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アームチェア・アルラウネの幻想事件録  作者: 小此木 祭
第二話 『異種混交、女子禁制』
8/8

2 ぐるがる:「従属」

 国立鯨渦くじらうず学園。


 人と、人ならざる者――“通境者パッサー”が通う巨大教育施設である。

 正確にいえば、鯨渦学園に“通う”のは人の生徒がほとんどだ。

 ちょっとした町といってもさしつかえないほどの広大な敷地をもつ鯨渦学園は、人と生活環境を異にする“通境者パッサー”のための特別な居住区域を擁している。異世界からの訪問者である“通境者パッサー”生徒の大半は、人間世界のもろもろを学ぶ鯨渦くじらうず学園を、この世界の宿としていた。

 宿といっても形態はさまざまだ。

 巨人たち、G組の生徒のためには摩天楼のような巨大なビルが割り当てられている。水棲種族からなるA組の生徒には水族館や人造湖が、暗い場所を好むK組やN組の生徒たちには入り組んだ人工洞窟がといった具合に。

 植物の化身であるP組の生徒たちの住宅事情はさらに徹底している。かれらが根を下ろす巨大な植物園“架空公園かくうこうえん”は、この世界におけるかれらの住まいであり、同時に学びの場――P組そのものなのである。


 人と人ならざる者が通う鯨渦くじらうず学園。そもそも、この言い方も適切ではないのかもしれない。

 人と人ならざる“通境者パッサー”生徒の比率は、およそ1対25。鯨渦くじらうず学園では人間の方がマイノリティともいえるし、異形・妖怪・妖精・化物・幻獣といった雑多な集まりのなかの人類種という一種族にすぎないともいえる。

 先にも述べた通り、人類種の生徒たちのほとんどは、鯨渦くじらうず学園の近郊から通ってきている。

 学園は人類種にも平等に寮を用意してあるが、ほとんどは人型の“通境者パッサー”たちが利用しているのが現状である。


 人類の気づかぬ内に起こっていた世界的大変化――“多元世界統合ユニバーサル・コール”。

 遠い過去ではなく、ごく最近に起こったはずの大異変。だが、いつ起こったのか正確に記した記録媒体は皆無であり、記憶している人間もいない。思い出そうにも、まるで霞がかったような記憶しかなく、ただ『昔はこうじゃなかった』という曖昧な感覚だけが残る。

 しかしなぜか、異世界からの訪問者である“通境者パッサー”のために鯨渦くじらうず学園のような一朝一夕にはできない施設や法律や文化が、まるで太古の昔からそこにあったかのように存在している。

 人間の生徒たちが異種族同士の交流の場でもある学園寮を無意識に避けているのも、このような大きな違和感を抱えているせいなのかもしれない。


 さて、その人間用男子寮であるが、人を含めヒューマノイドの“通境者パッサー”生徒からなるH組のある校舎からバスで10分ほどのところにあった。寮の立地としてはやや遠いように思えるが、学園自体の広大な敷地面積を考えれば、通学に便利なように配慮されているといえる。

 この鯨渦くじらうず学園男子寮地区には、開けた芝生の上に、生徒のみが居住するように設計された4人用の木造コテージが幾つも並ぶ。

 戸を開くと玄関はなく、すぐに共同の居間があり、ソファーや新埃舎しんあいしゃ製の大型テレビが置かれている。居間を中心として、左右に細い廊下がのび、共同トイレ、共同炊事場、バスルームへと続き、コテージの四隅に一室ずつ、生徒の私室が配置されている。


 5月、連休の朝。

 “通境者パッサー”にとって、この世界に帰る“故郷”などは存在しない。

 というわけで、多くの生徒は常と変わらず寮で過ごしていた。

 男子寮二号棟も例にもれず、ふだんとあまり変わらない光景がひろがっていた。ただ休みらしく、通学前のあわただしさもなく、のどかな雰囲気ではある。

 その一室で、休日の朝寝を貪っている生徒がいた。


 人間用ではあるものの、利用する“人間”はほとんどいない学園寮。

 休みではあるものの、帰る“故郷”のない異郷人たち。


 その二つを合わせて考えれば、いぎたなく寝ているこの男子生徒は人ならざる“通境者パッサー”であるという連想は自然と働く。

 だが、ベッドの上でのんきな寝息をたてている彼は、正真正銘、旗幟鮮明きしせんめい、頭の先からつま先まで何の変哲もない、人間の生徒である。

 1年H組、阪井さかい渉真しょうま

 彼は、数少ない人間の学園寮利用者のひとりだった。




 ◇ ◇ ◇




 渉真しょうまの部屋に目覚まし時計はない。机と棚とクローゼット、そして後は備え付けのベッドだけの簡素な部屋だった。

 休みの朝はいくらでも惰眠を貪れる理想的な環境であるが、規則正しいノックの音が渉真にそれを許さなかった。


「おはようございます。阪井さかい様」

「おはよう……真徒まと


 扉を開けると、休日の朝からきっちりとした身なりをした男子寮二号棟の同居人、1年S組の真徒まとが立っていた。居間のほうから、パンとベーコンの香ばしい匂いがする。

 眠い目をこすりながら、今起きたばかりといった格好の自分と比べて、渉真しょうまは軽く気恥ずかしさを覚えた。真徒まとはまったく気にしないといった様子で(真徒まとの表情が変わったことなど見たことはないけれど)、お辞儀した。


「朝食の準備ができました」

「ああ、うん、ありがとう。でも、休日くらいは、真徒まともゆっくりしたっていいんじゃないか」

「お気遣い感謝いたします、阪井さかい様。ですが、1日1時間の休止モードにより、私の稼働環境は最適化されております」

「……そっか」


 鯨渦くじらうず学園に入学し、この男子寮に越してきて1ヶ月。

 個性豊かな同居人との生活にも慣れたが、“通境者パッサー”とのカルチャーギャップはいつも思わぬところからやってくる。


夜乗よるの小靴おくつはまだ寝てるの?」


 洗面所で顔を洗い、少しはしゃっきりとした顔になった渉真しょうまは、居間を見回しながら言った。


「ええ。お二人ともまだお休みのようでしたので、阪井さかい様を先にお呼びさせていただきました」

「ぼくも、もうすこし後でも良かったんだけどな……」


 食卓の椅子に腰かけながら、こっそりと渉真しょうまはつぶやいた。


阪井さかい様は人間でいらっしゃいますから。早寝早起きが、健康的な生活習慣において重要かと」


 しっかりと聞こえていたらしい。

 真徒まとは皿を効率よく並べながら、渉真しょうまのつぶやきに律儀に答える。


「あ、ありがとう。でも、こう、何でもしてもらうと、その、自主独立の精神ってやつ? そういうのが育たないというか、逆にダメ人間になりそうというか」

「健康的な生活をサポートする。それが新埃舎しんあいしゃ製・家事援助自動人形としての私の役目であります」


 そう。 真徒まとは人の形をしているが、人ではない。平たく言えば、執事ロボットだった。


「でもさ、ほら、真徒まとはぼくをサポートする義務……みたいなものはないんじゃないかな。同じ学園の生徒なんだし」

鯨渦くじらうず学園は、“通境者パッサー”である私たちが、この世界の常識や慣習を学ぶ場でもあります。阪井さかい様の生活をサポートすることは、私にとってまたとない教育の機会でございます」

「ああ、うん……ぼくの意思は関係ないんだね」


 真徒まとは押しの強いロボットだった。

 異世界製のロボットは、この世界のものとは違う原則で動いているらしい。


「いえ。阪井さかい様は私のご主人様でございます。阪井さかい様の意思が私の行動原理であります」

「色々つっこみたいけど、ご主人様って」

新埃舎しんあいしゃは学生援助・異種間交流促進の一環として、在学期間中、鯨渦くじらうず学園に在籍する人間の生徒を対象とした、家事援助自動人形無料プランを提供しております」

「いや、だからそういう契約をした記憶がないんだけれど……」

「この学生寮に阪井さかい様がご入居なされた初日に、契約は交わされておりますが」

「――え?」


 渉真しょうまはあわてて記憶をたどった。

 入寮初日。たしか荷物を抱えながら、肘で玄関横のブザーを鳴らして――



『すみませーん。だれかいますかー?』

『――入寮者の方ですか』

『はい。今日からここに越してきた、阪井さかいっていいます』

阪井さかい、様ですね。確認いたしました。――それでは、もし何かご用命があれば、なんなりとお申し付けください』

『え? じゃあ、すみませんが、扉の鍵を開けてもらえませんか』

『かしこまりました、阪井さかい様。私は新埃しんあい真徒まと。以後、お見知りおきを』



「――って、まさか、玄関の鍵開けてもらったときに!?」

「はい。阪井さかい様は無料プラン対象者様で、私の支援を要請したことにより契約は完了いたしました」

「それは鍵がかかってたら、中から開けてもらうしかないじゃん! え? 『在学期間中』って言ってたけど、もしかして、あれだけの会話でこれからずっと?」

「はい。在学期間中3年間、毎日23時間のサポートプランとなっております。契約取消期間は4月中となっておりました」

「過去形?!」

「在学期間後も、月々お得な価格でサービスを提供させていただきます。卒業後も新埃舎しんあいしゃをどうぞごひいきに」

「宣伝?」

阪井さかい様。そろそろお食事を。朝食が冷めてしまいます」

「ああ……」


 まだ学生生活始まって最初のゴールデンウィークだというのに、卒業後のことまで考えて気力が何か削がれてしまった。渉真しょうまは、言われるまま、ナイフとフォークを手にとった。


「でも本当に毎朝、毎晩こんな至れり尽くせりだとダメ人間になりそうだ」


 トースト。ベーコンをそえた目玉焼き。コンソメスープ。ホットミルクがカップに一杯。

 シンプルだが実に食欲をそそるメニューがテーブルの上に置かれている。


「私のサポートに何か不備がございましたか?」

「不備がなさすぎて困るというか。卒業後はひとりでやっていくことになるんだから、後々困りそうだ」

「それはサポートの延長をお望みということでよろしいでしょうか?」

「よろしくない」

「それでは、自立支援プランなどございますが、いかがでしょう」

「え、なにそれ」

新埃舎しんあいしゃが提供する新プランでございます。料理、掃除、洋裁、ベッドメイキング等の家事を毎日の生活習慣に応じて、私たち家事援助自動人形により柔軟に指導させていただきます。お子様の教育に、新生活を始める方に、家事見習いをされている方に。月額1万8千円からプランをご用意しております。資料請求はお近くの新埃舎しんあいしゃ製自動人形まで直接お問い合わせください」

「……宣伝?」


 などと話していると、奥から足音がした。


「おはようございます。何か楽しそうですね、僕も会話に混ぜてくれませんか」


 夜乗よるのだった。

 同居人の一人で、渉真しょうまのクラスメイトでもある。

 ただいつも教室で見るような貴公子然とした制服姿ではなく、寝間着姿だった。


「休日とはいえずいぶんだらしない格好だな、夜乗よるの

「朝寝は休日の特権ですから」

「だってさ、真徒まと。この辺も柔軟に対応した方が家事援助ロボットとしてはいいんじゃないかな」

夜乗よるの様は夜型が基本ですので」

「実に柔軟な対応ですね」


 ねえ阪井さかい君と、夜乗よるのはウインクした。

 寝間着姿で髪も整えてないのに、腹が立つほど様になる。


「くっ……人間差別だ。悪魔め」

「僕は悪魔じゃないですよ。男夢魔インキュバスです。あ、砂糖は4つで」


 真徒まとが運んできたコーヒーを口につける様も悪魔的に優雅だった。

 それでは――と、給仕が終わると、真徒まとはキッチンへと下がっていった。


「インキュバスって悪魔とは違うのか」

「ええ、そのイメージは他ならぬ人間に押し付けられたものですよ。父親のいない妊娠をすればインキュバスのせい、夢精をすればサキュバスのせい。人間が認めたくない行為の結果を、悪魔の仕業として処理してきたというわけで」


 妊娠だの、夢精だの。あまり、朝食の話題には適していなかったかもしれない。


「ふーん、そういえば高根騒たかねさわも言ってたな。『妖怪や悪魔は人間や自然の鏡だよ』って」

「その通り。まったく一インキュバスとしては遺憾に思います」

「でも“多元世界統合ユニバーサル・コール”前の世界ならそういう人間の一側面を悪魔に押し付けてきたってことなんだろうけど、今だと現実にそういう悪魔が存在するからなあ……どうなるんだろう」

「おや。阪井さかい君は僕がそんな手当たり次第に人を襲うインキュバスに見えますか?」

夜乗よるのはがっつくタイプには見えないけどさ」


 容姿端麗、紳士的身のこなしな夜乗よるのは人類種の女子から絶大な人気を誇っている。べつに自分から襲わなくてもいい、実に羨ましい立場の悪魔だ。


「でも、インキュバスはそういうのが仕事というか、当たり前のことじゃないのか?」

「インキュバスである前に、この学園の生徒ですからね。校則は守りますよ。それにインキュバスといっても、ひっきりなしに女性を襲うってわけじゃないですよ」

「ああ、インキュバスだからってエロいことが大好きだとは限らないか。個人の性格は人間と変わらず、千差万別なんだ。そりゃ、そうだよな」

「僕はエロいことは大好きですけどね」

「……そっか。ん、じゃあ、さっきのはどういう意味なんだ?」

「インキュバスはエロいことするのにもひと手間要るんですよ。まず女性にエロいことするためには、男から精液を奪ってこなきゃいけません」

「男とそういうことするのってサキュバスじゃないのか」

「インキュバスとサキュバスは表裏一体といいますか。まずサキュバスになって精力のある男性から精液をいただきます。そして、今度はインキュバスとなって女性とエロいことをするわけで。ですから正確に言えば、交互に男性と女性を襲うというのが正確な表現です」

「そうだったのか……」

「ですので、女性とエロいことしたくなったらまず阪井さかい君の寝床にお伺いいたします」

「絶対っ、やめろ!」

「ですが、この寮で他に頼める相手がいませんし。小靴おくつさんはちょっとサイズが違いますし、新埃しんあいさんはロボですし。それに阪井さかい君にとっても悪い取引ではありませんよ」

「どこがだよ!?」

「生物学的に言えば子孫を残すことこそ生物の第一目的ですし、主曰く『産めよ、増やせよ』ですし。僕に身をまかせて頂ければ、阪井さかい君の遺伝子が地に満ちるというわけです。どうですか、このWin-Winの関係。魂など頂くことなく、神の御心にも沿う。これこそ僕が悪魔でないことの証左ですよ?」

「悪魔の囁きにすらなってないよこの悪魔!」


 怒鳴りすぎて喉が痛い。渉真しょうまはカップを手に取った。


「まあ、精液なくてもやろうと思えばできるんですけどね。ただ射精障害になるんですよ。サキュバス除けに小皿いっぱいのミルクを枕元に置くっていう伝承もあるので、もしかしたらミルクで代用できるのかもしれませんが」

「…………」


 牛乳には口をつけず、カップをそっと机の上に置いた。

 恨みをこめてにらんでも、夜乗よるのは何事もなかったかのような顔でパンをかじっている。

 その後もとりとめもない馬鹿話をしていると、


「朝から騒がしいのう」


 ようやく最後の住人、小靴おくつが居間に姿を現した。

 老人のような口調だが、渉真しょうまたちと同学年の1年L組の生徒である。むしろ、小学生のような童顔で、小人レプラコーンということもあって身長も渉真しょうまたちの腰ぐらいしかない。


「朝といっても、もう十時近いよ」

「十字!」


 渉真しょうまの言葉になぜか夜乗よるのが反応した。


「なんじゃい、いきなり大声あげて」

「いえ、十字架と聞くと鳥肌が」

「やっぱ悪魔なんじゃないか?」

「冗談です。僕は十字架なんて怖くないですから」

「夢魔は悪魔祓いを恐れず、聖なるものにも敬意を払わんと言うからの」

「ははっ、お恥ずかしい限りですが、インキュバスは悪魔のなかでも最も低い階級のものでして。逆に悪魔的感覚が鈍くて、そういうものが効かないんです」

「いま悪魔ってはっきり言ったよね?」

「それはさておき。小靴おくつさん、今朝は特に朝寝坊ですね。連休中とはいえ生活習慣の乱れはよくないですよ」

「夢魔に言われとうないわい。夜がわしらの活動時間じゃ」


 不機嫌そうにうなって小靴おくつは寝癖でぼさぼさの髪をかきむしる。おっさんのような言動だが、顔だちが幼いため、ふてくされてる子どものようにしか見えない。


小靴おくつ様、おはようございます。ただいまお食事を用意してまいります」


 キッチンから真徒まとが出てきた。


「いらん。人形の手は借りん。自分の飯ぐらい自分で用意するわい」


 しかし、小靴おくつはにべもない。真徒まとの方を見ようともしない。


「畏まりました。ご用件がございましたら、いつでもお呼び下さい」


 いつものように表情を変えることなく、真徒まとは奥の部屋に下がっていった。


小靴おくつ……機械が嫌いなのは知ってるけど、真徒まとは同じ寮生だろ。もっと、こうさ……」

「ふん。機械だろうとなかろうと、新埃舎しんあいしゃの連中は好かん」

「でもさ」

「まず、人を見下す姿勢が気に食わん。機械のくせにむだに身長のばしおって。小人ヒトを馬鹿にしとる」

「それはマジで言いがかりじゃないか」


 真徒まとは全長180cmの執事ロボットである。


新埃しんあいさんのボディはフットマン・モデルですからね」

「え、なに、ふっとまん? 執事じゃなくて?」

「男性使用人にはかわりありませんが、執事より下の従僕のことです。仕事は多岐にわたりますが、主人のお供をするため、見た目が重視されていたと言います。採用基準として長身であること、というのも重要視されていたとか」

「へえ。でも、フットと靴ならお似合いじゃないか。もっと仲良くしなって」

「ふん。靴のようにあの木偶でくの棒に踏まれてろというわけか?」


 どこまでも取り付く島もない小靴おくつだった。


「わしだってちょいと化ければ天井につくくらい長身に……いや、そこまでは足りんかもしれんが、背を伸ばすことくらい朝飯前じゃ。180センチあるからって、偉そうにしおって」

「正確には1828.8mmでございます、小靴おくつ様」


 ブツブツ言う小靴おくつに口をはさめず、カップに口をつけていると、ポットを片手に持った真徒まとが姿を見せた。

 どういう鋭敏なセンサーが働いているのかしらないが、カップが空になると、真徒まとはすかさずおかわりを持ってくる。


 『普段は姿を現さず影のように控え、しかるべき時に妖精のように仕えるのが、私の行動原理でございます』。

 

 機械である真徒まとは常々、自分を人助けをする妖精と表現していた。

 そして、妖精の末裔であるレプラコーンはといえば、


「ちっ、なにが1800ミリじゃ。わざわざ数を大きく表現しおって、嫌味か。人形らしくもない」


 不機嫌そうに毒づいていた。


「いや、真徒まとはミリ単位で表現することがベースなだけでさ、別に他意とかないんだよ」

阪井さかい様、お気遣いなさらずに。古式ゆかしい家内制手工業主義の小人族リトル・ピープルの方々による、弊社の先進的自動人形に対する様々なご指摘は、今後のサポート向上のため参考にさせていただいております。ですから、阪井さかい様が小靴おくつ様のご指摘に対し、前時代的発想によるラッダイト主義者的時代退行発言などとご意見なさる必要はまったくございません」

「あれ、真徒まと? なんかすごい悪意こもってない? それにぼくの意見を勝手にねつ造してない?」

「ほう、言ってくれるのう、二人とも」

「二人ともって」


 渉真しょうまのつぶやきを無視して、小靴おくつは腕を思い切り広げた。


「わしらが時代遅れじゃと? れ者め。伝統を蔑ろにすることなく、毎夜わしらは研鑽けんさんを重ねておるんじゃ。なにせ、昨晩もまた一つ新しい発明をしたところじゃからな」

「そういえば、昨夜も遅くまで作業なさってましたね。しかし、発明とは?」


 同じく宵っ張りの夜乗よるのが訊ねた。


「ふふん。そろいもそろって節穴ぞろいじゃな。わしの姿見て気づかんのか?」


 得意げな顔で胸を張る小靴おくつ

 心なしか、いつもより――


「何か、小靴おくつ……背、伸びてない?」


 レプラコーンは動物にも化けられる。身長くらいは朝飯前に変えられるのだろうか。

 と、小靴おくつの足元を見ると、もっと単純な種に気がついた。


「あ、その靴――」

「ほ、ようやく気づいたか。靴作りは我が種族の伝統文化じゃが、常に新しいとれんどを取り入れていかんとな」


 小靴おくつは得意そうに靴の踵を鳴らした。


「なるほど。それで厚底サンダルを」

「あつ、ぞこ……? 阪井さかい、いったい、何をいっておるんじゃ?」

「『何を』って、小靴おくつが新しいトレンドっていうから。昔話で小人がよく作る木靴とかじゃなくて、厚底サンダルを作ったんじゃないの?」


 小靴おくつが履いているのはファッション雑誌に載っていそうな、編み込みがお洒落な厚底サンダルだった。


「東洋の草履をいんすぱいあして、わしが昨晩考案してイグサを編み込んだ『上げ底草履』なんじゃが……」


 小靴おくつが恐る恐るといった口調で訊いてきた。


「もう――あるのか?」

「残念だけど、結構前からもうあるよ。しかも、レディース向け」

「れでぃーす……」


 小靴おくつは呆然としていた表情で立っている。

 どうやら余計なことを言ってしまったようだ。

 と、小靴おくつはおもむろにサンダルから足を抜いた。そして、裸足のまま床に座りこむ。


「えっと……これ」

「適当に処分しておいてくれ……わしはもう寝る」

「起きたばかりだろ! それに、靴の出来自体はすごく良いとおも――」

「では食後にゴミとして処理しておきます」

「判断クソ早いな真徒まと!?」

「粉砕処理には時間がかかりますので」

「その上、そんな徹底的にやらなくても……」

「見るに堪えない失敗作ということなので。阪井さかい様の目にこれ以上触れないように早急に処分するのが、家事援助自動人形として責務でございます」

「僕はぜんぜんそんなこと思ってないから! いい出来だから!」

「そうですね。小靴おくつさんの労作を無駄にするのはもったいない。サイズ的にも女性向けで、気になる異性へのプレゼントにいいかもしれません」


 夜乗よるのは床に履き捨てられた厚底サンダル、もとい『上げ底草履』を拾った。


「いや、さすがに小さすぎないか?」

「でしたら、将来生まれてくる子ども用に」

「やめろ。お前がいうと洒落にならない」

「子作りといえば、阪井さかい君」

「最低な振りだな、おい」

「産めよ増やせよ、産めよ増やせよですよ。それで、最近、クラスの女子と仲良くしてるらしいじゃないですか。それもかなり親密に」


 いきなり何を言いだすんだこの悪魔。


「初耳です」

「ほう。青春じゃな」


 そこに、野次馬精神とは無縁の真徒まとや、落ち込んで膝を抱えていたはずの小靴おくつが割りこんできた。


「……そんな興味をひくような展開はないって。昼一緒に食べて、放課後に学園散策してるくらいで」

「初々しくて眩しいですね。女子の手作り弁当とは。男子の夢じゃないですか」

阪井さかい様の昼食事情が改善されたということでしょうか。以前の阪井さかい様は学食や購買ばかりで、偏りのある食生活でした」

「青春じゃのう」

「だから、そんな大層なものを作ってもらうような関係じゃないって! 人未ひとみとは学食とかで一緒に食べてるだけで……」

「ヒトミ、ときましたか。あの大人しく、人とつきあうことにあまり積極的でない人未ひとみさんを呼び捨てとは」

「あー! だから、色々あって人未ひとみに、そう呼んでくれって言われただけだよ!」

「青春じゃな」「ですねえ」「人未ひとみ、様ですね。阪井さかい様の交友リストに登録いたしました。他に何か私が知っておくべき情報はございますか?」

「――だから顔を近づけて来るな!」


 どんどん近づいてくる寮の面々に軽くパンチを入れつつ牽制する。

 そこに、居間に備え付けられた黒電話のベルが鳴った。


「お待たせいたしました。鯨渦くじらうず学園男子寮二号棟です」


 鳴った――と思ったら、真徒まとが受話器を取っていた。

 つい今さっきまで、呼吸していれば息が届きそうな距離にいたはずだったが、さすが新埃舎しんあいしゃ製のロボット。行動が迅速だった。


「失礼ですが、お名前を伺ってもよろしいでしょうか? はい。畏まりました。少々、お待ちください」


 真徒まとは受話器を手でおさえ、渉真しょうまの方を向いた。


阪井さかい様にお電話です」

「誰から? ウチの親?」


 連休中くらい家に帰ってこいという電話はすでに何度か受けていた。夏休みになったら帰省すると言ったのだが――


「いえ」


 と、真徒まとは返事に一呼吸置いた。

 機械が一呼吸というのも変な話だが、それでも、何か意味ありげな一瞬の沈黙。

 そして、あくまで無表情のまま、真徒まとは続けて言った。



「――人未ひとみ様からです」




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