第六章
第六章
「こーくん。わたし部活だから今日は一緒に帰れない」
HRが終わって石原先生が教室から出でいくと、クルミが僕の席へとやってきた。
「あれ? 部活まだやってたの?」
いつも監視されてるから、てっきり暇なのかと思ってたよ。
「みんなが幽霊扱いしてくる。脚あるのに」
そう言ってクルミがスカートの裾を少したくし上げて脚を見せてくる。
「いや、クルミ。それは比喩というものだよ……」
幽霊部員って意味を知らないのかな? しかし、スベスベしてそうな脚だなってダメじゃないか僕。
「ほらクルミ。行くよ」
横から今成さんがクルミを促す。この今成ユキさんはクルミと同じ写真部で、郭町さんが来るまではぶっちぎりで男子の人気ナンバーワンだった美少女だ。サイドテールのぴょこんと揺れる綺麗な髪に快活な笑顔。それになんといっても年齢以上に発育が順調な胸。かわいそうに郭町さんでは比較にもならないよ。
「じゃーね、月吉くん。あたしらもう行くね」
今成さんがクルミの襟首を掴んで引きずるように連れて行く。
「あ、あぁ。じゃあ、よろしくね」
クルミが引っ張られながら力なく手を振る。
よし。これでアヤメさんと郭町さんを撒けば僕は自由だ。
隣の席の郭町さんを見ると、クラスの女子となにやら雑誌を見ながら盛り上がっているご様子。
「……このズボンの喰い込みが……って、……よね。……産毛が……薄っすら……はぁはぁ……」
――よし。見なかったし聞かなかった。
あれはたぶんママさん向けのキッズファッション誌だよね……。使われ方としては想定外だろうな、きっと……。変態にかかれば何でも有害図書だ。
まぁ、これで二人脱落とみていいだろう。いや、やっぱり念のために郭町さんは通報しておくべきだろうか。変態に情けは無用。美少女の外見に騙されてはいけない。
そう思ってスマートフォンに指をかけようとしたその時、僕のズボンに指がかけられた。
「こーちゃん、帰ろ♡」
甘かった。そのまま中へ手を滑らせてくる。それ以上はデンジャラスゾーンだアヤメさん! とても公衆の面前では容認できないよ!
そこへ何故かタイミング悪く引き返してきた石原先生が現れた。
「つ、月吉くん……そういうことは教室ではちょっと……我慢できないお年頃なのはわかるんだけど……」
違うから。我慢できないとかじゃないからね!? 見ればわかるでしょ!? 襲われてるのはこっちだから!!
「ほら、こーちゃん。先生も教室じゃなきゃいいって言ってることだし、早く帰ろ♡」
「言ってないから! 先生そんなこと言ってないよ!?」
「ん~家とかならいいんじゃないかなぁ……って、先生個人的には思うんだけどね。だって言わなきゃわからないもん」
おいこら。立場上、なんかいい話っぽいこと言って、うやむやのうちに収めるとか何とかあるでしょ!? 教師スキル発動でしょ、ここは!?
「ですよねー、なんでもバレなきゃいいんですよねーセンセ」
いや違う。断じて違いますよアヤメさん。先生だって否定するはずだよ!
「じゃ、月吉くん。バレないようにねー。いいなぁー若いって」
「せんせ、っもがんがっ……」
アヤメさんに口を塞がれてくぐもった声が漏れる。
「センセーさよーならー」
ぐいぐいと尋常ならざるアヤメさんの怪力に引きずられながら教室を離れる。 タスケテ……。
* * *
「こーちゃん、ほら、キビキビ歩く!」
アヤメさんに無理矢理連れて行かれて、気が付くと駅前まで来ていた。
「どこに行くの?」
行き先もわからないまま無理矢理――これはこれで個人的には捗るシチュエーションだったりする。
「そこよっ!」
アヤメさんがしゅびっと指を指したのは、キツネやタヌキが出る場所に積極出店している某ショッピングモールだった。
「何しに行くの?」
訝しげな顔をしているとアヤメさんが答える。
「いや、クラスの生徒の多くが放課後にモールへ行くらしい、ということがわかったのよ」
知ってた。地方都市の中高生なんて、みんなそんなもんでしょ。
「青少年の生態を把握してトレースすれば、こーちゃんもロリコンの道に足を踏み外さないのではないか、とおねいさんは考えたのだよ!」
アヤメさんがスゴイ発見でも説明するかのようにまくし立てる。
「――んで、本音は?」
「一度行ってみたかった」
はい。素直でよろしい。
「別にそう面白いところでもないよ?」
何事も過剰な期待は危険だ。期待値のコントロールって大事だからね。
「いいからいいから、面白いかどうかはあたしが決める」
それは正論だ。そいつは他人が決めることじゃない。その目で見て判断してもらおう。
モールの中へと入ると、空想の街が永遠と室内に続いているかのような、奇妙な感覚に捉われる。華やかな別世界だ。でも、どうしても拭うことのできない作り物感に、少し落ち着かない気分にさせられたりもする。しばらくすれば、そんな微妙な感覚も潮が引くように薄れていき、純粋に楽しい気分がやってくる。
「うっわー、すげー」
アヤメさんがぽかーんと口を開けて目をパチクリさせている。そういえば、この人はここの社会の住人ではなかったのだ。僕らが見慣れたこんな光景に、必要以上に驚いたとしても不思議はないかもね。
「いやー、こーちゃん。人間ってのはスゴイよね。自分たちで欲望を創り出して、自分たちで消費しちゃうんだもんね。ある意味、究極的な自作自演だよ。それを繰り返してここまでやってきたんだー。はぁー、スゴイわ」
なんでだろう。微妙にシニカルに聞こえるな、アヤメさんによる人類論は。素直に喜べない気がする。
「ひゃー、これカワイイっ!」
雑貨店でアヤメさんがネコのキャラクターがあしらわれたトートバッグを手にして嘆息する。
意外にファンシーな感じのやつが好みとは……アヤメさんの印象がちょっと変わってくるな。
その後もアヤメさんは、あっちへフラフラこっちへフラフラしながら、珍しそうに眺めたり手に取ったりしていた。すると、突然、ある店の前で足を止めて、じーっと注意深く観察をしてからこちらを振り返った。その目には何とも形容し難い歓喜の色が浮かんでいる。
「こーちゃんっ! あれっ! あれ食べようっ!」
盛んにアヤメさんが指差しているのは、関西人がそのカリカリ具合から絶対に認めないという某たこ焼きだった。僕的には外はカリカリ、中はトロトロで美味しいと思うんだけどねぇ。
「食べてみたかったんだよねー!」
もう、いまにもヨダレを垂らさんばかりの勢いでアヤメさんが店先に張り付く。
「じゃあ、食べようか」
お店の人に注文をすると、いまちょうど焼いているところだった。香ばしい匂いが漂ってきて唐突に意識していなかった食欲が呼び起こされる。
お店の人が手首をくるっと回して器用に生地を丸くしていく様子を、アヤメさんは食い入るように見つめていた。その彼女の横顔はいつもの勝気な雰囲気がなりを潜め、柔らかく、そして、とても美しかった。僕は瞬きも忘れて思わず見惚れてしまった。
僕の知っているアヤメさんは、当たり前だけど全部じゃない。そのことをすごく意識させられた。
やがて僕らの前に、ソースとマヨネーズの上でカツオ節が踊るカリカリトロトロのたこ焼きがやってきた。アヤメさんは縦横斜めとあらゆる方向から舐め回すように観察すると、
「た、食べてもいい?」
っと、目を輝かせて尋ねてきた。
「どうぞ召し上がれ――」
アヤメさんの無邪気な様子に、なんだかこっちが嬉しくなってしまう。
「――熱いから気をつけ……」
そう言い終わる前に一口でいってた。
「っふぐぅぬーーーーっ!!」
アヤメさんは瞳が飛び出すんじゃないかというぐらいに目を大きく開けて、真っ赤な顔をしながらハフハフやっていた。
「あふいあふいっ!」
今度は目に涙を溜めながら、ぴょんぴょん跳ね回り始める。
アヤメさんには悪いんだけど、その様子が僕にはおかしいやら可愛らしいやらで、思わず頬が緩んでしまった。 一緒に買ったラムネを手渡すと、アヤメさんは涙目になりながらグビグビと喉を鳴らし始める。
「っんぱーっ! あに笑ってんのさー!? こーちゃん!」
アヤメさんは熱さをどうにかやり過ごすと、笑って見ている僕に絡みだした。照れ隠しなんだろうけど、そんなアヤメさんはなんだか可愛らしい。
「人の忠告をちゃんと聞かないからだよ」
「もー、口の中がベロベロになっちゃったよ」
そう言いながら、舌で口の中を確認している様子のアヤメさん。
「どう、美味しかった?」
たこ焼きから手荒い洗礼を受けたけど、どうだったのかな?
「すんごい、美味しかったぁー♡」
反芻するように口をモグモグ動かしながら陶然とした表情でアヤメさんが答える。
「まだあるから、あとは全部どうぞ」
まだ湯気を立てている熱々のたこ焼きを容器ごと差し出すと、アヤメさんは素早くひとつ口に放り込んだ。学習しない人だね……。
「あつっ! あつっ!」
っと性懲りも無くまたやり始める。そのままラムネを飲むと、
「これが醍醐味ってやつだね」
そう言ってうんうん頷いている。
こんなに喜んでもらえるとは予想してなかったよ。すると突然、
「こーちゃん。はい、あーん♡」
目の前に一個のたこ焼きが持ち上げられた。
「ほら、あーん。落っこちゃうよ?」
小首を傾げながら無邪気な視線を向けてくるアヤメさん。
いや、でも、こんなに人がいる場所で、そんな小っ恥ずかしいこと……。
そんな葛藤をこねくり回していると、ムギュッと強引に口に押し付けられてきた。
「あーんっ」
そこには有無を言わさぬ迫力があった。
なので、おとなしくたこ焼きさんを口中に迎え入れました。
「おいし?」
「はふ、おいひーれす、はふ」
たこ焼きはまだまだ熱々だった。
食道を下りて胃に収まるまで熱さを堪えていると、ラムネが差し出されてきた。
受け取ると、チリンっとガラス瓶をビー玉が鳴らす。
――さっきまでアヤメさんが飲んでいた瓶。
なんだか急に意識をして、手の動きが止まってしまう。
以前、お茶のペットボトルで似たようなことがあったけど、あの時とは全然違う。なんだってこんなにドキドキしてんだろ……。
チラッとアヤメさんを見ると、ニコッと微笑み返された。
慌てて目を逸らす。顔が赤くなるのが自分でもわかる。
小さく息を吐いて覚悟を決めると、そっと瓶に口をつけた。
そのまま瓶を傾けると、ラムネの甘さが口の中に広がっていく。
――ラムネってこんなに甘かったかな……。
そのあと、いろいろと話をしながら館内を回って帰ったけど、記憶がふわふわしていて何を話したのかよく覚えていない。
* * *
翌朝、パシャ、パシャっというシャッター音で目が覚める。寝ぼけ眼をなんとか見開くと、制服姿のクルミとアヤメさんが、カメラの液晶画面を覗き込みながらキャッキャやっていた。
「これいいじゃんっ! クルミちゃんやるねー」
「うん。これは会心の出来」
「ヨダレを垂らす無邪気な寝顔と、暴力的に屹立する下半身のコントラスト……いいじゃんいいじゃん」
「そんなに褒められると照れる」
この二人、けっこう仲良いんだね。争ってたのにね。
もう二人が部屋にいるぐらいじゃ、まったく驚かなくなった僕は感覚が麻痺してるんだと思う。
ふと、時計を見ると針は五時を指し示していた。
「あのさ……早過ぎない?」
「おっはよー、こーちゃん。写真撮影に動揺しないあたり、だいぶ調教されてきたね?」
「撮影して選定もしないといけないから早く来た」
「――データは消すからね」
ピクッと二人の動きが同時に止まる。交わされるふたりの視線。
「散開っ!」
あっ! 逃げたっ! ちょ、朝っぱらから人んちの階段をドタバタやらないでよ! かなり迷惑だよ!?
って、マズイ! データを消さないと僕が危ない! あいつら何に使う気なんだ!? 急いで追いかけないと!
慌てて制服に着替えて二人の後を追うべく階段を駆け下りる。玄関が開け放たれている。よほど慌てていたのか……いや。僕は騙されないぞ。これはさも慌てて出て行ったように錯覚させるためのトリックだ! 二人はまだ家の中にいるに違いない!
玄関をやり過ごしてリビングの扉を開ける。
「やっぱりいたっ! って、ちょっと、母さん。何やってんのさっ!?」
変態二人と一緒に母親もカメラを覗き込んでキャッキャやっていた。
「こんなに立派になっちゃって。母さん嬉しいわぁ」
こんなに小さかったのに、っと言って人差し指と親指で二センチほどの隙間を作る。何が小さかったのかはもう聞くまい。
「意見が一致した。コンテストはこれで応募する」
クルミがカメラからSDカードを取り出した。あれを回収しないと僕に明日は来ない。回収だ回収!
クルミに飛び掛かろうと四肢にチカラを込めた途端、アヤメさんに腕を掴まれた。
「そーはイカのキャン玉の煮っころがしよ、こーちゃん」
「なに、その下品なフレーズは!?」
とか言ってる隙にクルミがダッシュでリビングを駆け抜ける。
しまった! 逃げられた!
アヤメさんを振り払おうとすると、逆にチカラいっぱい頭から抱きしめられた。
アヤメさんのぷよんたゆんとした身体の一部に顔をうずめる。
あれ? 普通もっと被さってるヤツの硬さとかゴワゴワ感とかワイヤーとかあるんじゃないの? えっ!? いや、ネットの知識だけどね!?
でも、なんの抵抗もなくぷよんたゆんとするってことは……。
――ノーブラですかぁぁぁっ!?
ホントにそんな人いるんだ……都市伝説かと思ってたよ。
……動けない。可能な限りこうしていたい欲求に逆らうことができない。し、深呼吸しちゃってもいいのかな? す、するよ?
……すぅー……湿り気のある暖かい空気を大きく吸い込む。
……はぁー……肺いっぱいに溜め込んだ空気をゆっくりと吐き出す。
シャンプーの香りに混じるアヤメさんのほのかな肌の匂い――。
頭がぼーっとして思考が停止していく……。
「どう? こーちゃん。なかなか悪くないでしょ?」
いや、サイコーです。たまらんですよ。ずっとこうしていたいです。
あぁ、ぶよんたゆん……ってそうじゃなかった! クルミを追いかけなければっ!
絶対的な誘惑を振り払って、慌てて玄関へと向かう。
「っちょ、こーちゃん――」「いってらっしゃーい」
アヤメさんと母さんが何か言っていたがこの際スルーだ。
表の一本道に出てみるが、とりあえず視界にクルミはいない。なんとしても捕まえないとアウトだ。
「クルミぃぃぃっ! 逃がさないぞぉ!」
全速力で追走し始める。まだ間に合うはずだ。
息を弾ませながら学校に到着すると、すぐさま写真部の部室へと向かった。
「返してもらおうかクルミ!」
どーんっと写真部の部室に乗り込むと、数人の部員たちがポカーンと僕の顔を見つめ返してきた。
「……えっと、氷川さんなら来てないけど」
その中のひとり、メガネくんが答えてくれる。
「えっ……?」
てっきり部室へ行ったんだとばかり思っていたけどちがうのか!?
「――ごめん、他を探してみるよ」
大きく空振りをして勢いが削がれてしまった。
しかし、いったいどこへ……? とりあえず教室に行ってみるか。
そうして教室の近くまで来ると、中から数人の女子の声が聞こえてきた。
「今成さん、調子に乗ってるよね」「ちょっと反省してもらおっか」「一限これでしょ?」「調度いいんじゃん?」 「無駄にデカイんだからピッタリでしょ」「マジウケる」
笑い声と同時に、教室の後ろの戸が開けられて中からぞろぞろと女子が三人出てきた。
前から入ろうとしていた僕には気づかずに向こうへ歩いていく。
なんだかわからないけど不快な感じがするな。そう思いながら教室を見渡すと室内には誰もいなかった。
「ここも空振りか……」
あとクルミがいそうな場所はどこだろうか。見当が付かないな……って、ん? 教卓の上に誰かの荷物が散乱していた。ロッカーの中身のようだね。荷物のひとつ、体操着の袋を手に取ってみると名前が書いてあった。これは……今成さんの? しかし、袋の口から出ている場違い感たっぷりのこの『耳』はなんなんだろうか……良くないとは思いながら中身を覗いてみる。ごめんね今成さん、好奇心に負けちゃっ――
――バニーガールの衣装でした。
本当にすみませんでした。
そして、ここから導き出される結論は、
――彼女も変態。
はい、キタコレ。
今成さんのあのバディでこれ着ちゃったらすごいことになるよ。あ、想像すると……海綿体が充血してくる。って待てよ。タグに演劇部って書いてあるね。今成さんは写真部だし……。んー、とっ散らかってる荷物。不穏な会話をしていた女子三人。けしからんバニーガールの衣装が入っている体操着袋。確か……一限がなんとかって言ってたな。今日の一限は……体育だ。そうか、バニーちゃん衣装にすり替えて今成さんを困らせようってことか!? バニー姿の今成さんは猛烈に見てみたいけど、なんて卑劣なことをするんだ! やっぱり今成さんは目立つから妬まれたりしちゃうのかね? 石原先生に言うべきか? いや、そんなことしたら嫌がらせの事実を今成さんが知ることになってしまう。皮肉な話だけど、人生には知らない方が幸福なこともある。この類の話しなんかは、その最たるものだよ。今成さんはクルミの友達だし美少女だし、なんと言ってもおっぱいがデカイ。あんなおっぱいをいじめていい訳がない! 彼女が知る前にカタをつけようじゃないか!
そうと決まれば、さっきの三人組を追いかけなくては。勢いよく教室を飛び出して後を追う。廊下の角を曲がったところで前方に三人組を見つけた。
「君たち、ちょっと待って!」
大声をかけて走り寄ると、三人組は不審そうな表情を浮かべて振り返った。
「君らが持っていった体操着を返してもらえないかな?」
息切れしながら要件を伝えると、三人組は少しだけ表情を硬くする。
「はぁ、なんの話し? 女子に体操着出せって、どんだけ変態なんだよ?」
そのうちの一人、ショートカットの娘がつっけんどんに答えてきた。
「こういう陰険なやり方は関心しないよ。いまのうちに返してくれるなら、この件は誰にも言わないからさ」
そう言って僕は右手を差し出した。
「ウチらがなんかしたっての? 言いがかりはやめてよね」
連れのセミロングの娘も口調を荒げて突っかかってくる。
「じゃあ、その手に持ってるやつを見せてよ。それが誰のなのかを確認したいんだ」
ってか、君らバレバレなんだよ。そんなんでシラを切り通せるとでも思ってんの?
「あんた三組の月吉でしょ? 変態で有名な。ここで大声出したら、分が悪いのはどっちだと思う?」
「うっ、それは……」
あれ? なんだか形勢逆転しているような……日頃の行いって怖いわー。
「まぁ、いいわ。ほら」
そう言って黒髪ストレートの娘がビニールバッグを渡して来た。
受け取って中身の体操着をあらためる。
『野田アカネ』
そこに書かれていたのは今成さんの名前ではなかった。
「んで、あたしらがなんだって?」
三人はニヤニヤと意地の悪そうな笑みを浮かべる。
状況証拠的には彼女たちが犯人で間違いないだろう。しかし、肝心なモノを持っていないとなると糾弾することは難しい。僕らの教室からここまでの間……他のクラスの教室か。
まずは目の前にある五組の教室からいくか。勢いよく引き戸を開けて中へと飛び込む。
「――ねぇ、あたしらにはもう用はないんだよねー?」
三人組が笑いながら背中に声を浴びせてくる。
荒っぽい手付きでゴミ箱を漁り、後ろのロッカーを探る。ここじゃなさそうだ。
次の四組へ急ぐ。早くしないと他の生徒たちが教室に来ちゃうよ……しまった! 教卓がそのままだ! 今成さんの荷物を片付けないと! 先に自分の教室に戻らなければ!
慌てて教室へ戻ると、教卓の上の荷物を抱えて今成さんのロッカーにしまい込む。でも、どうやって収まっていたのか元の状態がわからない。それに、鍵はどうなっていたんだろう? 閉まってなかったのか? あいつらが開けたのか? いや、それ以前に荷物は全部ロッカーのモノなのか? 机の中のモノもあったりするのか? ヤバイ、どうするよ!? とりあえず今成さんの席へ駆け寄って机の中を覗き込む。
すると、そこに無理やりギュウギュウに詰め込まれている布地が……これはもしや。
引っ張り出してみると今成さんの体操着だった。あいつら持ち去ったわけじゃなかったのか。一応、広げて確認をしているとガラガラっと教室の戸が開かれた。
「……っ月吉くん。なっ、えっ? んー、それはちょっとアウトだよねぇ……」
――今成さんだった。
「い、いや、これは……」
なんとタイミングの悪い。しかし、ここで事の顛末を語るわけにはいかない――。
「えっー! 月吉なにやってんのー!?」
後続の女子もやって来てしまった。もうどうにもならないぞ。
「あんたねぇ、変態なのは知ってるけどさ、体操着に執着ってマニアック過ぎない? あーぁ、こんなに散らかしちゃって――ド変態っ」
そう言って僕を罵る菅原サクラさん。なかなか可愛らしいキャッチャーな外見で、男子の人気もなかなかだ。なので、罵られていることに若干の心地よさを感じてしまうってちがうだろ僕のバカ!
こうなったら仕方がない。腹をくくるか。
「いやー、どうしても今成さんのわがままバディを包んでる体操着をくんくんすーはーしたかったんだけどさ、洗剤のいい匂いしかしないんだよねぶびばっ!」
ノーモーションの菅原さんにグーで殴られた。
「マジでキモいからやめろ。殴るぞ!?」
いや、もう殴ったよね? 父さんにもぶたれたことないのに!
「ユキ、これ着るのもなんかばっちーから、今日の体育は見学すれば?」
菅原さんが体操着をひったくるように僕から奪うと、今成さんにそう言った。
「――匂い嗅いだだけなんでしょ?」
ぶたれた頬を擦りながらコクコク全力で首肯する。イエスマム。
「なら別にいいよ。そのぐらい」
今成さん……キミはおっぱいもデカイけど、器もデカイんだね。
「でも机とか漁るのは今後はナシの方向で」
お安いご用さ! って、本当は僕じゃないんですけどね……。
「っぬぐぎゅっ!?」
すると突然、後ろから鼻と口を押さえるように布が押し付けられた。なに、クロロホルムとか嗅がされちゃうわけ!?
っと思って振り返ったらクルミだった。条件反射的につむじに手刀を振り下ろす。
ドスっ。鈍い音が響く。
頭を押さえながら屈み込むクルミ。その手にしているものは体操着だった。
「好きなだけくんくんすーはーしていいのに……」
「するかっ!」
おまえのも洗剤の匂いしかしない! なめてもらっては困る! 僕の本能が求めているのは匂い立つフェロモンなんだよ!
「ユキ、こーくんにはもうやらないようにわたしの体操着を与えておくから、今回は許して欲しい」
クルミ……こんな状況でも庇ってくれるだなんて……おまえ案外いいやつだな。伊達に座敷童みたいな見た目じゃないんだね。今度、飴ちゃんでもお供えしておくか。
「コータ! おまえやるなぁー。日増しに変態度が上がってきてるぞ?」
いつからいたのか、笑いながらそう言う勇太に脇腹をがしっと掴まれた。
「あひゃぁ」
ほら、変な声が出ちゃったじゃないか! 脇腹はやめてって、弱いんだから!
変態による変態的行為が白日の下に晒された。っという理解で今日の件は幕を閉じた。
まぁ、変態にはとっくに認定されていたわけで、こいつはぜんぜん問題ない。損失といえば、菅原さんにグーで殴られたことと(痛すぎて萎えた)、今成さんのおっぱいが遠のいたことぐらいだな。うん、軽症だ。
――いや、やっぱり最後のやつは軽くなんかない。残念でならないぞドチクショー。今成さんはすっかり僕のことを警戒するようになっちゃったからね。あんなスゴイものを自由にできる可能性が潰えたなんて……この恨み晴らさでおくべきか。あの三人組……ふっふっふ。実は既に手は打ってある。もうすぐその成果が我が手中にぃぃぃっ!
あ、ちょうどメガネくんが来たよ。クルミの弟子だっていうからさ、あの後、写真部の彼にちょっと頼んだんだよね。彼女たちの写真が欲しいって。どんな写真かって? そいつは言えないなぁ。いろいろ抵触しちゃうからね。
彼女たち、悪役なのになかなか可愛い見た目でさ、スカートなんか短いのなんのって。ひらっ、ちらっ。っというわけで男子からの予約は絶好調。
自分たちが学園男子の慰み者にされるだなんて想像もしてないだろうなぁ。まぁ、彼女らには気の毒だけど、僕が背負った十字架に比べれば大したことじゃないよね。こっちは拭いきれない変態マスターの称号だよ? 目指せなんとかマスターは某電気ネズミを連れた少年だけで十分だ。いや、待て。ある意味、僕はポケットの中のモンスターのマスターだから実はだいたい合ってる――スラング的に。って、おい! さすがの僕だって傷付く心ぐらいは持ち合わせているっての。あの後、生活指導の先生に怒られたし……危うく母さんに電話されるところだったぞ。着実に社会的な死が身近に迫りつつあるよ……。
メガネくんからブツを受け取り、お礼を言って別れると(ちなみに報酬は6:4で彼だ)、なんとなく虚しい気分になってきたので五階に行くことにした。窓から夕日でも眺めて無心になろう。ブローカー仕事はその後だ。
五階へあがっていくと先客がサッシに肘をついて外を眺めていた。アヤメさんだった。
「やっぱりきたね、こーちゃん」
そう言いながらこちらを向くと、アヤメさんは両腕を伸ばしてきた。そして、ゆっくり僕の頭を引き寄せると、そのまま自分の胸に優しく抱きとめた。
「えらいね、こーちゃん。今成さんを守ってあげたんでしょ?」
優しく囁くような声。
「こーちゃんのことは何でも知ってるんだから。優しい子だね、こーちゃんは」
アヤメさんが慈しむような柔らかい手付きで僕の頭を撫でてくる。
なんだろう、この感覚は。温かくて、すごく心が安らぐ。僕の心を波立たせる様々な出来事が、取るに足らない些細なことに思えてくる。アヤメさんがこうしてさえいてくれれば、辛いことなんて過ぎ去っていくような、そんな気がしてくる。
「人の名誉と尊厳を自分が泥を被ってでも守る。なんてさ、カッコいいじゃん」
アヤメさんが抱きしめている僕の頭に頬っぺたを乗せてきたのがわかる。
「いつまでも、そんなカッコいい男の子でいなよ、こーちゃん」
そう言うと、アヤメさんは僕を更に強く抱きしめた。
じんわりと胸の奥に広がっていく感情をなんと呼ぶのか僕にはわからなかった。
僕はゆっくりと顔をあげるとアヤメさんに尋ねた。
「――どうして知ってるの?」
するとアヤメさんは僕の襟の後ろへ手をやって、黒いボタンみたいな物体を摘まんで見せてきた。
「盗聴器♡」
いま僕の胸に広がっている感情をなんと呼ぶのか僕は知っている。
『憤り』というやつだ。
「僕の感動を返してよっ! ヒドイじゃないか!? そんなオチだなんてぇ!!」
「いやー、千里眼でもあるまいし、いない場所のことなんてわからないよね、フツー」
あっはっはっと大きな口を開けて笑うアヤメさん。ヒドイよ、ホント。
「他にも知ってるよー。売上、好調みたいだね? 商品ラインナップにあたしの写真があるらしいじゃん?」
そうなのだ。何故かみんなからのリクエストが多くて、メガネ君にアヤメさんの写真も追加でオーダーしたのだ。その結果、彼は実にいい仕事をしてくれた。
「んじゃ、売上のテンパーね」
10%か……もっと取られるかと思った。
「キミたちの取り分♡」
ヒドイよ、ホント。アヤメさん……。
ちなみに、後日、風の噂に伝え聞いたところによると、写真部部員2名がコンテストに応募した写真が、健全な青少年が扱うべき題材からはかけ離れたものである、としてエントリーを認められなかったとか。
――きっとクルミとメガネ君に違いない。