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迷惑よりの使者  作者: 藍澤ユキ
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第八章

第八章


 アヤメさんが姿を消してから数日が経った。学校には暫く休む旨の連絡があったそうなので、この世から綺麗さっぱりおいとましたわけでもなさそうだった。しかし、考えてみると僕はアヤメさんがどこに住んでいるのかも知らなかった。黙っていても勝手にやってくるので、僕の方から訪ねていったりしたことが一度もなかったのだ。そう思うと、無駄とはわかっていてもアヤメさんが住んでいる場所へ無性に行ってみたくなった。

 学園の学生課に掛け合ってみたが、案の定、教えてくれるはずもなく、けんもほろろな対応を喰らっただけだった。

 どうしたものかと途方に暮れていると、前から見覚えのある美少女が歩いてくるのが見えた。そうだ、彼女なら知っているかもしれない。

「郭町さーん!」

 僕はツインテールをなびかせて歩く郭町さんに声をかけた。

「アヤメさんがいなくなっちゃったんだ。どうなったか知らない?」

「ハーレム一号さんが、ハーレムの完成前に追い出されたってことなら知ってるよ」

「いや、それだいぶ間違ってるよ……」

 この人は伝言ゲームでもやったのかね。

「郭町さんはアヤメさんがどこに住んでいるか知ってる?」

「知ってるよ。ハーレム一号さんは障害になりそうだったから調べたの」

 やっぱり! ビンゴ!

「そこへ案内してくれないかな?」

「それはいいけど、月吉くんは知らないの?」

 それを言われると立つ瀬がない。思わす動揺してしまう。

「は、恥ずかしながら……」

 郭町さんは一瞬、さも意外だといった感じに目を見開いたけど、すぐに表情を緩めて続けた。

「じゃあ、一緒に行こうか」


 そうして、郭町さんに連れられてやって来たアヤメさんの住まい。


 ――僕んちの隣の家だった。


 いや、いつも来るのが早いなーと、ほら朝とか? 思ってはいたんだよね。

「って、それならそうと言ってよ郭町さんっ!」

「だって、案内してくれって言ったのは月吉くんでしょ?」

 まったく、と不機嫌になる郭町さん。確かにそう言ったけど、クルミんちとは反対側の隣だなんて思ってもいなかったからさ……。

 一応、インターホンを鳴らしてみる。反応なし。人の気配はしない。ドアにも鍵がかかっていた。

「やっぱりいないよね……」

「家宅捜索しましょ」

 そう言って郭町さんはポケットから鍵の束を取り出すと、手慣れた様子で錠をカチャリと開ける。

「あ、あの……郭町さん? なんで鍵を持っていらっしゃるんで……?」

「えっ? だって鍵がないと入れないじゃん? ――あぁ、そういうこと? 鍵って複製できるんだよ? 知らないの?」

 いえ。それは知ってます。あぁ、そういうこと? じゃないです。僕が訊いたのは、なぜ複製を持っているのか? ということの方でして……。僕の周りには変態兼犯罪者しかいないのはなぜっ!?

 郭町さんは僕の戸惑いと疑問についてはまったく意に介さず、ずかずかと家の中へ上がり込んでいく。迷う素振りもなく二階の右側の部屋へ入っていった。あー、よくご存知なんですね。でも、家に招かれたことがあるとかじゃないんでしょうね、きっと。

 郭町さんの後に続いて部屋へと入ると、そこはアヤメさんの匂いがした。胸がグッと締め付けられるような感覚がやってくる。匂いの記憶はかなり鮮烈で、一気に心が揺さぶられる。

 アヤメさんの部屋は整頓されていて、というよりも物がほとんどなく、生活感があまり感じられなかった。モデルルームの書斎のような印象を受ける部屋だった。そんな部屋の片隅にアヤメさんの制服が掛けてあった。この部屋の中で、制服だけがアヤメさんの存在を証明しているような気がしてじっと見つめていると、

「月吉くん。少しだけなら、くんくんすーはーしてもいいよ? 見なかったことにしてあげるから」

 郭町さんが何とも言えない表情を浮かべていた。

「いや、それじゃまるで僕が変態みたいじゃないか。やらないよ」

 あと、その可哀想な動物を見るような目はやめて。地味に傷つくからね。

「もうあとは、この家に目ぼしいものはないんだよね。前に探してみたことあるんだけど」

 あ、やっぱり家探ししてんだね。この人たちは影でなにをやってるんだか非常に不安だよ。

「どう? 納得できた?」

 郭町さんが僕の顔を覗きこんでくる。

「あぁ。ありがとう。悪かったね」

 認めるしかないようだ。アヤメさんがいなくなって、僕はどうしようもない喪失感を感じている。

「郭町さんたちも予測がはずれていたことは知ってるんだよね?」

 郭町さんがコクンと小さく頷く。

「予測と言えば、月吉くんのタマシイの欠片を持っていった人はこれからどう動くんだろう? そっちも混乱しているんじゃないのかな?」

 そうだ。あれからまったくその存在を現さないけど、最初の使者、彼女の目的は何なんだろうか。この事態は彼女にとって好ましいのだろうか。

「僕のタマシイを他の誰かに取られないようにすることの意味ってなんだと思う?」

「それは――予測されているとおりの未来を望んでいるってことでしょ?」

 そう。つまり、僕が人間を生成する技術を確立して、それをバラ撒くことを最初の使者も望んでいるってことだよね。でも、もう予測は変わってしまっている。最初の使者が現れた時点で、未来は変わってしまったんだ。

 僕が技術開発へ向かう動機はアヤメさんへの恋慕の情だと言っていたけど、よく考えてみると、それだってもう変わっているんじゃないだろうか。

 最初の使者の登場によって、未来はとても不確定で流動的なものになってしまったはずだ。

 今、この一瞬の決断で未来は変わる。

 なぜなら、僕が未来についての知見を得ている以上、結果はどうしたって変わらざるを得ないからだ。予測と同じ未来はもう来ないのだ。その前提に立って考えないと正解には到底辿り着けない。

 現状、例の技術が確立される未来を望んでいるのは、最初の使者と此岸の使者たちだ。

 でも、おそらく彼らも、予測と同じ未来はもう存在しないことに気付いているだろう。ただ、前例のない事態なだけに、対応に苦慮しているといったところか。

 であれば、いまが動くチャンスだ。

「郭町さん。この先は僕がどうするかで未来が変わってくることになると思う。郭町さんたちが望む未来だって、僕の胸先三寸ってことだよね?」

「そうね。月吉くんが開発する技術に限って言えばそうなると思う」

「じゃあ、アヤメさんを連れ戻してくれないかな? XYをちゃんと考慮するって条件で」

「――ついに改心してくれたんだっ! 男の子の魅力に目覚めたんだね!?」

 もの凄い勢いで目の前までやってきたね、郭町さん。いつの間にか手を取ってるし……って、顔が近いんだけど……。

「……いや、違うけど」

 条件言ったでしょ。それが動機なんだけど、人の話を聞いてた?

「んで、アヤメさんを連れ戻してくれるの?」

「任せて」

 そう言って郭町さんは薄い胸をドンっと叩いた。うん、ボリューム的には頼りない感じがするけど、それは言わないでおこう。

 さて、あとは最初の使者がどう出てくるのか……。最初の使者の行動原理はよくわからない部分が多くて、どうにも読めない。ひとつだけはっきりしていることは、僕が歴史から消えることを望んではいないということだ。

 ――待てよ。いままでその可能性を考えていなかったけど、僕が例の技術を確立させることと、最初の使者は無関係だったりはしないか? 僕のタマシイをリザーブしただけで、あとは一切関わってきていないという事実。望むべき結果へと誘導すべく関与をしてきてもおかしくないはずなのに、一向にその気配もない。現に他の勢力は積極的に関与してきているからね、それはもう必要以上に……。しかし、そうなると最初の使者の目的がわからなくなる。なにを望んでいるのだろうか……。

 そんな取り留めのないことに思考を巡らせていると、

「じゃあ、ちょっと行ってくるからね」

 横から郭町さんに声を掛けられた。

「うん。頼んだよ」

 僕がそう言うと、郭町さんはこの家の鍵を渡してきた。

「預けておくね」

 受け取りながら僕が無言で頷くと、彼女は玄関のドアを開けて出て行った。

 大きく深呼吸をして、僕もこの家を後にする。玄関を施錠すると鍵をポケットにそっとしまい入れる。この鍵がアヤメさんが帰ってくることの象徴のような気がして、ポケットの中でぎゅっと強く握り締めた。

 すると、隣にある僕の家の前で、クルミが誰かと一触即発の間合いで睨み合っているのが見えた。近づいていってみると、相手は高等部の制服に身を包んだ女子だった。栗色の緩いふんわりウェーブの髪に、初雪のような白い肌と印象的なアーモンド型の大きな瞳をしたスゴイ美少女だ。こんな美少女があの学園にいたなんて、なんで気が付かなかったんだろう。おかしい。さらに近づいて声を掛けてみる。

「あ、あのー、どうかしたの?」

 僕の声に反応して二人ともこちらへ半身を向ける。高等部の美少女が動いた拍子に、ふわっと甘やかな匂いが香ってきた。とその時、僕の記憶が強烈に揺り起こされた。最初の使者だ。間違いない。彼女は僕のタマシイをリザーブしている使者だ。匂いの記憶とは本当に鮮烈だ。

「クルミ。離れるんだ」

 僕はクルミと使者の間に割って入った。

「あーっ! 月吉こーたんだ! 相変わらずきゅっと引き締まったお尻のラインがかわいいよぉ! それに、まだ頼りなさげな薄めの肩なんて、もうたまんなーいっ! ねぇ? パンツはブリーフ派? トランクス派? それともボクサーなのかな? ねっ? ねっ? どっち? ツバサちゃん、気になるぅー!」

 ……だいぶウザい使者だった。テンション高過ぎ。クスリとかやってないよね?

「――ぶちのめす」

 横でクルミがトンファーを握り締めていた。そんな物騒なモノが標準装備だなんて……クルミさん、いったいどこへ向かっているの?

「えーっと、ツバサさん? でいいのかな?」

 自分を名前で呼ぶのは、いくらかわいくても幼児とアイドル以外は許されませんよ?

「ツバサちゃん。宮元ツバサちゃん。おかしいなー、前に言わなかったっけ?」

「たぶん言ってないと思う……」

 よく覚えてないけど、少なくとも記憶にはないよ。

「で、ツバサさんはなにが目的なの?」

「ちゃんだって! ツバサちゃん! 怒るよ、こーたん?」

「……じゃ、じゃあ、ツバサ……ちゃんの目的は何なの?」

 なぜかトンファーの先端が脇腹に当てられているね……どうしたのかなクルミさん?

「こーたん、女の子と仲良くし過ぎ! そんなんじゃぜんぜんだめだよ! ツバサちゃんは気に入らないよ? だから、こーたんの周りから女の子を排除しにきたの♡」

 そう言うや否や、ツバサさんが黒い左腕を振り上げてクルミに襲いかかってきた。

 クルミは寸でのところで黒い左腕をトンファーで受け止める。そして、素早くトンファーを回転させると強烈な一打をツバサさんの左腕にお見舞いした。いや、マジすげー。クルミさん格闘家ですか? それにしても何の躊躇いもなく叩き込んだね。フツー折れるからね? それができちゃうあたりに若干恐怖を覚えるよ……。

 しかし、ツバサさんにはそんな攻撃は効いていないようだった。まぁ、フツーじゃないもんね……。

「残念だけど、ツバサちゃんはねー。人間による物理的な攻撃ではダメージを受けないよ?」

 ツバサさんがきれいな顔に、憎らしいニヤニヤ笑いを浮かべる。

 マズイぞ。クルミでは使者に勝つことはできない。ってか、人間にはムリっぽいな。

 ツバサさんがクルミを一度掴んでから乱暴に突き倒した。酷薄な笑みを浮かべて倒れこんだクルミを見下ろしている。

 やられる。そう思った瞬間、反射的に僕はクルミに駆け寄って覆い被さっていた。

「んーっ! こーたんの勇気ある行動にツバサちゃん感激だよー! プルプルきてオシッコちょろっと漏らしちゃいそーになっちゃった! でも、ゴメンねー。ツバサちゃんの腕は人体を透過しちゃうんだよね。ざーんねん! ムダだったね♡」

 絶対絶命ってやつだ。打つ手はもうない。ごめんクルミ。そう思いながら、ふと下になっているクルミを見下ろすと、彼女の視線はあらぬところへと注がれていた。なんとなくつられて同じ方向を見てみると、そこには我らがおねいちゃんが偉そうに腕を組んで仁王立ちで構えていた。

「――こーちゃん、カッコいいー! おねいちゃんは感動したよ。でも、オシッコはチビらなかったけどね!」

 そう言ってアヤメさんは、にかっと微笑んだ。正義のヒーローみたいなタイミングでやってきたよ、この極悪人は。でも、ちょっとだけカッコいいかも、トリハダもんだ。チビらなかったけどね。

「さぁーて、洗いざらい喋ってもらおうかな、ツバサちゃん」

 黒い左腕をブンブン回しながら近づいてくるアヤメさん。どうしても悪役っぽいんだけど気のせいかな?

「アヤメちゃーん。帰ってきちゃったんだね。でも、ツバサちゃんの邪魔はしないでほしーなぁ」

 黒い左腕の人差し指を顎に当ててカワイイポーズ。ちっ! ホントに絵になるからちょっとムカついてくる。

 そのまま二人は間合いを詰めていくと、パワー比べのように両手で組み合った。

「ツバサちゃん、指が太いんじゃなくて?」

「あら、アヤメちゃんこそ二の腕が太いんじゃない?」

 ――みみっちぃけなし合いが始まったよ。

「アヤメちゃんのお肌はなんだかガサガサー! 若さが感じられないよー?」

「いやー、ツバサちゃんの目尻の小皺には負けるかなぁー!」

「なんなのっ!?」

「あんだよっ!?」

 ある意味、フルコンタクトより生々しいリアルファイトだね、これ。

 どうやら力くらべでは互角なようで、両者とも口以外は動きがない。膠着状態だね。

 すると、アヤメさんが突然ニヤリとしたかと思うと、あろうことか勝利宣言を始めた。

「なかなか面白かったけどね、あたしの勝ちだよ、ツバサちゃん。おとなしく帰ってエステにでも行ってきなよ」

「冗談は顔だけにしておけって、みんなに言われたことないのかなー? アヤメちゃんは?」

 負けじとツバサさんも悪態をついて反撃する。その次の瞬間、唐突に空から何かが降ってきた。そのまま凄い勢いでツバサさんの上に落下をすると、彼女を派手に押し潰した。

「ったーい! なにすんのぉ!?」

「――我々の崇高な悲願達成のためなら、何だってするの」

 郭町さんだった。流れるように素早くツバサさんの肩と肘をキメる。使者の身体構造は人間と同じなのだろうか。僕がその時思ったことはそんな疑問だった。

「はい、あたしの勝ちぃ!」

 傍から見ても憎たらしく思えるほどの嘲笑を浮かべて、アヤメさんがツバサさんを見下ろす。

「んで、なんで、こーちゃんのタマシイをリザーブしたの?」

 ツバサさんが苦痛に可愛い顔を歪める。

「ほれ、言わないと腕が大変なことになっちゃうよ?」

 アヤメさんが人差し指をツバサさんの頬にうりうりと押し付けると、郭町さんがまた少し腕に力を込める。

「わかった! わかったからぁ!!」

 眉間にシワを寄せながらツバサさんが渋々質問に答える。

「――勇×公は正義。このカプは譲れないの……」

 ん? なに? どーいうこと? 僕が首を傾げていると、クルミがやってきてゴニョゴニョと耳打ちをしてまた離れていった。

 ふむ。どうやら、僕と勇太とのカップリングのことらしい……って、

「――コイツ腐ってやがるぅぅぅっ!!」

「勇×公を台無しにすることは許さないんだからっ! だから誰もじゃまできないように、こーたんのタマシイをリザーブしておいたのぉ!」

「そんな理由かよぉぉぉっ!!」

 なんだ、この人もただの変態だよ!。この脱力感をどーしてくれるんだ!?

「線が細目で優男の優柔不断なこーたんが、少し悪っぽいオレについてこい系のゆーたんに荒っぽく強引にグイグイ迫られて、こーたんは徐々に自分の本当の気持ちに気づいていくのー! きゃー! いいわぁ!」

 うわぁっ! もうやめてぇぇぇっ! 勇太の顔をマトモに見れなくなるよ!

 すると、アヤメさんが肩をプルプルと震わせながら僕を見つめてきた。

「――こーちゃん。これは……愛だよ! 輝いてるよ!」

「なに言ってんのアヤメさん……?」

 いや、ある種の愛だとは思いますけどね。

「あたしは感激したよ。こーちゃんをこんなにも愛に満ちた眼差しで見守ってくれてる人がいたなんてっ!」

 何かが違う邪な愛だと思うの、それは。

「同年代男子から年少男子へのシフトもあり得るか……」

「あり得ないからっ!」

 郭町さん。そこには期待しないで。たぶん応えられないからね。

「それはそうと、ありがとう。郭町さん」

 アヤメさんを連れ帰ってきてくれたし、ピンチも救ってくれたし、本当に感謝しているよ。

「ちょっと手間取ったけどね、わたしとしては約束さえ守ってもらえれば何の問題もないから」

 そう言って郭町さんは天使のような微笑みを返してくれる。なぜだろう、こんなに素敵な笑顔だというのに、背筋に悪寒が走るのは……。エライ約束しちゃったような気もするけど、あの時は仕方がなかったからね。不可抗力ってことにしておこう。

 そう、そして、僕は感謝を伝えなければいけない人がもう一人いるのだ。

「アヤメさん。帰ってきてくれて……その、ありがとう」

 素直な気持ちが抵抗なく言葉になった。でも、言ってから猛烈に恥ずかしくなってきた。

「寂しかったぁ? こーちゃん。ごめんねぇ。報告しに行ったら彼岸の連中がなかなか帰してくれなくってさぁ、そしたら、ちょうどいいところにさっちゃん来てくれたから身代わりに差し出して逃げてきたんだよね。まぁ、結果的には時間差攻撃になったから万事オーケーでしょ!?」 

 得意げに胸を張るアヤメさん。相変わらずデカイのは態度だけじゃないようだね。しかし、郭町さんが手間取ったって言ってた理由はそれか……助けに来てくれたのに、相変わらずの鬼畜ぶり。

「んで、いなくなってみて、あたしのありがたみが少しはわかったかな?」

 ニヤニヤ笑いを浮かべながら、アヤメさんが僕の顔を覗きこんでくる。

「ありがたみは、ちょっと――わかった」

 なんでこんな恥ずかしいこと言ってんだ、僕は。

「へっへーん。素直でよろしい。かわゆいねぇ」

 締まりのない声でそう言うと、アヤメさんは僕の頭をなでなでする。なにこれ、死ぬほど恥ずかしいのに抵抗できない。

「わたしにも素直に接してほしい。アヤメ先輩だけズルい」

 人が赤面しているところへ、おぶさってきた物体があった。クルミだった。そして超近距離撮影。シャッターを切りまくる。

「照れ照れのこーくんを激写。ユカちゃんに見せなければ」

 いや、いちいち母さんに見せるのはやめてよ。あ、ユカってウチの母です。

「消すんだクルミ! 僕の恥を最大化するなよ!」

「断る」

 そんなやり取りをしていると、ぇぐぇぐっと嗚咽が聞こえてきた。まだ郭町さんに組み敷かれたままのツバサさんだった。

「あー、もー、しょうがないなー。今度、写真集作ってあげるから、それで我慢しなよ?」

 アヤメさんがしゃがみこんでツバサさんに話しかける。

「えっぐ……ホント?」

「あぁ、優秀なカメラマンもいることだしね。任せなさいって」

 そう言うとアヤメさんはクルミに目配せをする。こくんと頷くクルミ。なんだかいいコンビになってきたね。さて、そろそろ確認しておこうか。


「ところで何の写真集なの?」


  ――暫くは夢に見るかもしれない。一斉に僕へと向けられた荒ぶるケモノたちの鋭すぎる眼光を。


「ところで、つばささん。僕のタマシイの欠片をちゃんと返してよね」

 こいつを忘れるわけにはいかないからね。またどんなトラブルになるのかわかったもんじゃない。

「えっ、んー。ホントに写真集作らせてくれる?」

 憂いを含んだような上目遣いで、つばささんが僕を見つめてくる。その大きな瞳は涙で潤み、強烈に庇護欲を掻き立ててくる。これまでと打って変わった殊勝な態度に、不覚にもドキリとしてしまった。

「あ、うん。まぁ……」

 あーぁ、約束しちゃったよ。

「ほら、こーちゃんがそう言ってるんだから、早く返しなよ」

 アヤメさんが指先でちょんちょんと、つばささんの頭を小突く。

「うー、わかったよぉ」

 そう言って観念すると、つばささんは黒くなった左腕を僕の胸に突き立てた。

 腕がゆっくり胸に沈んでいくと、疼くような鈍痛が胸に広がった。取られる時のような激痛は、もうこりごりだよ。

「未来ってさ、自分が今をどう過ごすのかで変わっていくんだね」

 唐突にアヤメさんが感慨深そうに呟いた。

「そうだね。たぶん、未来なんて存在していなくて、いまこの瞬間にどんどん作られているんだと思う」

 そう。僕の決断が、行動が、僕の未来を作る。誰かが決めるわけじゃないし、用意されているわけでもない。

 過去は変えられないけど、未来は変えられる。そんな言葉を耳にする度に、なんとも陳腐なセリフだと軽んじてきたけど、今は実感を持って同意できそうな気がする。

「僕は自分の未来は自分で作ることにするよ」

 そう言いながらアヤメさんを見ると、ニコッと優しく微笑んでくれた。

 そんな話をしていると、つばささんの黒い左腕が僕の胸からすっと離れた。欠片を戻し終わったようだ。 気のせいか胸の辺りが温かくなってきたように感じる。

 これでようやく僕は完全な『僕』に戻ったのだと感慨に耽っていると、

「もらったーっ!」

 いきなりアヤメさんの左腕が僕の胸に突き立てられた。

「うぎゃぁーーーーっ!?」

 激痛が僕を襲う。痛い痛い痛い痛いイターいっ!!

 あまりの痛さに意識が遠のき始める。

「なんで………アヤメさん……?」

 意識を手放そうとしたその瞬間、バッと黒い腕が僕から離れた。

「しっかりしろっ! こーちゃん!!」

 アヤメさんにガクガクと肩を揺さぶられる。遠のきかけた意識が急速に戻ってくる。こめかみがズキズキする。

「んっ、んー。なんだっていったい……」

 軽く頭痛がするのを知覚しながら、アヤメさんに批難の目を向ける。

「ごめんねー、こーちゃん。欠片はあたしが預かっておくことにしたから」

「はぁ!? なんで!?」

 せっかく取り戻した僕のタマシイなのに!

「だってさー、弱みを握っておいた方がスムーズでしょ、いろいろと♡」

「いろいろってなにさーっ!?」

 なにをしれっと言っちゃってんのさ、この人は!?

「これで、こーちゃんはあたしには逆らえないないわけで……ふふふ」

 いや、いますんごい悪い顔してるよアヤメさん。鏡を見せようか?

「いい話っぽくなりかけてたのに全部台無しだよーっ!」

 最後は我欲ですか!? 我欲!?

「大丈夫。みんなにはいい話だと思うよ? それぞれ要求事項を出してもらって、それをこーちゃんには実行してもらうから」

 あんた、僕を殺す気ですか。

「まずは、つばさちゃんの約束からねー」

 アヤメさんは嬉しそうに、変な節をつけながらそう言った。

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