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三界大戦記―好色皇子と三界の姫たち―  作者: 安里優
第一部:人界侵攻・開戦編
13/125

第12回:救出(上)

「ちょっと。もう少しどうにかなりませんの? ずいぶんと揺れますわよ」


 中型の六脚竜の引く荷車の上、布でぐるぐる巻きにされた女性が、細い革の帯で荷車自体に固定されている。

 金をとろかしたような髪の持ち主はもちろんユズリハだ。

 軍装の上に飾り布をまとっている時は目立たないが、こうして布で体をきつく巻かれていると、彼女の恵まれた体躯が浮き彫りとなる。特に豊かな胸とくびれた腰が目を引いた。


「姫様はまだましですよ……」


 ユズリハが乗せられた荷車を引く竜の尻尾に、荷物のようにくくりつけられている女がぼやく。

 彼女はナギ。共に逃げ出したユズリハの部下であった。

 着ている服はぼろぼろで、上半身はほとんど破れている有様。その下には巻かれた包帯が見えるものの、雑に手当てされたのか怪我が深いのか、血がにじんでいた。


 ミミナと一緒に逃げるも早々に捕らえられたのだが、彼女たちを関から追ってきた集団はユズリハ以外に興味がないらしく、手当もされずに放っておかれそうになった。

 そこを当のユズリハの猛抗議で、ようやくこの状態となっている。


「お前は黙ってろ」

「はいはい……」


 竜に乗る男性兵が鋭い声を飛ばすのに諦めた声を漏らすナギ。

 男は舌打ちしてから、手綱を操った。わずかに動きが変わり、揺れが減る。これはもちろん、ユズリハの求めに応じたものである。

 この様子からしても、ユズリハが疎略に扱われることはまずないだろう。だが、自分はどうなるのだろう、とナギは暗澹たる気持ちに沈んだ。


 どこまで深刻に考えていたかはともかく、軍人として戦の中で傷つき、下手をすれば死ぬことは覚悟の上。しかし、まさか同族である魔族に傷つけられ、捕らえられるとは。

 このまま鳳落関に連れて行かれれば、彼女は政治的取引の材料にされるだろう。いや、せいぜいそのおまけ程度。

 自分の意思ではなんの行動もとれなくなるのだ。なんという屈辱か。


 といって、この状況を打破するのは……。

 そう思いながら、彼女はなんとか周囲を見ようとする。

 落ちないように縛り付けられている竜の体が邪魔で、彼女の後方――つまりは集団が進んでいる方向は見ることが難しい。

 それでも、彼女が見える範囲だけでもある程度のことはわかる。


 まず、彼女たちは比較的緑の少ない岩場にある谷間を進んでいる。

 これは、少々よろしくない。

 濃密に草の生い茂る高原から離れ、山岳地帯に入っているということは、関がそこまで遠くないことを示しているからだ。

 また、彼女たちを囲む兵としては、ユズリハが固定されている荷車を中心に、四脚竜兵が五騎。その後ろに少し離れて中型の六脚竜三頭と、それに乗る兵九人。

 おそらくはさらに後ろに五人、前方に十が配されている。要人の警護や重要物資運送の基本隊形だ。


 いや、ミミナたちを追っていった兵がいることを考えると、前方警戒の割り当ては減らされているかもしれない。なにしろ、自分たちが通ってきた道を味方の関に向かって戻るのだから。

 いずれにしても、ナギとユズリハだけで突破できる数とは思えない。

 それに……。


「それにしても、このようになさらなくても、わたくしたちも竜に乗せてくれればいいんじゃありません?」

「それは無理ですよ、姫様」

縛血虫ばっけつちゅうまでつけて、ずいぶんと弱気ですのね」

「姫様をお守りするためですから」


 ユズリハと四脚竜兵の会話がナギの耳を打つ。

 そう、縛血虫だ。

 ナギとユズリハは捕らえられた時点で、縛血虫と呼ばれる生物を首の後ろにつけられている。


 丸めると人の拳くらいの大きさになる芋虫という見た目のそれが首筋にぶらさがっているだけでも気持ち悪い。

 だが、問題はそこではない。

 縛血虫はなにもしなければ無害だ。むしろ吸い付いた生物の膚の汚れを食べて綺麗にしてくれるくらいだ。


 しかし、これが魔族相手となると強力な枷となる。

 この虫は、魔族が獣化するときに膚を走る微弱な信号を感じ取ると激烈な反応を示し、膚に歯を立て毒を注入するのだ。

 その痛みたるや、獣化を試みた者の大半が失神するほどで、もし耐え切れても精神の集中が途切れ、獣化を妨げてしまう。

 獣化して暴れ回り、兵たちが同じく獣化する前に逃げるという手は、このために使えない。


 兵たちがとにかくユズリハを無事に連れて行くことを優先させているため、行軍速度が緩やかなのは、唯一の救いか。

 もし本隊が彼女たちを救出してくれるなら、関にたどり着くまでになんとかしようとすることだろう。そのためにはこの速度はありがたかった。

 果たして、救出部隊が出ているかどうかなど、ナギにはわからなかったが。


「どうだ? 姫様は」

「ん……いや、いまんとこは大丈夫じゃねえか? 班長が話してる」


 ナギの頭の後ろから、そんな声がする。おそらくは、前方の兵が連絡に寄ってきたのだろう。ひそひそとした話しぶりからして、ユズリハには聞かせたくないようだった。

 実際、ユズリハは荷車の横についた騎兵と話していて、こちらに注意は向いていない。


「まあ、しかし、もうすこしだ。関に入って俺たちの話を聞いてくれたら、姫様もわかってくださるだろうよ」

「そうなるといいが……」

「大丈夫だって。姫様も俺たちと同じ黒銅宮なんだ。御当主様にきちんと言ってくださるさ。俺たちの思いをな」

「うむ……。いい加減北の奴らに搾取され続けるのはうんざりだからな」


 北からの搾取? とナギは首をひねる。

 彼女は大隊長付分隊の兵士で、主に伝令を担当する。親衛旅団における伝令は、軍事的知識もさることながら、ある程度の政治的知識を有しないといけない。

 他の部隊に行くのはもちろん、宮廷に派遣されることもあり得るからだ。むしろ、平時はそのほうが主だ。

 そんな彼女の知識から言って、黒銅宮が搾取されているなどということは、無い。


「本当だよな。『双子の悪魔』なんてもういつのことだって話だよ」

「怠け癖がついてんだよ。甘ったれやがって」

「自分のことは自分でしろってんだよな」


 愚痴のように続くその会話で、彼女はなんとなくだが、黒銅宮の不満を察した。

『双子の悪魔』の災厄以来、魔界では税制が見直され、土地や民そのものにかかる税よりも、物品の動きに対して税がかかるようになった。

 土地や民に対してかけるほうが税を取る方からすれば固定収入となって予算を立てやすいのだが、損耗した大地と魔族たちにとってその負担は重く苦しかった。


 そこで、儲かっているところから取るという方針に転換したのだ。

 結果として、噴火の直接的影響や冷害の影響を比較的受けなかった魔界南部の税収が、北部の復興を支えていくという図式ができあがる。

 そして、黒銅宮は主に魔界南方に居住している。

 彼らにしてみれば、『俺たちの儲けで暮らしやがって』というところなのだろう。


 だが、それは一方的な見方だ。

 税を取られるには、その前提となる儲けが必要である。『双子の悪魔』の影響から、北部への投資が減り、魔界の生産力、供給力は南部に偏った。

 物を作り、売る。その大元が南部にあるのだから、税負担も南部に偏るのは当たり前のことなのだ。

 しかし、彼らはそうは受け取っていないのだろう。


「……とはいえ、こんなことまで……」

「しっ! それは言っちゃなんねえぜ」

「……まあ、命令には従うよ」


 さすがに謀反への困惑はあるみたいね、と思わず口の中で呟くナギ。

 本気で謀反側についている者もいるのだろうが、周囲に流されていたり、状況が把握できずに息を潜めている者もいるのかもしれない。

 関の中にもいるであろうそういった者をつっついて、なんとか自分たちの身を守ることも……と彼女がそこまで考えた時。


 彼女の視界で赤く血の華が咲いた。



                    †



 ナギからは見えなかったが、ぱっと上がった血煙は、最後尾に配された五騎の兵の首が飛んだことによるものであった。

 そろって飛んだ首はごろりと転がり、天に向けて血を噴き出す。


 首を失った体のいくつかは、頭部の無いまま獣の相を取ろうと肉体の変化を始めていた。

 頭を失った体がぶるぶると震え、そのせいで余計に血を噴きながら、ごきゅごきゅと肉と骨を鳴らすのはとてつもなく不気味でもの悲しい。

 もちろん制御されない獣化がうまくいくわけもなく、ただ奇妙に肉や骨を変形させた姿で力尽きた。


 その顛末を見届けることもなく、彼らの首を飛ばした影は、岩地を跳ね飛ぶようにして走り出す。

 一歩進むごとに、がっちがっちと音を立てるのは、その影の足先がまるで槍の穂先のように尖っているためだ。


 その姿を見る者は、刃が走っているのかと思うだろう。

 四本の手足は全て槍の如くに長く尖り、切れ味の鋭そうな刃面を備えている。それ以外の部分、腰も腹も肩も、そして頭部ですら、何百個、いや、何千個もの刃が重なり合って形作られていた。


「せ、せんじん……そう」


 千刃相。

 誰が呟いたか。その言葉が、その姿をまさに言い現している。

 魔界でもたった一人だけが備える、特異な『相』。

 金剛宮という防御をもっぱらにする氏族において、攻撃にのみ特化した異端の存在。

 それこそが、親衛旅団襲撃大隊長フウロの真の姿であった。


 千刃相の後ろを走るのは、祈虫相いのりむしのそうが五人。祈虫相は、蟷螂相ともいわれ、まさに巨大なカマキリのように見える。

 これは、カリンをはじめとしたフウロの部下五人の真の姿だ。


 彼女たちは、獣化することで増えた脚で大地を蹴り、隊長の後を追う。

 祈虫相もまた近接攻撃に長けた形態をしていた。その四つの脚でしっかりと大地を踏みしめ、鋭利な刃と化した前腕で敵の命を刈り取る。それが祈虫相だ。

 その前腕が祈りを捧げるがごとき姿のためについた名前であるが、実際に祈るしかないのはその犠牲者のほうだろう。


 ただし、最初の殺害に、祈虫相の面々は関与していない。同じ魔族に刃を向けることを部下に強いたくなかったフウロがまず先陣を切ったのだった。

 しかし、戦いが始まれば、もはや彼女たちにもためらいは見られない。ついにフウロを追い越し、黒銅宮の集団に迫っていく。


「動きを止めるな!」


 おそらくは隊長がそう怒鳴り上げることで、兵たちの硬直は解かれた。それでも焦りを顔にたたえつつ、彼らは竜を操った。

 ナギのくくりつけられている騎竜の動きが変わり、ユズリハの乗る台車ががたがたと音を立てて揺れるのにも構わず速度を上げる。


「まあ、そうするでしょうね」


 ナギは揺れに顔をしかめながら、小さな声で呟いた。

 襲撃者が千刃相と祈虫相とくれば、彼女でもそうするだろう。

 両者は近接戦闘には無類の強さを誇るものの、どちらも竜に乗ることが出来ない。四脚の祈虫相は通常の魔族よりは素早く動けるが、それでも竜にかなうものではない。

 こちらが竜に乗っている以上、竜の速度を利用して距離を取るのが最善だ。いまのような場合なら、そのまま逃げてしまえばいい。


 けれど、とナギは考える。

 わざわざ戦闘力は高くても足の遅い千刃相と祈虫相を最初に見せた意味はなんだろう。

 彼女たちだけが、この部隊に追い付いたのだろうか。

 人の姿なら竜に乗れるし、それもおかしくはないが……。


 そんなことを考えているナギの周囲では、兵たちが次々とその『相』を露わにしていく。

 距離を取るにしても、千刃相の圧力はある。それに対して脆弱な人の姿でいることに耐えられないのだろう。

 服をはじけさせながら、屈強な体がさらに膨張する。

 針のごとき獣毛を生やす者、鱗に覆われる者。この二種がほとんどだ。

 前者は北極海に棲むオオキバグマが直立したかのような姿となり、伝説の人狼に最も近い印象となる。

 後者は肉食竜が人と融合したかのような姿。


 この二種はどちらも『獣身相』に含まれる、魔界では一般的な『相』だ。『獣身相』には他にも、大蛇に四肢を生やしたようなものなどもいるが、いずれも、とてつもない生命力と強力な膂力を誇る。

 そのほとんどが牙や爪を武器とする近接戦闘型だが、大型化した体躯が備える四肢は十分な攻撃範囲を持っているのだ。

 なにしろ、『熊』が出し入れできる爪は人間が使う小剣ほどもあるし、『竜人』の腕から伸びる刺突用の突起は細いが、さらに長い。

 まして、一部の者は爪や牙を伸ばしたり、他にも様々な能力を兼ね備えることもある。


 そして、一部の者は、さらに別の姿をとっていた。

 基本は『熊』とほとんど変わらぬものの、その両拳には、大きな瘤のようなものがついている。瘤にはいくつもの穴が開き、なにか尖ったものがその奥に見えていた。


「距離を取って、飛棘ひきょくで攻撃、か。まあ、堅実よね」


 その背の上で操り手が姿を変じても、訓練された竜たちはうろたえたりはしない。速度を緩めることなく、彼らは後方の襲撃者から離れていった。

 しかし、轟音と衝撃がその足を止める。


「え? なに?」


 なにが起きたのかナギが見ることは出来なかったが、くくりつけられた竜の足が乱れたのはわかったし、何よりも耳を聾する破壊の音が身をすくませた。


「あらあら……」


 一方、荷車に縛り付けられているユズリハからは、その光景がよく見えていた。

 竜たちの進行方向で切り立った崖が崩れ、大岩が次々と落ちて来るのが。

 幸いにもすぐ近くというわけではなく、落石に当たった竜がいるわけでもなかったが、その衝撃と轟音は大地と空気を振るわせ、根源的な恐怖を呼び起こす。


「止まれ! 止まれぇ!」


 隊長の号令の前に、すでに本能的に足を緩めていた竜たちは、さらに制動をかけてたたらを踏んだ。

 落ちてきた岩で、道の全てがふさがれているわけではない。けれど、大岩がごろごろ転がり、いまもぱらぱらと石くれが降っている中に突っ込みたがる者はいないだろう。


 一方で、後ろからは千刃相が迫っている。

 隊長は大きく一つ唸ると、兵たちに反転を命じた。自分で停止を命じた以上、無理矢理に駆け抜ける機を逸したと判断したのだろう。

 慌てて兵たちは向きを変えようとするものの、崖崩れに興奮した竜たちに言うことを聞かせるのは一苦労で、何ヶ所かで衝突も起きていたりする。


 こんな混乱した状況でも、当事者とは言い難いナギやユズリハには頭が回る余地がある。彼女たちは思わざるを得なかった。

 これはあまりに都合が良すぎる状況ではないかと。

 はたして、この崖崩れは偶然なのかと。


 そんな疑念を持つ彼女たちの耳に、一つの音が聞こえる。女の悲鳴のような、背筋を凍らせる甲高い音。

 まるで全てを失った者があげる哀哭のようなその声が。


哭號女相なきおんなのそう!!」


 兵たちもまたその声に反応していた。

 哭號女相なきおんなのそう――あるいはいにしえの女怪の名を取ってバンシィとも呼ばれるその相は、女性にしか発現しない珍しいものだ。

 彼女たちは、音を操ることに長けている。

 そう、人にも魔族にも聞こえない音を利用して、岩を砕くことが出来るほどに。


「落ち着けぃ! 相手に哭號女バンシィがいようとも、続けて崖崩れなど起こせるものか! 怯むな!」


 幾人かが左右の崖を見上げたのに反応して、隊長の野太い声が飛んだ。兵たちの動揺はそれでわずかに収まったように見えた。

 けれど、道はすでに埋まり、フウロたちは迫ってきている。

 故に隊長は、兵たちが我慢出来ず散発的な攻撃に出てしまう前に、いち早く攻勢に出ることで意識をまとめようとした。


 だが、彼が腕を持ち上げ、攻撃を指示しようとした、その時。


 予想外のことが起きた。


 彼らを追っていた千刃相と祈虫相の合計六人が足を止め、同時に新たな音が周囲の大気を振るわせたのだ。


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