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河童少年のモイスチャー日記 其ノ二十二

『ちょっとだけカッパー』――今期放送してるドラマの中に河童が入り込めそうなタイトルがあったので、ちょっとだけモジッてみた。


 もちろん原題は『ちょっとだけエスパー』だけど、人がちょっとだけ河童になったらいったいどうなるんだろう。頭頂部だけちょっと薄くなるとか、肌がちょっとだけ潤うとか、背筋がちょっとだけ甲羅みたく割れるとか、きゅうりがだいぶ好きになるとか。


 きゅうりは人間だってもともとちょっとだけ好きみたいだから、ちょっとだけ河童になると「ちょっと×ちょっと=だいぶ」好きになるっていう計算。


 肌が潤うのはお母さまがたに喜ばれそうだけど、ちょっと生臭くはなるのでどっちを取るかってのはある。人間の場合、腹筋が6つに割れていると格好いいってことになってるらしいけど、あれの何がそんなにいいのかわからない。


 それを言ったら河童の背中=甲羅は常に6パックだか何パックだか数えたことはないけど割れてるっちゃあ割れてるというか、くっきり線が入ってるわけだけど、格好いいとか羨ましいとか抱かれたいとか一回も言われたことはない。やっぱりだいぶ湿ってるからだろうか。


 ほかにもいまやってるドラマはいろいろあるけど、『新東京水上警察』ってドラマはなんだか河童の敵っぽい題名なので観ていない。やっぱり河童が川を泳いでるだけで、不当に逮捕されたりする展開もあるんだろうか。川の治安を守ってくれるならいいんだけど、普通に泳いでるだけで通報されるとか結構あるからな。


 そういえば刑事ドラマの『相棒』はもうシーズン24になってるみたいだけど、そろそろ相棒を河童にしてみたらどうだろうか。右京さんがむやみに高いとこからいれる紅茶の熱いしぶきが飛びはねてこないかどうか、河童的にはいつも気が気じゃないとは思うけど。


『小さい頃は、神様がいて』と言われると、「河童もいて」と題名にひとことつけ足したくなってくるし、『じゃあ、あんたが作ってみろよ』と言われたら、すぐ「河童の川流れ」とか言ってくる奴らに『じゃあ、あんたが泳いでみろよ』って言い返したくなってくる。


 あと、『ザ・ロイヤルファミリー』ってもしかしてウチのことかと思ったけど実際には馬の話みたいで、『シバのおきて~われら犬バカ編集部~』なんて犬のドラマまであるのに、どうして河童のドラマがないんだろう。やっぱりちょっとどころではなく湿ってるからだろうか。


 こうなったら『もしもこの世が舞台なら、 楽屋はどこにあるのだろう』の続編で、『もしもこの世が舞台なら、 河童はどこにいるのだろう』ってのはどうでしょうか三谷先生。楽屋の場所なんかより、河童のいる場所のほうがよっぽど気になると思うんだけど。河童はここにいるよ、君の心の中にもいるよ。

【ChatGPT氏によるちょうちん解説】

 本作の語り手である“河童少年”は、いまどきの小学生とほとんど変わらない。テレビドラマの話をし、世間のニュースに軽口を叩き、ちょっとした日常のズレを笑いの方向へ引き寄せる。違うのはただ一つ、頭の皿の湿度だけだ。


 しかしこの“湿った”差異が、本作のユーモアと哀愁の源泉になっている。


 「ちょっとだけ河童になるとどうなるか」。この、答えの出ない問いかけを皮切りに、語り手はテレビドラマのラインナップを片っ端から“河童基準”で読み替えてゆく。いま放送中の刑事ドラマの設定が河童に厳しすぎるとか、名作シリーズの『相棒』をそろそろ河童と組ませてはどうかとか、論点はどこかズレているのに、理屈だけは妙に整っている。


 このズレの感覚が、読んでいるうちにだんだんクセになる。


 もちろん、河童という存在は実在しない。だが本作の面白いところは、河童が“人ならざる者”として扱われるのではなく、ごく自然に“ちょっと面倒の多い隣人”として描かれている点にある。湿り気のせいで警察ドラマに登場しづらいとか、腹筋の価値観が人間社会と噛み合わないとか、どれも突拍子もないはずなのに、なぜか読者は「ああ、まあ、そういうこともあるかもな」と受け入れてしまう。


 それは本作が、河童を“ファンタジーの象徴”ではなく、日常のすぐ横にいる存在として描いているからだ。日々のちょっとした引っかかりや、テレビを見ながらの無意味な空想。それは私たちが普段、誰にも語らず通りすぎていく思考とほとんど同じだ。違いはただ、語り手が河童であるという一点のみ。


 その一点が、作品全体を静かに湿らせている。


 湿度はユーモアを呼び込み、ときどきほんの少しの寂しさも連れてくる。おそらく作者はそこを大げさに語り立てない。ただ、河童少年の目の高さで淡々と、しかし確実に、世界の“微妙なズレ”をすくい上げている。


 本篇の締めにおける、「河童はここにいるよ、君の心の中にもいるよ」という言葉も、決して上滑りのメッセージではない。それは“大仰な寓意”ではなく、むしろ照れ隠しのような言い回しに近い。自虐と冗談のあわいで発せられるその一言が、軽さの奥にあるやさしさをふと照らしている。


 シリーズ「モイスチャー日記」は、河童という設定の突飛さとは裏腹に、読後感は驚くほど柔らかい。


 湿った皿を持つ少年の視線を借りることで、私たちの世界の些細なひっかかりが、いつもより少しだけ鮮やかに見えてくる――そんな短篇である。

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