第3回:無頼(上)
「んーっ」
リ=トゥエ大山脈の支脈にあたる山々に沈む太陽に照らされて歩きながら、襲撃大隊長フウロは大きく伸びをした。
透き通った夕日のおかげで、その赤毛が燃え立つ炎の輝きに縁取られているようにも見える。
それは、彼女の軽やかな足取りと、そのしなやかな体によく似合っていた。
「さってと」
部下たちの訓練を含め、その日の屋外での作業が終わった彼女は、事前に呼び出しを受けていた司令部天幕に向かう。
天幕についてみると、いるのは参謀のスズシロただ一人。そのスズシロに彼女は天幕の中を見回しながら尋ねた。
「カノコからの聞き取りは終わったのか?」
朝にカノコを迎えた後、スオウたちは彼女のもたらした情報を元に話し合ったものの、暫定的な方針しか決めることが出来なかった。
それはそうだろう。
ヤイト側の出方はさっぱりわからないし、ショーンベルガーが彼らに協力するかどうかまだ結論が出ていない。
ひとまずは鳳落関と事前交渉を行いつつ、エリたちの反応を待つというところに落ち着かざるを得ない。
そこで、ひとまず散会し、スズシロはカノコから関の様子を聞き取る作業に従事していたはずであった。
「ええ。ただ、決定的な新情報はありませんでしたが」
「そうか。残念」
あまり残念そうでもない口調で言って、フウロはスズシロが書類に向かっている机に正対するように座った。
「それで、あたしを呼び出したのは?」
「少しお聞きしたいことがありまして」
「あいよ」
そうして、スズシロが書類を脇に置いて、話が始まった。
「聞きたいというのは、僭主とその父についてなのですが」
「……ん? それをあたしに?」
フウロは小首を傾げる。メギとヤイトのことを聞くのならもっと相応しい人物がいると思ったのだろう。
スズシロは、そんな彼女の表情に頷いて説明する。
「はい。もちろん、詳しいのは殿下、次にシラン、ユズリハ、団長というところでしょう。しかし、なんと言いますか……。どれも偏っているような気がして」
「ああ、うん。まあな」
フウロは思わず苦笑する。家族のことを聞かれて、感情を交えずに応じられる者はまずいまい。
まして、確執のある者ならばなおさらだ。
そして、いま名前の挙がった者たちは、どうしてもスオウの立場から彼らを評してしまうだろう。
ユズリハに関しては、クコの関係もある。
「そもそもこの旅団にいる以上、殿下の側に立って物事を見てしまうのは当たり前なところがあります。しかし、それだけでは見えないものもありますから……」
「それで、あたしならまだしもと」
「はい」
「まあ、そうかもしんないなあ。立場としても、ユズリハたち……名家の中の名家ってよりは外から見てきたからな」
なんだか申し訳なさそうにしているスズシロに、フウロは同情するような笑みを向ける。
それから、赤毛の女性はその髪に指を通しながら、少し考え込んだ。
おそらくはどう話し出すか迷っているのだろう。
「んー……。ちょっと話がずれてると思うかもしれないけど、まあ、聞いてくれ」
「はい」
「あのさ、今朝の話だけどさ。スズシロは、あの噂いつ聞いた?」
「噂というと……殿下の悪評が広まるきっかけになったというあのひどいやつですか」
「そうそう」
その問いかけに、スズシロは少し視線をさまよわせ、自分の中でなにか確認している様子だった。
「私が知ったのは、校尉学校に入ってからです」
「そっか、なるほどね。一方で、カノコは今日まで知らなかった」
「そうでしたね」
そこでフウロは小さく苦笑を刻む。
「カノコはちょっと極端なところあるけどな……。でも、それだって殿下のことは聞いてるはずだ。スズシロもそうじゃないか?」
「まあ……近づくと食べられてしまうよなんて話は、それ以前からよく聞きましたね」
その言葉に彼女たちは顔を見合わせ、くすくすと笑った。
あるいは、校尉学校で起きた何事かを思い出してのことかもしれない。
「まあ、そんなわけで、あの噂は下火になってたってわけだ。なんでだと思う?」
「さて……。直近の殿下の行動のほうが注目されていたとかでしょうか」
「それもある。それに加えて、あそこの一家が火消ししたんだよ」
「え?」
スズシロは耳を疑った。
そもそも噂が生まれた元は、ヤイトの妻クコがスオウを責め立てたが故ではなかったろうか。
その内容に尾ひれがついたのは間違いないだろうが、クコの思い込みがどこからか漏れない限り、噂も生まれようがない。
「それは……あの噂が、皇弟一家全体に打撃となるほどであったということですか」
「そうだよ。ま、殿下自身は言うまでもないけどな」
そこで、フウロはなにやら手をひらひら動かした。
「殿下があれを否定することはなかったと言っていたろ?」
「はい」
「もちろん、今となっては今更って気分だろう。でも、噂が出始めた当時は違ったと思うぜ。まず、偽りだと証明するとなったら、例の女の人に迷惑をかける。これを意識してたのは間違いないな。屋敷を追い出された上に、余計な心配までさせてらんないだろうとね。でも、それだけじゃなかったはずだ」
そこでフウロは声を落とした。
あくまで、自分の推論であって、事実かどうかはわからないと示すように。
「殿下はさ、継母と父親が、自分たちが発信源となったその噂で打撃を受けることをわかっていて、一切否定しなかったんだと思う」
「それほどの……」
「うん。はっきり言って、あの噂が流れた時点で、ヤイトの帝位継承の目は潰れたからなあ」
ひゅっと音が鳴った。スズシロが息を吸った音だ。
彼女はしばらく考えた後、大きく息を吐き、フウロに確認する。
「……スオウ殿下ではなく、ですか」
「ああ。もちろん、当時殿下は軽侮の視線を受けてたよ。だけど、それ以上に親の情けなさが知れ渡っちまった。なにしろ、当時の殿下は十五だもんな」
「なるほど。そのような立場の方々はそう考えられるのですか……」
十五の子供は教育できても、それを制御することもできない、いい歳をした男はどうにもならないと。
「殿下にしてみれば、いい意趣返しだったろうな。自分についた悪名通り振る舞えば振る舞うほど、親の資質が疑われるんだから」
「それで、後継者問題は長引いたと」
「そ。おかげで殿下たちの世代が成人するまで、ぐずぐず続いたんだよ」
スオウが十五の頃といえば、サラの母である皇后が死去して十年あまりが過ぎ、帝が後添えを得る気がないことがはっきりした時期である。
帝の男子が望めないとわかった以上、この時点でヤイトを後継者として確定しておこうという動きが出てもおかしくない。
安定を望むなら、むしろそちらの派閥が大勢を占めるはずである。
ところが、実際にはサラに夫を迎える形で皇太子は定められた。
皇太弟の実現を阻んだのが、スオウに関わる噂であり、未熟な息子一人御することが出来ないとみなされたためであったとは。
「少々意外でした」
「まあな。あたしも兄貴の受け売りがほとんどだけどさ。ただ、例の噂が沈静化したなーってのは思ってたよ。殿下の女性遍歴は順調に積み重なってたのにな」
そこで、一つ笑ってからフウロは続けた。
「この話を聞くと、ヤイトやクコが愚かだって印象を受けるかもしれないけど、あたしが言いたいのはそこじゃない。愚かな部分は誰しもが持ってるもんだからな。あたしも、スズシロも、殿下にだってあるだろう。ただ、やらかした後の対応ってのは、その人の地をさらけだすと思うんだよな」
「それはわかります」
「だろ? で、ヤイトに関して言えば、その対応が場当たり的なんだよ。クコに良い顔して殿下を叱責して、噂が広がりすぎて自分に累が及んだら火消しに走るとか。それなら、最初から家の中で全部済ませちまえばよかったんだ」
フウロは呆れたような顔で、さらに言いつのる。
「それに、噂なんてどうやったって消えないんだ。そりゃ、多少は沈静化したし、若い連中や宮廷の外には広まらなくなったかもしれないけどさ。氏族の主要な連中はみんな覚えてるんだから」
「それはそうでしょうね」
「だから、あそこでヤイトがすべきだったのは、親として殿下を支えたり導いたりすることだったんだろうな。親子関係がこじれてるんだったら余計にさ。ところが……」
フウロはお手上げとでも言いたげに肩をすくめ、目をくるりと回して見せる。
そのおどけたような仕草に、彼女の言いたいことが良く現れているように思えた。
「そのあたり考えると、殿下は実の父親じゃなく伯父である陛下に似たのかもしれないよな」
「陛下にですか?」
スズシロは、なんとも判断がつかずに曖昧に応じる。スオウのことは多少知っていても、さすがに帝の人柄までは掴んでいなかった。
「陛下は皇后陛下が亡くなられた後は側室を頑なに拒んだし、たぶん、女性観って意味では殿下とは大違いの方だろうと思うんだよ」
「それは……そうでしょうね」
「でも、サラ皇女殿下が亡くなられても、陛下は殿下を皇太子に置き続けたろ? それこそ、殿下の不行跡を責める者がいたら、かえって殿下を養子にしちまったくらいだ」
「ああ、なるほど……」
そう言われてみれば頑固というのもわかる。
そして、頑ななところがスオウにあるというのもスズシロは良く知っていた。
彼女が納得したのを見て、フウロは大きく頷き、次の話に移った。
「まあ、それはともかく、ヤイトの逸話といえば他には……」
それからフウロはヤイトの為人をうかがわせる話をいくつか終えて、こう言った。
「これ以上は本当に噂話になっちまうなあ」
「そうですか。では、ひとまずそのあたりで……。僭主に関してはどうです?」
「メギか? うーん。メギなあ」
なんだか俯いてうんうんと唸っているフウロに、スズシロは首を傾げた。
「評価しにくい人物なのですか?」
「しにくいな。なにしろあれは人を寄せ付けない性質だから」
「ほう」
そこでフウロはようやくというように顔を上げた。
「殿下との比較になっちまうけど……。たとえば殿下はさ、あの悪名のおかげで色んな所から呼ばれたもんなんだよ。あの好色皇子を一度は見ておこうとか、あるいはいっそ性根をたたき直してやろうなんて呼び出してみたりな。まあ、そこで懐に入り込んで仲良くなっちまうか、とことんまで嫌われるのが殿下だ。そうだろ?」
「そうですね」
含み笑いしつつの答え。
味方も多ければ敵も多い。それがスオウだとフウロは言い、スズシロも納得する。
だが、メギはスオウとは違うのだという。
「メギは同じくらい人に囲まれても、まず敵を作らない。その代わりに、友人も出来ない。そんな感じだよ。良くも悪くも隙がないんだな」
「……難敵ですね」
「ああ。誰にも偏らないってのは氏族の均衡を重んじる魔界の政治じゃ強い」
いまのところは、簒奪に嫌悪感を表している氏族も多いようだ。それは、氏族の構成員の素朴な感情を反映しているのだろう。
だが、隙がないとフウロが評したメギのやり方で、僭主勢力が帝都と官僚組織の掌握を強めるなら、各氏族の態度も変わっていかざるを得ないだろう。
そうなった時、メギの下にまとまった魔界は強敵となる。
とはいえ、それはまだまだ先の話だ。
「でも、心配しなくてもいいんじゃないか。殿下は別の方を見てるんだしな」
「ええ。しかし、背後から襲われるのは勘弁してほしいですからね」
「そりゃそうだ」
そこまで言って、ふと思い出したようにフウロはぱんと手を打ち合わせた。
「ああ、そうだそうだ。メギのことなら、あたしより聞くべき相手がいるじゃないか。ユズリハたちじゃなくてな」
「どなたです?」
「なんだ。知らないのか?」
「はい?」
不思議そうに尋ねるスズシロに身を寄せ、フウロはまるで秘密を打ち明けるかのように、こう言うのだった。
「この部隊にはメギの元婚約者がいるんだぜ」
†
スオウが旅団の兵に謀反の事実を明らかにした場において、魔界へ帰れという彼に反論を試みた者がいた。
一人は金剛宮ヒタダミのウツギであり、もう一人がミズキである。
そのミズキは、その日の訓練を終え、己の天幕に向かっていた。
灰金の髪を緩やかに巻いた、やわらかさを感じる髪型といい、その爪に施された鮮やかな彩色といい、自分の生来の素質を生かし、華やかに見せることを意識しているのは間違いない。
それなのに、いまの彼女は服はもちろん髪も顔も泥で汚れ、さんざんな姿であった。
魔族の訓練は通常獣化して行われるため、あまり見られない格好だ。実際、少し離れたところに他にもいる同輩たちは、そんな格好はしていない。
それこそカノコのように竜から振り落とされでもしない限り、こんな泥まみれになることはあるまい。
理由がなんであれ、ミズキは汚れなどものともせずに自らの天幕に入っていった。
「まったく……。あの方たちも相変わらずですこと」
それほど広くはない天幕の中に布を広げ、汚れた服を脱ぎ捨てていく。真白い裸身をさらして体を拭ったところで、ふうと大きく息を吐くミズキ。
「いまから洗って乾くものでしょうか。ああ、忌々しい。昔ならこんなもの一度着たら棄ててしまって構いませんでしたのに!」
憎々しげに汚れた服を踏みつけるミズキ。何度か踏みつけたところで、彼女はいからせていた肩をがっくりと落とした。
「こんなことをしていてもしょうがありませんわ……。着替えは……ああ、もうこの古いのでいいですわね……」
疲れ切った顔で衣服を取り出し、身につけていく。
顔についた泥も拭われていたため彼女の持つ本来のたおやかさが露わになっていたが、身につけているものがそれを曇らせていた。
なにしろ、親衛旅団に入る者がおよそ持っているとは思えないほど、粗い造りのものだったのだから。
「はあ……。お腹が空きましたわ」
ともあれ、着替えも終えて人心地ついた彼女は、さすさすとそのお腹をさすった。
魔界の軍では、一日四回の食事の提供が軍規で定められている。獣化を伴う戦闘行動を支えるには、それだけの栄養を必要とするのだ。
もちろん、この陣でもそれは実行されている。
ミズキも訓練後に夕食の配給を受けていた。
「食べ物の怨みは恐ろしいものでしてよ。覚えてなさいまし」
けれど、配給所を出たところで足を引っかけられ、おいしそうな湯気を立てていた肉粥は泥の中にぶちまけられてしまった。
正直、服が汚れたことよりなによりも、そのことに動揺してしまったミズキであった。
同じ所属部隊の者たちによる嫌がらせであることはわかっている。だが、彼女たちのにやにや笑いを見るのも忌々しく、そのまま帰ってきてしまった。
とはいえ、空腹は耐え難い。
やはり、配給を受け直してくるべきであったかと後悔しそうになって、ミズキはぶんぶんとその灰色がかった金髪を振った。
ふんわりと巻かれた髪がゆったりと揺れる。
「いけませんわ。いかに落ちぶれようと、ワタシはワタシ。矜持は棄てられませんもの!」
ぶつぶつそんなことを呟きながら、彼女は天幕の中をがさごそとひっくり返し始める。
絨毯の上で這いずり回るその姿は、とても矜持にあふれているとは思えなかったが、誰も見ていないのだからいいのだろう。
きっと。
「あった! ありましたわ! 一昨日の乾し肉!」
まるで宝物でも見つけたかのようにそれを宙に掲げる彼女の顔は、実に晴れ晴れしい笑みに彩られている。
彼女はいっそうやうやしいほどの仕草でその乾し肉を口元に運び、一気にかぶりついた。
「ああっ……」
無言で噛み続ける内に味がしみ出て来たのか、思わず声を出し、幸せそうな顔つきになるミズキ。
彼女は実にしみじみとその乾し肉を味わっていた。
しかし、そんな至福のひとときを、入り口の布を叩く音が遮った。
「ああっ!」
先ほどとは異なる感情の籠もった声を一つあげてから、ごくんと肉を呑み込む。
それから、ぴんと背筋を伸ばして、彼女は天幕の入り口を開けた。
「どなた?」
そこに立つ女性に見覚えはなかった。
だが、彼女が胸の前で指をうごめかせるのを見て、ミズキは彼女がどこから来たのかわかった。
「過去が追いかけてきたというわけですのね」
呟いて、来訪者を天幕の中に通す。意外なことに、天幕の入り口が閉まった途端、相手はミズキの呟きに応じた。
「いえ、私は未来を携えてきたのです。ミズキ姉様」
「さて、それは疑わしいですわ。このワタシにどんな未来があると仰るのかしら?」
「そこですよ、ミズキ姉様」
来訪者は明るい笑顔を見せて、こう言い放った。
「あなたが無頼の徒から脱する時がようやくやってきたのです」




