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迷惑よりの使者  作者: 藍澤ユキ
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第五章

 第五章


 ホームルームも終わり、帰り支度をしていると、勇太が肩を組みながら小声で話しかけてきた。

「なぁ、コータ。これから聞く質問の答えによっては、オレはおまえを殴らなきゃいけないかもしれない。正直に答えてくれ」

「な、なんだよ唐突に。物騒だな」

「おまえ……アヤメさんのおっぱいにはもう触ったのか?」

 んー、手で触ったことはないからね……。

「いや、触ってないぶべしっ!」

 なぜ殴られる!? 正解のはず!?

「見損なったぞコータっ! あんな男のロマンが目の前にありながら、その腑抜けぶり! 男として恥ずかしいとは思わないのかっ!?」

 そんな理由で殴られるとは思わなかった……。

「じゃ、じゃあ、触っていたら問題なかったの?」

「はあぁっ!? もし触ってたら、こんな生易しいモンじゃ済んでないからな!?」

 なんという理不尽。どっちも不正解ってどーいうことよっ!?

「あ、あの……どのみち僕は殴られたってこと?」

「当たり前だ! おまえだけいい思いをするだなんて……オレとおまえの関係はその程度のものなのか? 友達にもいい思いをさせてやろうとか、そういう博愛主義に裏打ちされた優れた人間性とかないわけ!? 」

「んー、あのさ勇太。前提が間違ってんだよね。僕の置かれている状況は決していい思いなんかじゃない。むしろ苦行のような日々だ。代われることなら代わってやりたいぐらいだよ」

 ――あれ? 勇太だけじゃなくて、クラスの男子がみんなして、その目に殺意を宿しているんだけど……。

「おい、聞いたか野郎ども。我々が血を流すほどに望んで止まない薔薇色の日々が、コータくんには苦行なんだとさ。こんなことが許されるのか!? 否っ!」

「「否っ!」」

 統率の取れた唱和が響き渡る。なにこの団結力は!?

「コータ。オレたちにも薔薇色の日々を体験させろっ!」

「「そうだぁ!」」

「はぁ? 体験ってなんだよ? なにをすればいいのさ?」

「コータんちに入れろ」

「ウチ?」

「聞けば、放課後のコータんちは、さながらハーレムらしいじゃないか。そこに混ぜてくれ」

「ウチに来るのは構わないけど、そのハーレム情報はデマだよ?」

「ふっ、そうやってたばかろうとしてもムダだ。ネタはあがってんだ」

 なにを言ってもダメなようだね。困ったもんだ。

「じゃあ、来なよ。でも、一度に全員は入れないからね?」

 15、6人はいるもんね。僕の部屋には収容しきれない。

「安心しろコータ。まずは選抜チームが潜入を試みるから」

 ――僕のウチは危険な紛争地帯か何かですかね?


 結局、勇太を含めた三人が来ることになった。アヤメさんたちを入れると、7人になるという計算らしい。

「こーくん。帰ろう」

 邪な思惑が交錯しているとも知らずに、クルミがいつものようにやって来た。

「あぁ、今日さ、こいつらウチに来るって言うから一緒に帰るけどいいよね?」

 クルミがチラリと勇太たちを確認する。

「問題ない」

 そう言うと、クルミはつかつかと昇降口へと歩きだした。

 靴を履き替えて外へ出ると、「うりゃーっ!」という雄叫びをあげるアヤメさんにフライングボディーアタックで急襲された。ひらりと身軽に避けたクルミ以外の全員がなぎ倒される。あ、当然僕もね。

「足腰弱いんじゃないのかな? 若人たちよ! いりこ食え、いりこ!」

「ったー。カルシウムの問題じゃないよ、これは」

 まったく常識というものが欠落しているからね、このおねいさんは。勇太たちを見てみると、みんな腰を押さえたり、制服の汚れを払ったりしている。ほら見ろ、みんなが思っているようなキャッキャウフフな展開なんてないんだから! 引き返すならいまだぞ!? っと、そんなことより重要なことが。

「アヤメさんっ! なんでスパッツなのさ!?」

 さっきチラっと見えたんだからねっ! 

 心が凍てつくような過酷な日々の中、不意に訪れる希少な眼福の瞬間――そう、パンチラ。

 なのに、それがスパッツだった時の失望、無念、悲痛……アヤメさんはわかっているのだろうか?

「ぅん? あぁ、今日は空中戦の予感がしてたからね」

 ノーぉぉぉっ! そんな予防線、らしくないよ! アヤメさんっ!

「あれ? ひょっとして見たかったのかな?」

 アヤメさんはニマニマと意地の悪そうな笑みを浮かべる。

「しょうがないなぁ……」

 そう言ってアヤメさんはスカートの中へ手を入れてモゾモゾし始めた。

「ま、まさか……」「いきなりスゴイことが……」「許すまじコータ」「ありがたや」

 クルミ以外の野郎どもが大いにどよめく。

「そりゃあっ!」

 アヤメさんが一気にスパッツを引き下ろした。

「ぐはぁっ!」「ぶぅっ!」

 すると、妄想で既に臨界点を迎えていた男子2名が吐血して倒れた。あ、違った鼻血か。無理もない。いたいけな青少年には刺激が強過ぎたね。

「へっへーん。ちょろいもんよ」

 アヤメさんがスパッツを片手で振り回しながら、指で鼻の下を擦る。

「その思い切りの良さ。さては、まだ本丸ではないね!?」

 いくらアヤメさんでも、そこまでサービスするとは思えない。

「な、なに……オレたちは騙されたのか……!?」

 辛うじて堪えていた勇太がチカラなくわななく。

「まだショーパン履いてるもんねぇ」

 そう言ってアヤメさんがスカートの裾をチラリと捲ると、紺色のスポーツ用ショートパンツが見えた。いや、僕クラスになると、むしろこっちにエロチシズムを感じるけどね。まぁ、勇太たちとは根本的に鍛え方が違うんだよ。鍛え方が。

「遠い……あまりにも……その頂きはオレたちが足跡を残すには遠大過ぎる……」

 勇太がチカラなく地面に崩れ落ちた。するとそこへ郭町さんが全速力で走ってきた。

「気付いたらもういないんだもん! ちょっと待ってよーっ!」

 そして勢い余ってうずくまる勇太の背中を豪快に踏んづけた。

「んがっ!」

 これまでの精神的ダメージにより、すっかり衰弱していた勇太は、郭町さんの一撃でついにこと切れてしまった。さらばだ勇太。いいヤツを亡くしたよ。これで選抜チームは全滅だ。どうだ、わかったか!? 僕が苦行だと言った意味を!

「でも、苦行は言い過ぎ」

 またもや読心術かクルミ!?

「ねぇ、クルミ。ホントに僕の心が読めるの……?」

 恐る恐る聞いてみる。しかし、答えを聞くのは怖いような気もする。だって、クルミの正体が人間じゃなかったらどうしよう。ホントに座敷童だったとか……。

「こーくん、時々、心の声が漏れてる」

 どうやら普通にだだ漏れだったみたいだね……。

 今日の標語。

 気を付けよう暗い夜道と独り言。


 * * *


「あ、どーも、すみません」

 勇太が母さんに飲み物の礼を述べる。

「勇太くんもそうだけど、ウチに男の子が来るのは何だか久しぶり」

「コータが呼んでくれないんですよぉ」

「あれ、そうなの? こーくんもツレないのね。みんな、遠慮しないでどんどん遊びに来て」

 じゃあ、ゆっくりしていってね、と付け加えると母さんは部屋から出て行った。

 いま僕の部屋には勇太率いる新・選抜チームの三人が来ていた。先日の雪辱を果たすべく人員を再構成して挑んできたのだ。ちなみに、今日はアヤメさんと帰りの時間が合わなかったので、勇太たちは無事にウチまでやってこれた。

 今回の新・選抜チームの構成員について一応触れておこう。前回は若さが暴発したことによる自滅だっただけに、今回の人選にあたっては慎重を期したそうな。大げさだよ、ホント。

 母さんが出した麦茶を呷るように一気飲みして、ゲホゲホむせているこの阿呆は喜多健介きたけんすけ。コイツはかなりハイレベルの変態だ。実体は僕なんかよりよっぽどヒドイのにも関わらず、周囲には認知されていない。そう、ひた隠しのムッツリなのだ。そして、その性癖の特殊さから、学校では正体がバレにくいという特徴がある。

「……はぁ。コータのママン――いいよねぇ」

 人妻・熟女クラスタなのだ。同年代の女子にまったく興味を示さないため、クラスのみんなは清廉潔白なのだと誤解をしている。しかし、ママンって……。

「中学生の息子がいるとはとても思えない、あの少女のような可憐さ。それでいながら滲み出る包容力と、匂い立つような女性の色香……すばらしい」

「人の母親を性的な目で見ないでもらえるかな……」

 だから連れてきたくなかったんだよね……。将来的にコイツを『お義父さん』と呼ばなきゃならなくなるとか、ないよね?

「あれ? そういえば、何で喜多が選抜チームなのさ? おかしくない?」

 そうだ。喜多はアヤメさんたちにそもそも興味ないじゃん?

「おかしくないよコータ。おまえの薔薇色の日々を検証するのが目的だからね。あんな羨ましすぎるママンがいるなんて、ふつふつと殺意が鎌首をもたげてくるのはオレだけじゃないはずだ」

 そんなに熟女好きがいたのか、あのクラス。

 おかしいといえば、こっちの人選もどうなんだ?

 さっきから、やたらとスマホでメッセージを送りまくっている端正な顔立ちの男。画面をチラ見してみると、複数人の女子に同じ内容のメッセージを送っているようだ。

『キミに逢えなくてさみしいよ』

 よくもまぁ、そんな歯の浮くようなことを。しかもばら撒いちゃって……。

 この不誠実を捏ねて塗って固めたようなイケメンは新宿修司あらじゅくしゅうじ。こいつも何しに来たわけ?

「まさか、新宿も喜多みたいなこと言わないよね?」

「残念ながらオレはコータのお母さんが目的じゃないんだよね。魅力的な人であることには同意するけどさ」

 いや、よかったよ。おまえまでそんな事言うようなら『こども電話相談室』に電話しちゃうところだったよ。あれ電話できるの中学生までだからね、権利は使えるうちに行使しないと。

「じゃあ、何股か知らないけど、いつものように女の子のところへ行ってればいいじゃん」

 僕なんかよりよっぽどリア充だぞ。むしろ制裁を加えるべきはこいつじゃないのかね? どれだけの女の子を袖にしてきたことか。学園全男子の敵と言っても過言ではないよ。

「いや、やっぱりボクぐらいになると、簡単には手にはいらないモノに憧れるようになるんだよ、コータ。キミにはわからんだろうけどね」

 あーそうかい。勝手に言ってろ。

「んで、何が目的なのさ?」

「最近、キミが親しくしているツインテールのさっちゃんだよ」

「へっ? 郭町さんのこと!?」

 おいおい。見た目に騙されてるよ、それは。あの人、立派な変態だよ? あと、さっちゃんなんて馴れ馴れしいぞ。

「そう。彼女の完成された美しさがボクを魅了してやまないんだ。あぁ、彼女のすべてをボクのものにして、ずっと側で愛でていたい」

 まぁ、あの完璧な美少女ぶりだ。気持ちはわからんでもないけど、郭町さんはフィギュアじゃないんだからさ、そういう物みたいな扱いはどうかと思うぞ。

「そして、ボクのすべてを彼女に捧げたい! 彼女のものになりたいのさっ!」

「でも、彼女だけのものになる気はないんだろ?」

 ぼそっと勇太が横から口を挟んできた。

「だって、そうなったら他の女の子たちが可哀想じゃないか。ボクは誰かひとりのものになる気はないよ。いや、そんなことは許されないんだ。多くの女の子に等しく愛を注ぐのがボクの義務だからね!」 

 誰かこいつの頭ぶっ叩いてやってよ。ホント、何で世の女子はこんなのに引っかかっちゃうのかね? やっぱ顔なの? 顔さえ良ければいいの? 謎だよ。

「あー、郭町さんは無理だと思うよ。おまえが親しくしている女の子たちとは――精神構造が違う」

 ガチで変態だし、ついでに言うと種も違う。忘れがちだけど人間じゃないからね、彼女。

「それはそうと、誰も来ないじゃないか。話しが違うぞコータ」

 若干の苛立ちを含んだ声で勇太が不平を漏らす。

「あのねぇ、最初から違うって言ったじゃん。別にウチはたまり場でもハーレムでもないんだって」

「せっかく来たのになんだよー」

 あー、うるさいめんどくさい。これだからまったく。親しいと遠慮がない分、手に負えなかったりするよね。仕方ない、この手は使いたくなかったが……。

 僕は立ち上がると部屋の窓を勢いよく開けて、正面に見えている窓に手をかけた。

「クルミー。いるよねぇ?」

 そう言いながらクルミの部屋の窓を横に引くと、なぜか着替え途中の郭町さんがいた。郭町さんは言葉にならない悲鳴のような声を上げると、慌ててシーツを頭から被った。

 一瞬だけだったけど、郭町さんの下着姿を見てしまった。清楚な印象を受ける白レースのリボン付き上下セット。ぽけーっとしながらみんなの顔を見渡すと、どうやら誰も見ていなかったようで、いまさらになって興味津々の様子でクルミの部屋へと視線を注いでいる。

 いいもの見せて頂きました。多謝。

「こーくん、撮影の邪魔しないでほしい」

 窓の縁からひょこっとクルミが顔を出してくる。

「何の撮影してんのさ?」

 まさか、半裸の郭町さんを激写!? なにそれいくら出せばいいの?

「商店会にポスターの撮影頼まれたから、サンプルのスチール写真撮ってる」

「――さっちゃん、こんなところで会えるなんて運命を感じるよ! ほら、キミの素敵な笑顔をボクに見せて欲しいなっ!」

 あー、もう鬱陶しい。新宿ウザいウザいウザい。

「い、いま着替え中なんで閉めてくださいーっ!」

 郭町さんがシーツで全身を覆いながら懇願するように叫ぶ。

 これ以上、新宿に郭町さんを見せておくと、彼女に変なビョーキが感染るかもしれない。ものすごく残念ではあるが、このへんにしとこう。ピシャっと窓を閉めると、

「コータおまえっ!」「邪魔をしないでくれよコータっ!」

 ん? なんで勇太が最初にキレるのさ?

「新宿はまぁいいとして、勇太は何だって言うのさ?」

「おまえねぇ、合法的なシチュエーションでもないと、女子をジロジロ見る機会なんてないんだよ、フツーは。おまえみたいに所構わず視姦しているようなやつにはわからんかもしれんけどな」

「――えっ? そんなこと気にするの?」

 思わず新宿の方へ視線を向けてみると首を横に振っている。

「いや、オレがおかしいみたいな空気になってるけど、変態のおまえらが理解できないだけだからな? フツーはみんな興味ないフリしながら、一生懸命横目でチラチラやってんだよ」

「へー、勉強になるなぁ。そーなの喜多?」

 そう尋ねながら喜多の方を見ると、やつは空になったコップ片手に部屋の扉から出て行こうとしていた。

「どこへ行くのさ?」

「っうわ! い、いや、麦茶のおかわりをもらおうかと……」

「おかわりなら、そこにボトルがあるからどうぞ」

「オ、オレ……そうそう、麦茶アレルギーなんだよ。水じゃないとヤバイんだよ……いろいろアレだから」

「いろいろアレねぇ――最初に一気飲みしてむせてたよね?」

「うっ……」

「どこへなにしに行こうとしてたのさ?」

「下に行ってママンとお話したいなぁ……っと」

「帰れ」

 これ以上、変態に母さんと接触をさせるわけにはいかないよ。同級生に母親を狙われる心配をしないといけないとは――なんという野生の王国。

「って、こら新宿っ! 窓から飛び移ろうとすんなっ! 勇太もサポートしない!」

 窓側の阿呆二人も油断できないよ! っと思っていたら、喜多のやつがまたもや扉のところへ……ヤバイ、制御できない!

 その時、部屋の扉が勢い良く開かれて喜多の顔面を的確に捉えた。クリティカルヒット。いい感じに顎に入ったようで喜多が崩れるように床へ転がる。

「あ、ごめんねー。痛かったぁ? って、聞こえてないか」

 そう言って、伸びている喜多を覗きこむアヤメさん。根拠はないけど故意な気がするのは考え過ぎだろうか。

「帰りが遅くなってみれば、なんだか賑やかだね、こーちゃん。んで、あっちは何やってんの?」

 アヤメさんが目を細めて新宿と勇太を見やる。二人はクルミんちの壁に片足をかけて、サッシの庇を掴もうとしていた。なにボルダリングかなにか?

「じゃ、日も落ちてきたから、そろそろ窓を閉めようかぁ」

 容赦なく窓をシュッとスライドさせるアヤメさん。マジ鬼畜。新宿と勇太は、嫌でもクルミんち側に飛び移らなければならなくなった。

「おいっ、コータ! なんとかしろよっ!?」「マジ落ちるから!」

 閉められた窓の外で二人が騒いでいる声が聞こえてくる。

「蝉の季節にはまだ早いんだけどねぇ」

 そんなことを呟きながら、アヤメさんは転がっていた喜多の手脚を乱暴に折りたたんでいく。そ、それをどーするんでしょうか、アヤメさん。いや、そのゴミ袋は不燃物用なんで、生ゴミ系は可燃物ってことでこっちのオレンジ色の袋……って、

「そうじゃなくてっ! そんなの行政も回収してくれないからねっ!? いや、そもそも人間をゴミに出さないで!?」

 どんなスプラッターだよ!?

「うるさいなぁー、こーちゃんは」

 ものスゴく迷惑そうな顔でアヤメさんが睨んでくる。いや、僕は間違ってないぞ。

「ちゃんと粗大ゴミ扱いにするよ、まったく」

「そこじゃないからっ!」

 そんなやり取りをしていると、窓の外から何かが派手に落っこちたような音が響いてきた。

「ネコかな?」

 すっとぼけるアヤメさん。ネコにしちゃあ、デカそうですけどね。

「ってぇぇぇーっ!!」「マジでムリだから!」

 何がムリだったんだろうね新宿は。うん、まぁ、生きているみたいで何よりだ。

 すると、彼らに話しかけているような声が聞こえてきた。内容は聞き取れないけど、女の子のようだ。

 んっ? 郭町さん……? 僕が窓を開けて下を覗きこんでみると、クルミんちの庭から郭町さんが何事か二人に声をかけているのが見えた。ちなみに、あの二人は物置の上に落っこちたみたいだね。しきりに背中を摩ってるよ。

 そのまま様子を見ていると、郭町さんがおもむろに胸元に手を入れてモゾモゾとやり始めた。そして、抜き出した手に持っていたものは……『簡易人格設定マシン』こと紐付き五円玉。あ、郭町さんも持ってんだ。なに使者の標準装備なの、アレ?

 僕の視線には気付かず、郭町さんは五円玉をユラユラとさせ始めた。阿呆二人は素直に目で追ってるようだ。つられて首が微妙に動いている。しばらくすると、僕がそうだったように二人は軽く意識を失ったようで、はっとした様子でキョロキョロと辺りを見回している。

 郭町さんはあの二人にどんな設定をしたのかな? 気になったので、郭町さんの注意を引いてからジェスチャーで僕の部屋に上がってきてくれるように頼んでみた。すると、郭町さんはこくんと頷いて、阿呆二人組をその場に残し、ウチの玄関へと入って行った。部屋の扉がノックされる 。

「どうぞ」

 声をかけると、ゆっくり扉を開けながら郭町さんが顔を覗かせてきた。

「ささ、入って入って」

 郭町さんに座布団を勧めると、スカートの裾に手を当てて畳むようにして正座をした。そんなちょっとした所作に、郭町さんの女子力を垣間見た気がした。アヤメさんだったら中身が見えようが気にせずに、どかっと胡座をかきそうだもんね。

「あの二人に何を設定したの?」

 手で五円玉をブラブラさせる動きをしてみせながら、郭町さんに尋ねる。

「わたしに興味を持たないように設定しておいたの。第二次性徴を経てしまった彼らに、わたしは一切の興味がないから。でも、松郷くんにはあまり効果がなかったみたい」

「へっ? 勇太には効かなかったの?」

「そもそも、わたしに興味がなかったか、体質的に耐性があるのか……このツールは簡易だからね。そういうこともあるんじゃない?」

「女の子に興味がなかったりして!?」

 アヤメさんが楽しそうに会話に割り込んでくる。

 いやそれ、なんかのフラグじゃないよね? やめてよ、そういう展開は。望んでないからね?

「グフフ……」

「ちょっ、変な笑い声あげないでよアヤメさんっ!」

「あたしっ!? 違う違うっ!」

「じ、じゃあ、郭町さん?」

「わたしでもないよ。外から聞こえたもの」

 ちっ! クルミのやつか!? ブリッジに上がってこい! 修正してやる!

 あれ? そういえば、オレンジ可燃のゴミ袋に放り込まれた喜多がいない。

「ア、アヤメさん? ここにあったゴミ袋は?」

「あー、あれね。こーちゃんが窓から外をガン見している間に、表の電柱脇に出してきた」

「ダメだよアヤメさん! 今日は可燃ゴミの収集日じゃないよ!? って、そーじゃなくて、人間をゴミに出しちゃダメだってぇっ!」

「大丈夫だよ。粗大ゴミのシール忘れずに貼っといたから」

「違ぁぁぁっう!」

 すると郭町さんがおもむろに胸元から何かを取り出してみせた。

「これでプチプチってやっとけばいいんじゃないかな」

 ――竹串だった。

 そうそう、空気穴を開けておけば酸素の供給はオッケー! って、まぁ、いいか。どうせ喜多だもんね。助け出すと母さんに危険が迫りそうだから、そのままにしておくか。 行政が収集してくれたら、それはそれでラッキーってことで。


 * * *


 しかし、昨日、郭町さんも使っていたあの「簡易人格設定マシン」って、よく考えたら、かなりの脅威だよね。あんなものがあったら何をやらされることになるか、わかったもんじゃない。いや、それよりも、あれを使えば僕の周りで起こっているいろいろな問題は全て解決できるんじゃないのか? あれって使者じゃないと使えないのかな? どうにか手に入れて有効に活用できないだろうか……っとあれこれ考えながらの帰り道、隣を歩くアヤメさんが悪い顔をしていることに、ふと気が付いた。なにやら胸元に手を入れてガサゴソとやっている。そして、おもむろに例の五円玉を取り出した。さては、アヤメさんも有効な使い方に思い当たったらしい。僕の第六感が危険を知らせてくる。

「こーちゃん。こっち見て!」

 やっぱり、こうきたか!?

「あたしにメロメロになる――メロメロ……」

 その瞬間、連れ立って歩いていたクルミを素早く引き寄せて、僕の前に盾のように立たせた。 見よ、これぞ人非人の成せる技! イージスクルミバリアー!

「――メロメロ……あたしにメロメロ……って、こーちゃん!? なにやってんの!?」

 僕の予期せぬ行動にアヤメさんがアタフタと慌てている。反対に大した動揺も見せずクルミは目を見開いて五円玉を凝視している。すると、だんだんクルミの目に怪しい光が宿り始めてきた。そのままガクッと一瞬、寝落ちしたような動きを見せると、クルミはハッとカラダを起こした。

「わたしは……何を?」

 首を捻って固まっているところを見ると、どうやら記憶が混乱しているようだ。

アヤメさんの方へ視線を向けてみると、なぜだかアワアワしている。計画が破綻したんで狼狽えてるのかな?

「いや、ダメだってクルミちゃ……ん」

 アヤメさんが怯えたように後ずさり始めた。すると、残像が残るほどの素早い動きでクルミが視界に飛び込んできたかたと思うと、そのままアヤメさんの頬を両手で挟んで、何の躊躇もなく唇を重ねてしまった。クルミは吸い付くようにむちゅむちゅとアヤメさんの唇を貪り、なかなか離れようとしない。どのぐらいそうしていただろうか。アヤメさんの顔が赤から青になりかかった頃、ようやくクルミが唇を離した。しかし、互いの唇は未練を残すかのように糸を引いて繋がったままだった。。

 いやなにこれ。すんごいエロいんですけど。思わず海綿体が充血したよ。

「んふ、ちょ、クルミちゃん……」

 再び顔を紅潮させながら、アヤメさんが熱っぽい吐息を洩らす。だからエロいって。

「わたしはアヤメ先輩にメロメロ」

 いや、そんなこと棒読み調で言われてもね……。

「どーしよう。こーちゃん……」

 どうにか身体を離すと、口に手を添えてアヤメさんが小声で囁いてくる。たぶん、それクルミにも聞こえてると思うけど。

「設定の解除をすればいいんじゃないの?」

 この間、僕に郭町さんを襲わせようとした時は後で解除してたからね。

「やってみたけど効かないの」

 眉間にシワを寄せてアヤメさんが困った表情を浮かべている。

「なんで!?」

「たぶん、クルミちゃんは素直だから必要以上に設定が効いたんじゃないかな」

 あれは素直というよりも阿呆なんじゃないの……とは言わないでおく。効きすぎたってことか。んー、あり得そうな話だね。

「どーしたら解除できるのさ?」

 もう既に意味はなさそうなのに、ヒソヒソと小声で会話を続ける。

 すると、僕らの会話などまったく意に介さず、クルミはアヤメさんにおもいっきり抱きついてきた。頬を少し赤らめながら、自分の数倍はあろうかというアヤメさんの胸に顔をうずめている。そして、おもむろに手のひらを大きく開いたかと思うと、あろうことか魅惑の柔球を大胆に揉みしだき始めた。

 クルミのやつなんてことを!? 僕だってまだ触ってないというのに!

「ちょっ、クルミちゃ……んっ」

 いや、最後の「んっ」は何!? すんごいエロいんですけど。

 クルミが手のひらをワシワシするたびに、指の間からむにむにとはみ出してくる様子がなんとも扇情的で、どうしたって前かがみにならざるを得ない。

 クルミの攻勢はまだまだ終わらず、今度は服の下に手を入れようとしていた。直にいく気かクルミ!? なんとも裏山けしからん!

「こーちゃんっ! ニヤケながら見てないで何とかしてよっ!」

 珍しくアヤメさんが悲痛な叫びをあげる。こういうやられているアヤメさんも悪くないよね。ギャップ萌えってやつだろうか。急に弱いところを見せられるとグッとくるというか、あらたな魅力に気付いちゃったりするから困る。凶器攻撃ばりの反則行為だよね。

 っと、いかんいかん。なんとかする方法か……。解除の方法は設定する時と同じだ。クルミは簡単にかかるみたいだけど、なんで解除できないのだろう?

「アヤメさん、もう一度解除やってみて!」

「またやるの!?」

 少し困惑したような表情を浮かべながら、アヤメさんは五円玉(もとい、簡易人格設定マシン)をブラブラさせはじめた。

 一方のクルミの様子を見てみると……五円玉を見てないぞ!? 五円玉をブラブラやってるアヤメさんを凝視しているよ! そりゃ解除できないわけだ。アヤメさんにメロメロのあまり、他のことは目に入らなくなっているようだね。

「アヤメさん。これってかけた人じゃないと解除できないの?」

「正確には解除というよりも、新しくかける感じになるから別の人でも大丈夫」

 更に強く抱きついてくるクルミを引き剥がしながらアヤメさんが答える。

「じゃ、ちょっと待ってて」

 それなら別の人に頼むしかないよね。たぶんその辺にいるはず。植木の中とか。

 白い鈴のような花をつけているドウダンツツジをかき分けていると……やっぱり。

 体育座りをして双眼鏡を握りしめている郭町さんを発見した。

「なっ、こ、これは……植物の観察だからね!?」

 今更ごまかさなくてもいいんじゃないかな。

「郭町さん。簡易人格設定マシンを解除してほしいんだけど、お願いできるかな?」

 郭町さんの腕を引っ張って立ち上がらせる。

「氷川さんのこと……?」

 さすが観察していただけはあるね、話が早い。

「そう。あいつの設定を解除してほしいんだ」

「わかった」

 郭町さんはコクンと頷くと、胸元に手を入れて例のマシンを取り出した。そして、アヤメさんとクルミがもみ合っている側まで行くと、クルミに向かって五円玉をブラブラさせ始めた。その間もクルミはアヤメさんに1ミリでも接近しようとするかのごとく激しく蠢いていた。 アヤメさんに触れようとする手つきがいちいちエロい。

「ダメ。こっちをぜんぜん見てくれない」

 郭町さんもだいぶ手こずっているようだ。

「クルミちゃん。この五円玉をよく見て。そうしたらギュッとしてあげるから」

 アヤメさんが息も絶え絶えに、喘ぐようにクルミに話しかける。

 そのアヤメさんの言葉に敏感に反応を示したクルミは、首をぐっと捻って五円玉を視界に捉えると、穴が空くんじゃないかというほどに(いや、すでに空いてた)凝視し始めた。

「さあ、氷川さん。あなたは設定以前の普通の女の子に戻るの」

 そう言って郭町さんがゆっくりと五円玉を揺らす。次第にクルミの目が光を失い、焦点のあっていない虚ろな様子を見せ始める。そして、かけた時と同じように首がガクンと垂れ下がると、直ぐに意識を取り戻して目をパチクリさせる。

「んー、変な感じだった」

 クルミが淡々と呟いたが、これでも十分に困惑しているということは僕にはわかる。

「はぁ、ホントにまいった。すごく疲れた……」

 そう言って安堵のため息をつくアヤメさんは、なんだかげっそりとしていた。まぁ、簡易人格設定マシンを悪用しようとしたことが原因だから、自業自得というやつだけどね。これに懲りたら安易にキケンな道具は使わないようにしてほしいものだ。

 そんなことを思いながらひとりでうんうんと首肯していると、アヤメさんとクルミが、なんとなく照れくさそうにモジモジしている様子が目に入った。あの二人が照れているところなんてめずらしい貴重なシーンだ。

 しかし、今回のトラブルはけっこう百合百合な感じで眼福モノだった。いろいろと捗る捗る。僕が被害に会わない非日常なら大歓迎だ。何かしらの記憶媒体に残せなかったことが悔やまれるよ。


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