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好色皇子:スオウという男

 杯が打ち鳴らされ、歓談に花が咲く。

 色とりどりの花や彫刻で飾り立てられた会場には、あふれんばかりの食事が運ばれ楽士たちが美しい旋律を奏でる。

 世界の諸地域から敵意と恐怖をもって『魔界』と呼ばれるその場所で開かれる宴は、実に華やかで、きらびやかで、明るい。

 それは、まるで楽園の祝祭のようであった。


 だが、その足下では――世界のどこでも同じように――裏方の者たちが必死で表の進行を支えている。

 それは、宴を開く館の厨房で顕著であった。

 笑い声の響く優雅な大広間とは対照的な、殺伐とした声の飛ぶ激務の小空間がそこにある。


 幸いなことに雑然とはしていないし、混乱することもない。

 そんなことをしている余裕などないのだ。

 料理を出す順番は、配膳する者の足の場所まで事前に指示されるくらい詳細に定められている。さらには、飛び込みの注文がすでに何度もねじ込まれてきていた。

 わがままを言う客のいない宴に出くわしてみたいものだと、誰もが思っている。


 全ての要求を成し遂げるには怒号は邪魔だ。

 ましてや慌てる者など存在していいわけもない。

 指示は短く鋭く、火の前を行き来する者たちの足取りは確固としたものとなるのだ。


 だから、そんな厨房の勝手口に、誰かが迷い込んでくることなど、本来あってはならないはずのことである。

 一番の下っ端が言われたものを取りに行き、ごみを捨てに出る。そのためだけにその出入り口は用いられるべきであった。

 だが、たしかにいまそこにはぼろ布をまとった男がいる。


「なにか恵んでくだせえ」


 そんな風に鼻声で手を差し出しながら。


「そいつをつまみ出してきな」


 近くにいた煮物担当の女が冷たい声で吐き捨て、下っ端の小間使いが指名される。


「警備に引き渡せばいいんですか?」

「馬鹿。警備だって忙しいんだよ。放っておかれてまた来たらどうすんの。いいかい。あんたが、あ・ん・た・が! 責任もって敷地から放り出すんだよ。なんだったら、もっと遠くまで棄ててきな」

「わ、わかりました!」


 きっぱりと言われた女はぴんと背を伸ばすと、ぼろ布をまとい、情けなく鼻を鳴らす男を連れて厨房を出た。


「まったく、じいさん。どこから入ってきたんだい?」


 腰を折り曲げてよろよろと進む男を引っ張って、女は進む。

 ぼろぼろの布のおかげで顔はほとんど見ることが出来ない。だが、そのつないだ手は妙に柔らかかった。

 それに、ぼろぼろの布をかぶっているというのに、ろくに臭くない。むしろ、いい香りすらする。

 そもそも、今日の館はいつもより厳重に警備されているはずだ。一体どこからどうやって入ってきたというのか。


 物乞いにしてはなんだかおかしいのではないか。

 雷光樹の照明が途切れ、明かりと言えば館の各所から漏れ出る光だけとなったせいもあり、女は妙な不安を持ち始めた。

 自分が引いているのは一体誰の手だろうか……と。

 そんなことを怪しみ始めたところで、不意に男はひょいと腰を伸ばした。


「え?」

「うまいこと抜け出せたな、レンゲ」

「ええっ?」


 その男が呼んだ名は彼女のもの。そして、その呼び声は、彼女にとっては間違いなく聞き覚えのあるものだった。


「スオウ様!?」

「ああ、俺だ」


 ぼろ布をばさりと落とした青年がにっこりと笑う。

 そう、青年だ。

 少年の名残がまだその顔貌に残る、背の高い男だ。

 先ほどまで曲げていた腰はしゃんと伸び、隠されていた衣服を露わにしている。

 物乞いどころか、いま大広間で開かれている宴に相応しい華やかな装い。


 いや、実際に、彼は宴に招かれているはずであった。


「な、なんでここに! どうやって!」

「そりゃあ、抜け出してきたからさ」


 おどけた仕草で彼は肩をすくめる。

 だが、その答えに女はぱくぱくと口を開け閉めするばかりで、なにも言葉が出てこない様子だった。


「招かれたといっても、注目されるのは最初の紹介の時だけだからな。後は素行不良の皇族なんて、ろくに相手にもされん」


 そんなわけがあるものか、と彼女は思った。


 男の名はスオウ。

 それ以外になにもつかない、ただのスオウ。

 だが、氏族が生活の根幹を支える魔界において、氏族の名を冠されぬことは大きな意味を持つ。

 氏族を持たぬ無頼の徒か、あるいは冠することすら畏れ多い存在であるか。


 彼の場合は後者であった。

 魔界を統治する今上皇帝の甥にして、皇位継承順位第三位の皇族。紛れもない皇子である。

 夜会の場で相手にされないわけがない。

 そんな人物が、一体どうやって抜け出してきたというのか。


 だが、彼は彼女の信じられないようなものを見るような目を気にした風もなく、楽しげに笑いかける。


「それに、なんでかって言えば、お前に会いに来たんだよ。会いたかったからな、レンゲに」

「え?」


 言われた途端、レンゲの頬がぽうと朱に染まる。

 魔界屈指の貴公子に優しく微笑みかけられ、豪華な宴をふいにしても会いに来たかったと告げられれば、頬を染めてしまうのも仕方のないところだろう。

 一方で、そうした行いは、彼のあだ名を思い起こさせもする。


 好色皇子。


 手当たり次第などということはない――口説かれている身としてはそうであって欲しくない――ものの、多くの浮き名を流す人物なのは確かである。

 素行が悪いと自ら言うのは卑下でもなんでもないのだ。


「まあ、正直、顔を見られればいいと思っていたくらいで、こんなにうまくお前を連れ出せるとは思ってもみなかったが……。そこはそれ、運が良いんだな。いや、日頃の行いかな?」


 先ほどまでは引かれていた手を、今度は逆に引きながら、スオウは歩き出す。レンゲがそれに逆らうことなど出来るわけもなく、ただついていくしかなかった。


「だいたい、宴にいても、娘を妃にと売り込んでくる親爺どもか、行いを正せとか説教をしてくる爺どもばかりだからな。お前の顔をみていた方がよほどいい」

「そんな……」


 嬉しいことを言われて、レンゲは首筋まで赤くする。

 頭のどこかで、これもこの人の手なのだろうかなどという考えがもたげた。けれど、別にそれでもいいではないかともう一人の自分がささやく。

 なにしろ、レンゲは貴人でもなんでもない。スオウとこうして口をきくことも、通常では考えられない出来事だ。

 それが、なんとあちらから求めてくる。弄ばれていたとしても、ひとときの夢だと思えばいいだけではないかと。


「だけど……」


 そう。だけど、と彼女は思う。


「ん?」

「スオウ様は、なんで私なんかに会いたいんですか? 夜会には、綺麗なお嬢様たちがたくさんいらっしゃるでしょう?」


 そうだ。

 彼女より美しい者などいくらでもいる。

 彼女より気の回る者など無数にいる。

 彼女より優れた者は、彼の傍に数多くいるはずなのに。


 それなのに、彼はこんなことを言う。


「人を好きになるのに理由がいるか?」


 さも当然のことであるかのように。

 彼女と彼が同じ地平にいるかのように。


「たしかに、お前とはたまたま以前ぶつかって、たまたま話すきっかけがあったにすぎん。だが……」


 そこまで言ったところで、スオウは足を止め、口を閉じた。


「迷惑だったか」

「そのような!」


 彼は振り返り、つまむように引いていた彼女の手を、そっと両手で包むようにした。


「いや、俺とお前で、どちらが叱られるかといえばお前だろう。お前のことをもっと考えるべきだった。すまない」


 そうだ。この人はそういう人だ。

 頭を下げる彼を見ながら、彼女は思う。


 単なるお遊びだろうと思い込み、うたかたの夢だと決めて接すれば、黙って哀しそうな顔をする人だ。

 だからこそ、彼女の胸はざわつくのだ。


 ただの軽薄な貴公子に言い寄られてときめくだけであったほうが、ずっと楽であったろうに、と。

 こんなにも悩むことはなかったろうにと。


「スオウ様」

「いかんな。やはり、自分のしたいことに我慢がきかないのは、甘やかされて育って……」

「スオウ様」


 姿勢を戻し、ぶつぶつと反省の弁を述べる彼を遮って、彼女は低い声を発する。

 その勢いに、彼は驚いたように彼女を見た。


「お伝えしなければならないことがあります」


 そして、彼女は胸に秘めていた、けして明かさぬはずであった秘事を打ち明けるべく、厳しい顔で彼を見つめるのだった。



                    †



 自らの屋敷にとんぼ返りしたスオウは、父の姿を探しあて、そして、小さく舌打ちした。

 彼の父、すなわち今上皇帝の弟たる人物が、スオウの腹違いの兄と共にあるのを見たからであった。

 だが、すぐに考え直したように、彼は二人に近づいていく。


「どうした、スオウ。今日はどこぞの氏族に呼ばれていたのではなかったか」

「そのどこぞの氏族について、少々報告したいことが」


 それから、スオウは兄のほうをちらと見た。

 その仕草が不満だったか、父と兄は揃って顔を歪める。


「私がいては邪魔なのかい、スオウ?」

「いえ、そういうわけではないのですが、なにしろ大事おおごとでして」

大事だいじであればなおさらだ。儂はこやつと事をはかるからな。実際、まだまだ若いというのに頼りになるものだ」

「なるほど」


 父が言外に『お前と違って』と伝えているのを理解しながら、スオウは頭を下げる。

 そんな彼を、兄が蔑みの目で見ているのもわかっている。

 自分を遠ざけて、その間に父におもねろうとしたのだとでも思っているのだろう。

 いまはそう思ってもらっておいたほうが、彼にとっても好都合であった。

 そうやって、二人の注意を十分に惹きつけてから、彼は告げる。


「謀反です」

「馬鹿を言うな」


 興味をなくしたように手をひらひらふる父に、スオウはさらなる材料を注ぎ込む。


「すでに私兵を集めていてもですか?」

「なんだと」


 魔界において軍はただ一つ。

 たとえ皇帝であろうと、別の組織を作り上げることなど許されない。

 ありとあらゆる魔族の力は、たったひとつの目的のためにあるのだ。すなわち、偽りの天を破るために。

 それを忘れ、己のために兵を動かせば、それだけで叛徒である。


「詳しく聞かせろ」


 そうして、皇弟たる人物は、普段は放蕩息子と蔑む末子の言に耳を傾けるのだった。



                    †



「では、父上。ついでに兄上。後はよろしくお願いいたします。私は少々出かけてきますので」


 謀反の情報を伝え終え、スオウは晴れ晴れとした顔でそう宣言した。


「どこに行くのだ?」

「この情報を決死の覚悟で伝えてくれた女性を助けに参ります。なんといっても、叛徒どもの最中においておくわけには参りませんからな!」


 言い放ち、止める間もなく彼は走り去る。

 止めるつもりもなかったとはいえ、残された二人はその早業に驚くしかなかった。


「しかし、まあ、謀反とは穏やかではありませんな」

「ふん。あてになるものか。あやつは下働きの女から聞いたというのだぞ。女に政治がわかるわけがない」


 父の言葉に、息子のほうは苦笑いにも似た表情を浮かべる。

 謀反の報を本気にしない父に向けたものか、女性に対する見識の狭さに向けたものか。

 少なくとも腹違いの弟の扱いに対してではないだろう。


「あれの気を引こうと脚色を加えている可能性はありますな。とはいえ……」


 あえて続けない長子の言葉に、皇弟たる男は慎重な顔つきになった。


「そうだな。まあ、報告はしておこう。なにがあるかわからんからな」

「ええ」


 そうして、スオウがもたらした情報は父を経由して、魔界の治安当局に伝わることとなる。



                    †



 結果として謀反は未然に防がれた。

 しかし、そこにスオウの名が出ることはけして無い。

 相変わらず、彼は女好きの貴公子として認識され、そうとしか扱われなかった。


 そして、魔界は、謀反直前の行動を取る者が出るほどのなんともいえない閉塞感の中にありながら、その打開策を見つけようとする者すらいなかった。

 好色皇子と呼ばれる男がそれに悩み、それを成し遂げるなどと考える者もまたいるはずがなかった。


 だが、彼のうちにあるものを信じる者がいた。

 彼の父も兄もそれを信じようとしなくても。

 当の彼自身がそれを信じていなくても。


 彼の夢を知る者がいた。

 彼の瞳を真っ直ぐ見つめる者がいた。

 彼の好色を度量と受け取る者が、たしかにいた。


 スオウが帝の娘を得て皇太子の地位を襲うのはまだ先のことである。

 そして、精鋭の兵を得て人界を襲うのは更に先の話である。


 その時はまだこんな馬鹿話に興じる若者でしかなかったのだから。


「では、頼んだぞ」


 スオウはレンゲを預けることにした将軍にそう頼み込んでいた。

 たとえなにがあろうとも、彼なら守ってくれるはずだと考えて。


「それはよいのですが、当人にとってはどうなのでしょうな。くりやの仕事と軍での炊事は少々勝手が違いますからな」

「大丈夫さ。あれは俺が見込んだ女だぞ」


 自信満々の彼に、将軍は目を細める。


「スオウ様は本当に女性にょしょうがお好きなのですな」

「ああ、そうだとも」


 彼は実に楽しそうに頷く。


「女はいいぞ。あったかくて、柔らかくて、いい匂いがする」

「しかし、スオウ様。赤ん坊もあったかくて、柔らかくて、いい匂いがしますぞ」

「いやいや。乳が欲しいと泣く赤子に欲情するわけないだろ」

「乳が吸いたいのはこちらだということですかな?」

「そういうことだな!」



 好色皇子、あるいは後に黒太子とも呼ばれる男は、まだこの時はなにになるともしれぬぐつぐつとした熱情を抱えた、ただの女好きに過ぎなかった。


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