第3回:歓迎(中)
「まさか人界まで来て無頼を見るとはな。品の無さが匂ってくるようだ」
「おいおい。口を慎め。卑しき耳は聡いと言うぞ」
「なるほど。隠れ潜んで秘密を暴くのが下賎な者どものやり口であったな。気をつけよう」
あからさまに自分に聞かせるための『内緒話』をしている背後の二人に対して、カノコは怒りやそれに類した感情を抱くことは無かった。
氏族の支援を受けられない無頼の身である上に、初等教育も遅れて参加したような彼女が皇太子親衛旅団の増強中隊長となるまでの年月の間、この程度の悪口は聞き飽きていた。
むしろ、この程度であれば、上品に過ぎる。
とはいえ、悪意は十分にあり、彼女の感情を波立たせようとしているのは確かだ。
故にカノコには、この男たちが自分を怒らせてなにか得があるのだろうかと不思議がる気持ちのほうが強い。
彼ら二人は、鳳落関から派遣されてきた使者である。
いまは、ショーンベルガー城の中を、カノコに案内されているところだ。
使者であるから、それなりに丁重な扱いを受ける。だが、敵地に入った使者がけして害されないなどということはない。
実際、ここでカノコが彼らを殺しても、スオウからお咎めを受けるようなことはないだろう。なにしろ、現在の魔界の支配体制とスオウたちはけして相容れないのだから。
情報を得ずに殺してしまったなら叱られるだろうが、そこはきちんとしておけばいい。
だから、彼らがカノコを怒らせるのはただ危険を増すだけだと思うのだ。
あるいは、とカノコはようやく思い至る。
もしかしたら、彼らはこの地を敵地と思っていないのかもしれない。少なくともどうしようもないほど深刻な対立を来している相手の土地とは。
カノコたちにとって、現在の魔界で皇帝を名乗っているらしいメギは、正統な継承者であるスオウの留守に帝位を掠め取った大逆の徒である。
そして、そんな現体制に従う者は等しく謀反人だ。
相手は仇であり、敵である。そして、いずれは征服する相手である。
翻って、いま使者としてやってきた彼らの感覚はどうだろう?
彼らにとって、スオウとそれに付き従う者たちは、敗残の輩とでも見えているのでは無かろうか。
魔界に帰ることを望みながら、それが出来ずにいる憐れな連中と。
であるならば、むしろ魔界からの頼りは心待ちにされていると思い込んでもおかしくはない。
閉め出された側からすれば、そんな心理が生じるはずもないのだが、そこはしかたあるまい。
なにしろ、彼らは扉を閉ざした側、つまりは加害者だ。
加害者は、罪の意識が強ければ強いほど、自分たちを正当化しようとする。
そのことを、カノコはこれまで積み重ねてきた年月で学んでいた。
路上でも、学校でも、誰かを傷つける者は、必ず自分を正当化する。あるいは最初から自分を正義だと思い込んでいる。
こいつは汚いから、こいつは弱いから、こいつはのろくさいから。
だから、傷つけてもいい。
むしろ、そうすべきだ。
そんな風に彼らは自らの心を守り、そして、いつしか心の底から笑いながら人を傷つけることの出来る人でなしに成り下がる。
メギとヤイトは、彼らが飛びつきたがるように、聞こえだけはいい大義を掲げているに違いない。
どんな理由があれ――実際にはないのだが――帝が認めた後継者を追放するとなれば、それ相応の信念や正義を主張しないわけにはいかない。
誰もが偽りだと思っていても、いつか、その嘘を信じてしまうのだ。
そうして、相手を侮り、蔑むようになる。
もしかしたら、彼らもそんな者たちなのではなかろうか。
カノコはそこまで考えを進めて、ぎゅっと顔をしかめた。
いけない、いけない。
自分の都合のいいように考えるのは危ないことだと、かつてスズシロが語ったのを思い出して、彼女は心の内で自分に注意する。
彼らが間抜けであるという前提で接すれば、あちらに都合のいいように操られてしまう可能性がある。
いかなる時でも、相手は一枚上手だと想定していどまねばなるまい。
でも……と彼女は考える。
自分を侮辱して、果たして彼らに利があるのだろうか。
それを思い付けない彼女は、ねちねちとした蔑みの言葉を聞き流しながら、真剣に考え続けるのだった。
†
なんだ、ただの馬鹿だったんだ。
二人がエリに放った言葉を聞いて、カノコは安堵した。
どうやっても使者の二人が自分を怒らせようとする理由に思い至らなかったのだが、どうやら愚かなだけであったらしい。
というのも、彼らは謁見の間にてエリ、すなわちショーンベルガー公爵の代理人にして、スオウの婚約者でもある人物に対してこんな事を言い放ったからだ。
「過日生じた異変はこの地でも知られているだろう」
「我々はそれを調査しに来た。魔界の誉れのため、我々に協力したまえ」
言葉遣いに丁重さが欠けているのは、エリを人間と見て、あまり難しい表現を避けたのだと好意的に解釈することも出来る。
だが、その内容はどう聞いても擁護出来るものではない。
「お断りいたします」
エリがきっぱりと言ったのも、カノコには当たり前のこととしか思えない。むしろ、それに対して絶句している使者たちのほうが驚きだ。
「なっ」
「何故だ!」
「何故と問われますれば」
エリは、時代がかった形で極北語を用いていた。カノコはそれを聞くのははじめてだったが、エリがスオウたちのもとに最初に来た頃はそんな話し方だったと聞いている。
実際のところ、エリの本来の出自を考えれば、それもまた偽装だったのだろう。
「第一に、我らショーンベルガーは魔界の皇太子たるスオウ殿下の対等な同盟相手であって臣従するものではない故に。魔界の栄誉に奉仕することは義務たらざるがため」
それからエリはまるで幼児が不機嫌な時に浮かべるような表情になった。
「第二に、貴殿らは敵地に入りて物見を自由にさせよと望んで、それがかなえられると何故考えられるのか」
「それは……」
言われて言葉を返せないところを見ると、使者たちにもここが敵地であるという認識はどこかにあったらしい。
ただ、それを強く意識していたかというとはなはだ疑問であった。
もし、そうであれば、それなりの交渉の切り出し方というのがある。彼ら二人の物言いは、まるで自分の主張が通らぬわけがないと信じているようであった。
「し、しかし、これが大事であることはそちらも承知していよう」
「それは当然。なれど、それに対して魔界の力を借りることは、果たして、我らの益になるかどうか」
「なんだと?」
訳がわからないというように言う使者を、真っ直ぐ身ながら、エリは続ける。
「あのような事が、人の身でなしえないことは我らでも悟らざるを得なきこと。その人ならざる者が、貴殿らではないという証はいずこに? また、大いなる力持つ別の者たちが為したとしたならば、それらと魔界との争いに巻き込まれるやもしれぬ」
「我らのはずがないだろうが!」
「信無き者の言葉だけでは証たり得ぬことはおわかりかと。示すべきものをお示しいただきたい」
そこで言葉に詰まった二人をエリはじっと見つめていた。だが、しばらく待っても反応が無いのに、諦めたように首を振る。
「本日はここまでといたしましょう」
彼女がそう宣言することで、会見は終わった。
使者の二人は、納得できないと騒ぎ立てていたが、かといって交渉を続けられるだけの材料を提示することもなく、結局、カノコが憲兵隊に命じて丁重にお帰り頂いた。
その二人が出て行った扉を見つめながら、エリはしきりに首をひねっている。
「ねえ、カノコちゃん」
「なぁに? エリちゃん」
普段通りの調子に戻ったエリに、カノコもまたいつも通りの友達としての口調で応じる。
エリのほうが謁見の間の立派な椅子に座り、カノコはその座より一段低い場所で立っているという状況も、二人には特に気にならなかった。
「僭主はなにを考えているんだと思う?」
「メギがです?」
「うん」
スオウの腹違いの兄にして、魔界の皇帝の座を奪い取った悪漢の考えなど、カノコには想像するのも難しい。
だが、友達であるエリがそれを求めているのだから……と少し考えてみたものの、いまひとつよくわからず肩を小さくすくめるしか無かった。
そんな彼女の様子に、エリは布を巻いた額――龍玉が埋まっているはずの場所――をなでながら言う。
「あの二人が外交の基本もわかってなくて、交渉者として力が足りないってのはカノコちゃんもわかってると思うけど」
「うん」
「そんな人がなんでこの交渉に派遣されたんだろう?」
それから、エリは独り言のように続けた。
「まさか、魔界にそれほど人材がいないわけじゃないでしょうし……」
「あー……。えーと、それは」
「ん?」
なにか言いにくそうにする
「どうしたの、カノコちゃん?」
「ええとですね。エリちゃんは魔界の住人と言えば私たちしか知らないと思うんですけど」
「おとぎ話以外ではそうかな」
エリはショーンベルガー公爵家の血を引くと同時に、真龍の血も受け継ぐ者である。
魔族について、人界の者たちよりはずっとよく知っている。だが、それもずっと昔、何百年も前のことについての話だ。
いま、魔界に生きる者たちについて知っているわけではない。
「はい。それでですね。太子様の親衛隊は、魔界の中でも精鋭中の精鋭でして」
「それは、そうだろうね」
エリもこれまでスオウたちと過ごしてきて、彼らが一兵卒に至るまで優秀な人々で構成されているのを理解している。
もちろん、それが魔界の標準では無いことは、エリも承知している。
もし、あれが一般的であったなら、もっと早くに魔界は人界を呑み込んでいただろうとも思う。
「でも、こんな風にすごい人たちばかりが一つの組織に集まることってあんまりないんですよ。氏族がそれを許さないんです」
「氏族が?」
「うん。私は無頼ですから誰も干渉してきませんけど、普通の人にとっては、氏族って結構重要なんです。庇護を受けるという面でも、制約を受けるって面でも」
なんとなくエリは察することが出来た。
人界の貴族たちも自らの家によって恩恵を受けるし、逆に縛られることもある。そうしたことが、魔界の氏族でも生じているのだろうと。
「優秀な人材は氏族のほうで囲い込んでるってことかな?」
「そういうこともありますし、政治的な均衡を考えて進路を変更するより迫られる場合もあると聞くです」
「なるほど……」
ただ本人が望むだけでは、進むべき道を定められないということのようだ。
おそらくは優秀であると期待されればされるほど。
「そうしたことも絶対なわけではなく……。無視することも出来ます。まあ、氏族からの援助の度合いは減るのでしょうけど」
そのあたり、詳しくは知らないのかもしれない。カノコが曖昧に肩をすくめるのをエリはそう見て取った。
「ともかく、氏族はそれなりに影響力を持つです。そして、どこの組織にどれだけの人間を配しているかというのは……」
「その氏族の政治的立場も示すことになる……ってことかな?」
「ですです」
エリは進めたいであろう論の先を口にする。カノコはそれに対して嬉しそうに頷いた。
「魔界の情勢がどうなっているのはかわかりませんけど、おそらく全面的に僭主に服しているということはないと思うです」
「どんだけ言いつくろったとしても、簒奪だしね……。大半は様子見に走るだろうと思うけど」
「はい。数年後ならともかく、いまの時点では、ほとんどの氏族は申し訳程度の協力しかしてないと思うです。黒銅宮は別として」
たしか、僭主の母親が黒銅宮の出だったっけ……。
スオウたちからなんとなく聞いていた情報を思い起こし、エリは納得する。
「魔界に人材がいないということはないです。でも、それをメギが使いこなせるかどうかというと別です。無理矢理氏族に協力させて人を出させる事も出来るでしょうけど……」
「そんな人物は信用は出来ない、か」
「特に中央から離れたところにやるには」
「なるほどー」
合点がいったという風に、エリは深く息を吐く。
魔界には優秀な人物があるものの、その大半は息をひそめて情勢の変化を見極めようとしているところなのだろう。
優秀であればあるだけ、先を見据えるためにそうするのかもしれない。
そして、氏族の上層部もそうしているが故に、僭主の下に多くの人材が集まることはない。
信頼出来る人物は、ただでさえ不穏な情勢をおさえるために用いられているはずだ。
そうなれば、不測の事態に派遣する者の質が落ちるのもわかろうというものだ。
「ただ、それでもなあ」
「はい。いくらなんでも、あれはひどかったです」
二人は言い合って顔を見合わせ苦笑する。
「となると、やっぱり、わざと失敗させようとしてるのかな?」
「わざとです?」
「うん。そうしたら、スオウ様のせいに出来るでしょ?」
「ああ……!」
言われて気づいた、という風にカノコは目を見開く。
言われてみればその通りだ。
メギにとっても今回のことは一大事であるはずだが、被害を受けたのは、魔界にとって関の向こう、自らの支配の及ばない土地だ
元々十全な調査をすることは難しい。
であれば、スオウたちが邪魔をしたことにして、事をうやむやにしてしまうのも一つの手だ。
いかにも卑怯者が思いつきそうな陰険な手ではないか。
「卑劣です」
「まあね」
しかたないというように、エリは苦笑する。
だが、もし僭主たちがそれを狙っていたとすれば、あの使者たちの稚拙な交渉も理解できる。
「ともあれ、私たちだけじゃなく、スズシロさんたちにも知らせて考えてもらわないとね」
「ですです。早速手紙を書きます」
「うん。お願い」
それから、大きく伸びをして、エリは体をほぐす。彼女は親友に向けてほほえみかけながら、こう言った。
「まあ、いずれにしても、まさか一回で交渉を打ち切るわけもないだろうし、私たちはせいぜい交渉を引き延ばして、殿下たちの到着を待ちましょう」
「はいです」
カノコもほほえんで頷き、ひとまずは次を待とうということになったのだった。
†
だが、事態はエリやカノコの予想とは大きく外れようとしていた。
這々の体で鳳落関に逃げ戻った使者たちは、自らが受けた屈辱をより誇張して伝えたのだ。
それは、もうほとんどでっち上げといっていいくらいに。
これを受け、鳳落関では兵たちが招集された。
中央から派遣された調査団とその護衛に加え、鳳落関に詰める兵たちがずらりと並ぶその前に立ち、二人の男は熱弁する。
「諸君! 廃太子一派は、我らの調査の申し出を拒んだ!」
「平和的に調査を申し出た我々を非難し、脅し、そしてこれ以上の交渉を拒絶してきたのだ!」
「彼らは神族どもの為したはずの攻撃を我らに調査させることを拒んだ。これが意味することが、諸君らにわかるだろうか? かの廃太子は、魔界の誇りを棄てたのだ」
「諸君、これは大いなる叛逆だ。今上皇帝陛下のみならず、魔界に対する叛逆だ」
二人は、主張する。
スオウは、メギへの恨みに凝り固まり、神族どもに協力するようになったのだと。
もし、そうでなかったとしても、魔界のために協力することを拒んだ以上、その罪は変わることは無いと。
その演説を聴く兵たちの態度は様々だ。
権力争いなど他所でやってくれとうんざりしている者もいる。
演説のほとんどを右から左に聞き流している者もいる。
中には素直に彼らを信じ、義憤に燃える者もいる。
そして、ごくわずかにではあるが、それとは真逆の理由で怒りに燃えている者がいた。
「そんなわけがあるものか……!」
「しっ」
壇上でとうとうと為されるべき魔界の正義について訴えている二人の男を睨みつけながら歯を食いしばる人物。
その食いしばった歯の隙間から漏れた言葉を聞きつけ、隣の男がぎゅっとその腕を握った。
「もうしばらくの辛抱ですよ」
「……わかって……いるけど!」
その小柄な人物が泣きそうな声で返すのに、優しい調子で腕を撫でながら、男は壇上を見る。
そこでは、使者たちがさらに熱狂的な言葉を述べ続けていた。
空疎ではあるが、人を煽り立てる言葉を。
こうして、おそらくはメギやヤイトといった中央の思惑すら超えて、事態は悪化しようとしていた。