No.2 待ち伏せ
「裕子、今日もありがとね〜」
「こっちこそ役立たずでゴメンね」
「なぁに言ってんのよ(笑)裕子が居てくれて助かってるんだから!!」
あははと豪快に笑ってくれる五月に感謝しつつ、
「お疲れ様。また明日もよろしくね」
と手を振った。
「うん、お疲れ様〜。また明日ね〜」
店の裏口のアルミの引き戸を開けると、ムンとした熱気が頬を撫でる。
冷房で冷えた体には、ちょうどいい。
小走りで車に向かう。
「…!?」
車のそばに人影が見えて、立ち止まる。
夏は おかしな人が増える季節だ。
…どうしよう。店に戻って五月に助けてもらおうか。
そう思って少し後ずさると、
「こんばんは」
と、低い声が耳に響いた。
「!!」
暗闇に目が慣れると、そこに立っていたのが彼だと分かった。
…どうして?
彼は一時間も前に店を出たはずだ。
ここで何をしていたんだろう。
「連れが酔っぱらっていてね。少し寝かせていたんだけど、用足しに外へ出たら、そのまま発進して行ってしまったんだ」
困ったように彼が笑った。
「そ、そうなんですか…」
初めて聞く彼の声は、驚くほど心地よく私の耳を刺激していた。
「申し訳ないんだけど、大通りまで乗せてってもらえないかな」
ふわふわとした高揚感が私を包む。
「あ、はい…」
店に戻ってタクシー呼べばいいのだと頭の片隅で もう一人の私が叫んでいた。
でも、上擦ったような声で返事をしていた。
乗せてはいけない、彼は危険だとサイレンが鳴っている。
でも、心の底で眠っていた女の部分が柔らかく内部を刺激し溢れだしてくるのを感じ、止められなかった。
彼が車内に入ると、ふわりと煙草の匂いがした。
主人には、あんなに毛嫌いして止めさせたのに それが彼から放たれていると思うだけで体が熱くなるのが分かった。
…これから、どうなるんだろう。
それは、不安であり、期待でもある呟きだった。
「次の信号は左に曲がってください」
「あ、はい…」
大通りまでと言わず家の近くまで送りますと言うと、彼は すんなり受け入れてくれた。
…彼も離れがたいと思ってくれてるのだろうか。
そうだったら嬉しいと心底思った。
「裕子さんは、独身なんですか?」
ふいに名前を呼ばれてドキッとした。
「い、いえ…」
一瞬、嘘をつこうかと思ったけれど、すぐにバレてしまうので やめた。
白々しい嘘をついて、浅ましい女だと思われたくなかった。
「それは失礼した。指輪をしてなかったから、てっきり…」
てっきり、なんなの?
もしそうなら、どうしてたの!?
頭の中をクエスチョンマークが行き交う。
「飲食店なので指輪やマニキュアはダメって五月が…」
「ああ、なるほど。五月さんは、そういうところ しっかりしてるからね」
彼の口から五月を褒める言葉が出た。
それだけで嫉妬に狂ってしまいそうだった。
チリチリと胸を焦がす痛みが頭の中をまで真っ白にしていく。
ああ、もう!!
どうしちゃったの、私は!!
確かに彼はイイ男だと思う。
声をかけられて舞い上がってしまったのも仕方ない。
でも私には家庭がある。
それに浮気なんて出来るタイプの人間じゃないわ!!
浮気なんて…と考えてる時点で、彼に気があるのだと言っているようなものだが、と苦笑する。
専業主婦で何年も異性と関わらずにいた私にとって、久しぶりのトキメキは思いのほか心地イイ。
…でも、ここまでよ。ここでストップよ。
「裕子さんが 働きだしてから店の雰囲気がかわったね」
「え?」
そ、それは、どういう意味ですか〜(泣)
「綺麗な人がいると、それだけで華やぐからね」
わ〜(泣)
思わず彼の方を見てしまいそうになり、慌てて視線を前に戻した。
じ、事故るわ〜(泣)
「か、からかわないでください!!」
「からかってないよ。ずっと綺麗だなと思ってたから」
こ、こんな直接的な口説かれ方なんて初めてだわ!!
言うほどモテた訳じゃないけど、何度かナンパもされたことはある。
でも、お茶しようだとか、カラオケ行こうだとか、陳腐な決め台詞のオンパレードで辟易していた。
なのに、これが大人の男の口説き文句なのかと まるで昼ドラでも見ているかのような感覚で感心していた。
「ずっと話がしたいと思ってたから、こうやって話せて嬉しい。連れに感謝しなきゃな」
そう言ってフッと笑った。
私の好きな笑顔だった。
思考回路はうまく回ってない気がする。
彼がぽつりぽつりと話している内容もまともに処理できていない。
なんだか心臓が耳の横にあるみたいにドキドキと忙しなく響いていた……。