表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
三界大戦記―好色皇子と三界の姫たち―  作者: 安里優
第一部:人界侵攻・開戦編
2/125

第1回:魔族(上)

 人界の果て、峻厳なる山脈から、影があふれ出す。


 天に挑むようにそびえ立つ山々が形作るリ=トゥエ大山脈――その北方に、人は住まわない。

 ならば、軽快に飛び跳ねる二脚竜や、大地を踏みならしながら進む六脚竜に乗るこの影たちは何者か。


 北の地は人の世界ではない。

 そこは、魔界と呼ばれる伝説の地。

 そして、そこに住まうは、魔の者たち。


 山肌の一部を削って築かれた関をくぐり抜け、魔族の群れが人界へとなだれ込んでいるのであった。

 二百年あまりの沈黙を経て、魔族の侵攻が人界を襲おうとしていた。



                    †



 南下する魔族たちは、彼らが鳳落関ほうらくかんと呼ぶ関を抱く山塊を離れてより数日後には襲うべき城郭都市を見つけ、その翌日には既に包囲を完成させていた。

 街の者たちに何かを要求するどころか使者を送ることすらせず、彼らは街の周囲に陣を張る。

 漆黒に染め抜かれた天幕の間を、騎竜や魔族たちが行き交う威圧的な光景。

 実際には攻め込まれていないというのに、城市の人々は、それらの光景だけで――否、それを城壁の上から見ている兵たちから漏れ聞いた話だけで、恐慌状態に陥っていた。


 だが、そんな人間たちの事情をよそに、魔族たちはなにかを待っているようであった。

 たとえば、最も天幕や騎竜が多く置かれ、包囲部隊から一段下がった本陣の中央で、空を見上げる者たちがいる。


「そろそろお出ましかな?」


 そう呟くのは黒ずくめの青年。

 魔族というものは、その真の姿である獣の相を取らず、人の姿をしている時でも、純正の人間に比べれば、ずいぶんと体格がいいことで知られている。

 だが、この青年は上背こそあるものの、細身である。


 黒以外の色を一切身につけていないのが、かえってそのことを目立たせていた。


「さて、なにしろ奴らにとっても久々のことですからな」


 対して、青年の斜め後ろに控える男は、いかにも魔族らしい筋骨隆々としたたくましい体躯を誇る。

 その片腕が肘の先で断ち切られ失われていることも、その男の精悍さを損ねてはいない。かえって男が歴戦の勇士であることを示しているようだ。


 顔に刻まれつつある皺の様子を見ても、それなりの年齢であることは明らかだ。腕を失ってなお魔軍の中で年を重ねることの出来る者など、そうそういるものではない。

 彼こそ、魔界で名高い『隻腕』のハグマであった。


「とはいえ、これまでの情報からすると、一両日中と見るのが妥当でしょう」


 青年を挟んでハグマと逆の側に立つ女性が、落ち着いた声で会話に加わる。

 二人の男と比べると、なんとも小柄に見える女性であった。

 だが、もちろん彼女とて人間の間に入れば、平均程度の身長は持っているのだ。


 その女性は長い髪を大きく一本にまとめ、そこに翡翠色の布を編み込んでいた。あるいはそれが魔界流のおしゃれなのかもしれない。

 見る角度によっては青っぽくも見える黒髪に、それはよく似合っていた。


「ふむ。我らが参謀殿がおっしゃるなら、その通り間違いないだろう」


 青年がおどけたように言うのに、女性が横目でにらみつける。


「馬鹿にしてます?」

「まさか。スズシロの優秀さはよく知ってるからね」

「どうですか」


 ふんっと一つ鼻を鳴らす彼女の姿に、困ったような笑みを浮かべる青年。


「いやいや。実際、校尉こうい学校じゃ、スズシロに勝ったことはないだろ?」

「我々は卒業時の成績しか把握していませんが、スズシロが首席、偵察大隊のシランが次席でしたか」


 青年の言葉を裏付けるようにハグマが言うものの、スズシロは小さくため息を吐いて応じる。


「たしかに殿下は十位あたりをふらふらしてましたよ? でも、それは国事をこなしつつの話。学生生活に専念できない方にそう言われましてもね」


 幼い子供なら頬でも膨らませて言いそうな口調に、青年がますます口元をほころばせる。

 彼がさらに言い返そうとするのに、ハグマが割って入った。


「それは違うな、スズシロ。殿下は幼い頃よりありとあらゆる素養がたたき込まれていた身。他ならぬこの私が人形の兵隊を用いて軍略を説いていたくらいだからな」


 ハグマが目を細め、なにか懐かしいものでも見るかのような表情で青年を見つめた。あるいは、このとき彼の脳裏には、小さな少年の姿があったのかもしれない。

 それにしても『隻腕』のハグマが殿下と呼び、幼い頃より知っているとは、この青年は一体何者か。


 それは次のハグマの台詞で知れる。


「いまや殿下は魔界の皇太子。たしかに多忙ではあろうが、それは殿下の宿命だ。実戦ではなく学生の成績であろうと上回ったならばそれを誇るべきであろうよ」


 魔界全土をしろしめす皇帝の後継者。黒太子とも好色皇子とも呼ばれる人物。

 名は、スオウ。

 それこそがこの青年の正体であった。


「……たしかに旅団長のおっしゃる通りかもしれません」


 ハグマの言葉をかみしめるように聞いていたスズシロが、ふと何かに気づいたような表情になる。


「とはいえ、実力はこれから示すしかありませんね……。彼らを相手に」


 優雅な仕草で、彼女の腕が弧を描く。その指先の示す先を、スオウとハグマの目が追った。

 その導かれる先――東の空が、黒く染まっている。

 黒雲のごとき、雲霞のごとき、なにものかが空を染め上げているのだ。


 そこに、彼らの待ちわびる『敵』の姿があった。



                    †



 同じ頃、陣中のとある天幕。


「なあ、あたしらも殿下についていかなくてよかったのかよ」


 いらついたような声が響く。

 椅子代わりの長櫃ながびつの上に足をのせ、片膝を抱え込むようにして――少々行儀の悪い格好でいる赤毛の女が言い放ったものだ。

 そんな格好でも様になっているのは、体全体からなんとも言えぬ気迫が漏れ出ているからだろう。

 そのしなやかな体から目を離した途端、あっという間に喉笛を食いちぎられると確信する……捕食獣のような体つきと雰囲気の女性であった。


「兵がおりますから大丈夫でしょう? いちいちわたくしたちがついていては、殿下も窮屈ですわ」


 応じるのは白磁の杯を持ち上げて茶の香りを楽しんでいる金髪の女性。

 こちらは、人界のお姫様だと紹介されても疑えないような、そんなたおやかさを体現していた。

 赤から茶、黒に至る色の髪を持つ者が多い魔族の中で、金がとろけたような光沢を持つ髪をしているのも、異彩を放っている。

 彼女は優雅きわまりない仕草で一口茶を含むと、最初の女性ににっこりと笑いかけた。


「そうよぉ。それにスオウももう子供じゃないんだし?」


 金髪の女性に同調するのは、天幕にいる三人の最後の一人。

 そのつややかな黒髪や怜悧な美貌より、額から左眼にかけてを覆う大ぶりな眼帯――あるいは仮面――が目を引いた。

 なにか巨大な生物の鱗の類を美しく磨き上げたとおぼしきそれが実にしっくりと来るのは、引き締まった体と柔らかな顔つきの裏に、剣呑なものを感じさせるからか。


 自分に同意する彼女の言葉に、しかし、金髪の女性は露骨に顔をしかめた。


「シランさん? いくらあなたが殿下の従姉といえど、皇子や太子、もしくは殿下とお呼びすべきではなくて?」

「あらぁ。相変わらず細かいことにうるさいのねえ、ユズリハ」


 自分を咎めるユズリハの言葉に、シランはぱたぱたと手を振って笑う。それにさらに応じようとするところで、最初の一人が口を挟んだ。


「そりゃあ、お姫さまはあたしらとは違うさ」

「それをあなたがおっしゃるの? フウロさん」


 ユズリハがあきれたような声をあげ、ふんと鼻を鳴らした。

 たしかに、彼女は魔界の数ある氏族の中でも三大氏族と呼ばれる強大な集団の一つ、黒銅宮こくどうきゅうの直系。宗家の惣領娘だ。

 だが、この場にいる残る二人――フウロとシランも三大氏族たる金剛宮こんごうきゅう水晶宮すいしょうきゅうの中枢に近い家の出ではないか。

 直系のユズリハは別格としても、姫と呼ばれてもおかしくないのは、この二人も同じ事だ。


 実際、シランの伯母は皇帝家に嫁ぎ、スオウを生んだ。それだけ貴い家柄なのだ。

 似た立場なだけにかえって細かい差を認識できるというのはあるかもしれないが、フウロが揶揄するほどのことではあるまい。

 それがユズリハの内心であった。


「いやあ、あたしはねえ……。そもそも家じゃなんも期待されてねえしな。まあ、それはともかく……」


 自嘲するように言ってから、フウロはシランに鋭い視線を飛ばす。


「シランも、さすがに皇子のことは、軽々しく呼ぶもんじゃないぜ。あたしたちゃ、軍人だろ? しかも、皇太子親衛旅団の大隊長だ」

「……そうねえ。これから気をつけるわね」


 そもそもユズリハの指摘は尤もなものであり、フウロが言うのも正しい。

 シランのしていたのは甘えからくる行為であり、軍規に厳格にあてはめれば、処罰さえされかねないことなのだから。

 そう、彼女たちは軍人で、しかも、皇太子の親衛隊という栄えある部隊の幹部であるが故に。

 たとえ、それが『黒太子の後宮部隊』と陰で呼ばれていたとしても。



 皇帝に限らず、国家の最高権力者というのは、孤独な立場である。

 その存在が持つ権力と責任は、誰とも分かち合えるものではない。むしろ、そうであってはいけない。

 故に、皇帝たる者、側に置くべき人物、信用すべき相手は厳選しなくてはいけない。


 権力を手にしてから近づいてくるような人物はもってのほか。すでに宮廷の中で一定の勢力を持つ相手も警戒すべきであろう。

 必然として、皇帝が用いるのは登極する前――若い時期に苦楽を共にした者たちとなることが多い。

 少年から青年の多感な時期に、同じ目線で世界を見ていた者たちのことだ。


 そして、魔界では皇太子、あるいは皇太子候補はそれなりの軍事経験を積むことが求められており、その過程で友を得ることが多いと考えられている。

 故に、その手足となって働く親衛隊は、国家に尽くしたい者にとって――その実は栄達を求める者にとって――魅力的な所属先となった。

 そう、魔界の氏族の長たちは、こぞって己の子供たちを各時代の親衛隊に入れたいと望み、そして、実際にそうしてきた。


 そうした慣習が、変化を来したのはいつのことだろうか。


 魔界の軍はいにしえより男女の別なく魔族たちを将兵として受け入れていた。それがいけなかったのか。

 軍に入ることで皇太子に近づけるのならば、もっと手っ取り早く娘たちを親衛隊に入れればよいと考える者たちが出始めたのだ。

 側近ではなく、妃として結びつけば、己の氏族にとってはより益となるのだから。

 いつの間にか、各時代の皇太子親衛隊は女性だらけの軍となり、その主が帝位を継げば、その大半の構成員が後宮に横滑りするようになってしまう。


 そうして、いま、フウロやシラン、ユズリハが属するスオウ皇太子親衛旅団は、通称『黒太子の後宮部隊』と呼ばれるに至っているのであった。

 これまでも似たような状況であったのにことさら言われるのは、スオウが女好きとして名をはせているからに他ならない。



 でもねえ、とシランは口の中だけで呟く。

 スオウが色好みであることは彼女も知っている。……ようく、知っている。

 十五歳――魔界の成人年齢を十も下回る歳――で侍女に手を付けたのを皮切りに、社交界の名花を手折ること、その数三十を下らない。

 そんな噂のほとんどが事実であることを、彼女は知っている。

 宮廷で噂されないような下々の人間を合わせれば、彼と夜を共にした女性がもっと多いことも。


 しかし、そんな漁色の日々は、六年前――スオウが、父方の従姉であり今上陛下の娘であるサラと婚約し、皇太子の地位を得た時に終わりを告げた。

 皇帝の弟の第二子という、貴種ではあるが微妙な位置にいた皇子がサラとの婚姻を通じて、男子のいない帝の跡継ぎと認められる。

 こんなことがあれば身を慎むくらいはすると誰もが思うだろう。

 だが、三年前にサラを亡くし独り身となった後も、近しい女性の名前は一切出て来ていない。


 故に、スオウが皇太子となった後に編成されたこの部隊に、スオウの愛人はいない。少なくともシランはその存在を知らない。

 世間での評判に反して、『黒太子の後宮部隊』はその実、歴代の親衛隊の中でも珍しいくらい純粋な戦闘集団であり、精鋭揃いとなっているのだった。

 今回の遠征にあたって二年前に規模が拡張され旅団となってからはなおさらだ。

 そのあたり、旅団長のハグマの意向や影響が大きいだろう。


 とはいえ、これから後、スオウがこの部隊の中から新たな后を選ばないとも限らないのだが……。

 そうなったらそうなったで、その処遇が面倒だ。いっそ、一度に多数の相手を作ってくれないものか、などとシランは考えていたりする。


「ところで、もう一人の隊長はまだ来ないのかよ?」


 シランが思考に沈んでいる間にも、会話は続いていたようだ。フウロの問いかけに、ようやく彼女の意識は浮上する。


「そのようですわね。物資は届いているのですが……」

「カノコちゃんの出発が遅れているの?」

「カノコと工兵部隊が、ですわね」


 皇太子親衛隊は平時は二つの儀仗兵部隊と軍楽隊で構成されている。だが、戦時にはその求められる立場によって規模を大きく変える。

 皇太子を最高指揮官として大決戦に挑むならば軍団規模となるし、単なる視察なら大隊規模で充分だ。

 今回の襲撃の場合、二千五百名程度の旅団規模、四隊編成に組みかわっている。


 現状の編成はこうだ。

 フウロが指揮する、第一儀仗隊を中心とする襲撃大隊。

 シランが指揮する、第二儀仗隊を発展させた偵察大隊。

 ユズリハが指揮する、軍楽隊を根幹とする通信大隊。

 最後に、たったいま名前が出たカノコが率いる庶務中隊。


 憲兵や輜重隊を各隊から抽出し、さらに工兵を加えた庶務中隊は、実戦部隊というよりは、後方支援部隊としての性格が色濃かった。

 そのため、庶務中隊の中心部隊は、鳳落関を最後に出発することになっていた。

 それでも予定では既に出発しているはずなのだ。

 だが、カノコから出発の連絡はいまだ届いていなかった。


「なにが問題?」


 シランが小首を傾げるのに、ユズリハが渋面を作る。


「さて、それが……。どうも書類上の問題のようですが……」


 彼女の曖昧な物言いに、他の二人は、はあと小さくため息を吐いた。


「あいつは書類の食い違いとか許せねえたちだからな……」

「あの役目には向いてるんだけど……。今回は急いでほしいところねえ」

「そうは言っても、真っ正面からの城攻めはねえだろ?」

「わかってるわよお。でも、工兵は便利よ?」


 まあな、とフウロはシランの言葉に頷く。

 戦闘は大事だが、戦場にたどり着く、あるいは戦場を作り出すのはさらに大事である。そのために工兵が果たす役割は、フウロも実感していた。


「そうですわねえ。うちにもある程度おりますが、カノコのところとは性質が違いますものね」

「ユズリハのところのは戦闘工兵だものねえ。潜り込むのは得意でも、大がかりな土木作業は……」


 そこまで言ったところで、天幕の入り口で重たい布が翻り、三人の視線が揃ってそこに集まった。


「隊長殿!」


 普段のように事前に声をかけることもなく走り込んできた兵は――これまた女性であるが――興奮に頬を染めながら、声を張り上げる。


「お? お出ましか?」


 にやりと笑って問い返すのはフウロ。シランは黙ったまま微笑みをたたえ、ユズリハは静かに茶を楽しんでいる。

 その三者の期待に応えるように、兵ははっきりと口にした。


「はい。真龍しんりゅうです!」


 その、敵の名を。

第1回登場人物一覧


スオウ:魔界の皇太子。あだ名は黒太子あるいは好色皇子

サラ:スオウの父方の従姉で亡き妻

[皇太子親衛旅団]

ハグマ:旅団長

スズシロ:参謀

フウロ:第一大隊長

シラン:第二大隊長。スオウの母方の従姉

ユズリハ:第三大隊長

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ