彼氏彼女彼女の事情
「俺には彼女が2人いる!」
天王寺伶人
プロローグ
俺、団藤龍一は学業やや苦手、運動やや得意のいたって普通の高校二年生。
なんてテンプレを言ってみたけれども、もちろんお約束通り普通ではない。
いや、正確に言うと俺自身のパーソナリティーは本当に普通。地味ではないけれども派手でもない。
将来はそこそこの会社に就職して社畜としてそこそこのお給料をいただくなんていう世知辛い未来が何となく見通せるような人物だ。
ただ、俺には少しだけ、もしかしたら今、この文章を読んでくれているあなたを怒らしてしまうかもしれないような秘密がある。
そう、俺には彼女が2人いるのだ――。
第一章彼氏彼女彼女の事情
1
「龍くん起きてよ、朝だよ。おばさんが遅刻する気かって怒っているよ」
「……zzz……ライア……ン軍曹……大丈夫でありますか……」
「ココは日本だよ、起きて!早くしないと本当に遅刻しちゃうよ」
「くそぉ連合軍め……zzz……村人を装って軍曹を襲いやがって……zzz」
「毎朝ながら寝言が酷いよ!?じゃなかった……もう!起きないと……ゴッドフィンガーだよ」
「何が戦争だ……お、俺は絶対に……zzz」
「えいっ」
「……んん!んん……っぷはー愛理、この起こし方はやめろっていつも言っているだろ!」
「だってこれしか龍くん起きてくれないんだもん。とりあえず、私は下で待っているから、顔洗って、着替えてきてね」
※※※
季節は春。
春はあけぼのと仰りますように朝の心地よい風景……何てものはゆとりのあるものにしか与えられない。
「ハァハァ……よし、この辺まで走ったら大丈夫だろ」
「ハァハァ……ねぇ、毎朝のように言っているかもだけど明日からは走らないですむように起きてね。疲れるよぉ」
「愛理はここで走らなかったら、運動しないじゃないか。油断していると太るぞ、そのうち」
「それが彼女に向かって言うセリフなの!?」
朝に弱い俺には有難いことに毎朝起こしに来てくれる幼馴染兼彼女が居る。
いや、本当に世の男性諸君には申し訳なく思うが現実なのだ。
我妻愛理。色白で端整な顔立ち、少し茶色のかかったストレートのロングヘアー。
彼氏目線でなくても十分、可愛い子の部類だと思う。
俺を起こすときに鼻と口を塞いで呼吸困難に陥らす以外は(愛理はこれをゴッドフィンガーと呼んでいる)大きな不満はない。
「おはよーお二人さん」
「あ、おはよう美樹ちゃん」
「おっす、団藤。死んでくれ」
「おはよう、中山。愛理を残して俺は死ねんのだ」
俺たちは中学のときから付き合っているので、周囲のからかいもそれをいなすやりとりも新鮮味がなく、一種のルーティーンとも言えるほどになっていた。
「今日もギリギリセーフだね」
校舎が見えてきたところで腕時計を見ながら愛理は微笑んで言った。
2
本日は四月十五日、月曜日。
新学期が始まって新しいクラスにようやく馴染めてきたかなというくらいの時期。
そして新学期早々に教師が企てる実力試験の答案がホームルームで返却されたりする日でもある。
「次、団藤」
教師に名前を呼ばれたので教壇まで行く。
「いよ、どうだった?」
答案を受け取り、机に戻ったところで、隣の席の渥美裕に声をかけられる。
「んー良くはないが親に説教を喰らうほどではないって感じかな」
平均点くらいの点数だった。
「相変わらず龍一ちゃんは要領がいいねぇ」
裕は前髪を指にくるめながら言う。
「要領がいいっていうのはお前みたいな奴のことを言うんだよ」
裕は学年一の秀才で俺の知る限り一年の頃からずっと成績はトップだ。
そのせいで、本人は全く興味がないのに生徒執行会の前期副会長に任命されている。
まぁ、会長の方がちょっと過激な奴なのでバランスが取れていると評判だったりもする。
「あーそういえば、龍一ちゃん」
思い出したかのように裕は言う。
「ん?」
「オカ研って新入部員入りそうなの?」
「入るわけがないだろ」
「うん、俺は龍一ちゃんのそういう堂々とした態度は好きだぜ」
「なぁ、まさか」
「イエス、派手にやりあっていた」
過激な生徒執行会会長に負けないくらい過激なのが俺の所属するオカルト研究部の部長だったりする。
二人が犬猿の仲なのは周知の事実である。
「廃部?」
「一歩手前」
俺としては実のところオカルトには決して造詣が深いわけでもなく、ぶっちゃけるのならオカルト研究部が廃部になろうとかまわないはずだった。
だがしかし、俺をオカ研に招き入れたのは愛理だったりするわけで、愛理が悲しむのは見たくないというか……
「まぁ、多分、そちらの部長さんから何らかの連絡が来るでしょ」
月曜日はオカ研の活動日。
つまりはブラッディマ○デイ(命名俺)。
憂鬱な気分で放課後を待たないといけなさそうだ。
3
放課後――。
「愛理帰るぞ!」
赤い彗星もビックリの当社比五倍速で俺は帰る支度を終える。
「え、でも、オカ研が」
「今日は中止だ」
「誰が決めたの?」
「俺。副部長が決めた」
「でも沙耶香さんからメールが来ていたよ?」
「何て?」
「『団藤君が当社比五倍速で帰ろうと言ってくると思うけれども部活には二人で参加しなさい』だって」
「おいおい……」
部長、もしかしてあんたは……
「続きがあるよ。『このメールの内容を聞いた団藤君は次にエスパーか!と言う』だって」
「エスパーか!……はっ、部長」
そのとき、愛理の携帯が振動する。
「あ、沙耶香さんからだ。『諦めなさい』だって」
仕方がない、俺の負けだ。
相手の方が一枚も二枚も上手のようだ。
とりあえず、喉が渇いたしジュースでも買ってから部活に向かおうとしよう。
負けは負け。
切り替えこそが大事なのだ。
男は細かいことをあーだこーだ言ってはならない。
「これも続きがあるね『私は紅茶○伝で』だって」
本当に容赦しないなぁ……。
4
オカルト研究部ことオカ研の活動は第二理科室を借りて行っている。
右手にコーラ(コカの方)を左手に紅茶花○を持った俺と、ハトムギとか玄米が入っているお茶を持った愛理が第二理科室に入っていく。
「こんにちは」
「遅かったわね」
カーテンを占めて電気も消しているため、薄暗い理科室。
その中央前方にある教師用の机に一人の女性が座っていた。
「紅○花伝が校内で売っていないのでコンビニまで行っていました」
電気を点けながら俺は言う。
「沙耶香さん、こんにちワルプルギスの夜」
「はい、こんにちワームホール」
妖しく光る(気がする)瞳に黒髪ロングでわがままボディを持て余す女子高生離れした風貌。
このお方こそ、我らがオカルト研究部部長、宮沢沙耶香である。
「団藤君、ご苦労様。お代よ」
「部長、それは何です?」
「古代マヤ文明の通貨だと私が思っているものよ」
「世間ではそれを磁石と呼びます」
もっと詳しく言うのであれば理科室の黒板に張り付いているマグネットである。
「つれないわね。これでいいんでしょ」
「部長、確かに俺と愛理が手にしている飲料は校内の自動販売機で購入したものなので百四十円ですが、○茶花伝はコンビニで買ったものですし、ちょっとお高いアンチクショーなので百六十円です」
「ケチくさいわね。あなた将来は窓際ね」
「あんたに何が分かるんだよ!?」
ぶつくさ言いながらも百六十円は一応、払ってくれる。
「沙耶香さん、今日は何をします?インディー○ョーンズも観終わりましたし、バックトゥ○フューチャーでも観ます?」
オカ研の主な活動内容はDVDを観ること……他にトランプや花札などバリエーションは豊富だ。いや、そうでもないか。
「残念ながらそれどころでなくてよ、アイリーン」
部長は何故か愛理のことをアイリーンと呼ぶ。
曰くオカルトっぽいから。
その感覚が俺には分からないが愛理は気に入っている。
「生徒執行会と揉めたんですね?」
「揉めてはないわ。ただ、うちの部を人数不足を理由に同好会にするというから古代黄河文明の頃から中国では貴重品として扱われてきたこの塩を投げつけてやったのよ」
「それただの食塩!理科室の備品だから!」
「塩の道を作るのに男たちがどれだけの苦労をしたことか」
「北方作品読みすぎです」
仮にも高校三年生女子が後輩に塩を投げるという構図はオカルトも真っ青なほどシュールだ。
「部から同好会になるとどう変わるの?」
愛理が俺に尋ねる。
「早い話、生徒執行会からもらっている部費と最悪部室が無くなる」
「つまり、DVDのレンタル代と大型スクリーンを含む諸々の機材を失うのよ、アイリーン!」
「それは一大事です!」
こんなんでいいのかオカルト研究部。
「ということで副部長、どうにかしなさい」
ビシッと人差し指と中指で俺を指しながら我らが宮沢部長はのたまう。そのわがままボディを揺らしながら。
「どうにかってどういうことですか?」
「生徒執行会を潰してきなさい」
「無理です。それにそんなの部長が魔術とか超能力とかでどうにかしたらいいでしょう」
「あなたの私に対する見解は今度ゆっくり聞くとして、無理よ。私、そういうの出来ないし、そもそも信じていないし」
オカルト研究部、部長のクセに身も蓋も無い人である。
「私は信じているよ」
お前は漫画の読みすぎだ。
その手にはいつの間にか漫画雑誌が。
我が恋人の未来が不安ではある。
「人数さえ増やせばいいんじゃないですか?」
「出来ると思う?」
「…………」
俺も愛理も返答しない。
「私がどうやってアイリーンを手駒……じゃなかった部員にしたか忘れて?」
「そうだ、私、一年前に拉致されたんだった……!」
今から一年前、オカ研と漫研のビラを教室で見ていた愛理を無理やり第二理科室へ連れて行き、オカ研に入り、なおかつもう一人新入生を連れてこないと呪うぞと脅したのが宮沢沙耶香二年生(当時)である。
「一年前と同じ方法は?」
「今年は校内アナウンスで拉致に注意するように放送しているわ」
「半端ねぇ!一周廻って格好良く感じてしまう!」
きっと愛理以外にもたくさん拉致したんだろうなぁ。
「とにかく、明日までに部員を増やす方法か生徒執行会を潰す方法を考えるか、あるいは、生徒執行会会長の弱みを握ってきなさい」
「宮沢部長、俺のこと何だと思っています?」
「副部長よ」
「それルビが間違っているから!」
5
結局、その後は特にこれと言ったアイディアも議論も行われず、仲良くトランプをして部活が終わった。
愛理はオカルトに多少興味があるが(というよりは信じている)、ほとんど興味のない俺が今でも部活に顔出すのは結局、オカ研というのは適当にだらけるだけの部活だからだ。
正直、生徒会に同好会に降格させると言われても反論出来ない節は多々ある。
ただ、俺も一応、副部長だし、あの空間が心地よいと感じているのは事実なので、家に帰ったら新入生向けのビラでも作ろうかと思っている。
そもそも宮沢部長は強引な行動は取るくせにこういう地味な勧誘活動は全くしない。
それが新入部員の入らない最大の理由ではないかと俺は思う。
「別に潰れたら潰れたらで放課後は龍一の家で遊べばいいじゃない」
学校からの帰り道、お向かいの家に住んでいる俺の彼女がそう言う。
「それは愛理が悲しむのを分かっているだろ?」
「そりゃ、悲しむと思うけれども、どうせ一年も立たないうちに沙耶香さんも引退して二人きりになるのよ?少し早くなるだけよ」
色白で端整な顔立ち、少し茶色のかかったツインテール。
これが俺と彼女の秘密。
「それは乱暴すぎるぞ、愛羅」
我妻愛羅。
俺のもう一人の彼女。
とは言っても別に偶然、愛理と同じ苗字というわけでもないし、姉妹というわけでもない。
彼女の正体は、我妻愛理の中に居るもう一人の人格。
いわゆる二重人格者なのだ。
最初に愛羅が表に出てきたのは3歳のころ。近所の公園でガキ大将たちからいじめられていた愛理を庇った俺がガキ大将に殴られたとき。
見事な噛み付きでガキ大将を追い払った彼女は自らを愛羅と名乗った。
愛理曰く愛羅はその前から愛理の中に存在していたらしく、ただ表に出る方法を知らなかっただけなのだとか。
医者に言わせると愛理のような内向的な子供に限らず、想像力の豊かな子供が一人遊びのさいにもう一人の人格を作るのは珍しくないらしい。
ただ、それは成長するに連れ自然と消えていくものであり、愛羅のように表に出てきて自らを別の人格だと名乗るケースは大変珍しいらしい。
結局、医者で調べても愛理の人体に異常があるわけでもなく、進展しないので我妻夫妻は愛理と愛羅という二人の娘を受け入れた。
俺はというと、三歳の頃から向かいの家に住む女の子には愛理ちゃんと愛羅ちゃんという二人の女の子が一つの身体に存在するのだという事実を受け入れていたので、何の違和感もなく二人と接してきた。
結局、俺は愛理ちゃんのことも愛羅ちゃんのことも好きだったみたいで、そんな最低な男を二人は当たり前のように受け入れてくれたから今がある。
難儀な二重人格者だと思う。
人格が複数ある時点で難儀ではあるけれども。
二人とも冴えに冴えている自慢の彼女だ。
「あんたはお人好し過ぎるのよ」
「それはお前だけには言われたくない」
愛理と愛羅という二人の人格の存在は両親や俺といった一部の人間以外には秘密にされていることである。
二人は意識的に人格を交代させることも可能だが、基本的には何かの拍子で愛理の人格が引っ込んでしまうことが多い。
すなわち、二人の秘密を守るためにも愛羅は愛理の尻拭いをしなくてはならないことが多いわけであって、明らかに損しているのに、愛羅が不満を述べたことはない。
それだけ愛羅が愛理のことを好きなのだということだと俺は思っている。
「ねぇ、それより寄り道していかない?実は駅前のパフェが気になっていて……龍一、愛理と行ったでしょ?」
ツインテールを揺らしながら愛羅はこっちを振り向いて言う。
愛羅が表に出ているときは髪型をツインテールにしていることが多い。
「あぁ、先週行ったよ。でも俺、愛羅にあまり甘い物を食べさせるなって愛理に言われていたりするんだけど……」
愛羅は甘党である。
しかし、身体は二人のものなので当然、摂取した分のカロリーを消費するのは愛理にも負担があるわけで……
「今朝、あの子が走ったから大丈夫よ。それにパフェなんてあたしが龍一と行きそうなところに先に行くのが悪いのよ」
似てないくせに、俺とどこか行きたがるという残念な思考だけ共有する二人。
「いい性格しているな、お前」
「だてにあの世は見てないわ」
「お前らはどちらかというと先代の霊界探偵だろ」
アニオタの愛理の影響を最近、愛羅が受けているみたいだった。
第二章 ウィー・ニード・ザ・ヒーローズ(新入部員)
1
「くっ、ローレンス……zzz……俺はもうだめだ。先にライアンの所へ行ってくれ……zzz……」
「龍くん、戦場は二日連続だよ」
「もう俺には耐えられないんだ。英語何て嫌いなんだ!!関係代名詞はもうたくさんだ!!何が嬉しくて鬼畜米英の言葉なぞを覚えなきゃならんのだ……zzz……」
「龍くん本当に寝ているの!?それから私はローレンスとライアンの国籍が気になるよ」
「俺達はあと何人ルイを覚えればいい?……zzz……俺はあと何個イスラムと東南アジアの王朝を覚えればいいんだ……zzz……教師は俺に何も言ってくれない……zzz……教えてくれローレンス!!」
「ゴッドフィンガー!えいっ」
「……んん!んん……っぷはー愛理、この起こし方は以下略」
「だってこれしか龍くん以下略」
団藤家はいつも通りの朝を迎えた。
※※※
時は過ぎ去って昼休み――。
俺たちは屋上で昼を過ごすことが多い。
屋上って漫画とかだとよく人が集まっているイメージだけど、実際はみんなグランドや校庭で昼休みを満喫することが多い。
だからほとんど毎日、屋上は二人きりでいられるのだ。
「今日のは自信作よ」
そう言って俺に少し大きめの黒いお弁当箱を渡してくれるのは愛羅である。
人が来ないということはつまり、学園内で数少ない、愛羅が愛羅として行動出来る場所である。
この時間ばかりは愛理は愛羅に譲っていることが多い。
ただし、少しほんの些細ではあるが問題があって……。
「で、作ったのは誰?」
「……空気読みなさいよぉ」
「少し可愛く言ってもごまかされないぞ」
「……愛理」
「じゃあ、安心だな、いただきまーす!」
「ちょっと、それどういう意味よ!?」
俺はお弁当箱の中身をかき流していく。
「はぁ~やっぱり愛理の料理は旨いなぁ」
「彼女との食事中に他の女を褒めるなんて最低っ」
「そう思うなら自分で作ってこいよ」
「プリンなんて持ってくるわけにはいかないじゃない」
家庭的な愛理は料理が得意で、俺にお弁当を作ってくれる。
一方、愛羅はというと、料理をさせると何でも甘くするという重病人だった。
もともと甘いものであるデザート類、たとえばプリンとかは上手く作ることが出来るのに、おかずは上手く作れないのだ。
「あー腹立つ!あたしの中の愛理がもの凄くドヤ顔しているわ」
愛羅は頭をくしゃくしゃに掻き乱す。
「おい、髪の毛ぐしゃぐしゃだぞ」
「いいのよ、治すのは向こう(愛理)だから。へへーんあたしの勝ちよ」
多分、愛羅にとって思いつく限りの陰湿な嫌がらせだった。
というかお前、むしろ負けているからな。
♪♪♪~~
そのとき、昼休みなのでマナーモードを解除していた俺の携帯から有名な某SF映画の悪役のテーマが重々しく流れてきた。
この不吉な音楽はある人物からのメールが来たことを表す。
「なぁ愛羅」
メールの内容を確認したあと、一人悦に入っている愛羅の意識をこちらに向ける。
「何?今の私は機嫌がいいから愛理がアニメのDVDボックスを買うために貯めているへそくりで龍一に服でも買ってあげるわよ」
髪は乱れているくせに表情はドキッとするくらいに可愛い。(彼女自慢)
「いや、それは信頼関係が破綻するからやめておく。……そういうことじゃなくてさ、今日の放課後なんだけど」
「放課後がどうかしたの?」
「そっちにもメール来ていると思うから見て」
愛羅がメールを確認する。
「うわっ……マジで」
愛羅がめちゃくちゃ、それこそ大掃除をしていたらゴキブリの死骸を見つけてしまったかのような顔をする。
「もしものときは助けてくれ」
「嫌よ、愛理頑張りなさい」
愛羅は愛理に言い放つ。
二人によると人格が表に出てこないだけで、意識は存在しているときがあるらしい。
今がおそらくそうなのだろう。
愛羅が見たもの聞いたもの全て、愛理も共有しているということだ。
「元はと言えば、お前がしゃしゃり出てきたんだろ、あの時」
「ほらあたし、高慢な態度取る人間嫌いだから」
同族嫌悪ってやつか。
「失礼なこと考えたでしょ?」
「いいえ」
幼(以)馴染み(心伝心)も考えものだ。
キンコーンカンコーン。
「お、もうこんな時間か」
昼休み終了五分前を告げるチャイムが鳴った。
「もぅ~愛羅のバカ~」
いつの間にかに入れ替わっていた愛理が鏡を取り出して必死で髪の毛を直していた。
女って大変だなぁ。
2
「よく来たわね。来ると信じていたわ」
宮沢部長が今日も薄暗い第二理科室の机に座っている。
「来ないと呪うってメールに書いてあったじゃないですか」
「呪いなんて信じているの?」
「三年生の先輩が部長の‘呪い’によってコンビニで万引きしている写真が全校中に貼られたという事実を思い出しただけです」
「あれは凄かったね。全部の教室に貼られていたもん」
このお方にどんな弱みが握られているか……想像したくもない。
「警備員に見つからないように忍び込んで写真を貼るのも結構難しいのよ」
その有り余るバイタリティーを他のことに向けたらいいんじゃ……主に新入生勧誘とか新入生勧誘とか新入生勧誘とか。
「それで部長、いつ来るのですか?」
「そろそろのはずよ」
今日は火曜日。
本来ならオカ研の活動はなく、放課後はさっさと家に帰る日。
俺と愛理がわざわざ第二理科室に来ているのも部長からのメールを読んだからだ。
『放課後、執行会がわざわざ出向いてくれるそうなので全員集合。来ないと呪う(*゜∀゜*)』
この日見たこうも可愛くないと思った顔文字を僕たちは知らない。
「どうもこんにちは」
第二理科室の扉が勢いよく開かれ、二人の人影が中に入ってくる。
「あらあら、生徒執行会さんはノックも出来ないのかしら?」
韓流ドラマに出てくる姑のような態度で宮沢部長が応対する。
「ご心配しなくてもこの教室はまもなくあなた方のものではなくなりますので」
宮沢部長に負けないくらいにこちらも韓流ドラマに出てくる嫌なおばちゃんっぽいという高校二年生らしさに欠けているのが末弘要、前期生徒執行会会長。
メガネと三つ編みがトレードマークだ。
「末弘、そんなに興奮するなよ」
イケイケ生徒会長の手綱を握るのが副会長の裕。
昨年の生徒執行会会長達は同級生の‘魔女’宮沢沙耶香には触れないようにオカ研の存在を黙認していたらしい。
部員数わずか三人で、五十人近く居る野球部と同じだけの部費を手にしているオカ研は当時、生徒執行会会計を務めていた末弘には当然、見逃すことの出来ない存在だった。
先輩達の反対を押し切ってオカ研へと乗り込んできた新人生徒会会計と第二理科室の魔女という校内でも有名な好カード……というか泥試合は壮絶でそして意外な結末で終えた。
正確にはまだ続いているのだけれども。
「沙耶香さんも末弘さんもそんなに興奮しないで、仲良くしようよ」
「…………」
「…………」
二人が揃って愛理を睨む。
「わ、私、何かおかしいこと言ったかな?」
「大丈夫、愛理は悪くないよ」
愛理は、だけどな。
「末弘、もう満足しただろ?早く用件伝えないと。俺らも暇じゃないんだから。な、龍一ちゃん?」
「お、俺にふるな」
末弘がもの凄い形相で睨む。
以前、裕があれは眼が悪いから細めているだけで睨んでいるわけじゃないと言っていたけれども絶対、嘘だ。
「渥美君の言うことももっともね」
末弘が日曜夕方の国民的アニメに登場する委員長のように眼鏡のズレを正す。
「宮沢先輩。先週も告げましたがオカルト研究部は同好会へと降格させていただきます」
「嫌よ」
「決めるのはあなた方ではありません私達です」
「まぁこればっかりはねぇ……」
裕が申し訳なさそうにこっちを見る。
「そんなどうして?」
愛理が末弘に尋ねる。
「たった三人で部活なんて認められるわけがないでしょ。あなた達に部費が支払われるのはおかしいって抗議が相次いでいるのよ」
分かりきっていたことであり、もっともな正論だ。
「部員数三名が違反だというルールでもあるのかしら?」
「このやりとりも一年間続けてきましたが、そのような規則はありません。しかし、新しい部を作ろうと思えば五人以上の人数が必要です。また生徒執行会は部活動に関して一定の裁量を振るうことを学校側から認められています。この二十年間本学の歴史で五名を切った部は全て同好会に降格しています。例外は一件しかありません」
その一件がお前たちだと末弘の眼が語っていた。
「ねぇ、何とかならないの?」
愛理が生徒会の二人に対してすがるような眼で言う。
「なりません。何でも思い通りにはならないのだということをそろそろ学ぶのね」
末弘の痛烈な言葉に愛理は何も言い返さずに下を向く。
「部員が二人入ればいいんだよな」
「入れば問題ないよ」
「ちょっと勝手に……」
「でもそれは認められるべきだろ?」
「まぁそうなのだけれども……」
俺の質問に裕が答え、末弘からフォローしてくれる。
「ならば帰ってもらいましょうか。まだオカルト研究部が潰される理由はなくてよ」
「却下します」
「どういう意味かしら?」
「本日までにオカ研を訪れた新入生は居ますか?」
「…………」
俺たち(オカ研)は黙秘権を行使する。
尋問において一番、効果的な反抗である。
「これ以上、問題を先延ばしすることに意味はないでしょ?本日を持ってオカルト研……」
「待ちなさいよ!」
投了直前に待ったをかけたのは俺でも部長でも愛理でもなくて……
「先延ばしってどういう意味よ、横暴すぎるわ!」
「化けの皮をはがしたわね……我妻さん」
「出たーぁぁぁ、アイリーンの強気モード!!」
俺でも部長でも愛理でもなくて愛羅だった。
「部員を二人増やせばいいんでしょ?それなら問題ないわ」
「威勢のいいところ申し訳ないけれども見込みはあるのかしら?」
「見込み?馬鹿なこと言うのね、あなた。昨年のオカ研の新入部員数を知っているのかしら?」
「愛理と俺で……二人だな!」
幾度となく繰り広げられてきたオカ研と生徒会の泥試合。
昨年のMVPは間違いなく愛羅だった。
元はと言えば争いごとの苦手な愛理が部長と末弘の言い合いに耐えられなくなったので急に愛羅が表に出てしまう結果になったのだが、愛羅は愛羅でブルペンにて肩を念入りに作ったクローザーのような好リリーフで、末弘を幾度となく撃退してきた。その功績を称えて俺は愛羅を一人JFKと名づけた。じ(J)っとしているなんて不(F)可能、覚(K)悟しなさい!の略だ。
「我妻さんって龍一ちゃんと二人のときもこんな感じなわけ?」
「半々だな」
もちろん部長も末弘も裕も我妻愛羅という人格の存在を知らない。
三人とも今ここに居るのは愛理だとしか思っていないわけで、
「昨年、二人入ったのに、今年二人入らないって誰が言い切れるのかしら」
「~~っ、この女は……!」
特に末弘は愛理のことを裏表のある人間だと思って宮沢部長以上に嫌っているふしがある。
「いや~やっぱりメールで招集しといてよかったわ。やっちゃいなさい、アイリーン!」
この人はこの人でこの展開を読んでいた確信犯だ。
「末弘、オカ研さんの主張は正論だぞ」
「わ、分かっているわよ」
俺は末弘と親しいわけではないが、基本的には正義感と公正さを併せ持ったいいやつだと思っている。
むしろ陣営的にはこちらの方が明らかに悪なのは否定出来ない。
「四月いっぱいまで待つわ。それまでに部員が二人入らなかったら同好会降格よ。部員が一人も入らないことを祈っています」
「それは残念ねぇ。部員は二人入る予定だから」
いつの間にかまだ春だというのに扇子で扇いでいる部長。
開かれた扇子には勝訴の二文字が。
……色々と間違っていますよ。
「……問題だけは起こさないでくださいね」
「余計なお世話よ、石頭」
今度は愛羅が煽る。
「~~っ」
言葉にならない怒りを噛み締める末弘。
「まぁまぁ末弘、もう今日はこの辺で終わりにしようや」
裕が眼でこっちに合図する。
「部長、執行会との交渉もすんだことだし、今日はもうここまでにしておきましょう。愛理もいいよな?」
即座に俺も二人をなだめる。
「そうね。さっさと帰りなさいな」
「言われなくても!」
ツンっという表現が似合うような感じで末弘は後ろを向いて教室を出て行った。
「どうも、お邪魔しました~」
その後に裕が続く。
「アイリーン、塩!」
「……え?」
「ホワッツアイリーン?さっきまでの勢いがなくてよ」
このボンヤリとした愛理の表情から察するに愛羅から愛理に再び入れ替わったようだ。
「部長、ですから食塩は理科室の備品です」
自ら理科室の棚にある食塩を取り出した部長に俺は言う。
「大丈夫よ。魯○深達が作った塩の道はたとえ梁○泊が滅びようとも……」
「アウト!そこまで言ったらアウトだから!もう引っ張らないでいいからそれは。そんなことより、今後の話し合いをしましょうよ」
おまけにネタが高校生向きじゃないんだよ。
「話し合いって?」
「新入部員をどうやって入れるのかっていう話しですよ」
「また、私とあの萌えない眼鏡っ娘がやりあったらアイリーンが倒してくれんじゃないの?」
「そうじゃないでしょ!こちらも約束は守らないと」
「冗談よ、冗談」
いや、多分本気だった。
「ということで団藤くん、いえ、副部長。この件はあなたに一任するわ」
「はい?」
「だって私には拉致以外に思いつく方法がないのだもの」
「いや、ほらビラ配るとかあるでしょ」
「じゃあ、作って、配って」
この人は……笑っ○こら○てみたいな言い方で押し付けないで欲しい。
「龍くん、私も手伝うから、一緒に作ろ?」
愛理がそっと俺の肩を叩きながら言う。
「そうしてくれるとありがたいわ。私は私で忙しいから」
「えぇ。ビラは私達に任せて沙耶香さんはどしっと構えていてください」
「あぁ何ていい後輩を持ったのかしら?幸せだわ」
「……分かりましたよ。俺らで作っておきます」
元々ビラを作るくらいは大した作業ではないので俺は折れることにした。
本当にこんなんで二人も新入部員が入るのだろうか。
「お先真っ暗だな」
「未来は真っ暗で見えないくらいの方が楽しいよ、龍くん」
何だかその言葉が余計に俺を悲しくさせた。
3
「龍くん、お茶入ったよ」
「サンキュー」
家に帰ると荷物だけおいて愛理の部屋に直行した。
二人でビラ作りをするためだ。
「ねぇねぇどういう構図にする?」
お盆に乗せた二つのお茶のうち片方を俺に渡して愛理は言う。
愛理の部屋はアニメのポスターが貼ってあるかと思えば、人気ロックバンドのアルバムがどっさりと置いてある。
愛理と愛羅。
二人の趣味が入り混じったカオスな空間だった。
お互いが遠慮をしないので同じ部屋を共有している兄弟の部屋だとかそういうレベルじゃない。
まぁ、もう慣れたけど。
「別に奇をてらう必要はないと思う。オーソドックスなのでいいんじゃないか」
求む新入部員とか。
「ダメだよ、龍くん。オーソドックスなんてオカルトじゃないよ」
「いやビラにオカルトを求めなくても」
「そんな、オカ研のビラだよ?黒魔術的じゃないと大型ルーキーは望めないよ」
「俺たちに必要なのは頭数であって即戦力ではない」
部長みたいなのが一人だけ来てもオカ研は潰れる。
色んな意味でそんなのごめんだ。
そうかと言ってオカ研の真の活動をビラに書くわけにはいかない。
映画見て雑誌読んでトランプしてとっても楽しいですよ!……なんて高校の部活動勧誘のビラにそんなこと書く勇気は俺にはない。
いや宮沢部長にはあるかもしれないが。
「オカルトに真に興味なければ入ってもやめるだけだよ。オカ研でやっていくには悲しいことだけれども素質があるか篩にかけないと」
「そんな篩あるなら俺はとっくに落とされているよ」
「そんなことないよ、龍くん結構、沙耶香さんに気にいられているもん」
「それは自分の言うことを聞く奴隷としてだろ」
「龍くんスケベだから……沙耶香さんスタイル抜群だもん」
「何でそうなるんだよ!」
いや、確かに宮沢部長の身体はけしからんが。
「眼がヤラしいよ」
ジト目を使ってくる。
「さーてビラを作ろう、な?」
「……誤魔化したね」
彼女も微妙なお年頃らしい。
いや、そういう問題なのかは分からないけれども。
「とりあえず目立つように派手な色でも使うか」
「黒一色で行こうよ。少しだけなら赤も混ぜていいけど」
「黒魔術から離れなさい」
そして俺達は我妻のおばさんが龍一くん晩御飯食べていく?と聞きに来るまで愛理の部屋で作業を続けた。
4
「どうもーオカ研です」
「よければチラシをどうぞ」
授業が終わると俺と愛理はダッシュで校門に向かい昨日作成し、昼休みに百枚コピーしたビラを配り始めた。
ちなみに黒魔術的要素は存在しない。
それだけは俺が全力で防いだ。
「オカ研をお願いします」
当たり前だが、ビラは主に一年生を対象に配る。もちろん二年生でも歓迎ではあるが、オカ研の未来を考えると問題の先延ばしに過ぎない。ちなみに三年生で宮沢沙耶香と同じ組織に所属したがる方は居ないらしい。(本人談)
「大分はけてきたね、龍くん」
「まぁ一応、手には取ってもらえてよかったよ」
一年生の子らはオカ研という名前からして怪しい団体について興味を示さなかったとしても、拒絶はしなかった。
無関心と拒絶。似ているかもしれないが、この差は大きい。
関心がないのならば持ってもらうようにすればいい。
だが、拒絶となるとそうはいかない。
拒絶が興味に変わるなんてそんなツンデレはそうそうあることじゃないし、拒絶する人間を振り向かせるのは作業効率的にもよろしくない。
「無駄な努力をしているわね」
背後から声がしたので振り返ると末弘だった。
鞄を持っているし、おそらくこれから家に帰るのだろう。
「無駄かどうかは分からないだろ。決めつけるのはやめてくれないか?」
「まぁそうね……ゼロコンマでも確率があるものね」
まるでほとんどないかのような言い方だった。
「そんな言い方しなくてもいいのに……」
愛理が小さい声で言う。
揉め事になるのが怖いのだろう。
「それよりあなた達、ビラ配るのに生徒執行会の承認もらってないでしょ?」
「そんなの要るのか?」
「校則にあるわよ。生徒手帳にも書いてあるし、各団体の代表者には通達しているのよ……もちろんそちらの部長さんにも」
聞いてないですよ、部長。
「えっと……じゃあ……私達は……」
「校則を犯したことになるわね」
「そんな……」
別に校則を犯したからってどうにかなるわけではない。
この程度なら反省文すら書かされることもないだろう。
だが、今オカ研のイメージを悪くするのはまずいことだった。
これ以上、下がまだあるのかは分からないけれども。
「……まぁいいわ。大目に見てあげる」
「え?今何て……」
「しつこいわね。このことは不問にするって言っているのよ」
それは予想もしていなかった方向から差し伸ばされてきた救いだった。
「いいのか?」
「目くじら立てるほどのことじゃないしね。今後、気をつけてくれさえしたらかまわないわよ」
「…………」
「…………」
「何、二人揃って鳩が豆鉄砲をくらったみたいな顔しているのよ。あなた達、何だか私のこと誤解していない?」
「いや、ほら、末弘って俺たちのこと嫌いなのかなって……」
横で愛理も首を大きく縦に振る。
「別に嫌ってなんかないわよ。確かに宮沢先輩が居ると私も興奮して言い過ぎちゃうことはあるけれども、それで嫌っているとは思って欲しくないわ」
「いや、でも、どう考えても……」
「はい、もうこの話はおしまい!いいわね」
この有無を言わせないところは宮沢部長にそっくりだ。
確かに嫌っているというよりは似ているだけなのかもな。
同族嫌悪……いやいやそれだと結局、嫌っているじゃないか。
考えてみれば部長も会長も愛羅もどことなく似ているような気がしなくはない。
気が強いという点での話だけかもしれないが。
「あぁそれとね、ちゃんとゴミ拾いはしておいてね」
「はい?」
「ゴミ……拾い?」
「そう。放課後及び休校日にビラ配りした団体は学校から駅周辺の道までの清掃活動をするというルールがあるのよ。無申請は見逃すのだから、そっちはやってよね」
「何でそんなルールが……」
「でも、本当に生徒手帳に書いてあるよ」
愛理が生徒手帳を開いている。
「まぁそれはやってみたら分かるかもね。それじゃあね」
そう言って三つ編み眼鏡っ娘会長、末弘要は立ち去って行った。
「……私、ゴミ袋取ってくるね」
「じゃあその間、もう少しだけここで粘っているよ」
5
高校から駅は近くて歩いて五分とかからないくらいだ。
俺や愛理は徒歩で通学しているが、電車通学組からするとかなり有難い立地だと思う。
なので、別に俺たちが清掃しなくてはならない範囲は広くはないのだが……
「龍くん、これはちょっと悲しいね」
「……そうだな」
学校と駅との間にオカ研のビラがたくさん捨てられていた。
「清掃活動が義務付けられているのとこういうことなんだね」
愛理は悲しそうに言う。
同じ立場になれば誰だってそうなるはずだ。
俺だって悲しい気分になった。
「でも、全部が捨てられたわけじゃない。落ち込む必要はないさ」
こういう非常識なことを平気でやる人間はたくさん居る。
ましてや高校一年生なんてまだ義務教育を終えたばかりなのだ。
分別がなかったとしても仕方がない……何ていう言葉は不適切かもしれないがそういう思いがなくもない。
「入ってくれるかな?オカ研に」
「信じよう。今はこうしてゴミを袋に敷き詰めることしか出来ないわけだし。果報は寝て待てって言うしな」
「……そうだね。あ、この缶、まだジュースが残ってるよ」
「飲んだらダメだぞ」
「飲まないよ!私を何だと思っているの!?」
第三章 一日にしていいキスの人数
※※※
我妻愛理と我妻愛羅。
同じ身体に宿る二つの人格。
表があるから裏がある。
光があるから影がある。
切っても離せぬ、嬉々として話せぬその存在。
だが、どちらが面なのか何が景なのか。
それを知るには……それを決めるには……
きっとまだ、彼女らは……
それはただ、幼くて弱くて脆くて儚くて……美しいだけだった。
※※※
1
「で、未だ新入生からの連絡は来ないと」
宮沢部長が『ム○』を読みながら言う。
金曜日の放課後。
オカ研の活動のためいつもの第二理科室へ。
今日も今日とて特に活動することもないので、部長はオカルト系雑誌を、愛理はオカルトの勉強と称し、先ほどからライトノベルを読んでいる。
先ほどから時折、幻想をぶち壊すとか騒いでいるが、オカルトの勉強にはなっていないと思う。
「効果がないみたいですね」
「まぁビラだけではねぇ。やはり拉致するしかないわね」
「ちょっとは真面目に考えてください」
部長は某太陽神の名前が付けられている、チョコを食べながら言う。
曰く名前がオカルトだから好きだとか。
愛理と部長の言うオカルトが未だに掴みきれていない俺だった。
「とりあえず、月曜日まで待ちましょう。週末の間に考えも変わるかもしれないし。それで無理なら次のアクションを打つしかないわ」
「部長がまともなことを言っている……だと……」
「団藤君は私を怒らす天才ね」
実際、部長の言うとおり、こちらは一度アクションを行ったのだから今はどっしりと構えるしかない。
次はどうするかを考えながら待つのが最善のように思えた。
ビラ配りに関与していない部長に言われたということに関しては引っかかっているけど。
「ということで今日は私、本読んでいるから。アイリーンも読書に夢中みたいだし、団藤君も好きにしていていいわよ」
それって部活動の意味あるのか……そんな疑問は一年前にティッシュにくるめて捨てた。
「龍くん、龍くん」
「何だ?」
「お腹いっぱいご飯を食べさせてくれる嬉しいな」
「……何の真似?」
「可愛くない?」
「可愛いのは可愛いけど没個性的というか周りから埋もれそうな気がする」
確か……そう、空気嫁ってやつだ。
「ガーン。やっぱり龍くんもビリビリ派なんだ」
ごめん、愛理……何を言っているのかさっぱり理解出来なかった。
2
そんなこんなでオカ研の活動と呼ぶにはあまりに動かない非生産的な行いを終え、帰路に就く。
「部活の勧誘って難しいなぁ」
「そりゃ、文化系でマイナーでおまけに得体の知れないところなんか誰も入らないわよ」
「やめろ。悲しくなるだろ」
一緒に帰っているのは愛羅だ。
「だってあたしなら絶対入らないもん」
「まぁ、俺もだけど」
「龍一がオカ研に居るのは女目当てだもんね」
「本当のことを言うんじゃない」
「……そこはあたしに気を使ってボカすところじゃないの?」
俺の隣を愛羅が歩く。
高校入学以来、ほぼ毎日、愛理と愛羅は登下校を分担している。要するにどちらとも俺は二人っきりで歩いている。
そんな当たり前の関係。
愛理も愛羅も俺にとっては日常だ。
「今週はなんだか怒涛だったな」
「新学期だし、仕方ないわよ」
「そういうもんか。何だか羽を伸ばしたい気分だぜ」
「おっさんくさいわね」
「何気に傷ついたぞ、今の」
愛理や愛羅相手だと会話も自然に弾む。
一緒に居ると安心できる相手だった。
「なぁ……日曜日、どっか出かけるか」
オカ研のことで心身……主に心がとてつもなく疲弊したので気分転換がしたかった。
「それはデートのお誘いかしら?」
「ま、まぁそういうことになるな」
ストレートに言うなよ、恥ずかしい。
「……それで、どっちを誘っているの?」
「どっちて……」
愛理か愛羅かという意味なのだろう。
「そりゃあもちろん……」
この状況で答えは一つしかなかった。
3
俺の住む街から電車で二十分。
向かう先は夢田。
この辺りで一番大きな街であり、最近、地域振興を願う大人たちの頑張りで日本初出店のブランドや若者に大人気のショップがやって来たり、映画館や百貨店なども新しく作られて老若男女が楽しめる街だ。
「やっぱり夢田は混んでいるね」
「人多いのは嫌か?」
「そんなことないよ。即売会とかもっと凄いもん」
「……今日はソフ○ップもアニメ○トも行く予定ないからな」
頼もしいのか頼もしくないのかよく分からない愛理に釘をさしておく。
いや別に愛理が行きたいならそういうところに行ってもいいんだけどさ。
「分かってるよ。せっかくのデートだもんね。それにめぼしいものは発売日に購入しているから今日はいいよ」
たくましい子だ。
そんでもって愛理も愛羅もあまりデートって連呼しないで欲しい。
べ、別に照れているとかそんなんじゃないんだからね!
「龍くん」
「何……って」
「へへん。これくらいいいでしょ?」
愛理が俺の腕に抱きつく。
いわゆる腕組ってやつだ。
「ね、行こう」
「そ、そうだね」
「もう、ちゃんとエスコートしてよね」
「マカセルアルヨ」
「何で怪しい中国人みたいになってるの!?」
「ナンデカナアル」
女の子って柔らかいんだなぁ。
※※※
「うわーこれ可愛い」
「それ今、流行っているんですよ」
「へーそうなんですか」
ウインドウショッピングでたまたま立ち寄った女性用アクセサリー店。
うちの彼女はシビレ罠を張って待っていたハンター……じゃなくて、ショップの店員に見事なまでに捕まっていた。
熟練のショップ店員からしたら愛理みたいにホイホイ話しを聞く奴はまさしくカモだった。
愛理とショッピングに行けばこうなるのは予想出来ていたのでそれ自体はかまわないのだが、少々めんどうなことがこの後、展開されるのも分かっていた。
「ねぇねぇ彼氏もこのブレスレット似合うと思わない?」
「え、えぇ。そうですね」
そうこれなのだ。
女の子と二人でこういうお店に入ったらそう思われてしまうのは仕方のないこと。
勘違いではないわけだし、店員さんを責めることは出来ない。
ただ、どうも俺はそういうのが苦手で気の利いたコメントも出来ないし、適当に相槌を打つくらいしか出来ない。
「龍くん、どう?」
愛理が今流行っているという少し明るめで模様の入った水色のペンダントを装着して俺に見せる。
「いいと思うよ」
「もう、そればっかりなんだから」
本当に何でも可愛く見えるのだから仕方ないだろ。
「まぁでも、ブレスレットは欲しかったし、丁度いいかな。これ、買います」
「ありがとうございます」
店員が笑顔で愛理からブレスレットを受け取りながら俺の方を見る。
「愛理、俺が出すよ」
「え、でも悪いよ」
「いいから、プレゼントさせて、な。せっかくのデートだし」
「……ありがと」
愛理は少し顔を赤くしてうつむいた。
俺だって多分、顔が真っ赤だ。
そんな俺たちを笑顔で頷きながら見ている店員には若干腹が立つけどさ。
くそっ、どうやらカモは愛(彼)理(女)ではなく俺(彼氏)の方だったらしい。
店員がブレスレットを持ってレジの方へ向かうので俺も財布を出しつつついていく。
「お」
ふと、レジの近くにある机に陳列していたあるものに目を奪われた。
「すいません、これも売り物ですよね?」
「ええ、そうですよ」
店員は笑顔を崩さない。
「それじゃあ、これもください」
「ありがとうございます。袋はご一緒でいいですか?」
「いえ、別でお願いします」
「かしこまりました。お会計は……」
二つ合わせると一葉さんが出陣する羽目になった。
4
「このパスタ美味しいね♪」
一通りのショッピングをした後、雑誌やテレビで話題のパスタ店に入った。
愛理はブレスレットをプレゼントしたら上機嫌になってずっとこんな感じである。
いや、食事中くらいはブレスレット外したらいいのに。
お礼にと昼飯代は出してくれるらしい。
彼女に昼飯代を出させるのはNGと何かのハウツー本には書いてあるらしいが、俺と愛理は今さらそんなことを気にし合う仲ではなかったし、午後も遊ぶことを考えたらここは有り難く奢られることにした。
「うーん、クリームとパスタがマッチしていてそこに春野菜が自分を主張し過ぎず、けれども確かな存在感を放っているよ」
ちなみに愛理は季節のクリームパスタを注文。
俺はというと、
「龍くんの和風明太子パスタも美味しそうだね」
「一口取って食べてもいいよ」
「わー、ありがとう」
本当はイカ墨パスタにとてつもなく惹かれたりしていたのだけれども『デート中に歯を真っ黒にするつもり?』と愛理に言われたので自重した。
まぁ和風パスタは美味しいからいいんだけど。
「午後はどうする予定なの?」
「う~ん、まだ決めていないけどボウリングとかゲーセンかなと思ってる」
「つまりラウンド○ンだけですまそうと」
「あくまで基本的にはだから。……ダメかな?」
「いいと思うよ。そっかぁ午後も楽しそうだなぁ」
「別に夢田なんていつでも連れて行ってやるよ」
近いわけだし。
「フフフ……ありがと。でも次は難蒲か一宮とかもいいいかも」
「愛理が言うと別目的な気がするよ」
「さぁ……どうでしょう?」
難蒲と一宮。
どちらも夢田に次ぐ、大都市である。
夢田よりももっと若者向けの街であり、学生ならこちらの方がデートとしては一般的かもしれない。
しかし、それは同時にサブカルチャーの発信地となりうるということで、近年はオタクの聖地としての顔も併せ持っている。
難蒲の方は一画の電気街にたくさんのメイドさんが客引きのために闊歩しているし、一宮の方はアニメやゲームの舞台としてよく使われるので、街をよく見るとお洒落なファッションモデルのような人々に混じってカメラで風景をとっている人々を発見できる。
何度も言う、愛理はオタクである。
彼氏目線でなくても客観的に学年屈指の可愛さである。
だが、オタクだ。
昨年、一人で一宮を歩いていたとき雑誌の読者モデルにならないかと声をかけられたらしい。
だが、オタクだ。
好きなガン○ムは翼が生えているやつだ。
だが、オタクだ。
……最後は用法を間違えたかもしれない。
愛理みたいなのが将来、メイド喫茶でアルバイトするのだろうか。
メイド喫茶のメイドさんのルックスに対する平均的評価は議論の分かれるところではあるけれども。(※あくまで個人の見解です)
「ふー美味しかったね」
「あぁ、そうだな」
パスタを食べ終え、愛理が支払いをすませお店から出てくる。
「さてと、時間は……うん、まだ一時前だね。私、トイレ行ってくるね」
「あぁ」
現在は十二時五十分だった。
「龍くん、楽しかったよ」
そう言って愛理は俺の唇に自分の唇を押し付ける。
いわゆるキスというやつだ。
「……」
「へへへ……ちょっと恥ずかしいね。じゃあまたね」
「お、おう……」
手を振りながらトイレに向かう愛理に手を振り返す。
待っている間にボウリングのクーポンを探そうと思い携帯を取り出す。
キスの余韻はなかなか消えなかった。
5
「待った?」
「五分くらい」
「あのね……こういうときは『俺も今来たところだよ』でしょ」
ツリ目で言う。
「そこから始めないといけないのか!?」
トイレから戻ってきたのは愛理……じゃなくてツインテールを揺らした愛羅
だった。
『それはデートのお誘いかしら?』
『ま、まぁそういうことになるな』
『……それで、どっちを誘っているの?』
『どっちて……それは、お前両方だよ』
『……ならいいわ』
そんな俺の幼馴染みとしては合格点かもしれなくて男としては最低点かもしれない答えを愛理も愛羅もずっと受け入れてくれている。
選ぶことなんて出来ないから俺は選ばなくて、選ばすことなんて出来ないから二人は選ばさない。
「こういうのは形が大事なの」
そう、今から愛羅とのデートが始まるのだ。
ならば彼女の求めることには答えなくてはならない。
「俺も今来たところだよ」
「うん、合格!」
「満足か?」
愛羅の弾けるような笑顔にドキッとしてしまった俺は照れ隠しにそう言う。
「まだまだね。よくよく考えたらこれ古臭いし」
「やらしといてから言うなよ……」
「ということで減点でーす」
「ちょっと厳しくはありませんかね!?」
「大丈夫、これから挽回してくれるでしょ?」
愛羅が俺の腕に抱きつく。
いわゆる腕組ってやつだ。
「満点目指してね」
「採点は甘めでお願いします」
「もう、ちゃんとエスコート出来るの?」
「ジローラモニマカセテヨ」
「何で怪しいイタリア人みたいになってるの!?」
「ナポリ!」
女の子って柔らかいんだなぁ。
数時間前の感想を再認識した。
※※※
一階から三階までがゲームセンター。四階から九階までがボウリング。
若者の集まる典型的なアミューズメント施設に俺たちは入った。
「魔球人生の急カーブ!」
愛羅の放った球はガターギリギリのコースからカーブしてピンのど真ん中へ。
「やったーストライク!」
「ナイス!」
愛羅とハイタッチする。
「器用なことするなぁ」
「龍一も頑張ってよ。このままだと三連勝だからね、アタシの」
ここまでニゲームをやって両方とも彼女に惨敗するという情けなさぶりを発揮していた。
三ゲーム目は何とか食らいついているが愛羅は魔球とかを試し出す余裕っぷりだ。
これだけコケにされてしまったら、黙ってハイ終わりです、でますわけにはいかない。
ボウリングの球を念入りにタオルで拭いて呼吸を整える。
「カッコつけるな!」
「うるさい、やれることは全部やっておきたいんだよ」
彼女(野)からの声援(次)に負けるな、俺。
「そらっ」
俺の投げた球は真ん中をまっすぐ突き進む。
「おっしゃーストライク」
「やるじゃない」
愛羅が笑顔で手を挙げて迎えてくれる。
「負けないぜ」
その手に応え再びハイタッチ。
そしてまた愛羅の番になる。
「さて、ここらで秘奥義でも出しますか」
「秘奥義?」
愛羅が球を手に取って助走の構えをとる。
「秘奥義黄泉がえり!」
「いやさっきからネーミングが……」
しかし、愛羅の投げた球はガターへと入ってしまった。
「なんだ、秘奥義不発か?」
そう俺が小バカにしたときだった。
「ここからよ」
そう愛羅が言った直後だった。
ガターを転がり続けていた球が凄まじいスピンスピンを披露して飛び跳ねる。
飛び跳ねたボールは見事、ど真ん中のコースへ……
ストライク。
そうモニターにそう表示され、ピンが倒れるアニメーションが流れる。
「やったー大成功!」
「嘘……だろ……?」
ルール上、そいつはガター扱いなんだぜとかそんなことじゃなくて人為的に出来る奴を初めて見た。
「どう、凄いでしょ?」
「う、うん」
その後、神業を目の当たりにした俺はフォームを崩してスコアは悲惨なものになった。
見事、三連敗。
格好悪いなぁ……。
6
「あたしの提唱する公道最速理論を見せてやるわ!」
「曲がる!曲がってくれ俺のハチ○ク!」
二階のゲームセンター。
俺たちはドリフトでドリームでダウンヒルでダイヤの原石な頭文字の公道爆走ゲームで勝負をしている。
「峠の王者はアタシよ!」
「アドレナリンどっぱどぱだぜ」
勝負のコーナリングで闘いはヒートアップする。
「これで突き放すわ」
愛羅のマシーンが高速ドリフトを披露する。
「くそっ、ついていけない」
「マシーンの性能の差が勝負の決定的な差ではないことを教えてやるわ」
「いや、それ違うから!そして性能でも俺が負けているから!」
ここ最近、ずっと思っているのだけど実は愛羅の方も相当アニメが好きなんじゃないか……?
なんて考えているうちに愛羅との差がみるみる広がっていく。
「イエーイ、勝利!」
「右コーナーがヘタクソだったということか……」
対向車が来るんじゃないかと身構えてしまうんや……。
「何か今日、あたしが勝ってばかりじゃない?」
「愛羅は何でも上手すぎるんだよ」
ボウリングに始まり、格ゲーでも音ゲーでもカーゲーでも俺はツインテールの怪物に負けている。
「何か自信があるゲームないの?」
見下すかのように愛羅は言う。
実際見下されているのだけれども。
「……競馬なら」
「ギャンブル!?」
そう、競馬ゲームなら完全に運だから俺にも勝目はある。
この思考が既に負けているという意見は取り上げない。
「まぁ、龍一がそれで満足出来るならいいわよ?」
この言い方は『お前にプライドはあるのか。この勝負を受け入れたらお前は犬以下だぞ』と言っているのと同義である。
「大満足だ」
「……はぁ、情けないわ」
愛羅は頭を抑える。
「犬以下でもいい。勝ちたいんだ」
「そんな真っ直ぐな瞳で言わないでちょうだい。自分の男を見る眼に自信が持てなくなるから」
「日高の風雲児とも言われたこの俺の相馬眼に勝てるかな?」
「……いやデジタルなんだけど」
そして結果。
「うわーコインが底をついた。俺、新しいの買ってくるよぉ」
「龍一……悪いこと言わないからもう辞めときなさい」
俺が五度目のコイン購入に行こうとするのを手前のカップに山のようにコインを積んでいる愛羅が制止する。
「げへへ……姉ちゃん……コイン分けてくれへんかぁ」
「競馬場に本当に居そうなダメ親父を再現しないで!つか、あんた将来絶対にギャンブルやったらダメな人間だからね」
俺のおこぼれちょうだい作戦は失敗に終わる。
「ギャンブルまで強いなんてチートだぞぉ」
「可愛く拗ねたって負けは負けよ。あんたが敗者という事実は揺らがないのよ」
悔しい……!でも、何も言い返せない。
揺るぎないものが一つ欲しいよ。
「これでもう満足かしら?」
「参りました」
地面すれすれまで頭を下げた。
プライドというものは遠いどこかに置き忘れてしまったようだ。
7
「うーん甘くて美味しいわ。このクレープ甘いね」
「甘いって二回言っているぞ」
時刻は既に夕方。
徐々にではあるが、空も暗くなってきてそろそろ帰る時間だ。
デートの最後に高層ビル群の一角に設けられた空中庭園……もちろんコテコテのデートスポットだ。
勝負にボロ負けした俺は愛羅に奢るために高層ビル内部の男にはとても無縁のような気がするスイーツショップでクレープを買ってきたところだ。
「でも本当に美味しいのよ、甘くて」
「さいですか」
確かにクレープは美味しかった。
まぁ値段的には美味しくないとちょっと困るものではあったけれども。
愛羅が満足そうで何よりだった。
これなら今日は大成功。
いい感じで気分転換が出来たと思う。
「楽しかったな」
楽しめたし楽しますことが出来た。
それはもしかしたら驕りだったかもしれない。
それに気づかないうかれポンチ野郎の俺は軽々しくそんな言葉を発する。
「……それは午後の方が楽しかったてこと?」
「え?」
クレープを食べ終えた途端、愛羅が俺をじっと見て静かに言った。
「愛理と居るよりも……あたしと居た方が楽しかった?」
「お前……何を……」
「今、愛理はあたしの中で完全に眠って意識はないわ」
「そういう問題じゃなくて……」
予期せぬ質問に俺は完全に動揺する。
こんなときどう答えたらいいのか。
きっと世界中のどんな参考書にも載っていないだろう。
当たり前だ。
だって俺は……二人の女の子が好きで、二人の女の子と付き合っているのだから。
「ごめん、あたしが悪かった。忘れて」
愛羅が後ろを向いて俺から表情を隠す。
「そんなの、はいそうですかって言えるわけがないだろ」
背中越しに愛羅にそう言う。
俺たちを避けているのか気づけば側には俺と愛羅以外居なかった。
「龍一、あんたは優しいよ。その優しさがたまに辛いんだよ、あたし。昼間、愛理と一緒に街を歩いていたときの龍一の面持ちが忘れられない。見たらダメだと思ってた、見ないようにしようと思った。でも見えちゃったんだよ、見ちゃったんだよ。龍一があたしのことも愛理のことも好きなのは知っている。別に普段はそのことについてどうとも思わないよ。でもね……たまにこうなっちゃうの。どうしようもなく、胸が引き裂かれそうになるの」
それは俺が見えないふりをし続けていた現実。
彼女達が隠し続けた気高い矜持。
森の奥深く、最深部にひっそりと佇む泉。
その水面を激しく波打たせているのは俺なのだ。
「愛羅……」
だから今、彼女の名前をそっと呼ぶことくらいしか出来ることが思いつかない。
「本当はね、あたしだって気づいている……いつかあたしは居なくなるのよ。だってそうだもん……それが愛理のため。表は愛理。あたしは陽のあたるところに居てはならない存在なの……おかしいことなんだよ、心が二つなんてさ」
悲痛な叫びに込められたのは愛羅が心に溜め込んでいた幾年もの感情。
その業深さを垣間見た。
「なぁ、愛羅……」
そっと俺は後ろから愛羅に抱きつく。
「やめて!」
「やめない」
「どうしてっ……!?」
「俺、愛羅のことが好きだから。愛理と愛羅の二人が大事だから」
「……っ」
「最低だろ?そう罵ってくれてかまわないさ。でも俺には二人を選ぶなんて出来ない」
「……」
「お前たちは魅力的なんだよ。だから、俺を罵しってもいいから、自分を否定するのはやめてくれ。心が二つあることよりも、自分の心を認められないことの方が問題なんじゃーねか?」
「…………」
俺はポケットに手を入れる。
「愛羅、こっち向け」
「……何よ」
愛羅が振り向いた瞬間、ポケットから出した紙袋を俺は愛羅に突きつける。
「これは……何?」
「プレゼント。俺からの」
『すいません、これも売り物ですよね?』
『ええ、そうですよ』
『それじゃあ、これもください』
『ありがとうございます。袋はご一緒でいいですか?』
『いえ、別でお願いします』
『かしこまりました。お会計は……』
確かに俺は最低だと自覚している。
他(愛)の子(理)とデートしているときにも、これあの(愛)子(羅)に似合うなぁとか考えてしまうような男だ。
それに関しては弁明の余地はない。
「……髪留めだ」
サクランボをモチーフにしたキャラクターの髪留めを愛羅は小さな手のひらに乗せている。
「今つけてみてよ」
それでも最低な俺を愛羅は問い詰めるどころか律儀にも無言で頼みを聞いてくれる。
「似合う?」
愛羅が髪を縛り終えて俺に聞く。
「似合っているよ。すごく」
「……見てないじゃない」
髪を縛り終えた瞬間に抱き寄せられた愛羅が俺の胸の中で言う。
「買ったときからずっと想像し続けていたから問題ない。それにいつだって見せてくれるんだろ?」
「……バカ」
胸の中でかすかに愛羅の頭が上下する。
そんな愛羅が愛おしくてたまらないから俺はそっと愛羅のあごに手をやり、顔を近づける。
「龍一……」
「愛羅……」
二人の唇が徐々に近づく。
「調子に乗るな!」
「痛っ~」
まさしくキスをしようかという瞬間に愛羅が俺のスネを蹴り飛ばす。
「あんたね、いつからそんなジゴロキャラになれたと思っているの?勘違い甚だしいわよ」
足を抑えている俺に腕を組んで睨みつけながら吠えるツインテールの悪魔。
「い、今のはそういう流れだったじゃねーか。何で一瞬でコメディーに戻すんだよ。これまでの俺たちのやりとりはなんだったんだよ」
ボクシングで例えるならボディブローのように後からもじわじわと聞いてくる痛みに俺は悶えながらも言う。
「本当にあんたはバカでお人好しでアンポンタンでバカバカね」
「小学生の語彙力か!」
バカって言いすぎだ。それにアンポンタンって……。
「ねぇ、龍一」
「何だよ」
「これありがとうね、素直に嬉しかったわ」
「お、おう」
そう直球で言われると少し照れてしまう。
「でもね……」
ここで愛羅が再び後ろを向く。
「一日に何人もの女の子とキス出来るなんて考えちゃダメよ……バカ」
第四章アズ・ユー・ライク・イット
1
「……zzz……ウジ虫ども……貴様らに人権はない……zzz……上官が舐めろと言ったのなら……zzz……靴を有り難く舐めろ……zzz……」
「夢の中で上官になっているところ悪いんだけど……朝ですよ」
「なんだ貴様……zzz……不服なのか……zzz……お子様は母ちゃんにしごいてもらえ……zzz……」
「別にミリオタってわけじゃないのになぁ。あんまり引っ張ってもくどいからあれやるよ。私の指が目を覚ませと輝き叫ぶよ」
「……zzz……バカタレが……zzz……んんっんっぷはー」
四月二十二日月曜日。
いつもと変わらない朝を迎えた。
※※※
今日は少し雨が降っていた。
教室の窓からは黒い雲が遠くの方にも見え、今日が一日中雨だということを教えてくれた。
雨の日と月曜日にはいつも気が塞いでしまうなんて歌われるけど両方来るとやはり気が滅入るような感覚がある。
いや、果たしてそれが雨と月曜日のせいなのか、それともそれ以外が原因なのかは分からないけれども。
「英語なんて簡単なんだ、誰にも出来る」
英語教師がどこかで聞いたことあるようなことを熱演しているが、どうもそれが耳に入らない。うわのそらってやつだ。
気づけば俺の視点はある一点に固定されている。
「(ブレスレットをばかり見ているなぁ)」
愛理はよほど気に入ったのか自分の手首をしょっちゅう眺めている。
昨日、あれからしばらくして愛羅は引っ込んでしまい結局、愛理と一緒に帰ることになった。
事情を知ってか知らずか愛理は理由を何も聞かず、俺は何も言わなかった。
『一日に何人もの女の子とキス出来るなんて考えちゃダメよ……バカ』
愛羅のその言葉と表情が忘れられなかった。
俺は愛理と愛羅の一番の理解者のつもりだったけど、何も分かって居なかったのだと痛感した。
同じ顔でも仕草の違う二人。
彼女達の気持ちを俺は全く汲んでいなかったのではないのか。
これまでずっと、俺が一方的に自分に都合よく解釈してきたのでなないのではないだろうか。
そんな不安でいっぱいで頭の中はモヤがかかっていた。
2
そして昼休み――。
トイレから戻ると机の上にお弁当箱が置かれていた。
もう見慣れた我妻家のものだ。
教室を見回す限り、彼女の姿は見当たらなかった。
雨の日は屋上が使えないので、だいたいは食堂でお弁当を食べている。
もしかしたら食堂で待っているかもしれない。
そう思いつつも俺の足は動かなかった。
机に座り、お弁当箱を開ける。
「……何やってるんだよ」
※※※
「沙耶香さん、来ないね」
「何か嫌な予感するんだよなぁ……」
放課後の第二理科室。
いつも不気味な様相で俺たちを待ち構えている魔女が今日に限ってなかなか姿を現さなかった。
「で、でも、流石に沙耶香さんでも末弘さんを背後からバッサリとかはしていないよね?」
「あ、あぁ。流石に部長でも校長先生の不倫現場写真を手に入れてそれをネタに脅すなんてことはしないさ」
「…………」
「…………」
俺と愛理は見つめ合う。
互いに不安な表情をさらけ出している。
「アハハ……」
「ハハハ……」
人間、困ったときは笑うしかない。
「何、あなた達気持ち悪いわよ?」
「か、会長!?」
「び、びっくりした~」
気づけば宮沢部長が俺と愛理の間に立っていた。
「い、いつからいらっしゃったのですか?」
「いつからという問であればいつでも私は居ると答えるしかないわね。そう、この文章を読んでいるあなたの後ろにも……」
「怖えーよ!そしてメタな発言は控えて!」
「そもそも存在とは何かしら。ただそこに在ることを指すのか、それとも何者かに認識されることを指すのか、それによって答えは異なるのではないかしら。ただ敢えて言うのであれば私は地球が生まれたときから存在しているわ。この地球の観測者としてね」
「何だか難しい話をしたうえに後半は学園異能バトルもののノリだよ。やめて、俺たちはドタバタ学園ラブコメディーを繰り広げたいのだから」
「龍くん……自分でラブコメ発言はちょっと気持ち悪いよ」
「四面楚歌!?」
「この場合は二面ね」
部長はそう言いながら自分の定位置――いつも机の上にどかっと座って脚を組む。見えそうで見えないという絶妙なポーズだ。
必然的に男としては凝視をせざるを得ない。
「龍くん、ドタマかち割るよ?」
愛理が笑顔で言うので俺は部長(の脚)から目を逸らす。
「まぁ、安心してちょうだい、本当のことを言うと今来たところだから。決してあなた達が私の悪巧みを予想しているところを聞いていたりなんてしていないから。……そうそう、団藤君。不倫をしているのは校長でなくて教頭よ。音楽の中川先生とね」
「いや、そのすみませんでした」
けっこう前の方から会話を聞かれていたらしい。
おまけに知りたくもない事実を教えられてしまった。
「沙耶香さん、どうしていつもより来るのが遅かったのですか?」
「いい質問ね、アイリーン。相変わらずあなたの発言はストーリー進行には欠かせないわ」
「そんな……えへへ……」
「照れるんじゃありません」
愛理が部長に毒されないように躾けるのも俺の仕事だ。
手遅れ感は半端ないのだけれども。
「ビラを撒いたけれども一向に集まる気配のない新入生……状況を打破する必要があるのは確認出来て?」
俺と愛理は頷く。
週が変わっても新入生が入る気配はなかった。
「ということで作戦のセカンドフェイズに移行するためにちょっと人にご協力をしていただくことにしたわ。お入りなさいな」
部長が二度手を叩くと第二理科室の扉が開いた。
「ど……どうも……」
見たことのない女子学生が、怯えながら俺達の元にやってくる。
「あの~この娘は?」
愛羅が部長に恐る恐る尋ねる。
「えっと……あなた名前は何だったかしら?」
「よ、吉永です」
「いや、マジで誰なんすか?名前も知らないって……」
「新聞部の一年生よ」
「はい?」
「吉永さん、説明をなさい」
「は、はい……し、新聞部ではオ、オカルト研究部の活動をき、記事にさせていただくことにな、なりました」
吉永さんは身体中を震えさせている。
「部長、この娘に何をしたんですか?」
「彼女には何もしていないわ。ただ、新聞部の部長とゆっくりお話し合いをしただけよ。いわば、この娘は人質ね。おいしそうでしょ?」
「ひっ~」
「沙耶香さん。吉永さんが本気で脅えていますよ」
「過去、同じような状況で脅えなかったのはアイリーンだけなのよ。だから、私は気にしないわ」
「いや、あなたが気にするとかしないとかの問題じゃないから!」
一年生の女子で……いや、全校生徒にあてはまるが第二理科室の魔女に根城へ連れて行かれて正常でいられる人間なんて愛理と末弘くらいだ。
「吉永さん。その説明では足りないわ。具体的に何をしてくれるか言ってくれないと」
「す、すみません。し、新聞部ではオカルト新聞を発行することになりました。こ、細かい作業は私がやります。で、ですので、皆さんには新聞の記事となるようなネタをよ、用意していただきたいのです」
「新聞部とオカ研がコラボするってこと?」
「いいえ。新聞部がオカ研に尽くしてくれるの。オカルト新聞ではオカ研の活動も記事にして新入生の勧誘も行うわ……あ、吉永さん、もう帰っていいわよ」
「は、はひっ」
吉永さんが第二理科室を後にする。
つか、新聞部の部長は一体どんな弱みを握られているんだろう……
「ということで、記事は副部長に任せるわよ。二人で頑張りなさい」
「俺ですか!?」
「オカルトな記事ならアイリーンが好きそうだし、オカ研の活動は適当に美化してあなたが書きなさい」
「部長は?」
「受験勉強」
「ずりー」
受験……後輩が黙る魔法の言葉。
「オカルトだね、龍くん」
「……違うと思う」
「まずは、やってみなさいな。私はいつも通りここでDVDを観ているから、本当に困ったときは相談しにきなさい。三十分五千円よ」
「高いよ!そして受験勉強は!?」
3
「ねぇ、龍くん。どういうオカルトが一般受けいいかな?」
「一般に受けないからオカルトなんじゃねーの?」
「もう!真剣に考えてよ」
結局、そのまま第二理科室で執筆を試みる俺達。
机に並んで内容を吟味したり、下書きを始めたりしている。
新聞部……吉永さんには悪いが、部員が増えるチャンスならば俺達には選択肢がやるしか用意されていない。
……彼女には今度、何かご馳走してあげよう。オカ研のイメージアップも兼ねて。
せめて全員が悪人ではないと知ってもらいたいものだ。
「ネッシーは実在する!?とかでいいかな」
「それは古いだろ」
「ナッシーは?」
「草タイプって弱いよなぁ」
「アッシーは?」
「バブルってどんなんだったんだろうなぁ」
「ヨッシーは?」
「昔、黒いやつに憧れていたなぁ」
「つっこんでよ~」
「年頃の女の子がつっこんでとか言うんじゃありません」
「え」
「……あ」
愛理さん眼が笑っていないよ。
「さ、さて、オカ研の活動を広めないとな。私達、オカルト研究部は男子一人、女子二人と少数ではありますが……」
「ケダモノが一匹に訂正だね」
「悪かった!俺が悪かったから邪魔はしないで!」
部長の黒魔術(お察しください)の力でオカ研に与えられているパソコンのキーボードを横からいじってくる愛理に俺は土下座した。
「あまりはしゃがないでね。私、そういうの嫌いだから」
「はい、二度と致しません」
「尻に敷かれているわね」
遠くから部長の声が聞こえる。
当たり前のように受験勉強は嘘で今日は宇宙人が自転車に乗る的な映画を観ていらっしゃる。
部長曰く、宇宙人との別れは離婚した両親との別れを受け入れるというメタファーなのだとか。
何を隠そう、部長や愛理のオカルト談義は映画やアニメが半数近くを占める。
俺達が何を研究しているのか分からないと思うが、俺にも分からない。
「オカ研の活動を美化ってどうしたらいいのかな……」
記事で苦戦しているのは愛理だけじゃなかった。
「無料試写完全個室?」
「いや、美化するとこおかしいし、急にうさんくさくなったぞ」
まぁ元からうさんくさいけど。
「ねぇ、錬金術とかなら興味持ってもらえるかな?」
「お、それはなかなかいいかも」
錬金術は耳に覚えのある単語だし、ゲームや漫画にはよく登場する。
「じゃあ、私は錬金術にまつわるお話を書くね。龍くんの方はどうする?」
「うーん……まぁ、何とかしてみる。嘘をつくというよりは本当のことを隠す感じでならやれる気がしてきた」
「今日中に書き上げてね。時間がないのだから」
再び部長が遠くから言う。
「今日中ですか!?」
「そうよ。残された時間がどれくらいなのか分かっていて?」
末弘との約束は四月いっぱい。
もうあと一週間だ。
「この一週間にやれるだけのことをしないと後悔するわよ」
「沙耶香さん……」
「部長……それなら手伝ってください」
「オカ研にチームワーク何ていう都合のいい言い訳は存在しないわ。あるのは個々のスタンドプレーから生まれるチームプレーよ。私は私のやれることをしているつもり。映画を観ているのだってあなたたちに安心感を与えるためなの」
「不安しか与えていませんよ」
「私に不満があるの?」
「ないです」
俺と愛理は同時に言う。
まったく恐ろしいぜ。
これが調教されているってことか。
「帰っても記事を書き続けること。私が起きている間に原稿をメールで送ってきなさい」
その一言で本日はお開きとなった。
4
「雨止まないね」
水玉模様の傘を差して愛理が言う。
時刻が六時を回っても愛羅は姿を現さなかった。
愛理と愛羅は決して人格が表に出る時間が決まっているわけではない。
最近は安定しているが、過去には一月くらい愛理が引き篭もったこともある。
それでもここ半年の間、俺と登校するのが愛理、下校するのが愛羅。
二人は見事に役割分担を行っていた。
実際、愛理の症状が大分落ち着いてきた矢先なのだ。
そして、 何よりも原因が俺にありそうというのが気がかりだった。
いや、違う。
十中八九、俺に責任がある。
俺の行動が――
俺の言葉が――
愛理と愛羅を傷つけているという事実を俺は認めないといけない。
「龍くん、聞いているの?」
「……え、何?」
「何じゃないよ。ずっと考えごとしてしたでしょ?」
彼女がツリ目で言う。
「あ、あぁ。ごめん」
「もう、何考えていたの?」
「え……あぁ……まぁ……」
「しっかりしてよ。今日中に記事書かないと沙耶香さん怒るよ。ここが正念場なんだからボーッとはしてられないよ」
「そ、そうだな」
何だか愛理が燃えている……?
「大丈夫だよ」
「え?」
声のトーンが急に優しくなる。
「龍くん、優しいから色々と気にするかもしれないけど……大丈夫だから。そんな顔しないでいいよ」
「どんな顔してる?」
「俺が悪いんだ、俺に責任があるんだ……って顔」
「……」
見事なまでに見透かされている。
「誰も悪くないから、ね」
その言葉はまるで自分に言い聞かせるかのようだった。
5
「……zzz……私は今回の作戦を決して……zzz……戦略レベルでの敗北を……zzz……戦術で補うなんて……zzz……」
「今日も凄い寝言」
「……zzz……議会は何を……zzz……戦争は机の上でやるんじゃないっ……zzz……腐敗した政治が争いを……zzz……」
「田中○樹読みすぎよ」
「私は権力者に……zzz……問いたい……zzz……あなたたちは何処にいるのか……zzz……兵士たちを死地に送りこんで……zzz……何処で何をしているのか……zzz……」
「さてと……えいっ」
「……んん!んん……んんーんー」
※※※
四月二十三日火曜日。
昨日、一日中上空を覆った雲はすっかり消えたが地面にはまだ、水たまりが残っていた。
「おいーっす、団藤」
「うぃーっす」
「愛理、おはよー」
「……え、あ、おはよー」
校門前で友人たちと挨拶する。
夜遅くまでオカ研の記事を書いていたせいかまだ眠気がする。
心なしか愛理も言葉数が少ない。
「いよ~龍一ちゃん夫妻。おはよーさん」
「おはよう。大変だな。あと日本語おかしい」
「渥美君、おはよう。我妻夫妻でいいよ」
「俺は婿に行くんだな……」
「妻が二人!……なんちゃって」
靴箱の前でプリントの山を抱えた裕に遭遇。
執行会の仕事でもしているのだろう。
「うわー、言ってみて俺が恥ずかしいや。罰として龍一ちゃんこれ運ぶのを手伝って」
「お前が好きでやっているんだろ。罰に関しても俺に責任は一切ない」
「違うから!それ禁句だかんね」
裕は押し付けられたといつも言っているが、何やかんやで執行会の仕事を楽しそうにやっているように俺は感じる。
「あ、そういえば見たよ、アレ」
「アレってなんだよ?」
「またまたとぼけちゃってさ。アレのことだよ」
裕が指差した方向にあったのは……
“オカルト新聞”
校舎の壁に異様な存在感を放っている。
「新聞部を引き込むとはね。恐れいったよ龍一ちゃん」
「いや……」
確かに俺は夜遅くまでオカ研の記事を書いていたせいかまだ眠気が……
「うそ……」
愛理も言葉を失っているようだ。
「あなた達、随分と遅い登校ね」
良く言えばやや低音のハスキーボイス。
悪く言えば鳥肌の立つような刺さる声。
具体的に言えば宮沢部長の声が裕の背後からした。
「うわっ!?びっくりさせないでくださいよ」
「部長!?これは一体……」
裕のすぐ後ろに宮沢部長が腕を組んで立っていた。胸が重たいから腕に乗せているんだなとか口に出して言うととんでもないことになるのは半年くらい前に経験済みだぜ。
そんなことよりも、目の前にあるオカルト新聞とやらは俺が夜中の十二時、つまりギリギリ『今日中』というノルマを守った記事がきちんと掲載されていた。
「沙耶香さん、いつこれを……」
校内に一人しかいない宮沢シンパさえ驚きを隠せていない。
「私はね、最上級生なの。さすがに三年目となるとこの学校に対する愛着も湧いてしまってね。五時には既に居たわ」
「いやいや五時って、校門しまっていますから」
裕が宮沢部長にツッコミを入れるという珍しい構図だ。
「これだから執行会は嫌ね。常識に囚われていてはダメよ。柔軟な発想は若いうちに鍛えなさい」
「ねぇ、俺何で怒られているの、龍一ちゃん!?」
「ドントシンク、フィール!」
「何を感じるのさ!?」
裕よ、俺は一年前に考えるのをやめたんだ。
生物と鉱物の中間体であること、それが部長と接するための鉄則である。
「でも、沙耶香さん。この新聞を作ったのって……」
「構成、印刷は新聞部の皆さんが喜んで手伝ってくれたわ。原稿が遅かったから徹夜したみたいだけど」
吉永さん本当にごめんなさい。でも、言い訳すると誰が翌日に新聞をつくると思いますか。それも朝に発行なんて。
「これが第二理科室の魔女の本気か……」
「魔女というよりも、政治家なんだよ。それも目的のためなら手段を選ばないタイプのな」俺は裕にそう告げる。
「団藤君、ご期待通りコンクリートに詰めてあげましょうか?」
「すいませんでした。でも、それは政治家ではなくてヤクザです」
同じようなものだとか言っちゃダメだぞ?
「まぁ、いいわ。いちいち団藤君の相手をしていたら私は世紀の大犯罪者になりかねないし、不問にしましよう」
どれだけこの人の機嫌を損ねているんだ、俺!?
いのちをだいじに!
「ひとまず、一年生のクラスと一階から四階のフロアー、その全てにこの新聞を貼り付けてきたわ」
「さすが沙耶香さん。こういうときの鼓動力は他の追随を許さない!私も見習います」
「あまり褒めるんじゃないのよ、アイリーン。私は謙虚で慎ましい女なのだから、ホホホ」
右手を口元に当てて高笑いする部長とそれを目を輝かせて崇めている愛理。
「苦労しているんだね、龍一ちゃん」
「言うな。泣きたくなる」
6
そしてそして昼休み――。
「さて、サードフェイズの話し合いを始めるわよ」
新入生が一人も訪れずに落ち込んでいた俺と愛理に部長が言う。
今週は毎日、第二理科室に集まって新入生を待つ予定だ。
それは昼休みにも適用されていてこうして部長と愛理と第二理科室で昼食も半分放ったらかして話し合っている。
「ここまでは想定通りだわ。けれども、まだ……まだ、足りないわ。そう、もう一発かますのよ」
「でも、沙耶香さん。かますって言ってもどうするつもりですか?正直、これ以上は何をしたらいいのか分からないんですけど」
愛理の言っていることももっともで、オカ研に限らず弱小団体は出来ることが限られているからこそ弱小なのだ。
例えば、野球部とかなら何もしなくても部員は集まるだろうし、吹奏楽部や演劇部とかだったら新入生用に自分たちのパフォーマンスをアピールするだろう。
そういったことが出来ないからこそマイナーなのである。
確かにやろうと思えばオカルト新聞のような活動は行える。
しかし、それだって決して大衆的なものではなく、心惹かれる生徒は少ないだろう。
つまりは細々とやっていくのがオカ研の宿命であり、冷静に考えてみれば五人居ないと部活として認められないのは厳しいものだった。
……だからこそ、ここ何年も黙認されてきたとも言えるのだろうけれども。
「何、弱気になっているのかしら。ここまでで、この学校にオカルト研究会が存在するのだということは十分にアピール出来たのではなくて?」
「いや、まぁ、そうですね……」
ビラも配って新聞も作って、俺たちは俺たちなりに頑張っているとは思う。
「一年生の中には多かれ少なかれ、オカ研に興味を抱いた子は居るはずよ」
「そりゃ、オカルトって響きを聞いたら身体中が疼くもんね」
「悪いけど、愛理。その意見は参考にならない」
とは言っても一年生だけで二百人近く居るのだから、一人、二人は心揺さぶられた子が居てもおかしくはない。
「気長に待てということですか?」
期限ギリギリまでこうして待つことしか出来ないと部長も考えているのだろうか。
「何を悠長なことを言っているのかしら。一本釣りを行うわ」
けれども、部長に限ってそんなわけはなかった。
「一本釣りって……?」
「めぼしい生徒に直接声をかけるということだ」
俺は愛理にそう教える。
「最後はね、こうするしかないのよ。去年もそうだったわ」
ただこの人が言うとそれはニアリーイコール……
「部長、拉致はまずいんじゃ……」
「人聞きが悪いわね。一言も拉致をするなんて言っていないじゃないの。ただ、オカルトが好きそうな子をちょ~っとだけ部室に招いて、ほんの少~しだけ語らい合うに過ぎないわ」
部長の眼が妖しく光る。
最高に悪そうな顔をしていやがるぜ……。
「グレーゾーンだね……ハハハ……」
愛理まで苦笑いだ。
「二人共。これをよく読みなさい」
部長が数枚に束ねられた紙を渡す。
「これは……!?」
紙には生徒の名前とクラス、顔写真が貼られていた。
「『ボク、アタシ、オカ研にちょっと興味あるかも~♪』リストよ。対象は全一年生。協賛は新聞部の皆さんよ。オカ研少し興味を示しそうな子及び、現在帰宅部の生徒を中心に作られているわ」
「これ凄い……」
「協賛というか製作ですよね?」
本当に新聞部の方々にはただただ申し訳ないと思う。
「さて、しらみ潰しにそのリストに当たるわよ。鉄は熱いうちに打て。オカルト新聞の効果で否応なく私達は一年生の間では話題になっているわ。今がチャンスよ。手分けしてただ今から一本釣りを開始するわよ」
「はいっ」
「了解です」
部長の号令で俺達は理科室を後にした。
7
と、勇よく歩みだしていたものも……
「いや、確かに帰宅部ですけどオカルトってちょっと怖いですし……なんかオカ研の人も、その、あ、危ないって……」
「すみませんが、オカ研にだけは近づいたらダメだ……第二理科室には魔女が居るって聞いたんすけど」
昼休みに入って第二理科室によった時間も含めて約四十分間。
別行動でリストに載っていた生徒に声をかけてみたがいい返事はなかった。
どうやら我らがオカ研は想像以上に評判が悪いようだ。
きっと愛理と部長も勧誘には苦労ししているだろう。(拉致さえしていなければ)
それにしても恐るべし、宮沢沙耶香の悪評。
決して悪い人ではないんだけどな。
ただ絶対に逆らってはいけないだけで。
ついでにちょっと理不尽に耐えなきゃいけないだけで。
べ、別に俺はMじゃないぞ?
「さてと、時間は……」
ポケットから携帯を取り出して時間を確認する。
十二時五十三分。
昼休み終了まで後、十二分。
「もう一人くらいは声かけられるな。えーと次は……っと」
俺はリストに眼を通す。
“一年C組 芦部恵美”
かすかな希望を胸に一年C組に向かった。
いや、まぁ、今、一年生の教室が並ぶ廊下に居て、C組は目の前だから向かうなんて大げさなものではないんだけれどな。
「ねぇ、君。ちょっといいかな」
C組の教室の前でおそらくこのクラスの生徒と思わしき女の子に声をかける。
「なんですか?」
女生徒が応えてくれる。
「芦部恵美さんって居るかな?」
「失礼ですが、上級生の方……ですよね?」
物静かな雰囲気の女の子だ。
「あぁ、ごめん。俺、二年の団藤って言うんだ」
「二年生の方が……?」
「ちょっと用事があってね」
「はぁ、どのようなご用件でしょうか」
もの凄く警戒されているのか、女生徒は首を突っ込んでくる。
……ってちょっと待てよ。
俺は手元のリストと目の前の女生徒を見比べる。
少し短めのいわゆるボブカットヘアーに目元にホクロ。
「君が芦部さんか!」
写真と違ってメガネはかけていないけれども間違いなく同一人物だった。
「はい、そうですが」
芦部さんは未だに不思議そうな面持ちで答える。
そりゃあ二年生がいきなり訪ねてくるのだから、不思議だろう。
「オカルト研究部って知っているかな?」
「えーと、確かビラを配っていた……それと今日も廊下に張り出しを……」
オカ研の宣伝効果はキチンと出ているようだった。
「単刀直入に聞くけど、オカ研に興味ない?」
「これって、その、勧誘……っていうやつですか?」
「うん、そうなるかな」
こういうときは案外、勢い任せの方が良かったりする。
俺はグイグイっと攻め込む。
「…………」
「どう?何なら一度、見学だけでも」
「一枚引いてください」
物静かで、けれども少し迫力のある声がした。
「へ?」
芦部さんはカードの山札を俺に差し出していた。
「どうぞ」
芦部さんは俺に催促する。
「う、うん」
これは……タロットカードだろうか。
部長が持っているのを見たことあるのでおそらく間違いない。
俺は適当に一枚引く。
「表に返してください」
言われた通りにカードをひっくり返す。
カードはボロボロの服を着て何故か白い花を持っている男が崖の上で立っているという絵柄だった。
「逆位置の愚者……」
「愚者?」
言われてそういえばそういう名前のカードがあったことを思い出す。
初対面の一年生に悪口を言われたわけではなさそうだ。
「先輩、何か悩みとかあります?」
「えっ!?それって……」
それってどういう意味?そう聞こうとした矢先にチャイムの音が廊下に鳴り響いた。
8
「へ?恵美ちゃんか。可愛い名前だね」
紅茶を入れた紙コップとカントリーマ○ムを入れた紙皿を丁寧に机に並べた愛理が言う。
こう(新入生)いう(が来る)ときのためにあらかじめ用意していたものだった。
「あ、ありがとうございます……」
放課後になって俺は愛理を伴って猛ダッシュで一年C組の教室へ。
途中、廊下を走るなという末弘の声が聞こえた気がしたが、オカ研は校則に縛られない。
今、まさしく帰らんとしていた芦部さんを捕まえて第二理科室へ。
この辺の手際のよさは受け継がれる遺伝子である。
ちなみに遺伝子の(ジ)元である宮沢部長はまだ姿を現していない。
三年生となるとテストやらなんやらで放課後も時間を取られるのよとは本人の言葉だ。
「遠慮しないでね。まだまだあるから」
愛理は次々にお菓子の山を抱えてくる。
愛羅ほどじゃないけどこいつも大概甘いものは好きだ。
「いきなり連れてきちゃったし、まぁ食べてよ」
俺も芦部さんにそう促す。
その言葉に芦部さんはペコリとお辞儀で返す。
基本的に礼儀正しい子みたいだ。
「ねぇねぇ恵美ちゃん、タロットカード持っているんだって?せっかくだしちょっと占ってよ。ね、お願い」
愛理が両手を合わせて芦部さんにお願いする。
それにしても愛理が初対面の子に対してここまで積極的に喋りかけるなんて……まさかな。
「え、あぁ、かまいませんよ。それではとりあえず運勢占いでも……」
そう言いながら芦部さんは鞄からタロットを取り出す。
「うわー本格的なやつだね」
「そんなの分かるのか?」
「えっ!?わ、分かるよ。その発言はオカ研としてどうかと思うな。利きタロットなんてこっちの世界じゃ一般教養だよ」
いや知らんがな。
そうこう言っているうちに芦部さんの方は着々と準備を整えていく。
「一枚引いてください」
昼休みと同じく何だか雰囲気のある声で芦部さんは愛理にカードを見せる。
「そ、それじゃあ……」
愛理の右手が一枚のカードを選ぶ。
カードの絵柄はクッションに女性が座っているものだった。
「これは何ていうカード?」
俺が芦部さんに尋ねる。
「このカードは女帝です。向きは逆位置です。つまり、我妻先輩の運勢は逆位置の女帝ということになりますね」
なんかそういえば俺のときも逆位置って単語を使っていたような。
「女帝というカード自体は平和や豊かさを示すカードです。また愛を教えてくれるカードでもあります。逆位置というのはこのようにカードが逆さまの状態なのですが、簡単に言うと上手くいかないということです」
「つまり恋愛運が最悪ってこと!?」
愛理はちょっと俺の方を向いてから慌てふためる。
「まぁ上手くいかないってことですね。でも、安心してください。運勢は毎日変わります。今日上手くいかないことだって明日は上手く行くんです。それに私は決して我妻先輩の恋愛運を占ったわけではないので、そんなに悲観しないでください」
芦部さんがやや早口で一気にまくし立てる。
「お~なんか専門的」
と、感心する愛理。
「芦部さんって大人しい子かなと思っていたけど結構喋るんだね」
と、感想を述べる俺。
「えっ、えっ、あ、あの、その……」
見る見るうちに芦部さんは赤面していく。
俯いて赤くなるその様子がちょっと可愛い。
ヤバイ、キュンテナル。
これが萌えなのか……恐るべし後輩属性。
「団藤龍一……くん?」
「はいっ!何も考えていません!」
地響きのような低い声が聞こえてきて、俺は反射的に起立する。
そのテノール歌手もびっくりする声の主は俺の彼女である。
「もう、一年生の子を困らさないの。ごめんね、恵美ちゃん」
愛理が俺と芦部さんの間に入り芦部さんを俺から守る姿勢を取る。もちろん、ジト目だ。
「ごめん、芦部さん。気にしないで」
俺は芦部さんに謝罪する。
「いえっ、その、私こそ……すみません」
何か二人で向かい合って頭を下げあってしまった。
「まったく……」
腕を組んで呆れている愛理のその姿は別の誰かを連想させた。
「ねぇ、それより恵美ちゃん」
愛理が芦部さんの隣に座り直す。
「どうかな、オカ研。ちょっとでも興味持ってくれたなら嬉しいんだけどな」
俺には分かる。
この何気ない言葉の持つ意味を。
だって俺たち、もうすぐ失くなっちゃうかもしれないんだぜ?
「その、今日は本当に楽しかったです……色々よくしてもらって……」
芦部さんが少し俯きながら、けれども少し俺たちをチラ見して言う。
「と、言うことは……!」
俺と愛理はハモって少し前へと乗り出す。
しかし、次の瞬間、その期待は砕かれる。
「ごめんなさい。私、オカ研には入れません!」
芦部さんが勢いよく頭を下げる。
その勢いに俺と愛理は黙ってしまう。
「すみません。失礼しますっ!」
芦部さんは走って理科室から出ていく。
放課後の第二理科室には俺と愛理だけが残されていた。
この日、宮沢部長は最後まで姿を現さなかった。
9
芦部恵美は、なかなか寝付けなかった。
元々眠りは浅い方だが、今日は酷かった。
理由は分かっている。
「オカルト研究会かぁ……」
恵美は自室という一人っきりの暗闇の中で誰に向かってか呟く。
元々、内向的な所がある上に一人っ子の恵美は部屋では独り言が多い。
幼い頃は年相応にカエルちゃんもウサギちゃんも笑いかけてくれていたが、思春期になるとそういう趣味もなくなり一人で話すという癖だけが残ってしまった。
「私には無理……だよね」
恵美には相談が出来る相手が居なかった。
こういうときに趣味のタロットカードは役に立たない。
タロットなんて所詮はどうとでも解釈が出来てしまうものだ。
他人のことなら客観的な解釈が出来るが、自分のこととなるとなかなかそうはいかない。
恵美は何度目かの寝返りを打って今日のことを思い出す。
自分が部活の勧誘を受けるなんて想像していなかった。
運動神経だってよくないし、かと言って文化系の部活にも興味は沸かなかった。
中学は色々あって最後は帰宅部だった。
それでも小学校時代からの友達も居てそれなりに楽しめた。
よりによって、どうしてオカルト研究部なんだろ……
そこまで考えてようやく訪れた微睡みに恵美は身を委ねた。
※※※
『恵美ちゃんのことを諦めるの?』
『でも、本人が乗り気じゃないし』
『……』
『メールで三点リーダーだけはやめろ!』
『ねぇ龍くん、本当に恵美ちゃんのこと諦めるの?』
『……』
『メールで三点リーダーはやめてよ!』
『これでおあいこだな』
『はぐらかさないで。どうするの本当に?』
『“お前”はどうしたいんだ?』
『……』
『だから三点リーダーは……』
第四・五章 ひとつ身体の中
※※※
深い暗闇の中に光があった。
その光は二つに別れ互いに交差するように飛び交い、やがて人の形へと成していった。
「こうしてここで会うのは久しぶりね、愛理」
同じ形へとなった光の片方がもう一方に話しかける。
「そう……だね、愛羅ちゃん」
人の形をした光は互いに向かい合う。
いつしか暗闇は消え、辺りは中世ヨーロッパの庭園のような景色に包まれていた。
「まったく、最近は少し変わってきたと思っていたのに」
愛羅はこめかみを押さえながら頭を振る。
ここで二人が最後に顔を合わせたのは半年以上前のことだった。
「人はなかなか変わらない……ううん、変われないんだよ。私も愛羅ちゃんもね」
「昔から口だけは達者ね。そういうところ治したほうがいいと思うわ。それで、今回はどうして引きこもっているのかしら?」
庭園に生温かい風が吹く。
人の心には、幾百、幾千もの層がある。
“心層”は底に行けば行くほど本人ですら垣間見ることが出来ないものだ。
しかし、二つの人格を持つような――『我妻愛理』のような人物にとってそこへ潜るのは決して難しいことじゃない。
もう一つの人格――『我妻愛羅』が表に出ている間に思いっきり身を沈めさせればいいだけなのである。
精神だけの世界で身を沈めるという表現もおかしな気がするが愛理の感覚てきにそれ以上、適切な言葉は思い浮かばなかった。
辛い時、悲しい時、世界が窮屈な時。
愛理はいつもこの場所に逃げていた。
自分の殻に閉じこもる。
きっと幼い頃に誰もが一度は経験したことのある行為。
愛理は人より少しばかりそれが上手かった。
他人より少しばかり奥に潜ることが出来て、もう一人の自分ってやつを作ることが出来ただけに過ぎなかった。
「本当は愛羅ちゃんも分かっているんでしょ」
「…………」
「私達は――」
「姉妹よりも親友よりも恋人よりも深く繋がっている……でしょ」
愛羅が愛理を遮って言う。
「違うよ。深くつながって決して切れることがない、だよ」
「だから、それは――」
「いつか消える、何て言わないでよ」
愛理の眼はまっすぐ愛羅を捉える。
「それが原因なのね」
それとはあの日の出来事。
『本当はね、あたしだって気づいている……いつかあたしは居なくなるのよ。だってそうだもん……それが愛理のため。表は愛理。あたしは陽のあたるところに居てはならない存在なの……おかしいことなんだよ、心が二つなんてさ』
「ごめんね、寝ていたから何があったかまではよく知らないけど愛羅ちゃんの態度で何となく分かっちゃった」
寝ていたのは愛羅と龍一の時間を邪魔したくないという配慮だった。
「それで、その翌日から二日間ずっと引きこもっていたのね。特に龍一の前では一度も表に出ないなんて苦労したわよ」
今度は愛羅の眼がまっすぐ愛理を捉える。
「愛羅ちゃんもなかなかの演技だったよ」
愛羅の視線に対して愛理はおどけて返す。
「当たり前よ。何年、あなたの代わりを演じてきたと思っているの?」
それこそ幼いころからずっとである。
「それもそうだね……」
ならば龍一も私達二人を何年、見続けてきたのだろう。
ふと、愛理はそんなことを思った。
「で、私が何でわざわざここまで来たのかも分かっているわよね?」
愛羅がそう問いかける。
「愛羅ちゃんはおっかないなぁ」
「あのね……」
「分かってるよ。もう、遊びの時間はおしまい。私の気持ちも愛羅ちゃんに分かってもらったみたいだし、ね」
「……」
ケロッとした様子の愛理に愛羅は少し頭を抱えたくなるような気持ちだったが、同時に安心した。
やっぱり、この子には笑顔で居て欲しい。
それが愛羅の一番の願いだった。
「あ、もう朝だね」
どこからかベルの音が聞こえる。
それは目覚まし時計の音だった。
「それじゃあ、私、起きるね」
「えぇ。そうしてちょうだい」
朝は苦手だ。
ここ二日、珍しく朝に表に出ていた愛羅はそう心の中で呟いてから意識を閉ざした。
※※※
第五章 知っている気がする、知っている
1
「き、緊張するね、龍くん」
「慣れたら大丈夫だよ、愛理」
「龍くんは……慣れているの、こういうこと?」
「俺も初めてだよ」
「そっか、龍くんも初めてかぁ。嬉しいな」
「……いや、嬉しいはおかしくね?」
四月二十四日水曜日。
芦部さんを部室(第二理科室)へ招待したその翌日。
放課後、俺と愛理は一年生の教室の前でホームルームが終わるのを待っている。
この日の昼休みも昨日の続きとして直接の勧誘活動を続けたがめぼしい結果はなし。
俺と愛理はもう一度だけ芦部さんに会ってみようとこうして待っているところだ。
「だってここ、一年生のフロアだよ?放課後に後輩を待つことに龍くんがなれていたら浮気を疑っちゃうよ」
「その思考回路がよく分からんし、そもそも小学生のときからほとんど毎日、愛理か愛羅としか下校したことない」
「あらやだ、幼馴染み萌える」
時々、俺は愛理についていけない自分を感じる。
まぁ愛理のことは、ほっといて俺たちオカ研に残された時間はかなり少なくなってきた。
末弘との約束が四月いっぱい。
三十日は来週の月曜日で土曜日は祝日で日曜日は学校が休みだから、与えられた日数は今日を含めて四日。
と言っても今日がもう放課後なので、もう三日しかないと言っても過言ではない。
正直、絶望的ではあった。
けれども不思議と俺には、そして恐らく愛理にも諦めの気持ちは湧いていなかった。
第二理科室の魔女――。
宮沢沙耶香が俺たちにはついている。
それはあの人と一年間、共に“部活”を行った後輩として無条件で信用出来るものだった。
「それにしても昨日も今日も沙耶香さん連絡がないけど、どうしたのかな?沙耶香さん」
し、し、信じていいんですよね……部長!
「あ、ホームルーム終わったみたいだよ」
一年C組の教室が机を動かす音やら席から立つ音で騒がしくなる。
「こちらドラゴン、これより潜入を開始する、オーバー」
「こちらラブワイフ、了解。即座に支援活動を開始する、オーバー……ってノリノリだね」
「恥ずかしいノリツッコミをありがとう。よし、行くぞ」
俺と愛理は教室に入っていく。
教室の真ん中よりちょっと後ろめ。
中に入ってわりかしすぐに見つけられる場所が芦部さんの席だった。
「こんにちは」
「えっ、先輩!?」
俺たちの不意の訪問に芦部さんは戸惑っているようだ。
「昨日の今日でいきなり来て申し訳ないのだけど、ちょっと話がしたいんだ」
俺のその言葉を聞いて、芦部さんは鞄を閉じてこう答えた。
「お付き合いします」
2
「はい、ソフトクリーム。美味しいよ」
俺は芦部さんにソフトクリームを渡す。
「どうも、ありがとうございます」
「遠慮しないでいいよ、えーと恵美ちゃん」
二日続けて悪いな、という感じの顔をした、芦部さんに愛理が優しく言う。
何故か少しぎこちない。
俺たちは今、駅前にある小さな公園のベンチに座っている。
時間帯によっては屋台のたこ焼きやらソフトクリームやらで賑わう、市民の憩いの場である。
部室に連れて行って帰りが遅くなるのも悪いので電車通学の芦部さんを駅まで送るという名目で、ここで少しだけ話しを聞いてもらうことになった。
「これ美味しい……ですね」
ソフトクリームを一口含んだ芦部さんが、そう感想を漏らす。
「この屋台のこの辺では有名らしくて、電車通学の奴はみんな知っているんだよな」
定番のストロベリーやチョコといった味から醤油や佃煮、ワサビという色ものまで味は申し分なかった。
ちなみに甘党の愛羅が大ファンなので、俺と愛理が二人で来たことを知ったらきっと怒るだろう。
今はちょっと微妙だけど。
「それで、その、お話ってなんですか?」
チョコ味のソフトクリームを堪能し終わった芦部さんがうつむきながら切り出してきた。
「まぁ、あの、多分、恵美ちゃんが想像している通りだと思うんだけどね……」
と、少し申し訳なさそうに愛理。
「芦部さん、オカ研に入らないか?」
俺は言葉に力を込めて、ありったけの念だとか覇気だとかチャクラだとかそんなサムシングを注入して(したつもりで)言う。
果たしてそんな想いが通じたのかそうじゃないのか、ずっとうつむいていた芦部さんが、こっちを向いてくれた。
「…………」
ただし、口は結んだまま次の言葉を発する気配が感じ取れない。
「昨日、話してみて恵美ちゃんはうちに合うんじゃないかと思ったの。興味がないなら、無理には誘わないけど、恵美ちゃんオカルトとか嫌いじゃないでしょ?」
それを感じたのか、すぐさま愛理が少し早口でまくしあげるかのように言う。
「分かりました」
「そうだよね、二日続けられたら迷惑だよね。でも、私たちもちょっと、事情があって、ちょっと引き下がれないというかなんというか……」
「おい、愛理、少しストップ。今、芦部さん何か言わなかったか?」
「うん、実は私も何だか少し幻聴が……って、あれ?」
愛理は幻聴だと思ったらしいが、確かに芦部さんの唇が動いて言葉が聞こえた。
具体的には六行くらい前に。
「ごめん。芦部さん。もう一度、言ってもらっていいかな」
「はぁ。ですから、分かりました、と」
“分かりました”
はっきりとその言葉が聞こえた。
「それってオカ研に入ってくれるってこと!?」
愛理は、はしゃいでいる。
「いえ、そういわけではないです」
「え……」
そして一瞬で冷めてしまった。
「それじゃあ、どういう……」
一体、何が分かったのか。
それを尋ねようと思ったが、向こうも察したみたいで、
「場合によっては入らしてもらう、ということです」
俺と愛理は一瞬、頭の中がハテナでいっぱいになる。
芦部さんの言っていることがよく分からなかったのだ。
「非常に申し訳ないのですが、オカ研に入るにあたって条件を出させてもらいます。本当はは一年生のくせにこんなこと良くないと思うのですが、それでもよろしいのなら約束は必ず守ります」
芦部さんの表情は真剣そのものだった。
事情は分からないが、彼女なりに理由があるのはよく伝わった。
「龍くん、どうするの?」
「落ち着け、まずは芦部さんの言う条件ってのを聞くのが先だろ」
それが無茶なものなのかそれとも簡単に出来るものなのかどうかで話は大きく変わる。
「そ、そうだね。恵美ちゃん、教えてもらっていいかな。どうすれば入ってくれるのかな」
「はい」
そう言って芦部さんは、ベンチから立ち上がる。
そしてそのまま、二、三歩ほど歩いてからこっちを振り向いた。
「確かに、私はオカ研さんには興味があるんです。しかし、それよりも部活に入らない理由の方が大きいんです。その理由を考えていただいた上でそれに対する答えを提示してください」
「入らない……理由?」
「そうです。これ以上はお話出来ません」
どうするの?ともう一度言いたげな眼で愛理がこちらを見る。
何度も言うが俺たちに残された時間は少ない。
ここで芦部さんだけに付き合っていられないのも事実だろう。
しかし、なぜだか俺は彼女をほっとけないと思った。
俺はこの少女の眼を知っているような気がした。
「その話、乗らせてもらうよ」
内心ではこれ以上粘っても、もう有力な新入生が現れないのではないかという気持ちもあった。
だが、純粋に芦部さんに関わりたいという気持ちが強かった。
昨日、知り合ったばかりの後輩にどうしてこんな想いを持ったのか。
このときの俺は多分、そこまで考えていなかった。
「ねぇ、ちょっと待って恵美ちゃん」
「なんでしょうか」
「実はね、私たちもワケありで今月中に新入部員を集めなきゃいけないの」
「今月というと……月曜日までですか」
「そう。だから、この勝負は月曜日までってことでいい?」
「なるほど、分かりました」
芦部さんが頷く。
「それでね、もう時間が少ないでしょ。だからね、土曜日と日曜日も予定がなければ一緒に居て欲しいの。あ、あと、アドレスも教えてくれると嬉しいな」
愛理が頭を下げる。
「えっ……」
愛理のこの提案は想定していなかったもののようで、芦部さんは少し言葉を詰まらせる。
「芦部さん、お願いだ。頼む」
俺も愛理に続けて頭を下げる。
「あの、分かりましたからっ!その、頭を上げてくださいっ」
こうして、俺たちと芦部さんの勝負が始まった。
3
「なぁ、これで良かったのか、愛理」
「どうなんだろうね」
芦部さんと駅で分かれて俺たち二人は帰路につく。
「何だか、えらく他人事じゃありませんかね」
愛理はあまり気にしていない様子だった。
「そんなことないよ、信用しているだけだよ。龍くんをね」
携帯電話を右手でいじりながら愛理が言う。
「俺を?」
「そう。恵美ちゃんに対して思うところがあったんでしょ」
「そんな、大げさなものではないけどなぁ……」
愛理には勘付かれていたみたいだった。
「とりあえず、沙耶香さんには状況をメールで報告しておいたよ」
「そっか。ありがとう」
だから携帯をいじっていたのか。
「まぁ他の一年生の子もどうにかしないとだけど、今は恵美ちゃんに真剣に向き合おうよ。そして、入ってもらおう、オカ研に。そのつもりなんでしょ?」
「愛理には敵わないなぁ」
こっちの考えていることはまるで筒ぬけのように伝わってしまう。
これが幼馴染みパワーってやつなのか。
「あ、沙耶香さんから返信来たよ」
愛理の携帯から某国民的ハートキャッチなアニメのオープニングテーマが流れる。
「何だって」
「えーとね……『好きにしなさい。その代わり、その子を必ず入部させること。他のことは考えなくていい』だって」
まだ一人も入れていないし、怒られるかな?って思っていたので部長からのメールは少し、いやかなり意外な内容だった。
「あ、龍くんにもメール送ったて書いてあるよ」
「なんであの人はわざわざ愛理に言うんだ」
俺宛なのに。そう思いながら携帯を開く。
『頑張ってハーレムを作ってね。――二号より』
「ねぇ、沙耶香さん、なんて?」
「余計なお世話だーーーーーっっっっっっっっっ!!!!!!」
俺の咆哮は天高くこだまし、周囲の注目を集めたという。
※※※
「これで良かったのかな……」
その夜、芦部恵美はまた眠れなかった。
『明日お昼、一緒に食べようね』
我妻先輩からそうメールが来ていた。
これが今日行ったことの結果。
先輩に対して失礼かなって思ったけど、二人は承諾してくれた。
「我妻先輩ってよく分からない人だな」
まだ出会って二日とはいえ、恵美はその独特の感性で愛理に対する違和感を覚えていた。
だが、けっしてその違和感が居心地の悪いものではなかったということを付け加えておく。
ベッドから起き上がり恵美は鞄からタロットカードを取り出す。
タロットで自分のことを占うのは好きじゃなかった。
それでも、カードを引いてみたいと何となく感じ、その直感に従った。
幼いころから恵美はいわゆる第六感的なものが鋭い少女だった。
タロットカードなんていう趣味に目覚めたのも決して偶然ではないと自分では思っていた。
取り出したカードを適当にシャッフルする。
「あっ……」
不意に手を滑らせ、カードを一枚落としてしまった。
こういうとき、この落としたカードこそが運命を指し示していることが多い。
恵美は恐る恐る、落とした一枚のカードに手をやる。
「これは……」
4
「どうかな、恵美ちゃん?一生懸命作ったんだけど」
「あの、凄く美味しいです」
四月二十五日木曜日。
タイムリミットまであと五日。
「た、卵焼きだけでも私が作るのと全然違う……」
「へへん。卵焼きはねちょっと自信があるんだ」
昼休み、俺と愛理と芦部さんは三人でお弁当を食べている。
昨日のうちに愛理が芦部さんにメールで約束させたみたいで、俺は言われるがままについてきたようなものだった。
愛理は芦部さんにおかずを分け与えるために朝から張りきったらしい。
「確かに、愛理の卵焼きは美味しいよな」
一見すると普通の卵焼きなのだが、味付けにこだわっているらしくとても美味しいものだった。
「あれ?団藤先輩のお弁当って……」
「俺の弁当?……あぁ、愛理が作ってくれているんだ」
「もう、龍くんたら愛妻弁当を自慢しちゃって恥ずかしいんだからねっ」
その言いかたのほうが恥ずかしいと思うのは俺だけだろうか。
「もしかして、お二人って……」
「えー、その、一応、お付き合いしています」
と、芦部さんに言ってみたが恥ずかしさで顔から火が出そうだ。
こういうのは本当に慣れない。
「一応なの?」
「し、しっかりです」
俺の彼女はやけに積極的だった。
「……っぷ、あはは」
途端に芦部さんが吹き出す。
「あはは……ご、ごめんなさい。仲が良いんですね、先輩方は」
思いっきり後輩に笑われてしまった。
「うーん、それだっ、それだよっ!」
急に愛理が立ち出す。
「え?」
「どうしたんだよ」
俺と芦部さんは愛理の突然の行動についていけない。
「恵ちゃん!」
「は、はひっ」
愛理が腕を組みながら鋭い声で言う。
「私のことを何て呼んでる?」
「えっ!?我妻先輩ですけど……」
「龍くんのことは?」
「団藤先輩と……」
「龍くん!」
「お、おう」
「恵美ちゃんのことを何て呼んでるの?」
「あ、芦部さん」
「それがダメなんだよっ!」
ビシッと愛理が俺たちを指差す。
「我妻?団藤?芦部?なんて親しみのない呼び方なの。まるで本屋の法学コーナーの一画みたいだよ!」
「ごめん、後半の意味が分からない」
「恵美ちゃん。これからは私のことは愛理先輩ね。そして、龍くんは龍一先輩ね。ユーアンダースタン?」
「イ、イエス」
芦部さんは完全に怯えた表情で答える。
「龍くんも。芦部さんは禁止だからね。“恵美ちゃん”にしなさい」
「お、おう」
その勢いには逆らえないものがあり、芦部……じゃなかった恵美ちゃんが怯えるのも無理がなかった。
「エブリバディアンダースタン?」
「イエス、ウィーアンダースタン!」
気づけば俺と恵美ちゃんはハモってそう答えていた。
5
「な、なんか、俺だけでごめんね。め、恵美ちゃん」
「い、いえ、約束ですから」
時間は飛んで放課後――。
愛理が担任に進路面談で呼び出されたため、俺一人で芦……恵美ちゃんに会いにいくことに。
ちなみにこの進路面談、出席番号順に行われているので俺は既に終わっていた。
そんなに時間がかかるものではないのだが、恵美ちゃんを待たせるわけにもいかないのでこうなったということだ。
俺たちと恵美ちゃんの勝負。
どうして恵美ちゃんは部活をしたくないのか。
そのために律儀に彼女は校門の前で俺を待っていてくれて、こうして駅まで一緒に歩いている。
下手したら周りから勘違いされてしまうようなシチュエーション。
そういうのを全く気にしないタイプなのか、はたまた気づいていないだけなのか。
それは分からないけど、気づいてしまっている俺はちょっとドキドキする。
本当に男ってバカな生き物だと思う。
「…………」
「…………」
「…………」
「…………」
見事なまでに会話が生じない――。
というか、何を話せばいいか分からない。
よくよく考えたら俺、勧誘以外で恵美ちゃんとキチンと話したことは殆どない。
そういうのはうちの彼女がやっていたんだということを痛感する。
「…………」
「…………」
「…………」
「…………」
いやいや、黙々と駅に向かって歩いている場合じゃないだろ、俺。
何か話さなきゃ、何か――。
「あ、あの……」
そんな俺たちの間にある色々とダメな沈黙を切り裂いたのは……
「すみません、龍一先輩」
後輩の女の子だった。
いや、本当に何しているんだよ、団藤龍一。
「何を謝っているの?」
もしかして俺の態度が不快だったのだろうか、という不安が頭をよぎる。
「いえ、日本人の伝統的な挨拶しただけです」
「何やねん、それ!」
突拍子のなさと、つかみきれない恵美ちゃんのキャラに何故か関西弁でツッコミを入れてしまいよったがな。
「でも、私が条件出したせいで何かこうやって二人で黙々と歩くことになったわけですし、それが悪いなという気持ちもあるんですよ」
恵美ちゃんは小走りで数メートル前に進んでこちらを振り向く。
「そ、それは……」
ここで言葉が詰まるから余計に質が悪い。
「……どうして、そこまで私に拘るのですか?」
恵美ちゃんが少し俺に近づく。
「オカ研さんにも何か事情があるのは分かっていますけど、普通じゃないですよ。こんな……一年の女子に振り回されて」
「いや、それは……」
この瞳だ。
影のあるこの瞳がほっとけないのだと思う。
まるで昔の誰かさんを見ているみたいだから。
俺はこの子に嘘をつきたくないと思った。
「実は……」
俺は長きに渡るオカ研と生徒会の抗争の歴史、そして今月中に新入生をあと二人入れないとオカ研が潰れてしまうことなどを全て白状した。
「それって結構大変な状況じゃないじゃないですか!」
俺の何だか自白に近い情けない打上話の後、恵美ちゃんは開口一番にそう言った。
正直、どういう反応をされるかは不安でしかなかったけど、どうやら俺たちのことを本気で心配してくれているようだ。
「まぁ、そうなんだよね、ハハハ……」
「笑い事じゃないでしょ!」
「ひっ、す、すみません」
よく分からないが怒られてしまったので勢いで謝る俺。
これが先祖代々綿々と伝わる日本の挨拶だ。
「すみませんでした」
恵美ちゃんが思いっきり頭を下げる。
「知らないこととはいえ、オカ研の方々を引っ掻き回すようなことをしてしまいました、すみませんでした」
「えーと、それは……挨拶ではないよね……?」
「……」
場を和ませようと思って冗談を言ってみたが、恵美ちゃんは黙ったまま頭を下げている。
あれ?もしかして俺、空気読み間違えている?
どうやら事情を知ってしまった恵美ちゃんは本気で悪いと思っているいたいだった。
「あ、頭を上げてっ!」
人通りも決して少なくない駅までの道で。高校生の男の子が女の子に頭を下げさせている(ように見えなくもない)という絵は際立っていた。
俺が慌てているのを察してか、恵美ちゃんはゆっくりと頭を上げる。
「あのね、恵美ちゃん」
俺は一度、深呼吸してから恵美ちゃんに向かって優しく話しかける。
「俺たちの存続の危機と恵美ちゃんのことは何も関係ないから気にしないでいいんだよ」
「でも、そんなことは……」
何か言おうとする恵美ちゃんを制して俺は次の言葉を放つ。
「俺はね、オカ研の部長に言われて、許可もらってこうして恵美ちゃんと一緒に居るんだ。何を君が気にする必要があるんだ?」
「それは……」
「ウチの部長は凄いんだよ。学園最凶。その部長が気にしなくていいって言ってくれているんだ。それだけで、俺は今の行動が間違っていないって胸を張れる」
これは心からの本心でもあった。
「信用しているんですね。オカ研さんは互いに信頼し合っているんですね。龍一先輩と愛理先輩、そしてお会いしたことないですけど、部長さん。羨ましいです」
「ま、まぁね」
恵美ちゃんの眼は少女コミックよろしくキラキラ輝いていて、あんまり信用し過ぎると後ろからざっくりされかねない、とは冗談でも言いづらかった。
「ありがとうございます」
恵美ちゃんは再び小走りで進んでからこっちを振り返ってちょっと大きめな声で言う。
「え?」
いきなり走り出してありがとうと言われて俺はついそう言い返してしまう。
「日本の伝統的な挨拶の一つですよ!」
「えっ、あぁそうか」
俺もちょっと小走りで恵美ちゃんの横に並んで二人して笑う。
「あ、もう駅ですね」
俺たちが黙り(だんまり)していた時間が長かったこともあってか、あっという間に駅が見えてきた。
普通に歩いたら五分かからない距離なので当然なのだけれども。
「龍一先輩、ちょっとは分かりましたか?私の求める答え」
「いや、さっぱり」
困ったことにだけど。
「ダメダメじゃないですか」
「恵美ちゃんって意外と毒舌だよね」
「仕方ないから、私からヒントをあげます」
「あれ?スルーされた」
「ヒントはこれです」
恵美ちゃんは俺のことなどお構いなしに鞄の中を少し探る。
その右手が鞄から出てきたとき、そこにはタロットカードがあった。
「また占ってくれるの?」
「いえ、まぁそれでもいいんですが、これがヒントです」
つまり、タロットカード自体がヒントということなんだろう。
何がどうヒントになっているのかは今の時点じゃさっぱり分からない。
「ついでですし、一枚どうぞ」
恵美ちゃんがカードの山をこちらに向けるので俺も引く。
何だかこのやりとりも慣れてきた。
「君に決めた!」
小さい頃に観ていた超人気アニメの主人公のセリフとともにカードを引く。
「これは……ウルトラ○ン?」
引いたカードの絵柄は白い衣装に赤いマントの男性が棒を握ってウル○ラマンが変身するときのポーズをとっていた。
「バカバカですね。これは魔術師です」
「バ……」
「前が確か逆位置の愚者だったから……凄い、いい感じにことが運んでいますよ」
「そ、そうなの」
タロットより気になる言葉があったが俺は紳士の態度を取る。
「それじゃあ、電車が来るんで失礼しますね」
「き、気をつけてね」
くっ……思った以上にダメージを与えられたぜ。
芦部恵美……恐ろしい子っ!
6
「あぁ~それはね、魔術師っていうのは愚者の次のアルカナなんだよ」
「アルカナ?」
四月二十七日金曜日。
昼休みに恵美ちゃんとお昼を一緒にする(約束を愛理がこぎつけた)ため、屋上に向かっている最中。
俺は愛理にタロットカードについて質問していた。
昨日、恵美ちゃんはタロットカードがヒントだと言っていたがあいにく俺にはタロットに関する知識が皆無なので、教えたがりのオタク講座を聴いている。
「そ、アルカナ。絵柄のことだね。タロットはその絵柄が意味を持っていて、順番通りに世界が構築されているんだよ。まぁ私も詳しくはないけどね」
「何だかややこしいな」
「オカルトっていうのは九十九パーセントの神秘と七十パーセントの好奇心と五十パーセントのデタラメ、そして素敵な何もかもで出来ているんだよ」
「百超えているし!最後の方、よく分かんないし!」
と、俺が愛理に鋭くツッコミを入れていたときだった。
「団藤君、オカ研のことで話があるんだけど」
背後から、ちょっとツンとした声が俺を呼んだ。
この声の主は間違いなく――
「話って何だよ、末弘」
生徒執行会会長、無慈悲な学園の女王こと末弘要が腕を組んで立っていた。
「今、失礼なことを考えた?」
「い、言いがかりはよせやいっ」
部長といい、末弘といい、この学校にはエスパーが多すぎるぜ。
「まぁいいわ。それよりもしかしたら少し長くなるかもしれないから、お弁当持って生徒会に一緒に来てもらえるかしら」
「おいおい、今からか?」
「初めにそう言ったつもりだけど?」
キラリと末弘の眼鏡が光る。
「ど、どうして龍くんだけ。私も……!」
「団藤君は副部長でしょ」
末弘の声には有無を言わせない迫力があった。
「もういい、愛理。お前は行け」
「で、でも……」
「恵美ちゃんが待っているだろ」
きっと律儀に屋上で待っているだろう。
彼女はそういう子だと思う。
「分かったよ。じゃあね、行くよ。気をつけてね」
「あぁ行ってこい」
俺は屋上へ続く階段を上る愛理を見送る。
「光るもの全てを黄金だと思う女は天国への階段を買おうとするんだよな」
「もしもーし。自分の世界から帰ってきてくださーい」
末弘が呆れ顔で呼びかけてくる。
「すまん、すまん。今から戦場に赴くと思うとつい、な……」
「つい、じゃないわよ。意味の分からないことを呟いて。怖いじゃないの!」
そんな。思春期真っ只かの高校生男子が好きな歌の歌詞を呟くなんて普通じゃないのか?
名曲なんだぞ。
「それとね、前にも同じようなことを言ったけど、あなた達ちょっと私
のことを悪者にしようとし過ぎじゃない?」
「いや、アハハ……」
そう、俺も前にも言った気がするが末弘は悪い奴ではないんだよな。
「全く……時間ないから行くわよ」
「あいよ」
俺は末弘の後に続いて生徒会へと向かった。
7
生徒会は二階にある職員室のすぐ隣の部屋で行われている。
と、今初めて知った。
さほど広い部屋でもなく小ぢんまりとした空間に机が正方形に椅子が真ん中を向くように並べられている。
アニメや漫画の世界なら生徒会が豪華な設備や大人と戦う力を持っているのかもしれないが、現実はこんなものだ。
そしてその現実の世界で真面目に生徒執行会を運営している末弘も、別に特別な力だとか、大金持ちのお嬢様というわけでもなくてただただ、誠実で責任感のある高校生なのだ。
ウチの部長と違って。
「で、話って何だよ?」
完全アウェーの環境に少し身構える俺。
「新入部員は集まりそうなの?」
そこの席にでも座って、と椅子を動かす末弘。
「おいおい、堂々と敵の内情視察かよ。困ったね、こりゃ」
そう言いながら俺は椅子に座る。
「だから、敵とか味方とかじゃないって言っているでしょ!私は生徒執行会会長。あなたは人員不足の弱小部の副部長。ならば私の質問には真面目に答えて」
そんなストレートな物言いで敵じゃないと言えるコイツって凄いなぁ。
「つか、そういう話なら部長とやってくれよ」
そう、俺はあくまで副部長なのだから、こういうことはトップ同士でやるのが普通なんじゃないだろうか。
「あなた、知らないの?」
末弘の目元が少し釣り上がる。
「え、何が?」
「三年生は昨日、今日と模試なのよ。ついでに言うとその前日から模試対策の特訓。呼び出せるわけないじゃない」
「な、何だって!?」
と、少し大げさに驚いてみせたが、それで最近、宮沢部長を見かけなかったんだ、納得。……ってそういうことならキチンと報告してよ!?
「そういうことだから、副部長さんに来ていただいているの。約束は覚えているわよね?」
「何とか期限は伸ばせないでしょうかね」
「……それがさっきの質問に対する答えなのね」
「……ねぇ、弁当食べていい?」
気づけば昼休みも半分以上が過ぎていて、健全な男子高校生の胃袋はすっかり悲鳴をあげていた。
「えぇ、いいわよ。あ、お茶はそこに葉っぱとポッドがあるか勝手に使っていいわよ」
何ていいやつなんや……
と、軽く感動を覚えつつ俺はお茶をトボトボ入れる。
「で、食べながらでいいのだけど……」
「ガツガツッ……ハムハム……ウマウマッ……」
「もうちょっとおとなしく食べなさいよ!?」
成長期なんだもの、仕方ないやないか……
「約束は分かっているわよね?あー言っておくけど期限を伸ばしたりしないわよ。伸ばしたからって入るって感じでもないでしょ?」
末弘は俺の次のセリフを正論でシャットアウトする。
「部から同好会になったところで確かに予算は降りないかもしれないけど、今の所、第二理科室を使用したいという団体も出てきていないし、というか宮沢沙耶香が居る間はまず出てこないし、あなた達がそこまで困るとは思わないけどね。別に私も同好会を潰そうなんて横暴を考えていなし」
おそらく末弘はごく淡々と、もしかしたら俺を慰めようと思って、その事実を告げたのかもしれない。
だが、その末弘の同情的な視線が俺を奮い立たせてしまった。
「シャーラーップッッ!」
俺は突然、立ち上がる。
「へ?」
末弘は呆気にとられて目を丸くしている。
「さっきから聞いていればまるでオカ研が潰れるようなこと言いやがって!」
「潰れるじゃない、月曜日に」
「そ、そんなことはないっ!」
流石、無慈悲な学園の女王。
俺がちょっと大声を上げたくらいじゃ全く怯まない。
「現に集まってないじゃないの、一年生」
「これから集まるんだよっ!大人しく月曜日まで待っとけ!部か同好会とかそんなことじゃない、俺たちオカ研のプライドの問題だ!」
もうここまで来たら引くことは出来ない。
俺のハートは震えるほどにヒートした。
「……そこまで言うならもういいわ」
末弘が静かに、そして眼鏡を外しながら言う。
その鋭い眼光(視力が悪いらしい)に少したじろく。
「あなただけはまともかなと思っていたけど、やっぱりあなたもオカ研……宮沢沙耶香の仲間なのね。月曜日までに約束を守れなかったら同好会としても活動出来ないものだと思っていなさい!」
「望むところだ!」
そう言うや俺は生徒会から勢いよく飛び出した。
もう昼休みはほとんど終わる時間だった。
てか、俺、ちょっとまずいことをしてしまったんじゃ……
8
チャンスだと思った。
恵美ちゃんと二人で直接話す機会を待っていた。
それにはどうしても龍一が言い方が悪いけど邪魔だった。
もちろん、それは仕方のないことなんだけど。
だからこそ、あたしは――
我妻愛羅はこの機会を逃すわけにはいかないと思った。
「こんにちは、恵美ちゃん。遅くなってごめんね」
「あ、こんにちは。愛理先輩」
末弘要に龍一が捕まったこともあり、少しの遅刻。
それでも恵美ちゃんは律儀に待っていてくれた。
「あれ?龍一先輩はどうしたんですか?」
目の前に居る後輩の女の子は愛理に少し心を開きかけていた。
毎日のように話してメールもしているのだから当然なのかもしれない。
しかし、実際は彼女が接してきたのは愛羅の方が多い。
「龍くんはちょっと生徒執行会に呼び出されちゃって来れないの」
そもそも愛理は人見知りするタイプなので後輩と言えどそうヒョイヒョイ喋るタイプではない。
実際、愛理自身が初めて恵美ちゃんと話したときは少したどたどしさがあった。
初対面の人間の対応は愛羅。
いつしか二人の間に出来た暗黙のルールがそこにあった。
だがそれは逆に言えば恵美ちゃんが愛理に心を開きかけているのと同じように愛羅にとっても芦部恵美という少女がどういう子なのか理解することは出来ていた。
何せ我妻愛羅は世界で一番、この手のタイプの人間に触れてきたのだから。
「生徒執行会って、もしかして……大変なやつですか?」
恵美ちゃんの表情が曇っていることに愛羅は気づく。
「あ~龍くんから聞いたの?」
“龍くん”と呼ぶのは愛理だけ。
愛羅は“龍一”と呼ぶ。
昔は別の呼び方をしていたけど、思春期になってからはずっと“龍一”だ。
“団藤”と呼ぼうかなと思ったこともあったけど、龍一に
『じゃあ“我妻”って呼ぶけどいい?』
て言われて、辞めた。
愛理がこういうことにはひどく鈍感なぶん、愛羅は人一倍敏感だった。
愛理の出来ないこと、苦手なこと、それをやるのが愛羅だった。
それをおかしいとも嫌だとも思ったことはない。
そのために幼い愛理は愛羅という人格を生み出してしまったのだから、愛羅からすれば愛理のために何かをするのはアイデンティティでもあった。
もちろん、二人の間に最低限のルールや秘密は存在する。
愛理だって愛羅にはきっとかなり気を使っているのだろう。
今まで色々なものを譲ってきたし、譲ってもらった。
二人がまだどちらのものなのか明確に線引き出来ていないのは龍一だけだった。
「えーと、月曜日までに新入生二人集めないと……というのはお聞きしました」
「あぁ、じゃあうちの状況は知っているんだね」
「えぇ。昨日、そのことで謝ったら龍一先輩に怒られました」
「そりゃ、そうだよ。恵美ちゃんは悪くないんだから」
「でも、そういうわけには……」
本当にこの子はあの子にそっくりだ。
ウジウジして後ろ向きなところも、他人に過剰に気をつかうところも、そして優しいところも。
だから、龍一もほっとけなかったのだろう。
そして多分、あたしも――
「ねぇ、恵美ちゃん。私……あたし、あなたが何で部活入るか迷っているか答えが分かっているんだ」
「え――」
恵美ちゃんの眼は大きく見開いていた。
第六章 勝負の行方
1
土曜日なのに今日も夢田には人がいっぱい居る。
いや、土曜日だからこそ。
土曜日も?
結局、都会というのは朝も夜も平日も休日も人が居るのだという再認識。
なぜ、冒頭からこんなことを言っているかって?
久しぶり(三章以来)に登場した地名を思い出してもらおうとか、そんなんじゃない。
単純に――
俺はテンパっているのだ。
なぜなら――
「お、お待たせしましたっ……龍一先輩」
四月二十八日土曜日。
ゴールデンウイークの始まりで世間が少しざわつく日。
「や、やぁ、恵美ちゃん」
家族思いのお父さんも、彼女との初めての旅行にわくわくの大学生も、夏の大会に向けて地獄の合宿を敢行する体育会系も心躍る日。
いや、よくわからないたとえかもしれないけど……
と、とにかく、そんな日に俺は後輩の女の子とデートというギャルゲーみたいな展開に、しかも彼女の了承つきで、正確には彼女からの指示で行われているのだが、平常心を保てない。
「あのぉ……私、変ですか?この服、人前で着たことなくて……」
「いや、その、似合うと思うよ」
そう顔を赤めてもじもじする恵美ちゃんが可愛くないはずがなくて、月並みなことしか癒えない。
だから、俺には彼女が二人居るんだって!
「あ、ありがとうございます」
ちなみに、恵美ちゃんの服装はというと、薄いピンクのワンピースに白い帽子といういかにも女の子という感じの格好で俺はまっすぐ見ることが出来ない。
もしも、俺がライトノベル作家ならとりあえずこのシーンは挿絵を入れてもらって恵美ちゃんの可愛さに関する細かい描写はイラストレーターさんに丸投げするだろう。
そんなの小説家としては最低だけれども。
という意味不明なことを言い出してしまうような原因となったのは昨日の放課後の出来事だった。
『龍くん、明日は特に予定ないよね?』
『あぁ、暇だけど』
『恵美ちゃんも暇なんだよ。ね、恵美ちゃん』
『は、はい』
『じゃあ、二人で出かけてね!』
『お、おう……はぁーーーっっ!?』
以上、六行ダイジェスト(中途半端)。
「あ、あの、ご、ご迷惑でしたら……そ、その、私、か、帰りますっ!」
そう言った恵美ちゃんの表情や声、仕草は本当に帰りかねない勢いで、自分が最低のクズなのだと自覚させてくれるには十分なパンチ力だった。
「恵ちゃん、行こう」
俺は恵美ちゃんに右手をさし伸ばしていた。
2
大都市夢田。
多くの人間の欲望が生み出したこの街には当然、数々のデートスポットが……
「こ、これ可愛いですね」
「それ今、流行っているんですよ」
「へーそうなんですね」
ウインドウショッピングで以前にも立ち寄った女性用アクセサリー店で聞いたことあるような商売文句。
数々のデートスポットが……
「競馬の秋のG1レース。距離が一番短いのは次の内どれ?……先輩分かります?」
「Bの高松宮記念だよ」
「うわー正解だ。龍一先輩、お詳しいんですねっ」
ウイニングポ○トをやりこんでいるからな。
と、一階から三階までがゲームセンター。四階から九階までがボウリング。
なんていういつぞやのアミューズメント施設で微笑む俺。
そう、夢田には数々の……
※※※
時刻は既に夕方。
徐々にではあるが、空も暗くなってきてそろそろ帰る時間だ。
デートの最後に高層ビル群の一角に設けられた空中庭園……もちろんコテコテのデートスポットだ。
という表現もこれで二度目。
我ながら引き出しの少なさに愕然とする。
昼食はファストフードで済ましたので丸かぶりとは行かなかったものもって感じである。
し、仕方ないじゃないか。
お金のない中高生にとってはここに映画館とカラオケを付け足したら殆ど行くところがコンプリートされるわけで。
かと言って何の目的もなく街をぶらつくほど恵美ちゃんのことを分かってあげられているわけでもなくて。
そんな言い訳がましいことを考えながら俺はクレープを恵美ちゃんに渡す。
「はい、これ。美味しいんだ」
「ありがとうございます」
俺と恵美ちゃんは二人してベンチに座ってクレープをかじる。
「…………」
「…………」
「…………」
「…………」
い、いかん。
これじゃあ、いつぞやの繰り返しじゃないか。
そもそもデート中もキチンと話せたのだろうか。
恵美ちゃん、あまり自分から話さないから俺もネタが尽きるんだよな。
そう、自分から……
『芦部さんって大人しい子かなと思っていたけど結構喋るんだね』
『えっ、えっ、あ、あの、その……』
『ヒントはこれです』
『バカバカですね。これは魔術師です』
あぁ、そうか。
こんな簡単なことだったんだ。
でも、ということは……
「恵美ちゃん、怖いの?」
気づけば俺の口からはそんな言葉が漏れていた。
「……本当に分かるんですね」
恵美ちゃんは表情を変えずにそう言う。
まるでそう言われるのを予想していたかのように。
「うん、分かっちゃった」
どうしてすぐに気付かなかったのだろうか。
それほど恵美ちゃんに関する問題は俺たちにとっては身近なもので、きっとあいつはすぐ気付いていて、今こうなっているわけで。
「愛里先輩が言ったとおりなんですね」
「何て言ってた?」
「一日、二人きりになってみれば多分、龍くんにも分かるよ、と……」
「そっか……」
夕方の高層ビル。
都会にも赤い夕焼けは差し込む。
それが眩しいからと目をそらすのは簡単だけど、そんなことはしない。
だってここから見る景色は昼だろうと夜だろうと、きっと醜くて美しいから。
「…………」
「…………」
「…………」
「…………」
沈黙は生まれる。
様々な理由で。
それは多分、悪いことばかりじゃない。
人間は言葉以外にも想いを伝える手段を持っているのだから。
今はただ、黙って横に座っていればいい――。
3
「こんな遅くに人の家に来るなんて非常識じゃないかしら、龍一?」
「大丈夫だ。おばさんは喜んでくれているから」
「……なし崩し的にうちのお婿とかにされてもしらないわよ」
「それも悪くないな」
「嫌よ!甲斐性なし」
俺の心にグサリと刺さる言葉を的確に選ぶ天才。
俺(愛)の彼女(羅)に俺は会いに来ていた。
恵美ちゃんとはあの後――
『私、実は中学時代、オカ研だったんですよ』
『え!?そうだったんだ』
『まぁ半年だけだったんですけどね』
『それはまた……』
『友達が作ったんですよ、オカ研。アニメか何かの影響で。それで友達同士で仲良く慎ましく活動していたんです』
愛理みたいな子が他にも居るもんなんだなぁ。
『でも、半年で部員は私だけ。正確には同好会ですけど』
『え、友達同士だったんじゃないの?』
『これのせいですよ』
恵美ちゃんはタロットカードを鞄から取り出す。
『タロットカードが?』
『結局、本当にオカルトチックなものに興味が湧いたのは私だけだったんです。来る日も来る日も一人でタロットカード勉強していて、気付いたらオカ研は私だけでした』
中学生の女の子にとってそれがどれほど辛いものだったか。
恵美ちゃんの表情がそれを物語っていた。
『だから、高校では部活なんてしたくないし、ましてオカ研なんて絶対イヤなんですよ。古傷をえぐられる想いでしたよ、勧誘を受けてからは』
『それは本当にごめんなさい』
『謝らないでください』
『いや、せめて謝罪の気持ちだけでも……』
きっと世のお父さん方はこういう風に頭を下げているんだろうなぁ。
『自分が悪くないのに謝る必要はない。……そう言ったのは龍一先輩ですよ』
『あ……』
恵美ちゃんの遠慮がちな笑顔が少し眩しかった。
『でもね、恵美ちゃん。そういうことなら別にオカ研には入らなくていいんだよ』
『そんな、約束を破るわけには……』
『こういうのは気持ちの問題。やりたくないことを無理やりやりなんて面白くないでしょ?』
『それはそうですけど……』
『明日さ、一日あるからゆっくり考えておいで。それでもし、俺たちとオカルトを研究という題目でアニメや映画に興じたくなったら第二理科室へおいで』
『フフフ……なんですか、それ』
そして、そこからすぐに家には帰らず直接、我妻家にお邪魔している。
我妻のおばさんはとてもいい人なのだが、娘と俺をくっつけたがっているため(法的に)俺が訪れるのを歓迎するばかりか家に帰そうとしてくれないので、娘(主に愛羅)は俺が来るのを面倒くさがる。
「まぁ、何にせよ久しぶりだな、愛羅」
約一週間ぶりという久々に会った恋人に対しては少し素っ気ないあいさつをする。
「え、あぁそうね」
こちらも素っ気のない返し。
ちなみにトレードマークのツインテールはいつぞやに俺があげた髪留めで縛られていたりする。
「ていうか白々しいわね。気づいていたんでしょ?」
「お前ら二人を区別するなんて十年以上前にクリアーした課題だ。えらく久しぶりなんで最初は自信がなかったし、気づけていなかったかもしれないけど」
外見が一緒でも、確かに愛理と愛羅は別の人格なのだから。
一番近くに居る俺にとっては簡単なクイズだ……多分。
ただ分かっていてもそれに触れるきっかけがなかなか見つけられずに居た。
「それで、恵美ちゃんはどうなったの?」
「あぁ、まぁ決着はつけた」
結局、恵美ちゃんは何もかもが怖かったのだ。自分に自信がなく、全てを恐れていた昔の愛理と同じように。
「ふーん」
愛羅は自分の座っている椅子を時折回転させながら俺の話を聴く。
ちなみに俺はベッドに腰掛けていて凄くいい匂いがするのだけど口に出すような愚行は犯さずに堪能する。
「それで……なんだけど、本題に入っても……いいかな?」
「……どうぞ」
「愛理は?」
「起きているわよ。もの凄く罰が悪そうにしている」
つまり、俺と愛羅の会話は愛理も聴いているということだ。
「その、二人共……ごめんっ」
ベッドから立ち上がって愛羅と愛理の前で頭を下げる。
「何に対してかでその言葉の意味は変わるわよ?」
「もちろん、二人の気持ちを考えていなかったことだ」
そこに悪意があろうと無かろうと二人を傷つけたという事実。
それだけで男として頭を下げても許されない罪がある。
「本当にごめん。愛羅、そして愛理」
頭を下げたままもう一度、謝罪。
「…………」
頭を下げても首筋で愛羅の視線を感じる。
きっと俺のことを睨んでいるのだろう。
「ごめんね、龍くん(・・)」
「……愛理?」
頭を上げるとすぐ目の前に彼女が――
「大好きっ!」
「お、おいっ!?」
そう言いながら思いっきり俺に抱きついてくる。
「ごめんね……ヒック……私……ヒック……龍くんも愛羅ちゃんも大好きなんだよぉ」
強く抱きしめてくる愛理を優しく抱き返す。
「龍くんも愛羅ちゃんも悪くないよ……ごめんねっ」
「じゃあ、おあいこだ。俺も悪かったごめんなさい」
華奢な身体を支えながら俺は言う。
「うん……うんっ……」
愛理の気が済むまで無言で抱きしめる。
十秒だろうと、一時間だろうと、一日だろうと。
きっと一生だって。
俺たち三人は寄り添い合って生きていく。
何の疑いもなく、無垢な心で、辿り着くのだろう。
望む(イノ)べく(セント)世界へ――。
「満足した?」
「……(こくっ)」
俺の問いかけに愛理は無言で頷く。
ゆっくり少しずつ離れていく二人の身体。
それがふと、止まる。
少し充血した愛理の眼。
吸い込まれるように接近していく互いの身体。
恋人同士だし、仲直りしたとこだし、愛おしいし……
「ダ~メッ!」
愛理はいたずらっぽく口元に両手の人差し指で×印を作る。
「今日は私の番じゃないの。バイバイ、龍くん」
「え?」
俺が戸惑っていると、見る見る愛理の顔が紅潮していって……
「もしかして、愛羅?」
「こ、このタイミングであたしとキスしたらあんた最低のプレイボーイだと思わない?」
「……思う」
「じゃあ……」
「でもする」
「ち、ちょっと!?」
愛羅の身体をたぐり寄せる。
だって一日にしていいキスの人数には反していないから。
俺たち三人の関係は変わらないのだから。
4
四月三十日月曜日。
そう、雨の日と月曜日は気が重い。
特に今日はただの月曜日じゃない。
オカ研の存続がかかった日だ。
今日中に二人、生徒を集めないとオカ研は消滅する。
昨日、つまり日曜日。
俺と愛理は最後の踏ん張りとして一日かけて新しい勧誘ビラを作った。
そして今朝、校門が開くと同時に配った。ちなみにビラ配りの申請は金曜日に済ましてある。
やれることはやった。
だから卑下する必要はない。
堂々としていればいいんだ。
「ねぇ龍くん、このまま末弘さんが来ないなんてこと起きないかな?せめて急性胃腸炎にでもなってくれれば……」
堂々と……出来るわけがない。
放課後の第二理科室。
この一年、初めは嫌々過ごしていたいつもの空間。
これを味わえるのも今日が最後かもしれないという状況なのだから。
味わいという意味なら既に今日のこの緊張は日常とは違うわけだから最後なんてとっくに終わっているんだけど。
「本当に誰もこないね……」
あれだけバラまいたビラに惹かれたという生徒も俺たちに最後通告をしにくるとわざわざ昼休みに言ってきやがった末弘も俺たちの総大将、宮沢部長もやって来なかった。
焦らされているような皮膚がヒリヒリするような感覚。
俺と愛理は祈ることしか出来なかった。
「ゲームオーバー見たいね」
第二理科室に扉が開かれる。
生徒執行会会長の末弘と同副会長の裕がゆっくりと入ってくる。
「同好会申請への手続きは早めにお願いね。この間の昼休みのことは忘れておいてあげるわ」
淡々と末弘が述べる。
「龍一ちゃん、我妻さん、残念だけどルールだ」
裕も無表情でそう言う。
その瞬間、俺は敗北を悟った。
ここから先はもうわがままの領域なのだと。
そしてそのわがままは学校というコミュニティーでは認められる類のものでないのだということも。
それは多分、愛理も同じで。
だからこそ、執行会の言葉に肯定も否定もせずただ押し黙っている。
「あ、あのっ、失礼します!」
そのとき、執行会の二人の背後から人影が見えた。
「恵美ちゃん!?」
俺と愛理のハモりが教室内でこだまする。
人影の正体は恵美ちゃんだった。
「お、遅くなってすみません。私、他にもオカ研入ってくれる子が居ないか聞いて回っていて……でも、友達多くないから……結局、一人で……」
「恵美ちゃん、ありがとっ」
愛理は恵美ちゃんの元へと駆け出して手を取る。
「これから、よろしくねっ。今日から私たちは仲間だよ」
「は、はいっ。お願いします!」
きっと恵美ちゃんなりに一日かけて出した答えの結果なのだろう。
その眼は別人じゃないかと思うくらいに以前の少しオドオドとした雰囲気を払拭していた。
「盛り上がっているところ申し訳ないのだけれども、分かっているわよね」
末弘が俺に向かって言ってくる。
横に居る裕も少し苦笑いだが末弘を止めたりしない。
「あの人誰ですか?」
「生徒執行会の会長さん」
「あのぉ、そんな人が一体、どうして?」
「うん、新入部員が集まらなかったからね。通告に来たんだよ私たちに」
「私……だけじゃ足りないんですね」
愛理と恵美ちゃんのやりとりが聞こえてくる。
「安心してちょうだい。同好会としての活動は認可するから」
末弘が恵美ちゃんに言う。
こいつだって見ず知らずの一年生に向かって厳しい言葉をかけるつもりはないのだろう。
部として存続出来ないのは残念だけど、恵美ちゃんという新しい芽も入ってくれた。
同好会としてだけど、俺たちはもう一度やっていける。
ボンヤリとそんなことを考え始めていた。
「どうして私たちが同好会になる必要があるのかしら?」
二つある第二理科室の扉、末弘や恵美ちゃんが入ってきたのは反対側が静かに開かれた。
「部長!?」
「だ、誰ですか?」
「沙耶香さん。ウチの部長だよ」
それはここしばらく姿を見せなかった我らの教祖……いや、部長だけど。
こちらからのメールは殆ど無視したクセに毎晩、呪いのメールなるものを送ってきていたは
た迷惑な人……部長なのに。
「久しぶりね、団藤君、アイリーン。そして初めましてあなたが芦部恵美さんね」
「は、初めまして」
こちらに近づいてくる部長の圧倒的な存在感に恵ちゃんはたじろいでいる。
そりゃビビるよなぁ。
「私たちには挨拶なしですか?」
末弘が部長に言う。
部長相手に一歩も引かないこいつも凄い。
「あら、案外かまってちゃんなのね」
両者の眼からは火花が飛び散っている……気がした。
そして始まったよ、て顔をしている裕。
あいつはあいつでこの状況を少し楽しんでいる。
「まぁいいです。お久しぶりに会ったのに残念ですが、私たちはこれで。まだ同好会の認可はしていませんので速やかに退室お願いします。行くわよ、渥美君」
執行会の二人は理科室から出ていこうとする。
だが、俺も愛理も二人がこのまますんなりと帰れるとは思わなかった。
だって部長があぁ言っただろ?最初に。
「ちょっと、生徒会長さん。帰る前にあなたに渡しておきたいものがあるのだけど」
「何ですか?」
末弘を呼び止めた部長の手にはいつのまにか一枚の封筒があった。
「これをあなたに提出しないといけないのに、ちょっと遅くなっちゃったわ。ごめんなさいね」
怪訝な顔をして末弘はその封筒の中身を取り出す。
「こ、これはっ……!?」
「おい、どうしたんだ、末弘?」
封筒から出てきたのは一枚の紙。
それを見た末弘の表情が明らかに変わった。
「こ、こんなのっ、卑怯よ!」
「卑怯?卑怯ってどういうことかしら?あなたは私をそこまで悪者にしたいのかしら?」
突然、ワナワナと震えだす末弘とその理由を分かっているくせに挑発する部長。
そう、いつも通りの――
俺たちの光景だ。
「学校は学生の社会よ!それを大人の力でねじ伏せるなんて私は認めない!」
「あなたどこのロックミュージシャンよ?学校は大人が経営しているものだわ。それを認めたくないのなら子供だけの国を作るか、盗んだバイクで走りなさいな。他に言うことがないのなら帰りなさい!」
「……っ」
そう言い放ったときの部長の顔はとても極悪だった。
「沙耶香さん、どういうことですか?」
「何、簡単な話よ。校長先生がオカ研を存続させる許可をくれただけよ」
「校長先生が!?」
一体、この人は俺の知らないところで何をしているんだよ。
「別に変なことはしていないわ。ただね、オカ研って結構歴史が長いのよ、その気になればOBから圧力をかけられるくらいに。そしてたまたま現部長が学年一の才女だった。それだけよ」
自分で才女とか言っているのはこの際、無視。そして現実は想像以上にあっけなく、生々しいものだった。
「末弘、宮沢先輩の言っていることは正しい。帰ろう」
裕が言う。
「そういう問題じゃないでしょ!」
「末弘!」
「……分かったわよ」
ヒートしていた末弘を裕が諌める。
「渥美君、帰るわよ」
「へいへい」
生徒会の二人は今度こそ退室する。
「この屈辱は忘れませんから」
最後にそう言い残して。
「メグ!」
「メ、メグ!?私ですか?」
「あなた以外に誰が居るの?さぁ新入部員の仕事よ、塩をまきなさい!」
「食塩はあそこの棚にあるよ、恵美ちゃん」
「だからそれは学校の備品だから!」
どうやら俺たちはこれからも変わらずに放課後はこの場所でくだらないけど、心地の良い時間の浪費が出来るみたいだ。
「えーと、塩の量はこれくらいですかね?」
訂正。
新しい仲間を迎えて。
「あーそうだ、団藤君とアイリーン。よくやったわね」
思い出したかのように部長がポツリと言う。
「何がです?」
そう聞き返す俺。
「メグのことよ、実は校長先生からも一年生が一人も入らなかったら認められないて言われていたのよね。ありがとう、オカ研を守ってくれて」
「…………」
「あら、どうして二人共黙っているの?」
「だって……」
「なぁ……」
俺と愛理は互いに向き合って、そして笑った。
仕方ないだろ?
あの部長が俺たちに“ありがとう”なんて言ったのだから。
エピローグその1 ~魔女の舞台裏~
二年生の二人と新入生が一緒に帰り、宮沢沙耶香は一人理科室に残っていた。
「やっぱりいいわね、ここは」
人気のない理科室。
人体模型や顕微鏡に囲まれたこの空間が沙耶香は大好きだった。
「それにしても紙一重だったわね」
長く整った黒い髪の先端を指に絡めながら独りで呟く。
生徒にある程度の自主性を認めさせている以上、なかなか校長先生も首を縦に降ってはくれなかった。
沙耶香は名簿を漁って、今でも学校に寄付をしているようなOBを探し当ててどうにか校長に掛け合うようにお願いしていた。
模試もそっちのけで。
「新入生もなかなか現れなかったし」
実は沙耶香は放課後、すぐに一旦、第二理科室に向かったのだが中の様子を見て入るのをやめてしまった。
新入生の勧誘に自分が殆ど関与していない以上、一生懸命勧誘を続けてくれていた二人にかける言葉が思いつかなかったのだ。
そしてしばらく時間を置いた。
あの二人なら必ず一人くらいは捕まえてくれるだろうと思って。
「時間を置いたという意味ではあの娘にも感謝しないといけないわね」
沙耶香が初めに理科室に来たとき、沙耶香と同じように理科室には入らないで立ち去っていく人影があった。
かろうじて見えた三つ編みの女子学生。
あれは間違いなく……
「さてと、部室も部費も安泰だし新しいDVDでも借りて帰ろうかしらね」
エピローグその2 ~ひとつ身体の中2~
庭園に白い椅子とテーブルが置いてあった。
テーブルの上には二つのティーカップ。
ここは自分たちの心層であって現実世界ではないのにどうして念ずればこういうものがたやすく出てきてしかも味まであるのか。
愛理も愛羅もよく分からなかった。
多分、それはオカルトなんだよとは愛理の評である。
「ねぇ、これ甘すぎないかな、愛羅ちゃん?」
「文句あるなら自分で生み出しなさい。念じるだけでしょ」
「う~ここには愛がないよぉ」
そう言いながら愛理はシロップだけじゃ飽き足らずハチミツまで入れられている紅茶を口に運ぶ。
「やっぱり甘いよぉ」
「美味しいじゃない」
愛羅は顔色一つ変えずに飲み干す。
「ねぇ、愛理」
「何?おかわりは要らないよ」
「龍一って本当にあたしたちのこと見分けられていると思う?」
「んーどうだろうね」
愛理は少し首をヒネる。
「ねぇ、愛理。あたしたち最近、似てきていると思わない?」
「似ているって?」
「自分でもちょっと変わったな、とか思わない?」
「私も、もう十七歳だからね。そりゃ多少は変わるし、一番身近な愛羅ちゃんの影響は常に受けているよ」
そういうことではなく、このまま二人が似ていっていつか並列化してひとつの人格になるのではないか。
愛羅は自分の推察を胸にしまった。
「質問の答えだけど」
愛理がティーカップを置く。
「実験してみればいいんじゃないかな?」
エピローグその3 ~失われなかった時を求めて~
「龍くん起きてよ、朝だよ。遅れたら沙耶香さんが怒るよ」
「……zzz……閣下……zzz……自分は……守れなかった……」
「せめて時間は守ろうよ!起早くしないと本当に遅刻しちゃうよ」
「これも全部……zzz……廷臣共め……zzz……戦争が戦争を養うんだ!」
「いつの時代なの!?じゃなかった……もう!起きないと……あれやるよ」
「権力……お、俺は絶対に……zzz」
「えいっ」
「……んん!んん……っぷはー愛理、この起こし方はやめろって何度も言っているだろ!」
「それならいい加減に朝、起きられるようになってよ」
「つか、今日から連休だろ?何で起こしに来るんだよ?」
今日は五月三日。ゴールデンウイークの真っ只か。
その昔、日本国憲法が施行されたのを記念して国民がダラダラとすることを義務された日。
ん……三日?
あれ……?
「あ……」
「今日は恵美ちゃんの歓迎会するって部長が言ってたじゃない」
そう、今日は恵美ちゃんの歓迎を兼ねてオカ研のメンバーで遊ぶ約束をしていたんだった。
どうせ、愛理と部長がカラオケでアニソンのメドレーを歌いだして俺が置いていかれるだけだけど、約束は約束だ。
「ごめん、すぐ準備するよ」
「了解」
愛理に外に出てもらって俺は急いで準備をする。
※※※
季節は春。いや、地球温暖化が騒がれる昨今、五月はもう夏。制服も移行期間。
休日朝の心地よい風景……何てものはこの時期には存在しない。
「ハァハァ……よし、この辺まで走ったら大丈夫だろ」
「ハァハァ……ねぇ、休日くらいゆとりが欲しいよ」
「お前はここで走らなかったら、運動しないじゃないか。油断していると太るぞ、そのうち」
「破局!?破局の危機だよ!?」
朝に弱い俺には有難いことに毎朝起こしに来てくれる幼馴染兼彼女が居る。
いや、本当に世の男性諸君には申し訳なく思うが現実なのだ。
俺自身のパーソナリティーは本当に普通。地味ではないけれども派手でもない。
それでも――
「いいから無駄口叩いていないで行くぞ。部長は自分の遅刻は許すが他人のは許さないタイプだ。油断するなよ、愛羅」
「誰のせいだと……って……あ……」
俺には彼女が2人いる!