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三界大戦記―好色皇子と三界の姫たち―  作者: 安里優
第三部:人界侵攻・龍玉編
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第32回:破綻

 スオウは視線を上げ、雨に濡れる顔を拭いながら思案げに呟いた。


「古き教えを守る彼らから意見を得られなかったのは残念だったが……」


 ちらと見上げる空は、いまだ大粒の雨を降らせている。

 しかし、その雨粒をたたきつけるようにして吹き寄せていた風の勢いはずいぶんと弱まってきたように思えた。


「それ以上に残念なのは、我々が本隊と当たらなかったことだな」

「本隊と仰いますと、ヴィンゲールハルトめの?」


 ヨロイウマに乗る男性がスオウの竜の横に馬を寄せ、尋ねかける。

 ゲデック侯爵がまたがる馬は、スオウの傍にいる巨大な黒白の魔物――すなわち、細蟹相ささがにのそうを露わにしたユズリハ――を恐れてか、ぶぅぶぅと鼻息が荒かったが、なんとか主人の指示に従っていた。

 ゲデック侯爵当人は、その巨大な蜘蛛の体の上に人形の上半身が生えたような異形の姿からなるべく視線を外すよう努めていた。


「そうだ。今回の軍の要であろう部隊だな」

「しかし、まだわかりますまい。このままぶつかるかもしれませんぞ」

「嵐はいずれ去るものですわ」


 仮面としか見えない顔の向こうから、くぐもった声が聞こえる。

 それだけは人の姿の時とまるで変わらぬ優雅な調子であることが、余計にゲデック侯の心を乱れさせた。


「そうだ。そうなる前に撤収しなければならん。残念だが、ここまでだ」

「な、なるほど」


 ずぶ濡れになった上に、まだまだ体を濡らしている雨の下では、ユズリハやスオウの言は気が早いものに感じられる。

 しかしながら、侯爵は意見を述べることは出来ても、彼らの決断に干渉するまでのことが出来る立場には無かった。


 それに、彼は感じている。

 魔族たちが戦に手慣れていると。


 彼の支配していた都市、ゲデックを陥落させた手並みはもちろんだが、それだけではない。

 たとえば、この進軍。

 彼の自慢の部下たちは、進軍するだけで四頭のヨロイウマを失った。傭兵たちも、その損耗率はそう変わるまい。ところが、魔族たちはその騎竜のほとんどを失っていない。


 これを為した要因は二つあると、侯爵は見ていた。

 一つは魔族たちの練度。

 これは以前から感じていたことではあるが、さすがはリ=トゥエ大山脈を越えてこようと思う集団。その訓練のされようは見事と言うしか無い。


 だが、それ以上にもう一つの方に彼は感心していた。

 魔族たちは、雇い入れた傭兵たちを追い立てるようにして先に進ませた。

 その後ろを――ごくわずかな人数ではあるが――ファーゲンやリースフェルトから連れてこられた兵が進んだ。ゲデック侯爵の部下もその一角として扱われている。

 そして、最後に魔族たちが進軍したのだ。


 人の通った後ならば、その通った場所が危険であるかどうか、見て取れる。

 嵐の中の進軍中、自分たちも含めた先行者の足取りを観察している魔族たちに気づき、部下にもそれに倣うよう命じてから、侯爵配下の疲労具合は間違いなく軽減され、馬の消耗も減った。

 魔族たちは、傭兵たちが規律正しく進軍するかを監視しつつ、自らの戦力の温存も図っていたのだ。

 そして、それは成功している。


 だが、侯爵が感心している一番の点はその結果では無い。進軍させた順番にこそ、彼は着目していた。

 ゲデックで雇った傭兵が先頭、それに続いて投降した都市の兵、そして、魔族の本隊が続く。

 つまりは、新たに仲間になった者ほど、危険なところに配置されている。


 侯爵たちが、先頭でも無く、魔軍の後でもなく、スオウたちの本陣のすぐ前を行くように指示されたことからして、この進軍順は、魔族たちがはっきりと意図したものだ。

 大規模な軍で、新参者がより危険な部署に配備されるのは当然の話であろう。それに文句を言う筋合いは無い。

 雇われだったり、投降した者に、安全な場所が用意されるわけがないのだから。


 だが、たいていの場合、その序列分けは単純なものになりがちだ。

 たとえば、国を名乗る以前と以後だとか。

 北方人と南方人だとか。

 あるいは、この軍であれば魔族と人でもいい。


 だが、魔族たちは時系列に忠実に、その配置を定めた。

 修道騎士団の男たちが、問う意味すら無いと決めつけたように人と魔が絶対的な違いと差を持っているのならば。あるいは、ソウライの新たな支配者たちがそう思っているものならば。

 傭兵も都市の兵も、一緒くたに扱われても良いはずだ。

 それが、明確に分けられた。


 そのことの意味が大きいと、彼は感じていたのだ。

 この一戦では傭兵の割合が大きく、しっかりと支配下に入った順に配慮されているのだなどと気づく者は少ないだろう。


 だが、大規模に動員が始まればそれも変わる。

 ソウライの者たちは気づくだろう。

 新たな征服地を得れば得るほど、自分たちの負担は減ると。あるいは、彼ら自身が軍の中で重要な地位を占められるようになるかもしれないと。

 仲間になって時が経つだけでもそれなりの扱いをしてもらえるのだから。


 そうした配慮まで含めて考えると、魔族……否、いまや侯爵自身が属するカラク=イオという集団を指導する一団は、戦と支配という手段に長けている。

 そう感じられるのだ。


 だから――平和なソウライに生まれ育った――侯爵は、それ以上なにも言わない。スオウたちにはなにも言えない。

 ただ、魔族たちの間に流れる落胆の雰囲気には、さすがに驚かされた。


「……もしや方々は暴れたりませんかな?」

「ははっ。そうだな。だが、まあ、しかたあるまい」


 あたりを見回して不安げに呟くゲデック侯に、スオウは笑って、少し声を大きくした。

 まるで、周囲の者たちに言い聞かせるように。


「フウロかスズシロか……。いずれかが本隊とぶつかっていることを期待するとしよう」

「では、殿下、我が隊は」

「うん。左に旋回し、ハグマと合流する」

「承りましたわ」


 スオウの命を受け、巨大な蜘蛛のような姿がその六本の脚を使って跳躍する。

 そのあまりの機敏さと跳躍力のすさまじさに目を剥きながら、ゲデック侯爵もまた部下たちに、緩やかに円を描きながらの左方への進軍を命じるのだった。



                    †



「こっちは外れか」


 部下が持ってきた布に両腕を包みながら、襲撃大隊長フウロは呟く。その間も巻かれた布の膨らみが形を変えている。それは、けして雨に濡れて布地がよれたからといった風情では無かった。


「ですわね」


 彼女と竜を並べているミズキが、ぺしゃりと潰れた前髪を気遣わしげにいらう。それから、ちらりとフウロの腕を見て楽しそうに笑みを浮かべた。

 赤毛の女はすでに布から腕を引き抜いている。ただし、その腕にまとわりついているのはもはや袖とは言えない布の残骸だ。


「それにしても、腕だけ獣化させて騎上から攻撃するなんて、面白いことをなさいますわね」

「全身で相を露わにしたら、竜に乗れないだろ。こういう時は速度を犠牲にするわけにはいかねーんだよ」

「まあ、そうでしょうけれど」


 それにしても、腕だけを巨大で鋭利な槍と化して竜の上から敵兵たちを刺し、斬り、はじき飛ばすフウロの腕前は実に見物であった。

 唯でさえ体の一部だけに『相』を現出させるのには集中力が必要だというのに、それをしながら、見事に戦ってのけるとは。

 彼女の代わりに部隊全体のまとめ役をしていたミズキは心底からそう思い、しかし、いまはそれ以上礼賛を送るのをやめておいた。

 武勇を讃えるのは戦が終わってからでいい。


 とはいえ、いま、この場では敵兵は全員泥濘に埋もれ、次なる行動に向けて準備を進めているところだ。


「我々が外れということは、殿下かスズシロさんのところと?」

「どうだろうな。どこも当たらないということもありえるけどな」

「この嵐ですものね」


 フウロが肩をすくめる。

 いかに魔族が部隊を分け、当たるを幸い討魔軍を襲撃しているとはいえ、相手も分散し、それぞれに嵐を避けている。

 魔族たちがうまく本隊にぶつかるとは限らないのだ。

 まして、ここは彼女たちにとって見知った土地というわけでも無い。地の利が無い以上、後は運任せだ。


「まあ、敵さんも殿下に当たれば、幸運だな」

「そりゃあ、大将同士で当たりたいですものね」

「まあ、もちろん、それもあるけどさ」


 赤毛の女はぶるっと頭を振って、顔についた水滴を払う。まだまだ雨は降り続けているから、あまり意味の無い行動ではあったが。


「いまのスズシロはたぶんやりすぎちまうからなあ……」


 そして、彼女は心配そうに告げるのだった。



                    †



「やあ、これはいけいないな」


 本陣から部下たちが戦う様を見渡しながら、足萎えの雷将ヴィンゲールハルト・ミュラー=ピュトゥは軽い調子で呟いた。


「なにを仰いますか」


 隣で指揮を続けている娘のローザロスピータが小声で諌止する。幸いにも、父の声は小さく、近習たちにも聞こえている様子は無かった。

 彼女たちの周囲にいる者たちが、各所の細かい指揮をするのに忙しいこともある。


「まだまだ、我らは戦えます。たしかに最初の混乱はありましたが……」


 そう、彼女の言う通り、ヴィンゲールハルトの陣ですら、混乱はあった。

 いかに敵襲に備えろと言われても、実際に目の前にあるのは耐えるのがやっとな風雨である。そちらに対処するのが第一で、嵐の中をついて敵がやってくるなどという話は、いかに雷将の言とはいえ、半信半疑の者が多数を占めていた。

 そこに本当に敵がやってきた。

 わずかな動揺だけで切り抜けられたのは、それでも雷将の警告あったればこそだ。


 ただし、文字通りの旗本である彼らですらそうであることを考えると、警告を飛ばせなかった遠距離の部隊はもとより、伝令を向かわせた近傍の部隊でも――たとえ伝令がたどりつけていたにせよ――大規模な混乱が生じたであろうことは想像に難くない。


「うん。彼らはよくやっている」


 言いながら、彼は周囲を見渡した。

 そこら中で、彼の部下たちは戦っている。当初その相手のほとんどを占めていた人間たちは後ろに下がっているため、いまは異形の化け物たちに槍を突き立て、鉄槌を打ち付けている。


「だが、君が下がらねばならない程度には追い詰められている」

「それは……」


 ローザは言葉を濁す。当初は陣頭で『御旗』を振るっていた彼女は、いま父のかたわらにあり、全体の指揮を行っている。

 それは疲労回復のためでもあるが、彼女が敵とわたりあう余裕もなくなってきているということでもある。


 細かい指示を出し続けなければ、全体の均衡が崩れてしまうと思わせるほどの状況。

 実際、こうして話しながらも、親子はその会話の合間合間に指示を飛ばし続けているのだ。


「それに、言っているのはそれじゃあない」


 寝椅子から苦労して体を起こそうとする父を、ローザは咄嗟に支えようとした。しかし、父は珍しくいらだたしげに手を振ってそれを拒絶する。


「わかるかい? 彼らは戦いながら、兵を展開させて包囲を進めようとしている」

「それは……はい」


 そのことは、ローザもわかっていた。その徴候を捉えたが故に、彼女が下がって対処しようとしたという部分もあったのだから。

 雨によって視界が制限されている状況では、彼らがどこまで部隊を動かしているかは、しかとはわからない。


 だが、風雨に紛れなかった音や、あるいはわずかに雨の幕が薄くなった場所から見える様子で判断する限り、正面での戦闘は囮としか思えないほど、着実に包囲を進めているように思える。

 もちろん、囮とわかっていようと、襲い来る魔族たちと戦わないわけにはいかないのだが。


「君も知っているとおり、包囲するなら、半包囲だけでも十分に威力を発揮する。囲まれた方は正面のみならず側方からの攻撃にも対処しなくてはならず、かなりの被害を受ける。戦いながら後退なんてうまいことは普通出来ないからね。後退が潰走に繋がって、結局は全滅なんてひどいことになってしまう。だから、半包囲で十分なんだ」


 戦術の基礎を講義するかのように、雷将は続ける。

 もちろん、その程度のことはローザもわかっているし、そのことをヴィンゲールハルトも知っている。それでも、言わなくてはいけないということは、そうした常識を覆すようなことをこれから言おうとする前置きだ。


「ところが、いま彼らはそうは動いていない。……どうも、魔族たちは環を閉じようとしているようだ」

「そんな馬鹿な!」


 そうして前置きされてすら、ローザは小さく驚きの声を上げた。

 包囲に逃げ道を用意しておくというのは戦の常道だ。

 そうしなければ、包囲された敵は、そこを死地と定めて決死の反撃を行うだろう。そんなことになれば、包囲する方の損害も馬鹿にならない。

 それよりは逃げ道を残しておき、逃げる敵を討つほうが容易いし、効果も高い。

 逃げ道があえて開けられていると知っていても、包囲された側はそこから逃げざるを得ないのだから。


 環を閉じた完全包囲など考えられることでは無かった。


「ところが、彼らはそうしようとしている。魔族は考え方が異なるのか。あるいは……」

「犠牲を出してでも、我らを逃すべきではないと判断したか」

「その通り」


 自ら口にしながら、ローザはその判断が信じられなかった。

 確かに、逃げ道を用意しておけば、ある程度の者には逃げられてしまうだろう。それでも、死兵と化した者たちを相手にするよりはよほど効率が良いはずだ。


 もし、ここにローザがいると知り、ヴィンゲールハルトがいると判断したとしても、あえて余計に部下を死なせてまで逃がさぬ決断をするとは……。


「敵の指揮官はよほどの剛胆か、よほどの馬鹿かかもしれないね」

「その両方でしょうよ」


 呆れたように言う娘に、ヴィンゲールハルトは微笑む。彼も彼女の意見にまったく同意であった。


「では、父上。環が閉じる前に」

「うん。そうしよう。逃げよう」


 一度事態を呑み込むと、旭姫ともあだ名されるローザの決断は早い。ヴィンゲールハルトもそれに頷いて、一つ顎をなでた。


「では、休ませている部隊に後ろをこじ開けさせましょう」

「いや、それはどうだろう。逃げる算段としては……」


 そこまで言ったところで、雷将ヴィンゲールハルトは奇妙な表情を浮かべた。

 焦りのような、怒りのような、悲しみのような。

 だが、一番大きかったのは驚きだったに違いない。


 けく、と彼の喉が小さく鳴った。


「父上?」


 それは、風音に紛れて娘の耳には届かない。だが、その次の様子は彼女もしっかりと見て取った。


 ごぼり。

 そんな音と共に雷将が血を吐いたのだ。

 それは彼の胸を濡らし、雨に広げられて、あっという間に彼の上半身を濡らした。


 悲鳴が上がる。

 ヴィンゲールハルトの名を呼ぶ大声が上がる。

 雷将の部下たちは見た。

 鮮血に濡れる彼らの指導者を。


「父上! このような時におふざけにならないでください!」


 ローザは慌てて父に小声で注意する。

 血を吐いたと見て取った者だけではなく、おそらくヴィンゲールハルトが大怪我を負ったものと誤解した者も出ているだろう。

 いったいなぜこんな時に血を吐く演技などするのかと、彼女は父の意図を理解できなかった。


 だが、ヴィンゲールハルトは再びごほごほと咳を放ち、先ほどより量は少ないものの、さらなる血を吐いた。


「残念……ながら、これは……違うんだ」

「父上!?」

「演技じゃ……な……ぃ……」


 切れ切れの言葉がローザの脳に染み渡る頃には、父はぐったりと寝椅子に倒れ込み、その顔は土気色に変じ始めていた。


「父上! 父上!」

「前へ……進め、ローザ……」


 彼女の声が聞こえていたのかいないのか。

 ヴィンゲールハルトはそれだけ言って意識を失った様子だった。

 彼女は近習の者に寝椅子を任せると、ぐっと『御旗』を握る。


 そして、父の言葉に従って、こう叫んだ。


「正面突破だ!」


 それが彼女へのその場の指示ではなく、今後の心構えのようなものではなかったかと気づくのは、彼女たちが魔族たちを振り払い、戦場から離れて後のことだった。

 いずれにしても、結果として、ローザたちは包囲を脱したのであった。

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