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三界大戦記―好色皇子と三界の姫たち―  作者: 安里優
第一部:人界侵攻・開戦編
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第7回:服喪(上)

 その朝、スオウは竜血酒の入った杯を片手に揺らしながら、一人、物思いにふけっていた。

 漏れ入ってくる朝日は、まだ曙の赤を残している。

 灯火をつけていないため、天幕の中はようやく物の判別がつくほどの薄明かりにとどまっていた。

 酸味の強い竜血酒を呷りながら、彼は苦笑する。


「しかし、まさか、真龍がもう人界を守っていないとはな……」


 参ったと言いたげに首を振り、目をつぶる。

 スオウはそうしながら、しばらく前――ショーンベルガーの降伏を受け入れた日のことを思い出し始めるのだった。



                    †



「君が?」

「はい。ショーンベルガーで最も詳細に歴史を研究しているのは、私です。地誌についても同様」


 求める知識を持つ者は自分だと主張するエリに、様々な感情が乗った視線が向けられる。

 疑い、不安、そして、おもしろがるようなものも。


「しかし、なあ……」


 困ったような表情を返すスオウに、エリはひるむことなく言葉を続ける。


「かつての王都……いまは学究の都と呼ばれる都市へ留学した経験もあります故。なによりも、この言葉を話せる者は、私を除けば数人。そのいずれもが私以上の知識はありません」

「そうなのか?」

「はい。この言葉を我々は極北語と呼んでいますが、通常、話す機会はありませんから」


 そこで、隻腕の男が一歩歩み出た。


「殿下」


 大きな体を折り曲げて、窮屈そうな格好でスオウに耳打ちする。


「ひとまずはこの者を確保しておけばよいでしょう。我々が去る時に解放する条件でもつけて」

「まあ、そのあたりかな」


 部下たちの顔をざっと確認して、スオウは頷き、エリに向き直った。


「いいだろう。君を受け入れ、代わりに包囲を解く。これでどうかな」

「一つだけ」


 エリがその顔に喜色を露わにするのに、スズシロが割り込んだ。彼女は一本指を立てて、厳しい調子で言った。


「意図的に虚偽の情報をこちらに流すようならば、報復も視野に入ります。それは理解してください」

「そのようなことは考えませんが、しかし、知識自体が間違っている場合も……」

「そこは明らかな悪意がない限りは大丈夫だろ。な?」

「それはもちろん。こちらも確認に努めますから」


 エリがためらうように言うのに、フウロが肩をすくめ、スズシロが当然というように頷いてみせる。そのやりとりを見て、エリは決意を固めたようであった。


「ならば、是非」


 一度つばを飲み込んでからの答えは、熱を帯びている。

 その気負いが溶けたのは、それから条件の細部を詰める事務的な話し合いに入り、仮の文書が作成された頃だろうか。

 魔界の言語と人界の言語の二つで書かれた文書を布で包んだものをぎゅっと胸の前でかき抱くようにしている少女の体からようやく力が抜けていった。


「ところで、先ほど、『かつての王都』と言っていましたね?」


 エリの前に置かれた杯に果汁を注ぎ、飲むように促した後で、スズシロは思い出したように言う。


「はい。現在は学究の都として、各地の研究者によって……」


 糖分を欲していたのか、一気に果汁を飲み干したエリの顔がわずかに緩み、その後の発言もずいぶんとなめらかな調子で出てきた。


「いえ、そうではなく……。国家はどうしたんですか? たしか、このあたりはソウライ国、でしたか」

「ああ……」


 エリはスズシロの疑問に少し苦笑して応じる。


「ソウライは滅びました。兄弟国であるカライも」


 正確には、ソウライ王家の末裔がとある都市国家に頼ってソウライ国はいまだに続いていると主張しているが、かつての国土を掌握するだけの力はないのだとエリは説明した。

 スオウたちはその言葉に顔を見あわせ、結局はスズシロが代表して質問を続ける。


「一体どうしてです? 人界は真龍が守っていますから、人同士の争いですか?」

「そうとも言え、そうでないとも言え……」


 うつむいて難しい顔で答えていたエリは、ふと顔をあげ、少し不思議そうに言った。


「ところで、真龍は人との盟約を凍結していますが、その報せは届いておりませんか?」

「……え?」

「話すと長くなりますが、真龍が現在こちらの呼びかけに応じることはありません。約八十年ほど前から」


 スオウたちは再び顔を見あわせる。居並ぶ顔に如実に焦りと困惑の色が出ていた。

 そして、しばしの沈黙の後、魔族たちの反応に戸惑うエリに、スオウが硬い声でこう言うのだった。


「どれだけ長くなってもいい。だから、その話をしてもらえないだろうか」


 と。



                    †



「魔界二百年の停滞、まさかこれほどとは……。いや、父上とサラはこれを恐れていたのか」


 エリから聞いた話をもう一度思い出し、スオウは首を振る。


「それにしても、どうする……」


 ショーンベルガーの降伏から半月、人界に侵入してからでは一月以上が経つ。

 すでに都市の包囲は解かれ、陣も北東に移動させた。城市から見ると、ずいぶんと下がった形になり、街道からはその存在を察知しづらくなったろう。

 いまではかつて本陣を置いていた場所で定期的に市を開き、ショーンベルガーの商人たちと物々交換による交易を行っているくらいだ。


 それはそれでいい。

 問題は、これ以上人界を荒らし回っても真龍と戦える見込みがないことにある。真龍は人との盟約を破棄まではしていないようだが、無視してしまっているのだから。


「いくつか都市を略奪するか……。いや、それでは……」


 今後の方針について考え始めると、堂々巡りに陥ってしまう。

 今回の侵攻の目的は、表向きは彼自身の功績を立てることにあるが、魔界全体の閉塞感を払拭することも重要な狙いなのだ。

 そのためには、『双子の悪魔』以前の古き良き日――偉大にして強力無比な魔界の理想像と、いまこの時の現実を人々の意識の中で重ね合わせる必要がある。

 かつて幾度も戦った真龍との戦いと勝利を求めているのはそのためであった。


 そもそも二百年以上前の魔界に対する意識そのものが幻影であることなど、問題とならない。

 苦しい時代を過ごし続けていただけに、過去への憧憬はいや増し、その時代の栄光を取り戻すことを魔族たちは求めている。

 それが事実であるかどうかではなく、彼らの心の中の真実こそが重要なのだ。


 学問的には冷徹に事実を追い求めることが必要だし、為政者であるスオウやその周辺は甘い夢ではなく現実を見る必要がある。だが、魔界全体の空気にまでそれを押しつけるつもりは、彼にはなかった。

 そのあたりは余裕が出てきた頃……『双子の悪魔』が、遠い昔のおとぎ話と変わらなくなった頃でいい。

 そう、それこそ、彼らの祖先がこの惑星を見つけ、人々の前に降臨した頃と同じような感覚で話せるようにでもなれば……。


「いや、そんなことはいまはいいんだ」


 遠大なことを考え始めるのは、結局は手近な問題から逃げているために過ぎない。

 スオウはいらだたしげに頭を振って、自分の思考の手綱を取るように努めた。

 彼女が天幕に入ってきたのは、そんな時であった。


「おはようございます、スオウ様。今日はずいぶんとお早いですね」


 そんな風に頭を下げるのはエリだ。スオウの様子からすでに起きて時間が経っていることを察したようだ。


 彼女は、このところ、スオウの侍女のようになっている。

 スオウやスズシロなどの幹部たちが人界の地理や歴史について話を聞きたい時にいつでも呼び出せるよう、彼女をスオウの天幕の中に置いていたのが発端だろうか。

 暇な時になにもしないのも……と言い出し、小間使いじみたことをし始めたのだ。


 領主の娘がそんなことをするだろうか、という疑問には、スズシロがこう分析していた。

 いわく『こちらの動静を把握しておきたいというのもあるのでしょう。加えて、生来、好奇心が強いようで、こちらの慣習を知ることも目的の一部かと』

 つまり、間諜にもなり得る動きをしているわけだが、スオウは気にしていない。

 なにしろ、人界への侵攻は見せかけにすぎないのだから。


「おはよう。そちらこそ早いな」

「そうですか?」


 言いながら、エリは天幕の柱についた絡繰りを操作する。すると、天幕上部の布が持ち上がり、明るい日差しが差し込んできた。

 その明るさにスオウは思わず目を細める。そして、自分がずいぶんと考え込んでいたのだと気づくのだった。


 ぱたぱたと動き回り、散らばった書類を片付けたりし始めようとするエリ。

 スオウはそれを見て、小さく微笑むと彼女のことを制した。


「……今日は身の回りの世話はいいよ」

「え?」

「それより、改めて、ここ二百年ばかりの歴史を概観して話してもらえるかな」


 エリは書類の束を持って中腰になったまま、しばしためらっていた様子だったが、はい、と一つ言ってから、書類を置いて背筋を伸ばした。


「わかりました。話し方にもだいぶなれましたから、今のほうがわかりやすくお話できると思いますし」

「ああ、そういえば……。今風の話し方になってるな」


 ここ半月、魔族たちの間で過ごしていたせいだろう。エリはずいぶん言葉が自由になってきたようだ。

 おそらくは、いま話しているほうが彼女の本来の言葉遣いをより忠実に表現しているのだろう。少なくとも、現代に生きる魔族からしてみればそうであるはずだ。


「では……。さかのぼること、二百年。魔界では『双子の悪魔』の厄災が起きた頃、人界は、おそらくはそれと根を同じくする災禍が発生していました。北部での通称『七飢饉』、南部の悪疫の流行です」


 もちろん、当時の人々はそれがなにを原因としているのかはわからなかった。

『双子の悪魔』からの噴出物が、魔界の住人の予想を上回り、魔界どころか大陸全土を寒冷化に導いていたという事実は、エリの知識とスオウたちの知識がすりあわされて初めて推測されるようになった出来事だ。


 いずれにせよ、それは大陸を襲った。

 そして、噴火を目の当たりにして覚悟の決まっていた魔界より、準備もなにも出来なかった人界のほうが寒冷化の影響は甚大であった。

 各地で数年の間に起きた七つの飢饉はもとより、南部で同時多発的に発生した疫病は、実に南部諸邦の人口の三分の一を死に導いた。


「これにより、各地の国家は疲弊しました。ことに南部では急激に人が死に……働き盛りの世代まるごといなくなってしまった地域もあったと言います」

「それでは、どうしようもないな」


 残されたのが老人と子供だけでは、本当にどうしようもない。

 いや、まだ、子供たち世代が全滅していなかっただけましと思うべきか。


「ですから、南部では難民が続出しました。その土地では生きていけないと判断した人々が、逃げ出したのです。これによって大陸南部では急激に国家がふくれあがったり崩壊したりしました」


 結局の所、残ったのは地力に勝る国家のみだったという。

『先史時代』から大陸の流通を握ってきたゲール帝国、神界からの援助を元に急成長した神聖連邦がその代表格で、これらとその衛星国家しか南方には残っていないという。


「悪疫が流行したのは二百年前から百七十年ほど前までの約三十年ほどですが、その後五十年ほどで、南方の枠組みは定まっていきました。一方、北方ですが、『七飢饉』で直接崩壊した国家はありません。しかし、後から詳細に検討すると、『七飢饉』による疲弊によって国家経営がうまく回らなくなり、滅びたと考えられる国家がいくつもあります」


 結果として、百八十年ほど前から、北方でも滅びる国が出てきた。南方と違ったのは、それが統合ではなく分裂を招いたことだ。


「北方では、周辺国家を吸収するような大規模国家は成立しませんでした。その代わりに小国家群が乱立し、戦国の世が始まりました」

「ふうむ」

「これには、南部のゲール帝国および神聖連邦の介入があったとも言われています。つまり、北部に自分たちと伍する存在が出来てほしくないと彼らは考えたのでしょう。人口の減少率は北の方が少なかったようですので。ただ……」

「ただ?」


 エリが複雑そうな表情で口ごもっているのを、スオウが不思議そうに促す。すると、彼女は苦笑いをしながら続けた。


「北部の人間がそう言うのは自分たちがいつまで経っても乱世を抜け出せない悔しさからだと考察する人もいます」

「なるほどね」


 悔しいから妄想に逃げ込んでいるのだろうと言われれば、それは複雑な気分になるだろう。

 しかし、エリはそのことを引きずらず、すぐに表情を切り替えた。


「いずれにせよ、大陸北部は各国が相争う戦国時代となりました。この最中に、真龍への裏切りが行われます」

「裏切り、か」

「はい。とある国――既に滅びた国で、真龍が呼び出されました。人界の危機であるとして。ところが、駆けつけた彼らに示されたのは同じ人間の軍隊でした」


 そう、その国は、真龍の力を利用し、他国との戦を有利に運ぼうと画策したのだ。


「真龍たちには、その国家は魔界の手先として働いていると、そんなふうに偽りが吹き込まれていました。実際に、神聖連邦の例があり、また直接の侵攻が長期間無かったこともあり、手法を変えてきたという主張も理のあるものと捉えられたようです」


 そして、真龍の強大な力はまさに戦場を支配し、その国家は戦に勝利をおさめる。

 だが、もちろん、それで終わりはしなかった。


「なにがきっかけだったのかはわかりません。しかし、真龍たちは自分たちが人間の内輪もめに利用されていただけだということに気づきました」


 真龍の怒りはすさまじく、彼らの総攻撃はその国を丸ごと焼き尽くしたと言われる。

 さすがにそれは法螺話の類であるにしても、少なくとも、その国の都は焼き払われ、王都に集中していた国家機構は崩壊。驚くほどあっさりとその国は滅んだ。

 その結果は、大陸全土に知れ渡った。

 そのはずであった。


「けれど、彼らを利用しようと考えたのは、その国だけではありませんでした」

「滅びという結果が待っているのにな」

「……なぜでしょうね。ただ、自分たちならばうまくやれると、そう考える者はいるものです」


 そうして、賢しらな愚者が真龍を利用すること三度。

 彼らの堪忍袋の緒が切れた。


「ついに、真龍たちは一切の呼びかけに応じなくなりました。記録によれば八十三年前から」

「それ以降一度も?」

「はい。ソウライとカライが話し合いを求めて使者を送ったこともあったそうですが、けんもほろろに追い返されたとか」


 ううむ、とスオウは唸る。既にわかっていたことではあるが、やはり改めて聞くと、色々と思うところがあるのだろう。

 太子が黙り込んでいる間、エリは律儀に口を閉じて待っていた。


「そういえば、各地から危急を知らせる場合、どんなやりかたで伝えてたのかな?」


 しばらくして顔をあげたスオウは、そんなことを尋ねる。エリはそれにもすらすらと答えた。


「ソウライならば、王都までは狼煙と発光信号と使者の併用でした。各都市を経由して、一日で伝わったと記録にあります。それを可能とすべく狼煙台などの整備について、各都市は厳命されていましたから。しかし、王都から真龍たちにどうやって知らせていたかはよくわかりません」

「ふむ。その手段についても王権を支える要素だったのかもしれないな」

「はい、おそらくは。しかし、それも無意味となりました」


 ソウライ、カライは特に魔界からの侵攻を防ぐために建国された国家であり、その代償として様々な特権的地位を得ていた。

 しかし、それも結局は真龍との連携あってのこと。

 前提が崩れた時、それまであった特権もまた失われた。

 以前から両国との確執を抱える周辺国家の圧力や、往時の地位を取り戻さんと行った急激な軍拡による負担などの様々な原因から、両国家は滅びた。


 その滅びの過程自体は両国で微妙に異なるとはいえ、魔界と境を接する地域には、ここ数十年統一政体は発生していない。

 そこへ魔界の情勢が好転し、侵攻が始まったことになる。


 スオウは、一連の流れの中で、魔界側が外界の情勢などまるで気にすることなく、内側の論理だけで軍を進めていたことに改めて気づき、背筋を凍らせるのだった。

2015/03/10

・一部修正


降伏から半月以上、人界に侵入してからでは一月近く

  ↓

降伏から半月、人界に侵入してからでは一月以上

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