エピローグ
“首吊りゾンビ事件”――
危うく死にかけ、経緯も印象的な事件ではあったが、事件後の渉真の周りはといえば、相も変わらずといった感じである。
渉真の血を摂取したり、ゾンビ相手に大立ち回りを演じたり。志牙への『バケモノ』扱いがひどくならないかと、密かに心配していたが、周囲の反応は大人しいものだった。
詳細は伝わっていないし、そもそも事件が起こったことすら気に留めていないクラスメイトもいた。
変わったことと言えば、渉真たちがゾンビを撃退したということを『風の噂』で聞き、志牙にちょっかいをかけていた女子たちは、こそこそと距離を置くようになった。
結局、“通境者”だからとかではなく、志牙が大人しく反抗してこない相手だからターゲットにしていただけなのだろうと、渉真は思った。
志牙と昼に学食で食事をとるのが、ここ最近の日課にもなった。
『お弁当箱が戻ってくるまで、学食に、するの。阪井くん、案内……してくれる?』
渉真はもちろん請け負った。
学食仲間の只友は二人を見て、ふざけんな青春かよ畜生と、訳の分からないことを言っている。寮仲間の夜乗は、端正な顔に意味ありげな微笑を浮かべ、生温い目で見るだけで何も言わない。
そんなこんなで、事件から数日が過ぎ――
二人は、“架空公園”の高山広場、高根騒雨祢のもとを訪れていた。
◇ ◇ ◇
「渉真くん、人未さん。続報が来たよ」
会社員・茶谷直也氏の事故死と、ハマドライアド・沐木未齢氏の緊急対応について書かれた数行の記事が、新聞やニュースサイトで報じられていた。死体を吊るした行為については、“通境者”側に悪意はなく、むしろ賞賛されるべき行為であると、ある記者は締めくくっている。
ちなみに、渉真と志牙のことまで触れた記事は、ひとつもなかった。
「これで、一件落着ってところかな。沐木さんの行為について是非が問われたりもしてるけど、先に不法行為を働いたのは茶谷氏だし、死者への敬意は薄いかもだけど、ゾンビ対策として緊急的、人道的な行いではあるのは確かだし。特に罪にも問われないみたい」
雨祢は新埃舎のノートパソコンをしまいながら、言った。
「警察も、ぼくたちも、最初から沐木さんに聞けばよかったんだよな。『あなたが吊るしたんですか?』って。沐木さんからすれば、隠すことじゃないから、すぐに事件の真相が解明できたのに」
渉真は頷いた。
(――というか、高根騒も見当がついてたなら、最初から教えてくれればよかったんじゃないか?)
ふふんと、自慢げな顔をしている雨祢に、渉真は心の中で突っ込む。
「……でも、実際、沐木さんへの罰とかどうするんだろうな。刑務所に植樹するとかかな。そもそも逮捕とかどうするんだ」
ああ、警察と言えば――と、渉真はふと思い出し、
「人未。回収されてた弁当箱は戻ってきたの?」
隣に立っていた志牙に話しかけた。
「う、うん。実は、手ぬぐいだけ、持ってきたんだ。阪井くんに、見せようと思って……これ」
志牙は鞄から手ぬぐいを取り出した。淡い桃色を基調とした春を思わせる川辺の景色に、乳白色の雪が降っている。
「へえ……よく見ると、ちょっと不思議で、かわいい雰囲気の絵だな」
「わたしも、気に入ってるんだ……えへへ」
志牙が笑う。
尖った牙が口の端からのぞいているが、気にせず笑う。思わず、見ている方も嬉しくなるような、笑顔だった。
渉真も、笑う。
こほん。
と、咳ばらいが聞こえた。
「お二人さん、お二人さん。目の前にいるアルラウネを無視しないでほしいかな。それとも、なにかな。私はさしずめ壁の花ってことなのかな」
◇ ◇ ◇
「そういえば、阪井くん――」
その後、大いに無駄話をして過ごし(主に話していたのは雨祢だったが――『何か私ばっかり喋ってるねえ。人未さん、どうだろう。良ければ、親交を結んだ記念に何か話を聴かせてはくれないか。ん? 喋るのが苦手? そうか。まあ、沈黙は金というし、美徳だと思うよ。私は植物仲間からはお喋りが過ぎるとよく言われるしねえ。でも、もし口下手が気になるなら、まずは私たちに色々話してみるのも手だよ。慣れ次第でどうにでもなるからさ。それが難しい? それはそうか。じゃあ呪術なんてどうだろう。うろ覚えだけれど木の葉を舌の上に乗せると饒舌になるって呪いがあるそうだよ。沐木さんに頼んで分けてもらおうか。彼女の葉っぱならきっと何かしら御利益はあるだろうから』云々)、そろそろ帰ろうかというときに、志牙がぽつりと言った。
「一つ、わからないことが、あるんだけど……」
「え、何?」
事件についてわからないことは、僕より高根騒に聞いた方がいいのでは――
と思わなくもないが、志牙の言葉を待った。
志牙は真剣な表情で、
「――1分以内でトランプタワーを作る、って……どうすれば、いいのかな?」
「まだ考えてたの!?」
つい、オーバーリアクションをしてしまう渉真。
興味を惹かれたのか、雨祢も葉をわきわきと動かしながら身を乗り出してくる。
「トランプタワー? なになに? 首吊り事件のことと関係があるとか?」
「いや、関係ないただのクイズなんだけど……」
渉真は志牙を連れ出す口実に思いついたクイズの件を軽く説明した。
「ふーん。むむーん。難問だね」
雨祢の腰辺りを包んでいた草が丸まって『?』のかぎしっぽの形を作った。
「いや……だから、これ、いじわるクイズだから、そんな真面目に考える必要ないんだよ」
「いじわるクイズかあ。52枚のトランプ束を適当に半分に分けて、2つの束で三角形を作れば、52枚のトランプで1段目のタワーが1つ、10秒くらいで出来そうだけど……さすがに違うか。高さ的に見たってタワーじゃないし、最少ユニットじゃあ無駄に壁の分厚い掘立小屋ってところだよね」
「…………ああ、うん。それで正解」
あっさり答えを出した雨祢に、志牙は渉真の顔を窺い、渉真は気まずそうな顔で首肯した。
「正解なの? 何だ。考えて損しちゃった。全く、渉真君は」
「わ、私は、何日も、考えてたよ」
「……お手数をおかけして、申し訳ありませんでした」
いたたまれなくなって、渉真は謝った。
その姿が何だかおかしくて、志牙と雨祢も思わず同時に笑う。
仲良く、同じくらい笑って、そして、
「渉真君」「阪井くん」
二人の声が重なった。
思わず顔を見合わせ、そしてお互い、悪戯っぽい表情を浮かべる。
「今度は、私がクイズ出す番だよね」
「うん、わたしも……出したいな」
「え」
妙に息の合った二人の言葉に、間抜けな声をあげる渉真。
「答えられなかったら、おごってくれるんだったっけ。私は購買で有機肥料を買ってきてもらおうかな。お金が足りなかったら、渉真君謹製の肥料でね」
「高根騒さん、その、そもそもぼくが利用する購買にはですね、肥料なんて売ってないんですが?」
「私は、その、学食で、阪井くんのおすすめとか食べたいな……。つ、つきあってくれるよね?」
「人未、さん? あの、せっかくお弁当箱が返ってきたんですし、何というか、ほら……」
弱々しい渉真の声をかき消すように、二人は、思い思いに、とっておきの謎を口にした。