第6回:出陣
ショーンベルガーとの同盟関係が成立したことで、カラク=イオの活動は一気に活発になった。
陣を恒久的な陣城とするための測量が始まり、人界の調略のための計画が練られ、庶務中隊を奪還するためヤイトといかに交渉すべきかが連日謀られた。
これらの活動にかかる費用――主に糧食と消耗品の供給――は、ショーンベルガーからの借財によってまかなわれている。
徴収ではなく、後に返済される債権であることが約束されているとはいえ、ショーンベルガーにとっては負担であった。
陣に食糧を直接に納める商人たちの中には、都市上層部の者から、支払いがだいぶ先に伸びることを説明され、不安に思っている者もいるという。
そんな空約束が履行されるものかと口走る者もいたくらいだ。
ソウライ地域の盟主の座を約束されたと知らぬまでも、魔族との間でなんらかの合意があることは彼らも察している。
都合の良い餌をちらつかされ、ショーンベルガー家がそれに食いついたばかりに、自分たちがこんな苦労をしているのでは……と疑っているわけだ。
しかしながら、初期の援助は必要条件と考えていた上層部にとっては当然の成り行きであり、それに有力な商人たちが同調しているため、不満が顕在化するまでには至っていない。
彼らは、一度投資すると決めたら、ある程度までは我慢することも必要だと理解しているのだ。
ただし、賭けたからといって放任というわけにはいかず、相変わらずエリが陣にあって事がうまく進むよう監視し、かつ協力していた。
そんな中、関へ送った最初の使者が戻って来る。それを受けて、司令部天幕には幹部たちがすぐに集められた。
「やはり、俺との会談を望む、か」
使者が受け取ってきた返書を読み終えて、スオウはぽつりと言い、最初から読みなおし始める。
彼の呟きからすると、ヤイトはカノコが伝えたとおりに直接会見を求めてきているようであった。
「その……相手はスオウ様に会ってなにをしたいんでしたっけ?」
「ええと、よくわかってませんです。追放した形になっている太子様の様子を確認しに来るのか、あるいは単純におびき寄せて罠にかけるつもりなのか……」
「わかってないんですか……。なんだか不気味ですね」
司令部天幕に置かれた卓の端では、エリとカノコがぼそぼそと他の者たちの邪魔にならないような小声で言葉を交わしている。
ショーンベルガーの代表者であるエリと、補給をはじめとする事務仕事が本来の任であるカノコは、当然のように共に過ごす時間が多くなっていた。
さらに、魔族の中では小柄かつ幼く見えるカノコはエリからしてみると気安く思える相手でもある。
またカノコの側は魔界の氏族社会とは無縁のエリに興味を覚えていた。
そんなわけで二人はすぐに打ち解け、お互いに知らないことを教え合う仲になっている。
「ヤイトには会えなかったようですね」
使者を労いつつ、出来る限りの情報を引き出していたスズシロが戻り、そう報告する。
その頃にはスオウも書状の確認を終えていた。
「そうか。しかし、これはヤイトの手だぞ」
言ってユズリハに書状を渡し、その筆跡を確認させるスオウ。
「……ええ。わたくしもそう思いますわ」
「ということは、すでに鳳落関に入ったか、そうでなくとも近くにいるということでしょうねぇ」
二人がその書状をヤイトが書いたものだと結論づけたのに、シランがそんなことを言い、皆の顔が一段と引き締まった。
敵の首魁の片割れがすぐ近くにいるとなれば、緊張するのも当然だ。
「そうだな」
スオウは昂ぶる幹部たちの顔を見回し、あえて静かな口ぶりで告げた。
「しかし、今回はヤイトを討つのが目的ではない。まずは庶務中隊を解放させること。あるいは最低でも魔界に戻りたいと望む百人ほどの兵たちを安全に引き渡すことを望む」
彼によって明確な目的が提示されたことで、場の緊張はわずかに緩んだ。その中でスズシロが立ち上がる。
「確認させてください、殿下」
「ああ」
「ヤイトと交渉することは否定なさらないのですね? カラク=イオに参加しない兵を魔界に帰し、庶務中隊を受け入れるために」
「そうだ。直に会うのも、拒否はしない。あちらがおかしなことをしそうになければな」
安全を確保しようとするのは当然だ。それを臆病とは誰も言うまい。
そこで、スズシロは一つ頷いて、力強い声で言った。
「では、提案です。殿下」
「うん。聞かせてくれ」
「ここは早い内に出陣してしまわれるのはいかがでしょうか?」
「ほう」
その案に感心したような声を上げたのは、スオウではなく、老将ハグマだった。明らかに肯定的なその声の響きにおされるように、参謀は続ける。
「会談に際して殿下が関の中に入られるのは論外ですし、関のすぐ傍というのもあり得ません。しかし、もちろんあちらがこの陣まで来るようなこともないでしょう。となれば……」
「なるほど。それなら、先に有利な所に陣取っておこうってわけか」
フウロが歯を剥いて笑うのに、スズシロは小さく顎を引いた。
「もし決裂するようなら粛々と退くことが出来るよう、準備しつつ当たるべきかと」
「ふむ」
それから、幹部たちはスズシロの提案を元に進出するとした場合の人数や候補地を話し合った。
鳳落関から多少離れていたとしても、そこは山地の谷間であり、二千の全軍を出すというわけにはいかなかったのだ。
結局、親衛旅団が鳳落関から人界へ出てきたときの野営地を候補地とし、引き連れるのは一大隊程度ということになった。
「よし。その案でいこう」
皆の議論を聞いていたスオウが、大まかな結論が出たところで決定を下した。
「細かい検討をして、実際に動けるのはいつだ?」
尋ねられたスズシロが幹部たち――特にカノコ――と目配せを交わし、結論づける。
「明後日には」
それに満足げに頷いて、スオウはにやりと笑って見せたのだった。
「では、ヤイトの出鼻をくじいてやろうじゃないか」
†
キズノのウズは戸惑っていた。
彼女の連絡員であるサヤカイフのウズが死んだからだ。いや、殺されたからだ。
もちろん、表向き死んだのはサヤカイフのウズではなく彼女が装っていた女性だし、その死は事故死とされている。
だが、潜入員が死んで、それを事故だなどと思う者がいるはずもない。
自分の存在も露見しているのではないか、あるいは、自分も同じように処分されてしまうのではないか。
そんな直接的な不安はもちろん、与えられた務めをどうするかという問題もあった。
死んだサヤカイフのウズは『耳』と呼ばれる潜入工作員であり、彼女は破壊工作の実行者である『手』である。
それぞれ役割の異なる『耳』と『手』ではそもそも与えられている情報量が異なり、たとえば、キズノのウズはこの任務の依頼者への直接連絡手段を持たない。
サヤカイフのウズが死んだことで、任務を中止して潜伏すべきか、逃亡すべきか、あるいはあくまで任務を実行すべきなのか。
それを確認してみようにもやりようがないのだ。
だから、戸惑いつつも日々を平然と過ごしているように見せかけるしかなかったのだが……。
そんな彼女の前に、灰色がかった金の髪を持つ女性が現れ、こう言ったのだった。
「お久しぶり、と言うべきかしら? キズノのウズ」
自分の天幕に入りかけていたウズは、その声に向けて、反射的に拳を放っていた。その指の間からは鋭く尖った何かが生えている。
「あらあら、物騒ですこと。ワタシの顔をお忘れ?」
天幕を固定する小型の杭を握り込んだ拳の一撃を、体をひねることで躱した後で、そんな風に笑顔を向けるのは、ミズキ。
そのあまりの邪気の無さに、ウズの追撃は止まった。
それでもウズは油断なく杭を構えていたし、周囲の目を気にしていなければ、攻め手を止めることもなかっただろう。
周りに気取られることなく倒せる相手でないことは、彼女もよくわかっていた。
「姫様……。なんのおつもりです」
「少しお話しませんこと?」
ウズの剣呑な問いかけに、ミズキは曇りのない笑顔でそう申し出た。
「それで、話とは」
そのままウズの天幕に入り、小さな卓に腰を落ち着けたところで、ウズはきつい調子で問いかけた。
それにミズキは平然と応じる。
「あなたの疑念を晴らしてさしあげようかと思いまして」
「疑念ですと?」
「ええ。サヤカイフのウズが亡くなりましたでしょう?」
ウズはミズキとの間を隔てる卓の下で、ぐっと凶器を握り込んだ。鈍く光るそれは、先ほどの杭にも似ているが、さらに細く、さらに鋭利だ。
峨嵋刺と呼ばれる針状の武具であった。
「あらあら。そのように殺気をみなぎらせて。あなたを害するつもりなどありはしませんのに」
「どうですか。私をキズノのウズと見破るのはともかく、彼女がサヤカイフのウズであると知っているというのは……」
キズノのウズは『手』である。
その目的を果たすために潜入の術を磨いてはいるものの、それはあくまで訓練で身につけられる技術である。
対して『耳』に選ばれる者はその生来の『相』が潜入や欺瞞に適しているものだ。
有り体に言えば、キズノのウズが姿を変えるのはあくまで変装であるが、サヤカイフのウズは文字通り骨格や顔の構造から変えられたのだ。
それを見破るのは並大抵のことではない。意識して潜入員を暴き出そうとした結果と考えるのが妥当であった。
ミズキは自分たちの敵だ、と認識するのはけしておかしなことではない。
そんな風に覚悟を決めようとしていたというのに、次の相手の言葉を聞いて、ウズはどんな顔をしていいのかわからなくなってしまった。
「もちろん、ワタシがこの部隊における工作の管理者だからに決まっておりましてよ?」
「はい?」
「ですから、ワタシが統括者であると言っておりますの」
そこで、ミズキは艶然と微笑み、くるくると巻かれた髪を揺らした。
「あらあら。皆さん、ワタシたちの描いた絵図にすっかりはまっておられますこと」
キズノのウズの中で、それまでの認識といま与えられた情報とが絡み合い、組み合わさり、新たな構図を作り上げていく。
「まさか……」
ミズキは、かつて宮廷で起きたとある事件――ウズのような下位の者にはその全容は知れない――により、メギの許嫁の地位を失った。
その結果として、彼女は氏族を追放され無頼の徒に堕ちた。
宗家の姫が氏族も家名も失うなど通常ありえない。そのために辰砂の者はみな面目を失うこととなった。
さらに言えば、スオウの部下という地位は、元の氏族に見捨てられ、皇弟一家からも敵視されたミズキが、ようやく逃げ込んだ場所であるはずだった。
だが、ミズキの言うとおり、彼女が工作の領袖であるとすれば。
それらは全て欺瞞であったということになる。
そう、メギの政敵を葬り去るための。
「全て……。全て計算尽くであったと?」
「いま、このときに至ってもあなたがそうやって半信半疑でいる事実が、この目論見の効果のほどを示しているのではありませんこと?」
絶句するウズ。そんな様子を見てか、ミズキは声を落とした。
「もちろん、ワタシが統括であることは、秘中の秘。この部隊に潜り込んでいる者たちでさえ、その正体を知らずにワタシの命で動いておりましたのよ」
ところが、とミズキは憤慨したようにその灰金の頭を振った。
「サヤカイフのウズったら、あなたと成すべきことをワタシと組んでやろうと企みましたの。恩着せがましく、ワタシを元の地位に戻すために、なんて仰って」
「なんと、それでは……」
潜入者が他の潜入者のことを知らないというのは、珍しいことではない。
秘密は知る者が多ければ多いほど漏れるものだし、誰か一人が捕らえられたら、潜入者全員の顔が割れてしまったでは、事を成し遂げることが出来なくなる。
だが、知らないことは白状しようがない。
そのために、与えられる情報は選別される。
ウズのような『手』と『耳』では知っている情報が異なるのも、連絡経路が無いのも、その一環となる。
ミズキの口ぶりからして、『耳』ですらその命を出しているミズキとは顔を合わせず連絡を取っていたのだろう。
徹底的な情報統制――ウズはそう判断した。
「サヤカイフのウズは、命を出しているワタシ自身に、命に背こうとそそのかしてきたということになりますわね。おかげで、あなたにワタシの正体を明かす危険を冒すはめになってしまいましたけれど……」
そこで、ミズキは婀娜っぽい流し目を一つくれた。
その視線に、ウズの背筋が凍る。
それは、サヤカイフのウズを始末したのが誰であるかをはっきりと語っていた。
「あなたは、このワタシを煩わせたりはいたしませんよね? キズノのウズ」
ウズが心を定めたのは、まさにこの瞬間であったろう。
混乱はある。疑いもある。
だが、恐怖がそれらを押しのけた。
もし、彼女が真実を語っていたとしたら、それに従わなければ待っているのは死だ。
「……なにをすれば?」
「やるべきことは変わりませんわ。あなたは成すべき事をなさいな」
「それでは」
「ええ。良い機だとは思いませんこと?」
キズノのウズは、襲撃大隊に属する。
そして、スオウは今回の進出にフウロ率いる襲撃大隊と共に出陣することを決めていた。
「承知いたしました」
むしろほっとしながら、ウズは頭を垂れていた。
やるべきことは変わらず、その時も示された。
もはや考えるべきはそれをいかに成し遂げるかだけだ。
キズノのウズは、サヤカイフのウズが殺されてからはじめて心から安堵できたのだった。
†
「さて、仕込みはひとまずこんなものですかしら」
すっかり暗くなってしまった陣の中を音もなく歩きながら、ミズキは小首を傾げる。
三つの月の光に照らされて、彼女の体はきらきらと輝いているようにも見えた。
「お粗末な脚本に演出を仕込んでみたはいいですけれど、結局は役者が上手く踊ってくださらなくては退屈な見世物になってしまいましてよ」
それから、彼女は月を見上げてくすくすと笑う。
「スオウ、あなたはどんな風に踊ってくださいますかしら」
最後に一つ柔らかな笑みを刻んで、彼女はそこで立ち止まった。
そうして、お腹に手を当てると、くうぅと小さな音が鳴る。
「うぅ……。ウズのところで夜食でもねだってくるのでしたかしら。いえ、そうですわ。いまからでも……」
思わずきびすを返しかける。しかし、ミズキはそこでなにかに気づいたように足を止めた。
「いえいえ、そうはいきません! いきませんとも!」
げしげしと地団駄を踏むミズキ。
幸いにもそれを見ていたのは三つの月だけで、彼女の尊厳が冒されることはなかった。
「ああ、お腹が空きましたわ」
今日も同輩たちの嫌がらせで夕食にありつけなかったミズキは、そううらめしそうに呟いてふらふらと歩き出すのだった。




