第3話 三人目の彼女
階段を上り終え、本堂を眺めようと立ち止まるが、どうもさっきまで感じていた、背後からの気配が消えている。気になって振り返ると、羽田が立ち止まり震えていた。
異常に体を小刻みに震わせている羽田を見て、俺は寒いフリをするなと言いたかったが、顔を見ると青白い。これは演技ではなく、本気で寒がっているのだと判断した。
確かにここは山の中で、標高も少し高いので町中よりずっと寒いだろう。それに羽田の服装は決して厚着とは言えない。そして汗まではかいていないが、山道を歩き、結構段数のある階段を上ってきて少し体が温まっているのに、枯れ葉が飛ぶほどの風が吹いていれば余計に寒く感じるだろう。
「少し休憩するか」
「……う、うん」
どこか元気がない様子だ。ついさっきまでは明るい声で話しかけて、忙しなく懐中電灯で辺りを照らしていたのに。まあ、女は気の変化が激しいというのは短い人生で知った数少ない確証を得た事実なので、俺は気にせず羽田を手招きして、風がなるべく当たらない寺の、本道正面階段の右端に腰を下ろした。
羽田も体を震わせながらやってきて、俺の左斜め前の段差に座り、こちらを見ず、うつむきながら顔の前に手をやって息を吹きかけた。
「ここでも寒いか?」
さっき羽田が震えていた山から寺に続く階段の前に比べると、風もほとんど当たらないのだが、男と違って女は冷え性が多いというから、その影響で俺よりも体感温度で寒く感じるのだろう。
「…………い」
はっきりと聴こえないが、きっと寒い、と言ったのだろう。
俺はこの為にと用意したみそ汁を羽田にわけてやる為、リュックから水筒を取り出し、フタ部分となっているプラスチックのコップに注いで、羽田の目の前に差しだした。
「うわっ、温かい。これなに? 白井くん」
いきなり目の前にそんなものが出てきたからか、羽田はうわずった声を出して、こちらに振り向き尋ねた。
「飲めばわかる」
「――そうかな? ありがと」
そう言って、うれしそう表情を俺に向けると、一気にコップに入ったみそ汁を飲み干した。おいおい、そんな熱い汁物を勢いよく飲んで大丈夫なのか?
コップを俺に返し、腕で男前に口元を拭いて、プハーと気持ちの良さそうな息を大きく吐いてから、おいしい、とさっきまでの暗い表情を忘れさせるような笑顔を向ける。
「白井くんだけに白みそだなんてシャレてるね」
なんてことを言って機嫌良く笑っているが、俺はその一言に混乱して、慌ててコップにみそ汁をつぎ、舌を火傷しないよう慎重に口へ運ぶ。
「――これは赤みそだ」
「うっそ。私って味音痴なのかな?」
自分では疑っているようだが、間違いなく味音痴だろう。というか、
「白みそは甘いだろ? それに塩分が高くないからこういう運動的なことをするには赤みその方が適している」
「へー、全然わからなかったし、知らなかったよ。白井くん料理得意なんだね」
「いや、この前調理実習で習っただろ? だからだよ。俺は家庭科の本を見て料理を作るくらいの腕しかないよ」
こいつは授業中何を聞いていたのだろうか? しかも味噌の問題はしっかりテストに出ていたはず。普通に馬鹿だな。こいつ。
「本を見て作れるなら上等上等諸行無常って感じだね」
全く意味が分からないが、味噌のこともわからない馬鹿な奴だ。ただ単に語呂がいいので言ってみただけだろう。
「いつも寺内くんはこんないい物飲めてるんだね、羨ましいなっ」
羽田は少し声を明るくして言った。しかし表情が少し硬くなった気がする。
「ん、どういう意味だ?」
「白井くんと寺内くんって、こうやってUFO探してるんでしょ。その度に白井くんのみそ汁が飲めていいなって」
何故俺がわざわざ探索に出る度、風太の為に何かこしらえなくてはいけない。それに言っておくが、
「これは俺が俺の為に作ってきた物だ。羽田が余りにも寒そうにするからわけてやっただけ。そこまでお人好しじゃない」
言って、リュックの中から家でこしらえてきた塩むすびを取り出し、包んであったラップをめくり、一口かじった。うん、我ながらいい塩加減だ。
「あっ、おいしそう」
「やらん」
「そ、そんなつもりで言ったんじゃないよ。みそ汁もらった上におにぎりもらうなんてそこまで図々しくないよ」
大げさな身振り手振りで否定をするが、その顔がはっきりとおむすびを求めている。けど絶対にやらん。これは俺の晩飯だから、やると深夜に腹を減らして目を覚ますと言う事態に陥る可能性がある。しかし、あの求める目で見つめられながらでは、とてもじゃないが気分よく食えた物じゃない。
どうやってごまかそうかと考え、溜め息まじりで見上げると、
「羽田。塩むすびよりも見るべきものがあるぞ」
「えっ?」
俺はゆっくりと星空を指差す。それにあわせ、羽田も空を見上げる。
「うわー。さすが冬だね。冬って星空が一番きれいに見える季節だよね」
そんな発言を聞き流し、羽田が星空を見入っているうちに、むしゃむしゃというよりは、がつがつと一気に塩むすびを口に放り込み、冷ましてあったみそ汁を飲み込んだ。
「白井くんはどの星から来たの?」
「グァハッ」
「どうしたの?」
唐突にそんな質問するな、慌てて喉に飯が詰まったじゃないか。
喉のつまりを治すため強く胸を叩きながら、いちいち考えるのが面倒なので、適当に一番光っている星を指差した。
「北極星かな?」
「知らん。地球人と呼び名が違うからな。羽田は星座とか星を判断するのが得意なのか?」
「いやー、全く。北極星くらいしかわかんないよ」
そうだろうな、あれはおうし座とか、ぎょしゃ座とか言われても、そうですか、くらいにしかとられない。だいたいもっとわかりやすく星と星とをつないでくれればいいのに少し雑すぎる。やっつけ仕事もいいところだ、あれじゃ名前も形もあったものじゃない。
「白井くんは北極星か……なんとなくわかるよ」
「どういう意味だ?」
羽田はしてやってもいないのに、してやったりの笑顔でこちらを向いて呟いた。
「冷たい」
アホアホ、白井のバーカ。どう? 乙女に「冷たい」何て言われた感想は? 最悪の気分でしょ。階段上るとき冷たくした仕返しだよ。白みそのボケを真面目に返すし、それにおにぎりくれないし……三つもあるんなら一つくらいくれたっていいじゃん。それを晩飯かってくらいガツガツ食っちゃってさ。家に帰ればもっといいもの食えるでしょ? イライラする。
でも、あの一言で許してあげよう。みそ汁おいしいし星きれいだから。
少しの沈黙のあと、白井くんは立ち上がり「冷たいならもうこれで切り上げようか。時間もそろそろだしな」と言ってお尻を叩いて砂埃を落とし、道路へ続く階段に足を進めた。
なんだ、もう帰るの? ほとんどUFOなんて探してないじゃない。それに意味を取り違えてるし。虚しすぎる。
私は白井くんに聞こえないように、ぶつくさ言いながら後ろをついて歩いた。
階段を下りるときも行きと同じように周りを囲む木を照らしながら歩いたけれど、行きよりも怖くない。慣れなのか白井くんのおかげなのか、深いことは考えず下り、あと数段で終わるってところまで来た。ここまでの時間は一〇分より早く感じたのは、決して下りだからと言うわけではない、と思う。
すると目の前の草むらが一瞬光った気がした。
「白井くん、あっこ、何か光ったよ」
私は約四メートル先の、木々の茂った方向へ指を指す。
「そうか? 俺は気付かなかったけど……おい!」
私は光の射す方へ思い切り腕を、足を振り目指した。
これは白井くんに好意を生み出すチャンスかもしれない。もし本当にUFOの部品とかそう言うのが落ちていたらきっと私に惚れ薬を与えたように惚れちゃうでしょ。それにもし、何もなくてもがんばってるな、と思われればそれは愛の絆への第一歩かもしれない。
そしてそんなことより、何より、私は悔しかった。何も出来ないで喋ってばっかりでうるさいと言われ、体が冷え込まないようにみそ汁をわけてもらったり、励まされたり……。
私が白井くんにやってあげたことは北極星を教えてあげたくらいだ。
羽田は山の中へ飛び込んで行って、すぐに見えなくなった。そしてしばらくすると小さな悲鳴とともに木が大きく揺れて、枯れ葉が舞い散った。
……あいつこけたな。
そりゃそうだろ、あんな暗い中を全力疾走すると、地面に落ちた枝やら何やらに足を引っかけてつまずくに決まっている。
「やれやれ」
ゆっくりと羽田が消えた辺りを懐中電灯で照らしながら、自分はこけないようにと近づく。結構派手にこけたから気絶しているかもしれないな、そうなるとどうやってこいつを自転車に乗せて家まで送っていこうか。無理矢理叩き起こすか? さすがにそれは気が引けてしまう。……これはかなりの難題だな。
木々をかき分けると、案外近くに羽田がいた。
枯れ葉や土にまみれた地面にうつむせになったまま羽田は動かない。ということは気絶と見て間違いないな。でもこれはひょっとしてネタになるかもしれない。
俺はリュックからインスタントカメラを取り出し、倒れた羽田を一枚取り、それから羽田についた泥を軽く落として、リュックを前に背負い、羽田を背中に背負った。
本当にこいつは余計なことばっかりして、しかもUFOも見つからないし。いや、UFOが見つからないのはいつものことか。
まあ、だいたい俺が女をこんな夜に山へ連れ出したことも悪いだろう。月曜日、もしも旧図書室に羽田が来ても、キツく言わないようにしよう。というか、こっちが謝るべきかもな。ほとんどの高校生はクリスマスイブを楽しみにしているらしいし。それは過去、俺もそうだったうちの一人だ。
自転車を置いていた場所に着くと、一旦羽田を道に寝かせ、リュックから、何かに使えるかもしれないと勘で持ってきたビニールのひもを取り出し、俺と羽田を背中合わせで何重にも縛り、ゆっくりと羽田を荷台に載せて、自転車を発進させた。
もしかすると意識のない羽田がバランスを崩し、支えられなくなった俺も一緒に倒れ、車に轢かれるかもしれない。なんて可能性を危惧したが、そんなものは取り越し苦労で、しっかりとキツすぎるくらいひもで縛ったからか、羽田はほとんどバランスを崩すことはなかった。
羽田の団地の前まで着て、時計を見ると十一時四五分。まだ少しだけ門限まで時間がある。結局山から家に戻るまでの道のり、約半時間、羽田は一度も起きることがなかった。
しかしそれはそれで問題だ、もしかすると強く頭を打って危険な状態かもしれない。
そう思うと急に怖くなって、俺は携帯電話をポケットから取り出し、慌てて一一九をダイヤルして耳に押し当てる。
さて、羽田の親にはなんと言い訳すればいいだろう。山道を歩いているといきなり全力疾走してこけてしまい、そこから意識が戻りません。……余りにもかわいそうすぎる、しかしこれは事実だ。仕方ないが羽田には一生の恥を背負ってもらおう。
「うわっ!」
いきなり肩を触れられ驚いてしまい、電話も切ってしまった。
慌てて振り返ると、羽田が俺を見据えている。それはそうだ、羽田しかいない。
電灯に照らされた彼女からは、どこか人間味を感じさせない混沌とした雰囲気がした。
「どうかしたか羽田? す、す、す少し変だぞ」
不安になって声をかけずにはいられない。
「…そうかな? なら、まだ慣れていなからかもしれないね」
同じ声質、話し方だけど、どこか違和感がある。でも付き合いの浅い俺にはそれがどこなのか理解は出来ない。
そんなことを考えていると、ガシャ、という網戸と窓を同時に開ける音が聞こえると、女性の声が飛んできた。
「恵那! やっぱり恵那じゃない。早くしないと門限過ぎるよ!」
羽田のことを下の名前で呼んでいる辺り、おそらく姉妹か誰かだろう。
そいつが羽田から俺の方へ視線を移す。
「あっ、あれが今日のデート相手か……君どっかで見たことない?」
デート? いやそれは向こうの勘違いとして、どこかで見たことないという問いには俺も同意だ。しかしそんなことよりも今は少し様子のおかしいこいつが問題だ。
「羽田、気は確かか? 確かならここから走って家まで帰れ。門限まであと少しだ」
「…らじゃー。それじゃ安らかに」
安らかに? お休みってことか。
「お、おやすみ」
やっぱり変じゃないか? それに普通ラジャーなんて別れ際で言うだろうか。でも俺の言う通り家に向かって歩いているし、問題ない気もする。
俺は幾らかの不安を抱えながらも、羽田とその姉妹に手を振って自転車にまたがった。
出発しようとすると、羽田が忘れ物でもしたのかこちらに走って来た。でも俺はこいつに何も預かっていない、リュックには俺の私物のみだ。
「どうした羽田?」
「…言い忘れたことがあって、確認だよ」
一体何の確認だ? 次の活動はいつ行うのかそう言うことだろうか。
そして俺はその言葉を耳にする。
いつも訊ねられていた言葉、皆が俺をおもしろがる為の確認とでも言おうか、そんな質問を投げかけられた……気がしたが、一文字違いだった。
だがそれはとてつもなく意味深で、どこまでも興味深い。
「白井くんも異星人だよね?」