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三界大戦記―好色皇子と三界の姫たち―  作者: 安里優
第三部:人界侵攻・龍玉編
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第29回:宿敵

 ラー=イェン、すなわちエリとその兄の幼なじみにして、次代の長の腹心である女性は、真龍の中でも特に偵察に長けていた。

 青空に溶け込むその体表を活かし、地上の人間たちから身を隠すのはもちろんのこと、それ以外にも様々な技術を身につけている。

 翼をあまり動かさずに滑空する手法も、筋肉が発する熱の体外への放出の調整も彼女の得意とするところだった。


 その隠密性は同族の中でも抜きん出たものだ。おそらく、彼女が本気で隠れたなら、それを見つけられる真龍はいないだろう。

 そして、神族にも魔族にも、それは出来ないものだと彼女は信じていた。

 いま、この時までは。


『なるほど、平時と戦時ではまるで違うというわけ』


 彼女は感じていた。

 自らの膚を刺し、おぞましい感触で探る観測の波を。

 これまで感じたことのない神族の探知の手が、彼女を捉えている。

 そうでありながら、放っておかれている現実も、また彼女は理解していた。

 相手にするまでもない危険性の低い存在として、放置されているのだと。


『眼中にないということ』


 ラー=イェンという真龍を構成する二つの脳が怒りと屈辱に燃える。だが、それは飛行にはなにも影響を及ぼさない。

 翼の付け根と腰に存在する副脳が、主脳の怒気などに構わず、空中での姿勢を制御し続けているのだ。


 故に、彼女は思う存分怒りに耽溺し、そして、すぐに平静になった。


『まあ、いいか』


 けろっとした様子で、彼女は言葉にならない呼気を吐く。そもそも、彼女はぐだぐだとこだわる性質では無い。

 反省はしても、後悔はしない主義なのだ。


 そんなことに時間を浪費していたら、彼女の憧れの人物はどんどん先に行ってしまう。

 共に並び立てれば最高だが、いまの状況ではそれにもずっと遠い。

 せめて彼の背が見えなくなるほど離されないよう、追い付き続けなければならない。


 なにしろ、彼女の憧れ――ツェン=ディーという人物は、真龍の誰もが思いつけないような発想をするのだから。

 まるで、同族とは違う意識と頭脳を持っているかのように。

 だからこそ老いた者たちは彼を危険視し、若者は彼に憧れる。


 いま、腹心という位置にあることは彼女に取って喜びであったが、それを継続するためには、さらに努力を重ねなければならない。

 そして、彼女はいつまでも彼の傍にいたいと願っていた。


 そうした根源的な願いが、彼女を楽天的で、かつ前だけを見る性格にしているのだった。

 故に彼女はさっきまでの怒りをすっかり忘れ、観察に戻った。


『神族と魔族の衝突か……』


 彼女は観察する。

 ここ何百年もなかった神と魔の直接対決が、いままさに起きようとしているその戦場を。



                    †



 花びらが落ち来たる。

 炎で形作られた花弁が崩れ、光の玉と化して、戦場へと落ちてきている。

 それらは大地にそのまま落ちるように思われたが、ある程度の高さまで至ったときに、奇妙な動きを見せ始めた。

 人間の集団を避け、魔族たちへと向かい始めたのだ。


 だが、人の背丈の三倍から五倍、つまりは魔族にとっても頭上といえる高度まで落ちたそれらは、急に破裂し始める。

 球形をしていたものがぐにゃりと歪み、耐えかねたように内側からめくれあがって、散り散りとなっていったのだ。


 光球が雲散霧消した後に残るのは陽炎だけ。

 それだけでもそこに潜んでいた熱量は察せられるというものだ。


「さすがに迎撃されるか」


 戦場の上空を行きすぎてしまい、旋回して戻ってきたシュリーが言うのに、パークシャーがあきれた様子で問いかける。


「なんで楽しげなんですか」


 自分たちが放った光球が、次々に熱波や光波で撃ち抜かれていく様子は、彼女にとってみれば、あまり気持ちの良い光景ではない。

 それなのに、シュリーは実に楽しげであった。むしろ、嬉しそうだ。


「経験したことのない相手との戦いだぞ。楽しいに決まっているだろう」


 うきうきとした調子で返ってくる言葉に、パークシャーは心底疲れたという様子で指摘した。


「そもそも戦いではなく、戦う人々を祝福しにきたのですよ、我々は」


 通り過ぎるだけという言葉を文字通りに解釈するならば、こうして戦場の上空を旋回するのも、もう当初の予定を外れていることになる。

 だが、さすがに空に炎の花を咲かせて、その効果を見ずに行き過ぎようというほど、パークシャーも薄情ではなかった。

 人界の者たちに及ぼす効果は確認しておきたかったし、魔族の実力がどれほどのものであるか知ることに意義はあると彼女も考えてはいた。


 だが、積極的に戦おうとまで望んだりはしない。

 ただでさえ崑崙クンルンとの戦いが続いている中、余計な敵を相手にすることもないではないか。

 彼女はそう考えていたのだった。


「そうだな」


 さもわかったように応じるシュリーの声は、いまも期待にあふれている。

 パークシャーは気づかれぬよう内心でため息を吐いた。その情動を感知して、彼女の操る空間戦闘艇カルラが空中でしゃっくりをしたように全体を波打たせる。


「しかし、最大の祝福は、共に肩を並べ、戦うことではないか? そもそも我らは……」

「シュリー」


 警告するように名を呼ぶパークシャーを無視して、シュリーは続けた。


「我らは神族だ。それを否定するつもりはない。だがな、パークシャー」

「シュリー」


 今度の呼びかけは、先ほどよりは柔らかい。だが、どこか警告する調子は残っていた。


「神と人が共に歩むことが出来ないというわけではないぞ」

「シュリー」

「なんだ、パークシャー」


 しつこく名を呼ぶのに折れたのか、シュリーはしかたないというように問い直す。

 すると、パークシャーは落ち着いた声でこう返した。


「クールマは上げておきましょう。それと熱量には気をつけてくださいよ。人を撃ってしまったら、神の名折れもいいところですから」

「わかっているとも! よし、クールマは上昇! 残りのカルラは全て攻撃に移れ!」


 本当にわかってくれているのだろうか。

 そう思いながらも、ヴィルーパークシャー――すなわち四天王の中で西方守護を担う神は、眼下で戦闘を続ける魔族たちの情報をまとめ、部隊全体に送る準備を始める。


 彼女もまた武神であった。



                    †



 空に再び花が咲く。

 だが、今度の花は先ほどのものとは明らかに違っていた。

 花が開く速度はずっと速い。さらには、先ほどの花が空全体を輝かせたのに対して、今度はずっと細くまとまりながら螺旋を描く。


 上空を飛翔するカルラを中心に、螺旋の渦巻きを描いて、それは地上を目指していた。

 高度を下げるに従って、ぐんぐんと速度を増すそれを、魔族たちの熱波や光波が追う。


 肩に盛り上がった瘤状の器官から空を狙う者がいる。

 筒状に変形した両腕から熱と光を伴う砲撃を放つ者がいる。

 大きく開いた口から、棘のようなものを飛ばし、それを気流に乗せて攻撃する者もいる。

 そうして、何割かの光球は先ほどと同じように撃ち抜かれ、破裂した。だが、速度が増し、数も増えたそれを、限られた魔族たちだけで撃ち抜くのは難しい。


 なにしろ、彼らの本隊は、神々の祝福によって勢いづいたヴィンゲールハルトたちの相手をするのに忙しかったし、それを後方から支援する必要もあった。

 シランが大隊全員に伝えたとおり、彼女たちは文字通り大隊本部の人員だけで上空の対処に当たっているのだった。

 その状況を崩して空への攻撃に隊員を割けば、地上での前線が支えきれなくなる。そんなことをすれば神々の思うつぼだと誰もが心得ていた。

 故に、彼女たちは必死で攻撃を続ける。


 それでも、追い付かない。


 そもそも、現状では落ちてくる光球の対処しか出来ていない。見渡す限りの空全体に花を咲かせるほどの攻撃を放つカルラを叩く事が出来ない以上、追い付くはずが無いのだ。

 もちろん、シランの天煌あまのきらめきのように高出力の攻撃を行える相を持つ者は、光球を撃ち抜くと同時に、その向こうにカルラの姿を捉えようとしている。

 だが、ヴィンゲールハルトの軍を相手にしながら上空の敵に攻撃するのは、やはり相当の難事であり、効果を発揮してはいない。

 結果として、彼女たちは自らの限界まで力を振り絞り、肉体を赤熱させ、あるいは血流を急加速させて攻撃を続行する。


 だが、どうしてだろうか。

 時に光球を撃ち漏らし、急速に降下するそれに――苦痛をもたらすほど短い間隔で――光波を浴びせたり、自らの皮膚が焦げるほどの勢いで炎を噴出したりしている彼女たちに、悲壮感はまるでない。


 魔族でない者たちにはわからないかもしれない。

 けれど、その毛むくじゃらの、もしくは鱗だらけの顔に浮かんでいるものを、彼女たち同士はわかっている。

 攻撃の合間を縫って、彼女たちは顔を見合わせ、指示を飛ばしあい、そして、満足げにうなずき合う。


 そう、魔族たちの顔に浮かぶもの。

 それは、紛れもなく笑みだ。

 獰猛で、凶暴で、柔和さのかけらもない表情ではあっても、それは間違いなく笑みだ。


 隣で先ほどまで熱波を放っていた同輩が、撃ち漏らした光球に接触されて腕を浮き飛ばされても、その表情は変わらない。

 倒れた仲間当人が、苦痛の中に喜びを秘めながら、周囲を鼓舞しているのだから。


 たとえ、この戦いが偶発的なものであったとしても。

 たとえ、いま、準備不足のために、この場が圧倒的に不利な状況であったとしても。

 彼女たちが数百年来の怨敵と戦っていることは変わらない。


 母も祖母も、そのまた母も、真龍はもとより、神々と戦えた者などいはしない。

 戦うために生まれ、そう教育され、体を鍛え、心を練り上げ、武を研鑽した。

 それでも、父は戦わずに死んでいった。

 それでも、祖父たちは戦場に導かれることなく高天に去った。

 だが、いま、彼女たちがここにいる。


 予期していた戦いではない。

 けれど、待ち望んだものであった。

 彼女たちだけではない。彼女たちの体に脈々と受け継がれる血こそが。


「――!」


 水晶の竜が声にならぬ声を放つ。

 途端に、シランの巨体の各所から、なにかが宙に舞った。


 それは、彼女自身の鱗だ。空中に跳ね飛んだ鱗は、一枚一枚が人間の手で覆えないほど大きく、彼女の体と同じく、透き通っている。

 だが、それは空中にある間にあっという間に黒色に変じた。さらには裏面は鏡面のように周囲の風景を反射すらしている。

 背中から突き出たつららのごとき水晶の柱が七色に輝き、その鱗に向かって光を放った。

 光は鱗に当たると四方八方に散らばり、落ち来たる神々の光球をいくつも破砕する。


 それでも、追い付かない。


 それは、シランもよくわかっていた。

 だが、彼女は吠える。

 嬉しげに、楽しげに、部下たちを励ますように。


 彼女は喜んでいた。

 彼女は楽しんでいた。

 この戦場を作り出せたことに。


 たとえ、いまこのとき負けるとしても、すでにカラク=イオは大いなる勝利を収めていることを理解して。


 誰が想像しただろうか。

 後宮部隊と揶揄された彼女たちが、神魔大戦にあらざるこの時に、神族と戦うことになろうとは。

 誰が予期したことだろうか。

 好色皇子と侮られた男が、神界からも無視できぬ存在と認められるとは。


 シランを含めた全ての魔族は、自らの選択が間違っていなかったことを確信する。ついてくるべき者を間違っていなかったと。


 魔族の使命を理解しない人間たちが襲いかかってくることなど、どうでもよかった。

 彼らは、ついに千年近くも続く戦いの宿敵を引っ張り出したのだから。



                    †



「マハーシュリーの幸運は、いまここにあり!」


 神石リンガムの輝きに包まれた鎧を身に纏ったローザが、その先端に雷を宿した『御旗』をふるう。

 剣も槍も大鎚も通じなかった鱗が、易々と切り裂かれていく。吹き出るはずの血は、ローザの握る『御旗』によってじゅうじゅうと音を立てて煮えたぎり、蒸発した。


 そんな光景を、シュリーは満足げに眺めている。はるか高空から、空間戦闘艇カルラの目を通して。


「なかなか頑張っているではないか」

「たしかに、旭姫は。しかし……」


  シュリーの言葉に、パークシャーは言いにくそうに言葉を濁す。

 彼女たちの眼下で、人々は果敢に魔族に挑みかかっていた。だが、そのほとんどが魔族への打撃とはなっていない。

 ローザの働きと、陣形の勢い、神族に祝福を受けているという心強さから、なんとか優勢に持ち込めているのがせいぜいというところなのだ。


 パークシャーたちが参戦しているから、この戦場の天秤は傾いているが、人間だけであれば――たとえ神々が魔族の注意を惹いたとしても――敗走しないのがやっとだったはず。


「大したことではないさ。とどめは我らが受け持てば良い。それに、大事なのは、彼らも立ち向かえると知ることだ」

「まあ、それはそれで効果は……」


 そこまで言ったところで、もう一つの通信が彼女たちに割り込んだ。空中母艦クールマを任せている『脳なし』だ。


「侵食兵器の反応を感知」

「なんだと?」


 シュリーは耳を疑った。『脳なし』が自発的に動き、ぶしつけに話に割り込むことはもちろん、その警告内容そのものが頭に入ってこなかったのだ。


「侵食兵器です! 即時離脱を、222!」


 だが、そんな自失の状態は、パークシャーによる呼びかけによって破られる。彼女が、シュリーの名ではなく、この作戦中に用いられることとなっている正式な暗号名を呼んでいたから。


「離脱だ! ただし、余裕のあるカルラは最後に一撃を放て!」


 鋭く命を下し、率先してシュリーは戦場を離脱する。それまでにないほどの速度で飛行しながら、彼女は己と一体化しているカルラの体表を丹念に探った。

 クールマからの警告通り、生体も金属も食い荒らす微細な兵器の痕跡がわずかな傷痕として感じられる。いまは、兵器の有効範囲からは抜けているようだが、あのまま戦場にいれば、どうなっていたかはわからない。


「……いつの間にこんなことを」

「いずれかの魔族が体内で生成し、気流に乗せて拡散したのでしょう。しかし……」

「それを自らを囮にしてまで、この戦場でやらせるか」


 そこで彼女は言葉を切り、改めて、感情を込めて呟いた。


「なるほどな」


 と、そう感嘆を込めて。


 そうして、神々は戦場を去り、彼らの相手をしなくて済むようになったカラク=イオ軍は勢いを盛り返して、これも戦場離脱に成功する。

 煽り立てるだけ煽り立てられたヴィンゲールハルトの軍はそのため込んだ力を放ちきれぬままとなってしまった。


 一方、神と魔の戦いの顛末を観察し終えたラー=イェンは、堂々と翼を羽ばたかせ、空を行く。

 彼女は声なき声で呟くのだった。


『空が荒れるな』


 それからしばらく後、神族との戦いの報告を受けたスズシロは、ゲデック城の最も高い塔に登り、空を見上げ、よく似た内容を口にした。


「嵐が来る」


 と。

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