第17回:探索(上)
「いやあ、しかし便利なものでありますな。遠く離れたソウライの地で起きた出来事が、わずか十日ほどで把握できるとは」
手に持った書簡を恭しく掲げながら、そんなことを言うのは、独特の存在感のある女性。
人界にありながら、皇太子親衛旅団に特有の黒を基調とした魔界の軍服を身に着けていることから、魔族であることはすぐにわかる。また、『後宮部隊』に入るだけあって、目鼻立ちも整ったものであった。
だが、親衛旅団の幹部たちのような陽性の美しさはそこにはない。
短く切った黒髪はつややかで美しく、白い肌に映える。
だが、その髪の色は黒々としすぎて重苦しく感じられ、その肌の色は、下手をすると生気が無いように見られかねない白さをたたえている。
人形のように整った、だが、だからこそどこか人間らしさを欠く陰性の美貌を持つ女性であった。
だというのに、その言葉は快活であり、よくよく観察すれば口元もわずかに笑みの形を刻んでいる。
色々とちぐはぐな印象を与える女性なのかもしれない。
「そりゃあ、うちらが千年以上かけて作り上げてきた成果だからな。あんたら魔族よりもずっと年季が入ってる」
一方、そんな彼女に机を挟んで対しているのは、見事にあけっぴろげな美しさと態度を持つ女性。その名をリディア・ゲルシュター。
ゲール帝国第十一皇女にして、帝国に三人だけ残る帝位継承者のうちの一人である。
そんなリディアの言葉に、対面に座る女性は、口をとがらせ、反論した。
「たしかにゲルシュターの隊商団が積み上げてきたものは素晴らしいと思うであります。道を見つけ出し、所によっては街道そのものを作り上げ、各地に拠点を設けて、物と情報を行き来させることに成功するなどとは! ゲルシュターなくば人界は生きのびることすらかなわなかったでありましょう。しかしながら、魔界には魔界の良さというものがあります。たとえば、我が故郷では、雷樹の根による伝送網が都市間を結んでおり……」
「ああ、その話はもう聞いたよ。ムラサキ」
薄い胸を張って滔々と自慢話を披露しようとする彼女を、リディアは笑って遮り、それから、残念そうにこう続けた。
「雷樹とやらいう植物がない人界じゃ使いようがない技術だってこともな」
「そ、そうでありましたね」
ムラサキと呼ばれた女性は、実にもったいないという調子で言うリディアに少し動揺した様子だった。あるいは、椅子に深く座り直した皇女の上半身が、その豊かな胸を強調するような姿勢になったからかもしれない。
「雷樹があったとしても、情報伝送を可能な状況に保つのは、なかなかに繊細な管理が必要とされますからな。枝や幹は放っておいても蓄光可能なように育つのでありますが」
「明かり代わりになるだけでもかなり便利っすけどね」
困ったように呟くムラサキをなだめるように言うのは、リディアの後ろに控えるように立っているオリガだ。
その額から頬にかけて大きな傷痕を持つ彼女は、リディアの義理の従姉妹であり、懐刀でもある。
「ともあれ、いまはその話はいいだろう。で、ゲルシュター隊商団の連中はどんな便りを運んできたんだ?」
「はい。太子殿下及び参謀閣下からの報せによりますれば」
ムラサキは書簡を押し戴くようにしながら、リディアに応じる。
彼女こそは、リディアとスオウの秘密協約に基づき、カラク=イオより皇女の下に派遣された六十名の特務中隊を率いる指揮官である。
当然にリディアたちへの情報の取り次ぎ役も兼ねていた。
「我がカラク=イオは、ネウストリアへの侵攻を開始するとのこと」
「へえ」
当のスオウたちを訪ねる折、ネウストリアの混乱を経験しているリディアはわずかに片眉をあげたものの、それ以上の反応を示そうとはしなかった。
「アウストラシア制覇ではなく、ネウストリアですか?」
「はい」
一方、かつては軍人としての教育を受けていたオリガは、少々驚いたように首を傾げた。
「疑問を抱くのは当然でありましょう。腹背に敵を抱えて、新たな敵に挑むのは、危険なことでありますから」
ムラサキはうんうんと頷きながら、リディアとオリガに向けて話し始める。
「しかしながら我らが首脳部は、アウストラシア南部、いわゆる戦王国群がしばらくの間は動けないことを確信しておるようであります」
「理由は聞いていいんだろうな?」
「もちろんであります。簡単に申し上げますと、戦王国群の出口……我らにとっては侵入口となるはずの場所の近辺に、強力な勢力が成立しそうにないからであります」
「それは……例の?」
珍しくリディアが口ごもるような様子を見せた。
一都市を焼き払う天空よりの雷など、いかに彼女といえどそう軽々に口に出来ることではないのだろう。
ムラサキもまた重苦しく頷く。
普段は茶色をしているはずの彼女の瞳が、一瞬、紫紺の輝きを宿したのを、リディアとオリガは確かに見た。
「とはいえ、彼の出来事は間接的な原因であります。近辺の秩序を保っていた人物及び軍が失われたことで、権力争いが発生。小勢力が乱立し、とてもとても外に向けて兵を発することの出来る状況ではないようであります。もちろん、より南方の勢力がソウライ地域を窺おうとしても……」
「まずは乱立する勢力を取り込むか滅ぼすかせねばならない、というわけですか」
「そうであります」
オリガが彼女の言葉を引き取るようにして納得の声を出すのに、ムラサキはほんの小さく唇の端を持ち上げる。
「皇女殿下との協力関係という意味でも、ソウライからこの地に至るまでの経路となるネウストリアを押さえることは大きな意味があると愚考するものであります。もちろん、直線距離で言いますれば、アウストラシア南端までを勢力下にするほうがよろしいのですが……」
「船が出来てないのに、そりゃ無意味だろ」
「その通りであります」
三人の間を、なんとも言えない空気が漂う。
それを振り払うように、ムラサキは言葉を続けた。
「ともあれ、我がカラク=イオはネウストリアに全力を傾注することになったようでありますな。もちろん、我々は今後も皇女殿下のために働くよう言いつけられております」
「そうか。助かるな。今後もよろしく頼むぜ」
「光栄に存じます」
ぺこりと頭を下げた後で、ムラサキはもう一度書簡を見て告げる。
「そうそう。カラク=イオより一つ要請がございまして」
「ほう?」
「カラク=イオがネウストリアに攻め込むという情報及び状況が、皇女殿下に有利に働くなら遠慮などせず動かれるよう推奨するものの、一つだけ手を出していただきたくない分野があると」
言われるまでもなく商機を逃すつもりはないリディアである。ただし、同盟者に害を及ぼすようなことをするつもりもない。
当然、手控えろと言われればその通りにするつもりであった。
「具体的には、獣人奴隷を取引するのは止めて欲しいそうであります。どうやら、首脳部は獣人勢力とすでに協力体制を取っている様子でありまして。ネウストリア攻略のためにも、獣人を奴隷とする勢力には資金及び物資を流さないようにしていただきたいと」
「獣人をですか。なるほど……。ネウストリアの森を利用するならば、悪くないかもしれません。しかし、どうやって協力を取り付けたんですかね?」
「さてはて。殿下はいつも我々などには想像もつかぬことをやらかし……失礼。実現なさいますので」
一切表情を変えぬまま失言を訂正するムラサキに、オリガもリディアも苦笑を見せる。
スオウとのつきあいはムラサキに比べれば格段に短い彼女たちだが、カラク=イオの主が様々な意味で常人の想像を超えていくことはよくわかっている。
人界に攻め入り、わずか二千の手勢で三界を制覇すると宣言する男の行動が、予測出来るわけもないのだ。
「なんにしてもちょっかい出す程度じゃ無く、全力ってことは勝算があるんだろうよ。こっちは儲ける算段を立てるとするさ。オリガ」
「はい」
「しばらくはうちだけの話にしておけ。兵が動くと見たら、ゲルシュターの連中に流せ」
それから、リディアは少し考えるようにして続けた。
「獣人については……そうだな。ネウストリアの行き過ぎた奴隷制に関して、皇女殿下が不快感を覚えているとかなんとか言っておけ」
皇女であり、帝位継承権保持者の彼女が他国の制度に関して意見を表明するのは危ういことである。だが、その勢力を滅ぼそうとするものがあり、その状況を商売に使えるのならば、許される。少なくともゲール帝国内の常識では。
「実際、気分いいもんじゃないっすからね」
渋面のオリガに、リディアはふんと鼻を鳴らすだけだった。
「とにかく頼んだぜ」
「お任せください」
うん、と一つ頷いて、リディアは再びムラサキへと注意を戻した。
「未来の良人殿は他に何か言ってきてるか?」
「いえ、なにも。詳しい経緯などは、追って報告もあると思われますが、この度は以上であります」
「そうか。じゃあよ」
ぐっと身を乗り出して、リディアはこう言うのだった。
「そろそろ本題に移ろうぜ」
と。
†
――探索第三日
この地に住む者たちが『穢れた地』、その中でも『荒れ野』と呼ばれる土地に入ってより二日。
今朝からはゲール帝国皇女殿下が用意してくれた案内人とも別れ、我々魔族のみでの道行きとなる。
とはいえ、人界の者たちと違い、我々にはこの地に対する忌避感は存在しない。
おっかなびっくり探索を行う彼らより、きっと我々のほうが効率的に進められることだろう。
――探索第五日
荒れ野という名にふさわしく、荒野が広がっている。
ほとんどの地面は、様々な色の塩で覆われている。青、緑、茶、赤、紫と実に色彩豊かだ。
大ぶりな結晶となって歩行が困難な場所もあるため、注意すべきであろう。
ただし、完全なる死の荒野というわけではない。
塩の表出によってひび割れた大地のくぼみには植物が生え、昆虫が巣を作り、それを狙って小動物が蠢いている。
おそらくは、我々が、人類が到達する前のこの大地は、このような地がずっと続いていたのではなかろうか。
――探索第八日
殺戮人形の残骸を発見する。
破壊された様子は無く、立ち尽くすようにして朽ち果てていた。
伝説の存在に一同驚嘆する。
歴史に詳しい者によれば、殺戮人形の発生源からこの土地までの距離で動力が切れるとは考えにくいようだ。あるいは、動力系になにか問題を抱えていたのかも知れない。
いずれにしても、刺激して再稼働などされても困るため、周囲に土と塩の塊を盛り上げて封じておくこととした。
――探索第十三日
目的であった湾に到達。湾全体を覆うように、建築物及びその遺物が見受けられる。
一見して我々は理解した。
これは港湾都市ではない。港湾要塞であると。
――探索第十五日
外部よりの観察により、小ぶりな湾を囲むように建築物が連続して構築されており、間隙は存在しない。
人界の城塞都市に近いが、建造物そのものが外壁をなしていることを考えれば、やはり、これは要塞と呼ぶであろう。
また、なんらかの警戒活動、もしくは攻撃に用いられるであろう設備を十箇所発見した。以後これを砲座と呼ぶこととし、今回の探索では接近を禁じた。
我々の目的はそこにはないのだから。
――探索第十六日
内部の調査を開始。
進入口は、南東の崩落箇所とした。崩落の規模が大きく、この部分が最も見通しが利いたためである。
進入口近傍区画の安全を確保。
内部の様子を見るに、上層部分に登るのは危険があると思われた。
隊内での相談の結果、今回の探索においては第一層部分を中心に調査を進めることと決定した。
――探索第十九日
要塞内部、湾につながる部分まで進出。湾内を観察することに成功する。
湾内には船舶の係留場所とおぼしき施設が残っているが、当然ながら、全ての船舶は現存していない。
ただし、湾内の浅瀬部分に海洋生物の群集地がいくつも発見された。
これらが、沈没した船舶を基にしているのではないかとの推測が立つ。
魔界でも海洋資源利用のために、老朽化した船舶を沈めて群集地を作り出すことは行われているからだ。
――探索第二十三日
要塞内の補修区画とおぼしき場所を発見。
他の区画と比べると空間が広く、機器の残骸も多い。
今後、この区画を重点的に調査する予定。
――探索第二十四日
補修区画にて、引き上げられていた船体の残骸とおぼしきものを複数発見。
一つ一つの残骸から原型を推測するのは難しいが、複数を比較することで、おそらくは魔族が知るような船舶とほぼ同型のものであろうことが推察できた。
――探索第二十五日
内部調査も十日目となり、また、探索行自体も二十五日ということで、帰還の準備を始める。
残念ながら、我々が発見できたのは残骸にすぎず、船舶の生産設備がこの要塞内に存在したのかも不明のままである。
しかしながら、船舶の点検、補修を行うと思われる地区は発見され、そこに用いられた器具も発見されている。
一定の成果は得られ、今後の探索にも希望が持てるものと考える。
最初の探索としては、大成功であったのではなかろうか。
†
「……と、まあ、これが我が部隊の探索行の第一報であります。正式な報告はお待ち下されたく。当人たちもまだ戻ってはいないでありますから」
ムラサキは探索隊の責任者から届けられた記録を読み上げると、そんな風に告げた。
この記録を届けるために使者は騎竜を潰す勢いで走ってきたものの、探索隊本体は、まだ『荒れ野』の近縁に留まっている。休息のためもあるし、いずれ二度目の探索に出るなら、わざわざ皆が戻ってくる必要はないと考えている面もあった。
「おいおい、おいおいおい!」
それまで拳を握りしめて声を発するのを我慢していたリディアがばんと卓を叩いて立ち上がった。
「すげえじゃねえか!」
思わずといった様子で握りしめた拳を振り上げ、そのままくるくると軽快に回り始めるリディア。
つややかな髪と豊かな胸が揺れる。
「なあ、聞いたか、オリガ。船だぞ、船」
「ええ、聞きました。聞きましたとも!」
ものすごい勢いで回るリディア。そして、彼女が正面に回ってくる度に手を打ち合わせるオリガ。
そんな二人の喜びように、ムラサキは小さく首を傾けた。
「いやあ、そのように手放しで喜ばれますと、少々心苦しいでありますな」
「ん?」
まるで申し訳なさそうな気配のない声で呟くムラサキに、リディアはくるくると回るのを止め、相手のほうをじっと見た。
回転から戻るのによろけることもなかったのは、さすがである。
「たしかに、この記録を見る限り、港の、そして船舶の管理を行う施設の遺跡を発見したのは事実であります。しかし、それを現代の技術で再現できるかまで考えると、なかなかに難しいと思われるであります」
ムラサキは無言で自分を見つめる二人を前に、静かに言葉を連ねる。
「たとえば、先に、皇女殿下は人界には雷樹が無いために、雷樹の根による伝送技術は意味が無いと仰いましたね」
「ああ」
「それと同じ事であります。先史時代の技術は、現代の人界の技術よりずっと高度なものであります。その成果物を利用するためには、前提となる技術の再発見、あるいは代替技術の構築が必須となるのであります」
オリガの喉が小さく鳴った。
それは緊張のためか、あるいはもっと別の感情のもたらしたものか。
「たしかに、今回の探索は成功、否、大成功であります。これによって得るものは確実にありましょう。しかしながら、船舶の利用に近づく一歩であったかというと、疑わしいのであります」
唇を引き結んだまま自分を見つめるリディアに対し、ムラサキは、ゆっくりともの悲しそうに首を振り、そう告げるのであった。
体調不良のため、次回の更新が遅れます。