すように見つめている。
目の前で驚いている人物を白井と確認すると、彼女は数日前の失敗を取り消す為に、訂正の言葉を口にした。
「白井くんは異星人ではないですね」
白井は戸惑った。てっきり羽田は自分のことを異星人だと信じ込んでいると思っていたから。
「お前いつから気付いてた?」
「…人間である羽田恵那は初めから疑っていたよ。でも白井くんの為に信じようとしていたの。でも私はそれを嘘だとしっかり調べなかったから間違っちゃった」
まだ二言三言ほどしか会話をしていないが、白井はほとんどパニックに陥っていた。
『人間である』その言葉で羽田とそれを隔てることに十分すぎる理由だ。
白井はその言葉にすっかり飲み込まれ、約二日考えた異星人発言に対する答えを思い出せず、ただ本能のまま、言葉を口にする。
「お前は誰だ? 容姿は羽田じゃないか」
「…あれ? 言ったよね、異星人だって」
「意味が分からない! お前馬鹿か? どう考えたって、どう見たって人間だろ」
その言葉を聞いて羽田はくすりと笑う。しかしそこには感情はない。
その彼女を白井は睨みつける。目に映るそれが一体何者なのか理解するため、食い入るように。
その行為にヒントを与えるように彼女は口を開く。
「羽田は山の中で気を失ったでしょ? それは私がこの体を少しレンタルするためよ」
大きく息を吸い、呼吸を整え、白井は一度落ち着こうと目を閉じた。そしてゆっくりと彼女の言葉を思い出す。
『体を拝借する』ということは考える力、つまり脳は存在して体は存在しないと言うことだよな。
今の羽田は、全く自分のことを羽田だと思っていない。ということはやはりこれは多重人格なのだろう。
もしかすると山の中へ突っ走ってこけた拍子に、新たな人格が生まれたのかもしれない。かなり非科学的だけど、心理なんてものは科学が介入できない分野なのだからこういう突拍子もないパターンも存在するだろう。かなり自分の都合に合わせた考え方だけど、これしか答えが見つからない。というかそう考えないと混乱してこいつと会話ができなくなってしまう。なら羽田の話しを合わせるしかないだろう、元に戻るまでは。
それにこうなった原因は俺にもある。なら、元に戻る為の方法を導かなければならない。
今のところUFOやUMAを発見するほどの難易度だが。
全く白井の目を離さない羽田に対し、白井はその言葉を、形は違えど信じることにした。異星人であろうと二重人格であろうと、彼女が羽田恵那としての性質を持たないことには変わりはないから。
「じゃあ、質問だ。お前が異星人ならどうやって羽田を操っている?」
「…うーんと、何て言えばいいかな? ちょっと待ってね。言葉を探すから」
そう言って親指の爪を噛みながら瞳を閉じる。
静かな旧図書室に秒針の音が二度鳴ると、彼女は口を開いた。
「マイクロチップみたいな物かな、この国の言葉で言うと。実際には機械じゃなくて細胞だけど。人の思考を奪い、一時的に自分の物にするの。でも記憶までは奪わないよ。それ奪っちゃうと不便でしょ? 言葉も話せないしコミュニケーションの取り方もわからなくなっちゃうから。だから記憶は羽田恵那で思考が私なの」
白井はその言葉を頭に入れたが、理解することはできなかった。あまりにも非現実のオンパレートだからだ。それでも動揺しないように話を合わせる。
「そうなのか。……じゃあ少し疑問だけど、いいか?」
「…いいよ。お好きにどうぞ」
「一時的に自分の物に出来ると言ったけど、その一時的ってのはどれくらいだ?」
その問いの後に、再び沈黙する。たった数秒、たかが五秒未満。しかし、それは白井にとって何十、何百倍も遅く感じた。雲の流れを眺めるほどに。
「一日に一時間くらいかな?」
その時間が思っていたよりも短かったのか、白井は胸を撫で下ろした。
正直白井はこの羽田、いわゆる別人格の彼女のことを快く思えていない。彼女は、表情を変えはするが、全く感情と言うものが伝わってこない。しかし愛想笑いとも言えない、それはまるで微笑んだ人形に似ている。彼女は笑うフリをしている。そこに不快感が募るのだ。
「ありがと。あと一つ、これが最後だ」
息をのみ、その言葉を言い間違いないようにゆっくりと口にする。白井が最も訊きたかったこと。
「人間の記憶と体を乗っ取って、異星人のお前は何がしたい?」
そしてまた、沈黙を置く。どうやら彼女は会話を交わす為に少し時間を置かなければならないと白井は気付いた。その数秒で、母国語を日本語に変換しているのだろうと。そう理解するにしても、このわずかな沈黙は白井にとってはとてつもなく苦痛だ。思わず眉をひそめる。
「感情を知りたいの。私たちにはほとんどないから。その為にわずかな時間だけど、感情を持つ人間とふれあいたいのよ」
少しうつろな表情を見せる彼女から、白井は初めて感情を読み取った、そして白井はその表情を見て思った。これが彼女から二重人格者を消す方法なのだと。
もしも、彼女が『感情』と言うものを知ることが出来れば目的は達成されるだろう。それにより、彼女は星に帰る、すなわち二重人格者の消失になるだろうと推測した。
「わかった、俺がお前に感情を教えてやる。そのかわりわかったらさっさと星に帰れよ、地球は地球生命体の物で地球外生命体の物じゃないからな」
羽田を二重人格者にしてしまったという罪悪感から、白井はその言葉を口にした。
「…ええ、白井くんの言う通りにするわ」
彼女は微笑む。その笑顔の半分に満たない感情しか感じ取れないが。
思ったより上手く事は進んだが、その先を白井は考えていなかった。何かヒントでも得られないかと考え財布を開き、お札を取り出す。すると、その隙間からひらひらと舞いながらチケットが一枚床に落ちた。
白井は足下のチケットを拾い上げ、それが何のチケットなのか確認する。
そのチケットには『海洋館500円引』と書かれていた。
それは先週、白井がバイト先の店長に残業手当の代わりにもらった水族館の割引券だ。裏面を見て四名様まで有効と書かれていることを確認して、彼女の目の前に差しだした。
「小手調べとしてここにいこうか」
「えっ、海洋館? うれしい、行く行く! 今すぐにでも行きたい!」
白井の目に映るのは、無感情で微笑む羽田ではなく、溢れ出すほどの幸福感をまき散らす笑顔の羽田だった。つまり、タイムリミット。