No.3 内緒のデート
「…来てくれないかと思ってた」
「そんな…」
あの日、何がどうなったのか分からないが話の流れで食事でも…という事になって、私は駅のロータリーで彼と待ち合わせていた。
彼…結城さんと。
結城さんは仕事帰りらしく、いつもと同じようにスーツ姿にメタルフレームの眼鏡をしていた。
私は、そんな彼に似合うようにとフェミニンなワンピースにピンヒール。
髪もゆるく巻いてみた。
かなり本気なデート使用になってしまったけれど妥協したくなかったのは、いつもと違う私を見てほしいと思う女心だ。
ああ、夫が飲み会で良かった…。
毎週水曜日は飲み会と決めている夫は明け方まで帰ってこない。
私の予定など気にしてるはずはないだろうが、さすがに着飾って出ていくのは勇気がいる。
空気のような存在だが、本当に空気な訳じゃないから。
「乗って」
結城さんは、そう言うと助手席のドアを開けた。
「あ、はい…」
少し足を伸ばそうと彼が連れてってくれたのは海が見えるお洒落なレストラン。
ちょうど日が傾いて、綺麗なオレンジ色に染まっていた。
「わぁ…!!」
思わず声が出た。
フッ。
後ろで彼が笑ったのが聞こえた。
恥ずかしくて後ろが見れない。
「後で砂浜を歩きますか?」
「そ、そうですね」
耳まで赤くなる私の肩をそっと抱いて、ウェイターの後ろを歩いていく。
海がよく見えるテーブルに通されると、彼は椅子をひいてくれた。
「どうぞ?お姫様」
そんな事を言われたら、どうしていいのか分からない。
あたふたしていると、そっと手を引かれ、大人しく座ると彼も向かいに座った。
メニューが渡されたが、フランス語なのか何が書いてあるのか分からない。
「僕のお薦めでもいいかな?」
そんな私に気づいてか、スマートに助け船を出してくれた。
「はい」
「嫌いなものは?」
「ないです」
彼はフッと笑うとウェイターに流暢なフランス語?でオーダーを通した。
「ふふふ。また冗談ばっかり」
私は目元の涙を人差し指でぬぐって結城さんを睨むふりをする。
「本当ですよ?」
彼も大袈裟に肩をすくめて笑った。
この間 送って行った時にも思ったけど、結城さんは博識で色んな話題を持っていて飽きない。
今のように涙が出るほど面白い話をするかと思えば、国の情勢を鋭く切り込んできたりする。
ハッとさせられて引き込まれる。
…こんな人がいるんだ。
ふいに夫が浮かんだが、比べては可哀想だわ。
選んだのは私なんだから。
小さくため息をつくと、目ざとい結城さんが、
「疲れましたか?」
心配そうに声をかけてきた。
「い、いえ」
「デザートも済んだし、少し歩きますか?」
「そ、うですね」
チラリと時間が気になったが、こんな機会は何度もないと思い頷いた。
真っ暗な海は怖いくらい静かで飲み込まれそうだった。
私は自然と彼の裾をつかんで歩く。
…しかもピンヒール(泣)
歩きにくいこと この上ない!!
「良かったら、どうぞ?」
彼は苦笑しながら、くいっと腕を差し出す。
なんだか気恥ずかしかったが、へっぴり腰で歩く姿を披露するよりはいい。
そっと彼の腕に自分のそれを絡めた。
「でも嬉しいな。裕子さんと腕が組めるなんて、海に誘って良かった」
そんな風に言われた事なんてなかったから素直に嬉しいわ。
「あんまり言わないでください」
嬉しいけど、照れる…。
すると、またフッと笑った。
「裕子さんは可愛いな」
囁くような低い声。
「そんな…。結城さんも素敵ですよ」
誰もいない夜の海。
二人並んで歩く砂浜。
その非日常的な状況に少し酔ってしまったのかもしれない。
まるでドラマの主人公にでもなったような感覚に囚われていた。
砂浜は少し歩くと、ゴツゴツとした岩場になってきた。
「危ないからもどりますか」
そう言って立ち止まる彼。
でも、なんだか離れがたくて私はスッと腕を抜く。
「もうちょっと先まで行きましょうよ」
押し寄せる波が岩肌に当たってキラキラしている。
月夜に照らされた幻想的な世界に誘われるように歩み寄る。
「危ない!!」
彼の焦ったような声に振り返ると、大きな波が私の視界を遮っていた……。