第14回:蠢動(下)
ソウライと戦王国群をつなぐペトルスの渡し。そのすぐ南に、足萎えの雷将ヴィンゲールハルトは自勢力の拠点としてひとつの館を設けていた。
ようやく戦王国群の北辺をその勢力下におさめたヴィンゲールハルトにとっては当然のことであり、その北に位置するペトルスの渡しことヴェスブール戦王国にとっては神経を尖らせる対象であろう。
ただし、いまのところヴェスブールの戦王とヴィンゲールハルトの個人的な友誼に加え、つい最近ヴィンゲールハルトのほうから持ちかけた協力関係によりそれは問題となっていない。
いま、その館が重要と見られているのは、まさに足萎えの雷将が館に留まっている事実であり、その娘がソウライより戻ってきたという出来事が故であった。
「無事戻ったこと、実に嬉しい。嬉しいぞ、ローザ」
ヴィンゲールハルトは娘ににこにこと笑いかけながら言う。
これは本音であろう。なにしろ、脚の悪い彼が館の玄関まで娘を迎えに出たくらいだ。
普段はたとえ部下の手助けがあったとしても必要以上には出歩こうとしない彼であればなおさらである。
当然ではあるが、いまは普段の部屋に戻り、座り心地の良い椅子におさまっていた。
「はい。ありがたく」
娘のほうも、何度言われても嬉しいものは嬉しいらしい。
リリィに見せることも珍しいくらいの柔らかな顔で、彼女は父に対していた。
「しかし、父上。私は任務を果たしたとは……」
だが、そろそろ報告に移らねばならないと思ったのだろう。彼女は真剣な表情をその顔に浮かべた。
鋭い美貌は、厳しい顔をするだけでとたんに凄みが増す。
「いやいや、まずは無事戻ったことだよ、ローザ。皆生きて戻れたのだ。これがなにより喜ばしいでは無いか」
「それは私の……。いえ、私たちの力ですらなく……」
父が喜びを口にし、態度でもそれを示せば示すほど、彼女はいたたまれなくなる。
たしかに連れて行った者たちを損なうことなく戻ってはきたものの、それは魔族によって見逃された結果に過ぎない。
考えようによっては、彼女たちは相手にするほどの存在でもないと言われたに等しいのだ。
「うん。魔族がお前たちを逃がしたというのは聞いている。しかしな、ローザ。生きていればなんとでもなる。生きている間は、我らは負けていないのだ」
「……はっ」
穏やかな口調の中にも、父の言葉には重みがある。
そうだ。まだ我らは負けていない。
戦ってすらいないのだ。
彼女はそう気づかされた。
「わかったみたいだね。我々の戦いはこれからだ」
彼女の表情で、ヴィンゲールハルトは心の動きを察したようだった。これこそが、父上には敵わないとローザに思わせる部分でもある。
「では、君が見てきたものを語ってもらおうか」
そうして、父は娘がソウライで得たものを吸収すべく、目を煌めかせるのだった。
†
「……と、このように探れば探るほど、わからなくなりました」
「なるほどな。そのような状況ならば、私もハンスに再び会えるとは思いもしないだろう」
「はい。リリィには悪いことをしたと思っていましたが……」
「幸いにも彼女を寡婦とせずにすんだわけだ」
「ええ」
ことのあらましを聞き終えて、ヴィンゲールハルトが言うのに、ローザは複雑な表情で応じる。
リリィを悲しませずにすんだことは彼女も嬉しく思うし、ハンスたちを失っていれば彼女にとってもこの国にとっても痛手であった。だが、その一方で魔族たちがハンスにまるで構おうともせず逃がした事実が彼女を悩ませていた。
「魔族どもは一体なにを考えているのでしょうか」
だから、彼女は知恵者の父にそう尋ねる。雷将とたたえられる男はその問いかけに笑みを深くした。
「うん。まあ、それはまず置こう。彼らが何を考えているかを理解するためにも、まずは彼らから知り得たことを整理する必要があるだろう」
「なるほど」
優しく促され、ローザも素直に頷く。
「まず、彼らはよく訓練されている。そうだね?」
「はい。実際にゲデックに攻め寄せると見せかけ、ディステルをあっという間に陥落させた手腕を考えますと……」
深刻な調子で娘が言うのに、父は軽い調子で応じる。
「ちなみに、ゲデックは陥ちたそうだよ」
「なんと。侯爵には悪いことをしましたな」
あまり悪いとも思っていないような口調でローザは言う。
それも当然だろう。
ディステル陥落が事実であれば、ゲデックが保つわけがない。そして、さすがのローザも虚偽を伝えに戻る気にはなれなかった。
むなしく籠城を続かせてもしかたないだろうというのが、彼女のあきらめに似た実感であった。
「正確には陥ちかけているという伝令がマテウスから来たのだがね……。あの男がそこまで言うからには、もう陥ちているも同然だろう」
「そういう方なのですか」
「ああ。そういう奴だ」
ヴィンゲールハルトはヴェスブールの支配者をそんな風に評した。
「特に、自分の行く末がかかっている時は慎重だし、余計なことを言わない。ただし、準備はちゃんとしておく。そんな男だ」
父とその人物が古くからの知人であるとは知っていたが、そこまで信頼を寄せているとは知らなかったローザは彼の高評価に目を見張る。
「まあ、あれも今回のことで主を失い、名実共にヴェスブールの戦王として動かなければならなくなったわけだ。その方が、私としては喜ばしいがね。……いや、話が逸れたな」
雷の将と呼ばれる男は、その顎をなでて、落ち着いた声で話を続けた。
「ともあれ、よく訓練され、統率のとれた軍というのは厄介だ。しかも、彼らは力の使い所を知っている」
「はい。無闇とおぞましい姿を現すこと無く、最も効果的な時に、必要な部分だけ用いてきました」
きっと、その時ローザは門の上で見た殺戮劇を思い出していたのだろう。
こけおどしなどではない。必要なだけの威嚇を必要な時に彼らは示して見せたのだ。
「ただ脅かすだけなら、彼らが真の姿を現す方が効果はあるだろう。けれど、ゲデックではそうするのは避けた。色々と考えられる奴が上にいて、下もちゃんと我慢できる。強い軍だ」
そこで、ヴィンゲールハルトは少し面白がるように言う。
「それが女性ばかりとはね」
ただし、面白がるばかりでは無く、彼はすぐにまじめな顔をした。
「しかし、彼女たちが一族の繁栄を求めて高位の者に近づこうとする思考を持っているという点は重視すべきだね。まさに君が指摘したとおり、手がかりとなる」
なんといっても、と彼は低く呟く。
「人相手の謀のいくつかは、効きそうだからね」
父の言葉は相変わらず静かで穏やかだ。
だが、その時、ローザはその声の響きに体を震わせずにはいられなかった。
恐怖と昂揚の両方で。
この人ならば、あの者たちもひどく恐ろしい罠にはめてしまうだろうという予感と。
この人ならば、そんなことをしなくとも戦場で彼らの動きを読んでしまうだろうという信頼と。
「今回それを試す機会があるかどうかはわからないけれど、前提として知っているかどうかは大事だからね」
「はい」
自らが持ち帰った情報に、少しでも意味があったと思えたのだろう。ローザの顔は晴れ晴れとしていた。
「さて、彼らを褒めてばかりいてもしかたない。そろそろ、ローザの疑問に戻ろうか。彼らは何を考えているのか、だね」
「はい」
「ローザはどう考えるかな?」
けして無責任に問い返しているのではない。
父はすでに父なりの答えを持っているはずだ。だが、いかに頭の回る彼がいようと、娘である自分にも考えることを止めて欲しくない。
父がそう考えているのが伝わるからこそ、ローザは懸命に頭を絞り、自分なりの答えを示した。
「侮られているようでもあり、気にもしていないようでもあり……。まるで敵として見ていないようでもありました」
「その通りだよ」
「はい?」
よくわからないという顔をする彼女に、父は繰り返す。
「彼らは我々を敵とは認識していない」
「我らが敵するに値しないと?」
「いやいや」
怒りを表に出そうとする娘に、彼はなだめるように手を振った。
「彼らがソウライの人間たちと我々を区別していると思うかね? 私はまずそれはないと思うね。たとえ傭兵であろうと、彼らにとっては人間は敵じゃない。それは、次に支配する相手だ」
「……自らが統べるべき民であると?」
「そうだよ」
信じられないという思いで首を振りながら、どこか納得する部分もあるローザに、父は冷静に告げる。
「彼らがソウライで止まると思うかい? 昔はすぐに魔界に戻っていた彼らがわざわざここまで留まっているんだ。そんなはずはないよね」
「……それは、そう思います」
ローザとて、魔族が――愚かにも――人界を侵略する野望を抱いていることは理解している。
ただ、魔族という存在と『統治』という未来を考えるはずの行為が結びつかなかっただけだ。
「いずれ、奴らはソウライを足がかりに我らの地までその穢れた身を運んでくるでしょう。支配という欲望を抱えたままで」
「そうだね。もしかしたら、いつかは神界を攻めようなんて考えているのかも知れないね」
「なんと不遜な!」
激昂するローザ。だが、父はひょいと肩をすくめるばかり。
「だが、それが魔族という奴だ」
それから、彼はじっと娘を見つめた。
その視線の持つ力強さに、彼女は魔族の皇太子のことを思い出し、すぐにその影を意識から蹴り出した。
「それに、そうは簡単にはいかない。簡単になどいくものか。そうだろう?」
「はい、父上」
熱っぽく頷く娘に、父は満足そうに頷き、意地の悪い笑みを浮かべた。
「ひとまず、ソウライは彼らに征服させてやろうか」
「調子づかせておいて、やつらにとって最悪の機を狙うのですな」
「うん。兵は各地に散らばる。当然のように、糧食を行き渡らせるだけで大仕事になるだろうからね」
さすがにこのあたりのやりとりは、打てば響くようなものであった。
雷将はもとより、旭姫の名とて外見だけで得たものでは無いのだから。
「占領したばかりの都市を拠点とするには時間がかかります。いかに都市を占領できても、その都市に住む民の心まで手に入れるにはなかなか」
「そうだ。そして、そこまでの余裕はやらない」
「はい」
「奴らがソウライを手に入れ、一息つこうとする、その時に我らは魔族を討つ」
父の描く未来像に、ローザは心躍らせる。
ソウライの地が蹂躙されるのは同情するものの、魔族どもが橋を焼き、ローザたちの側もまだ準備が整いきっていない状況では致し方ない。
人界から魔族を追い払うには、それなりの準備と綿密な軍略が必要なのだ。
「そのためにいまは兵を養い、闘志を蓄えなければね」
「はい。早速軍に戻り、兵を鍛えるとしましょう」
「うん。頼んだよ。……まあ、とはいえ、今日くらいは休みたまえ」
父が言うのに、ローザも素直に頷く。兵たちに顔を見せるにしても、いますぐである必要は無い。
魔族を間近に見てきた者としては、気が急くところもあるが、我慢というのも重要なのだ。
「休養も大事ですね」
彼女がそう言うと、その父は一つ頷き、片目をつぶってこう言うのだった。
「それに、親子の時間もね」
と。
†
「なんだ……。あれは」
誰かが呟く。
だが、その言葉は、それを見た全ての者が感じ、思ったことであったろう。
ハイネマンの城壁の上に立つ兵たちは、学者たちは、学生たちは、同様にその驚愕の言葉を頭に浮かべていたはずだから。
ハイネマンはかつての国都であると共に、学究の都でもある。
そのため、かつて都市防衛用に用意された大型兵器の類が残存し、かつ学者たちの研究や開発により様々な形で発展していた。
それを強化と言い切れないのが悩ましい部分もあるのだが……。
ともあれ、学者たちは実戦で己の研究の成果を試そうと、兵たちに混じって都市防衛の戦いに参加していた。
わずかに混じる学生たちは師匠同様に物好きなのか、恩師のためにと頑張っているか、単位を餌に連れてこられたかのいずれかだ。
いずれにしても、彼らが兵器の用意をしている最中に魔族たちは姿を現した。
早すぎる。
誰もが思った。
ディステルの動向を見張っていた哨戒部隊が陥落確実を見届け、ハイネマンに戻ってわずか五日である。
それ以前より準備を進めていたとはいえ、こんなに早くハイネマンにまでやって来るとは予想していなかった。
実際、兵器の一部はまだ動かせるようになっていない。所定の場所に移送されただけで梱包も解かれていないものもあるくらいだ。
だが、魔族は来た。
しかも、城壁に対してずらりと整列すると、次々にその真の姿を現しはじめたのだ。
体を弾けさせるような恐ろしいその変形に、ほとんどの者は息を呑んで黙りこむ。
「おおぉお!」
そんな中でただ一人奇妙な声をあげるのは、魔界にまつわる研究をずっと続けてきた偏屈な老学者。
「あれは熱線を放つ熱鬼! あれは光線の光鬼か!? いや、烈光鬼か!」
彼は魔族の姿に目を凝らしては、おうおうと歓喜の声を漏らす。ついには跳び跳ねるようにして己の中の喜びを表現し始める始末。
「見ておられますか、オーベルト先生! お喜びを、ブローン先生! 彼の文書は間違っておりませんでしたぞ!」
くしゃくしゃの笑いでいっぱいの彼の顔は、涙で濡れていた。
一人喜悦の中にいる老人はともかく、その他の者はたまらない。なにしろ、人の身長を遥かに超え、獣の禍々しさも軽く超越する魔族の恐ろしい姿に加えて、老学者によって詳細にその攻撃力が語られていくのだから。
城壁上の恐怖はいや増した。
そんな中で、それは現れた。
「なんだ……。あれは」
誰かがそう呟くのも当然であろう。それは明らかに他の魔族たちとは異なっていた。
水晶の竜。
そう表現するのが適当であろうか。
大半の魔族が恐ろしげであるとはいえなんらかの獣が巨大化しただとか、人の体を覆う筋肉を肥大化させたとか想像がつく範囲に留まっているというのに、それは違う。
四つ足に『翼』を持つからには応竜の一種のようにも見える。だが、体の全てが煌めく水晶で作られた応竜などいるわけがない。
真龍にこそ劣るものの、かなりの巨躯。そして、背にあるからこそ皆は翼と考えたが、どう見てもそれは飛行に益するものではない。
ただ水晶の結晶のようなものが背から突き出ているだけなのだ。
そんな異形のものが進み出てきたら、驚かざるにはいられないだろう。
「むむむ。あれは、筋肉も内臓も透明だというのか。そうではないのならば、そう錯覚させる外皮ということか? だが、なぜそんなことを?」
「先生」
その水晶竜が出てきてからは夢中で観察を続けているらしい老学者に、別の分野の学者が思いきって尋ねかける。
「あれは、なんという魔族ですか?」
「わからん」
老学者はあっさりと言い放つ。周囲が思わずまじまじと彼を見つめるのだが、老学者はそれに気づく様子は無い。
「儂の知る古文書には記されておらんかったからな」
「そんな、先生……」
「これは素晴らしいことだぞ。かつての神魔大戦にも、人界侵攻にも出てこなかった魔族がついに魔界の深奥から姿を現したということかもしれぬわけであるから……」
興奮気味に語り出す彼の言葉を、もう誰も聞いていない。
なぜなら、彼らは別の声に気を取られていたからだ。
「見ろ!」
誰の声かは判別がつかなかったものの、なにを見ろと言いたかったかはすぐにわかった。
魔族たちが先ほどまでとは明らかに違う姿勢を取っていたのだ。
赤熱する器官や、肩に埋もれていた花びら状の器官をべろんと明らかにしていたのだ。
そして、すぐに太陽がもう一つ生まれたかと思うような光が放たれる。
だが、それは城壁への攻撃ではなかった。
「なに? 味方を撃つだと!?」
そう、魔族たちが放つ、攻撃とおぼしき全ての光を受け止めたのは、前に出ていた水晶竜であった。
もしや同士討ちだろうか、と幾人かはそう疑問を持ち、なにか恐ろしいことの前兆では無いかと、別の者たちは思った。
そして、この場合正解は後者であった。
水晶竜に撃ち込まれた光は、その透明な体を破壊しなかった。
ただ、その体内に吸い込まれたのである。
そして、その煌めく体の内でぐるぐると回り始めたのである。
光が巡り、体中が輝くのが、城壁の上からですらわかる。
そして、竜の背負う『翼』が赤に染まり、次いで青、最後に白に色を変え、ついに七色の光を放つ。
その時、水晶の竜は長い首をもたげ、大きく口を開いた。
城壁上の全ての者の目を眩ませる光が放たれ、そして、その目が視力を取り戻した時。
ハイネマンの城壁の一部は、消滅していた。
崩れたのでも無い。
焼けたのでも無い。
それは、消え去ったのだ。
「なんと! 自らの中で光線を増幅させて撃ち込んでくるとは!」
老学者一人が状況を把握して興奮してる。しかし、その他の人々はぽかんと口をあけて固まってしまっていた。
一体何が起こり、なにがどうなって城壁が消えてしまったのか。
それは彼らの理解の外にある。
ただ、彼らはその消え去った城壁の上にも何人もの兵たちがあったことを知っていた。さらには一箇所でも破壊されてしまった壁が何の役にも立たないこともわかっていた。
いまから、内壁に急を知らせれば、あるいはなにか役に立つかも知れない。
そう思った者もわずかではあったが、いないこともなかった。
「一体、なんという魔族なのだ! 他にはどんな力を持つのだろうな!」
奇しくも老学者のある意味で無垢な反応に、彼らの最後の気力は挫けた。
いずれその老学者も知ることとなるその相の名を『天煌』。
『天煌』を持つ者は、水晶宮の歴史の中でもたった四人しかいない。
この時代にあっては唯一人、シランと言う名の女性である。
防御を主とする金剛宮にあって、究極の攻撃の相たる千刃相を持つフウロが金剛宮の異端児であるならば。シランこそは水晶宮の申し子であった。
水晶宮こそは、ありとあらゆる光と熱を操る氏族なのだから。
彼女の一撃により根こそぎ気力を奪われたハイネマンは、その日のうちに降伏することとなる。




