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三界大戦記―好色皇子と三界の姫たち―  作者: 安里優
第一部:人界侵攻・開戦編
19/125

第18回:ショーンベルガー(下)

「は?」

「俺たちの場合、神殿を拝む機会なんぞなかなか無いからな」

「そ、それは……そうでしょうけど」


 怒り狂うことはないにしても不快感くらいは示すものと思っていたエリは、スオウの反応に戸惑ってしまう。

 神族を祀る神殿といえば、魔族にとっては忌々しいものだと思っていたが、そうでもないのだろうか。


「いいじゃないか。ばれやせんさ。行こう行こう」

「案内するのはいいですけど……。魔族を検知するなにかとかないんでしょうか?」

「さあ、どうだろうな。あり得るとしたら、相を露わにする時の反応をとらえるくらいか。とはいえ、もし検知したとしても、神々は反応しないだろうな」

「そういうものですか?」


 普段と変わらない様子のスオウに対して、エリは不安そうにあちこち視線を飛ばしている。

 スオウは魔界の住人にしては細身で、いかにも魔族でございという押し出しをしていない。それでなんとか背の高い人間と見てもらえている状況だ。

 だが、果たして神殿でもそれが通用するものだろうか。


「もし出てくるなら、俺たちが街を囲んでいる状況で出てくるだろう。なにも神殿にまで足を踏み入れられるのを座視している必要はない。そもそも、神々が魔族の動きに反応するなど、もう何百年もないことじゃないか?」

「それはそうです」


 魔族と神族の衝突が最後に起きてから、もう四百年以上経つ。

 その後、魔族は人界に幾度も侵入してきている。

 その時、神族は介入しただろうか?


 エリが知る限り、一度もない。

 たとえ、真龍が撃退しているにしても……。


「そんなわけだから、心配するな」

「はあ」


 渋々という調子で、スオウを先導するエリ。

 職人街を通り抜け、住宅街を過ぎて、先ほどの大通りよりひらけた道に出た。


 道自体の幅はこちらのほうが狭いものの、両端に露店が並んでいないため、広い印象があるのだった。

 その道の先に、先ほど見た塔にふさわしい派手さの神殿がある。


「拝礼を控えさせているのか?」


 参道にあまり人影の無いのに、スオウが眉を顰めた。

 攻め入られた先の人間というのは、時に必要以上に自分たちの行動を縛る傾向がある。これもそのような現れかと心配したのだろう。


「いえ、これが普通ですよ?」

「そうなのか? あまり人気ひとけがないようだが」


 もちろん、誰一人いないわけではない。

 ちらほらと人通りはあるし、道の端では――おそらくそのためにしかれた砂利の上で――五体投地を繰り返しながら進む修行者の姿もある。

 だが、先ほどの市場のような賑わいはない。


「うーん……」


 エリがなにごとか口の中で言っているうちに、神殿の様子がよく見えてきた。遠くから見ても派手だと思っていた外壁は、びっしりと彫刻で覆われ、それらの表面は色鮮やかに彩られていた。


 それらの彫刻の主題となるものは色々とあるようだったが、その中でも美しい天女を示したものと、空を行く車、そして、塔にも飾られていたトラの姿が多いようだった。

 天女をその背に乗せたトラが悪魔を食い殺している図柄などは特に人気のようで、描き方を変えつつそこここに散らばっている。


「ヴァイシュラヴァナは北方鎮護の男神だった気がしたが、記憶違いか? 女神の神殿のように見えるが……」

「ああ。あれは、妹神のマハーシュリー神ですね。このあたりでは、ヴァイシュラヴァナ神の代わりに妹神がよく活動していらっしゃるのもあって、マハーシュリー様を通してヴァイシュラヴァナ様を信仰するという形が多いんです」

「ふうん。当人はほったらかしか」


 スオウの言葉に、エリの瞳が動揺するように揺れた。


「……言われてみると、最後の現臨はたしか三百年前でしたね。マハーシュリー様は五年前にも見えられましたけど」

「なるほど。実質はその女神の神殿だが、名目は兄神のものとして保っているわけか。道理でな。そのような中途半端な状態では、神殿が寂れるのも納得だ」


 その言葉に、エリが顔を隠した布の裏で苦笑している雰囲気が伝わってくる。

 ともあれ、そんな風にして、二人は神殿の門をくぐった。さすがに内側には修行者も祭官も参拝者もそれなりにいた。

 修行者たちは、それぞれの場所で苦行に精を出し、祭官たちは参拝者を案内したり、露店で何かを売ったりしている。


 スオウはその光景を物珍しそうに見回した。

 その間に祭官の一人が案内をしようと寄ってきたが、エリが何事か言って立ち去らせる。


「見て回っても大丈夫そうか?」

「はい。旅行者なので、まずは好きに回らせてくれと祭官にも説明しました。呼ばない限りは放っておいてくれます」

「うん。ありがとう」

「はい」


 エリはスオウが興味を惹きそうな場所に、彼を導いていった。

 神像に供える花や焼いた練り物――聖餅――を売る売店や、参拝者向けに料理を売っている露店をひやかし、神の像がいくつも並んでいる一角を案内し、苦行者たちが体中に針を刺して瞑想している横を通り、守護神像に人々が祈りを捧げている本殿に至る。


 スオウはさすがに本殿に入ろうとはしなかったものの、祭官や参拝者たちが跪いて祈りを捧げたり、巨大な自動祈祷器を予約したりしているのを興味深げに眺めていた。

 特に、一定の貢納を行うことで、当人が他の事をしている間にも祈祷を捧げ続けてくれるという自動祈祷器には感心したようだった。


「なんともばかげたものを考えるものだな。神々も」

「はあ……。さすがに私もあれはどうかと思います」


 神殿を出た後も、愉快そうに自動祈祷器について語るスオウ。大笑いするのをこらえるのが大変なようだ。

 エリも控えめながらその意見に同意していた。


 なにしろ、自動祈祷器は、貢ぎ物に応じてあらかじめ設定された祈祷を一定時間読み上げていくというだけの代物だ。

 それを成し遂げている神々の術についてはよくわからないものの、うさんくさく思っている者は人界にも多い。

 そういった者たちは、心を込めずしてなにが信仰だと言いたいはずだ。

 もちろん、はっきりと口に出して言えるわけはなかったが。


「ただ、あそこまでして百位階サンサーラを昇りたいと思ってる人は、ショーンベルガーではかなり少数派ですけど」

「そうなのか?」

「はい。百位階サンサーラは上位位階になると、神界近くに招かれますよね? つまり、故郷を遠く離れることになります。さすがに大砂漠を越えた南部にまで……と思ってしまうのもしかたないかと」

「いまもそういった運用なのか……。それは遠方の者には効かなくなるな」


 百位階サンサーラは、人界の全ての存在を対象として、神界が定めた位階制度だ。

 神々への信仰と貢献を認められる者ほど位階が高くなり、神々の恩寵を得る。

 そして、百位階サンサーラを昇り切れば、神界に招かれ、神となることも出来るという。


 これを社会的な地位にそのまま反映させている地方も存在するが、大陸北部、特にソウライ地域ではそこまでの影響力はなかった。

 そもそも、北方に住んでいるだけで南方に住む者に比べて位階が下がる制度が、北方で人気が出るわけもない。


「それと、上位位階に下賜される月酒ソーマの人気が薄いのもありますかね。ソウライは水が豊富です。この地で作られた酒や茶を好む人のほうがずっと多くて」

「ああ、あれか。あれはやめたほうがいいぞ。強烈だが、依存がひどい」

「そうみたいですね」


 エリが小さく肩をすくめる。そこに強烈な嫌悪感を見て取って、スオウのほうが驚いたほどだった。


「なんにしても、このあたりでは、神界への信仰もそれほど強烈ではない、と思って良いようだな」

「そうですね。さすがに降伏については神殿も文句を言ってきましたが……。それは街の住人の抵抗感を代表してのことですし。神々への信心も大事ですが、そのあたりは折り合いをつけてと言いますか……」

「ふうむ。なんにしても、色々と知れたのは収穫だな。なかなか楽しかった」


 言ってスオウは顎をなで、思案げだった顔をほころばせた。


「さて、次はどこに行く?」



                    †



 二人は、街を横断しながら様々な場所に立ち寄り、最終的に街の南側の市場に来ていた。

 最初に見た大門近くの市場に比べると、こちらは湖の傍にある。

 それは、つまり、河川輸送の荷下ろし場と倉庫街の近傍にあるということであり、より猥雑な雰囲気を漂わせていた。

 飛び交う声も、先の市場よりさらに大きく、野卑な笑い声も混じる。


「……おや、亜人もいるのか」


 そんな中を歩いていたスオウの視線の先に、エリと同じように顔に布を巻いた人物がいた。

 ただし、向こうは頭の上から尖った耳がぴょこんと飛び出している。服から出ている手も、毛皮に覆われているのが見えた。

 おそらくは人類の亜種の一つ『獣人』に属する者であろう。


「ええ。尾巨人が隊商に雇われて来ることもありますよ。滅多にありませんけど」

「ああ、俺たちより背が高いってやつらだろう? 一度見てみたいものだな」


 尾巨人もまた亜種の一つで、通常の人間の二倍以上の背を誇る大型の種族だ。太い尾を持ち、歩行の補助に用いるためにその名がある。


 道理で自分もあまり人目を惹かないわけだ、とスオウは得心がいった。

 人界の人々は男性でも彼より頭一つは低かったが、彼とぶつかりそうにでもならない限り、その背の高さに驚きを――内心ではともかく表面には――示す者はいなかったのだ。


「ソウライのあたりには少ないですからね。南にいかないと……」

「彼らが多いのは、『先史時代』の都近くだったか」

「そうですね。人界では『穢れた地』と呼びますが……」


 エリはその言葉を口にする時、かなり声をひそめていた。魔界の言葉を解する者はほとんどいないと彼女自身が言っていたにもかかわらず。

 その様子になにかを察したかスオウは視線を逸らし、湯気をたてる鍋をかきまぜている露店のほうを眺めた。


「うん。腹が減ったな」

「あ、なにか食べますか?」

「そうだな。なにがあるんだろうな。まあ、魔族の俺はなにを食っても大丈夫だと思うが……」

「そうですね。粥、煮込みもの……。ああ、あそこで蒸し料理とかもやってますね」


 自分の横でほうぼうの店先を指し示していくエリの様子に、スオウは思わず安心したように微笑むのだった。



                    †



 結局、二人はいくつもの露店を見ながらもう少し歩いた後で、煮込み料理を選び、道を抜けた先の広場に向かった。

 隅に転がっている空き箱に腰を下ろし、食事を摂ることにする。

 広場の中には彼らの他にも同じように食事をしている者や、商談なのかなんなのか、話し込んでいる者たちなど、様々な人々がいた。


 エリは料理が入った素焼きの器を横に置くと、それまで手に持っていた財布をしまおうとする。

 そこで、強い視線を感じて彼女は手を止めた。


「スオウ様?」

「いや、人界の通貨はいまもそれなんだな、とな」

「あ、はい。お珍しいでしょうね。見ます?」


 エリが財布を開いてみせると、スオウの手が伸びて、中の珠のようなものを一粒つまんだ。

 その珠を日にかざすと、七色に煌めく。見た目にも美しいそれを、スオウはにらむように見つめた。


神石リンガムあるいは如意珠マニか……」

「お金として使うときは、普通は『小粒』で済ませてますね」


 エリが説明するのに、珍しくスオウが反応しない。気づけば、指の間の珠を見上げる彼の横顔は、かなり険しいものとなっていた。


「あの……スオウ様?」


 あまりにも厳しい顔で身動きもせずにいる彼に、エリはおずおずと声をかける。スオウはそれを受けて珠を手に載せ、エリに差し出すようにした。


「これを作り出したのが誰だか知っているか?」

「え?……あーっと。ジャガンナータ神でしたっけ」

「その通り。そして、ジャガンナータ神は、後にハリを名乗って神界に反旗を翻す」


 そこまで聞いて、エリはなにかに気づいたような顔をする。


「そう。魔界の初代皇帝、つまりは俺のご先祖さまだ」


 それから、スオウは笑顔に戻って彼女に申し出た。


「これ、もらっていいか? 後でなにか代わりのものを渡すから」

「いえ。それくらいなら差し上げますが……」

「そうか。ありがとう。さあ、食べようか。冷めたらいけない」

「あ……はい」


 なんとなく釈然としないものはあったものの、彼女は口元の布をずらし、料理に手を伸ばす。

 熱を保つための煎餅状の蓋をさじでぱりぱりと割ると、ほんわりと湯気が立った。

 たっぷりと入れられたヒツジの脂の香りが食欲を刺激する。


 この料理は、白豆と香味野菜を中心に、香辛料多めのヨロイブタの腸詰めと、塩漬けのヨロイヒツジの肉、そしてなによりたっぷりのヒツジの脂を入れ、ぐつぐつと煮込むものだ。

 腸詰めの香辛料と肉と脂の旨みが豆に染みこみ、さらに脂が熱を包み込み、いつまでも温かい。

 体を温め、力をつけるには最適の料理だった。


 元々は、兵士たちの戦場食だったというのもうなずけるものであった。

 あまり上品とは言い難いものではあるが、ショーンベルガーを代表する料理でもある。

 エリは、それをスオウに勧めたのだった。


「ふむ、うまいな」


 幸い、彼の口にはあったようだ。エリはにこにこしながら食事を進める。


「実を言うと、都市が囲まれている間は姿を消してたんですよね、これ。腸詰めに入れる香辛料が南方から来るものでして。まあ、塩漬け肉だけでも家庭ではやるんですけどね……。あ、でもおかしいな」

「どうした?」

「あ、いえ。流通が再開してからじゃ、間に合わないかなって……。どこかに隠してた商人がいるのかも……」

「ははっ。まあ、そんなこともあるかもな。なんにしても、いま、これだけうまいものを食えるならいいじゃないか」

「そうですね」


 上機嫌でさじを動かすスオウの様子に、エリはそれ以上言うのをやめた。二人は黙って食べることに集中する。

 スオウが食べ終えて満足の息を吐くと、それを見たエリが食べる手をはやめようとする。彼は首をふった。


「気にするな。ゆっくり食べろ」

「はい。ありがとうございます」


 もぐもぐと元の速度に戻って食べ続けるエリに微笑みを送ってから、彼は空を見上げた。

 街から少し離れたあたりをゆったりと飛ぶ巨大な影がある。

 真っ黒な背を下に、ふくらんだ腹を上にして空を泳ぐその姿。


「ふむ、鯨だな」

「あ、はい。鯨ですね。実は、人界では飛行鯨は幸運の象徴なんですよ」


 エリが食べ終えるあたりでスオウがそれの名を呼ぶと、彼女も見上げて、そんなことを言う。


「ほう。それはいいな。ならば、それにあやかるとするか」

「はい?」

「エリ、俺と結婚しないか?」


 突然の言葉に、エリはぽかんと口を開けることしかできない。だが、男のほうは冷静に続けた。


「もちろん、これは政略だ。ショーンベルガーを俺の同盟相手としたい。

 どう考える?」


 そこまで進めて、硬直したままの少女の様子に、スオウは困ったように言った。


「いや、もちろん個人的にもお前のことは気に入っている。ただ、出来得ればもっと長い時をかけてわかり合いたいと思ってはいた。だが、事態がそれを許してくれん。個人的な情は、今後育んでいけるだろうという前提で、まずは形だけでもだな……。

 ん? エリ? 聞いてるか、エリ?」


 男の必死の呼びかけに、しかし、彼女は答えない。

 もちろん、彼女の耳には、最初の申し出の後の言葉はさっぱり届いていないのだった。

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