1 アームチェア・アルラウネ:「固い絆」
「人未さんと喧嘩したぁ?」
国立鯨渦学園、“架空公園”の高山テラス。
五月の澄み渡った空の下、アルラウネの少女、高根騒雨祢の素っ頓狂な声が響きわたった。
連休中ということもあって、いつもの制服ではなく白いワンピース姿である。スカートのすそからのぞく緑色の茎部分とのコントラストが鮮やかだ。
「いや、喧嘩したわけじゃないって。なんていうか、とつぜん人未が口きいてくれなくなった」
阪井渉真は困った顔で言った。
こちらも普段テラスに訪れる格好とは違って私服姿である。手には先ほど雨祢の用意してくれたハーブティーの入ったグラスを持っているが、口をつける気分ではないようだった。
「やっぱり喧嘩じゃんか」
「僕は喧嘩してるつもりはないんだけど」
「『そんなつもりはないんだけど』って。男はみんなそう言うんだよ。誤魔化さないで、さっさと君の犯した罪を白状するんだ」
「白状っていうか……まあ、僕も話を聞いてもらいたくて来たんだけどさ。高根騒に人未が何で怒っているかのか推理してもらおうかと思って……」
人未志牙は、渉真のクラスメイトであり、引っ込み思案な女食屍鬼であり、先日、『首吊りゾンビ事件』を通じて友人になったばかりであった。
日は浅いが大事な友達だと思っている。
そんな彼女がなぜとつぜん口をきいてくれなくなったのか。
思い当たることがないので、謎解きの得意な友人、雨祢に相談した渉真だったわけであるが――
うわあ……と、当の雨祢は気持ち悪い害虫でもみるような顔になって、地に根を生やしながらも渉真から最大限に身を引いてみせた。
「女子の繊細な心情を他の女子に推理してもらおうって……その発想ちょっとヒくよ、渉真君」
「し、仕方ないだろ。考えてもわかんないし、女子の友達とかあんまいないし……こんなこと、高根騒くらいにしか相談できなくて」
「ふーん、高根騒くらい――ね」
渉真の言葉をくり返す雨祢。
急に上機嫌そうな笑顔になり、かぶっている麦わら帽子のつばをいじりだした。
「ふふっ、全く渉真君は仕方ないなあ。まあ、友達の少ない渉真君のために、数少ない渉真君の友達であり、その中でも数少ない異性の友達である私がひと肌ぬいであげようか。なーに、友達が少なくたって卑下することはない。悩みを相談できる友達がひとりでもいるだけで十分さ。これは私の持論だけど、だからって私に友達が少ないってわけじゃないからね。そこは誤解しないでね。友達が少なくても渉真君には私がいるってことだけをちゃんと覚えていてほしいだけなんだ」
べつに男友達は普通にいるんだけどな。
と思いつつも、渉真は口には出さない。
「なんたって友達だからねえ。人未さんも私の大事な友達だし、放っておくのも友達甲斐がないよね」
何回、友達というワードをくり返すつもりだろうか。
何かトラウマがあるのかもしれない。
「さあ、渉真君。友達の私にきりきり話しておくれ。君が大人しい人未さんにつけこんでどんな狼藉を働いたか。じっくりねっとり、最初から最後まで」
「だから、そんな覚えはないって!」
「そんな覚えはないと言っても、渉真君は虫並に鈍感だからねえ。自分では気づかない内に恐るべきセクハラをしているかもしれない。たしか渉真君は蠅のごとく女子の排泄物に興味あるタイプだったっけ。人未さんに排泄物関連の話とか気軽にふらなかった?」
「風評被害甚だしいよ! 勝手に人をスカトロマニアにするな!」
「ああ、スカトロマニアは私だった」
「そういう告白もいいって!」
「告白するけど、君の排泄物が気になって、さっき渡したお茶に下剤を混ぜてしまった」
「なに混入してんだよ!」
「何と聞かれれば、知人のアサガオに分けてもらった種をすりつぶしたやつだけど……ちゃんと古い医学書にも載っている由緒正しい下剤なので安心してほしい」
渉真は思いっきりグラスの中身をテラスにぶちまけた。
「冗談だよ。私が君に他の花の種をごっくんと飲ませるなんて特殊プレイを試みるわけないじゃないか」
「よし。じゃあそこのティーポットに残ってるやつを自分で飲んでみろ」
「ののの、飲んでみろって、ななななんでそんなことを」
「わかりやすく動揺するなよ」
渉真はため息をひとつ吐き、
「――まあ、いつもみたいに馬鹿やって少し気が紛れたよ。ありがとう高根騒」
感謝の言葉を口にした。
わけもわからないまま人未が口をきいてくれなくなり、渉真は本気でへこんでいた。
いつも通り接してくれる雨祢の不器用な気遣いが、素直に嬉しかった。
「ああ、あ、ありがとう? そ、そうだよ。き、君を元気づけるための、ちょっとしたジョークさっ! 一度冗談にすれば安心して口をつけてくれるだろうなんて算段とか全くないんだからねっ」
高根騒はまだ動揺していた。
「…………おい。本当に何か入ってたのか」
「……入ってたのは私の葉っぱを乾燥させたハーブティーです。ごめんなさい」
「なんでいつもとは違う口調で謝るんだよ! マジっぽくて怖いよ!」
伝説の薬草であるアルラウネの葉。
なにかしら魔術的作用がありそうなのも怖いが、よく考えれば自分の身体の一部を飲ませようとした行為はもっと怖い。
「コワクナイヨ。むしろ整腸作用とかアルヨ」
「わかった。OK。高根騒。もう追及しない。人未の話をしよう」
「実は、私も人未さんの話をしたかった。切実に」
種族も性別も異なる二人。
そんな彼らの心がひとつになった瞬間である。
◇ ◇ ◇
「とりあえず、人未さんが口をきいてくれなくなった日の朝から話をしてくれないかな」
雨祢が腕組しながら真剣な顔で問いかけてきた。
腕組して真剣な顔で問いかけながら、根本から生えた葉っぱを器用に動かし件のティーポットを草陰に隠している。
「朝から――」
渉真は見ないふりをしながら、昨日の朝を思い返す。
そう、いつも通りの朝だった。
いつも通り、男子寮のメンバーとの朝食から始まった。
執事ロボットと、容姿端麗な悪魔と、童顔で老人口調の小人――
種族はもちろん、おそらく年齢も異なるのだろうが、渉真も含めて同学年の男子生徒として登録されている。
鯨渦学園ではごく当たり前のことである。
そんなごく当たり前の寮生とのごく当たり前の朝から始まった一日のはずだったのだが――