九条麻衣子は躊躇わない
九条麻衣子シリーズ第二弾。
九条麻衣子は躊躇わない。彼女の粛清は予定通り行われる。
彼女は、自身の欲が満たされる、そのときまで。
九条麻衣子は、御園静佳に手を貸し続ける。
□■□
なんて哀れなのでしょう。
麻衣子は調べ上げた情報を抱えて、楽しそうに微笑んだ。
麻衣子と静佳が契約を結んでから三日後の休日。
麻衣子はとあるカフェに来ていた。
見るからに可愛らしい雰囲気のカフェに足を踏み入れると、扉の鈴が可愛らしく鳴り響く。
辺りを見回していた麻衣子は直ぐに目当ての人を見つけた。
静佳だ。
「ごきげんよう、静佳。いじめのほうはどうかしら」
「ごきげんよう、麻衣子。そんなもの、もうどうでもいい」
どうやら静佳の胸には、復讐しかないらしい。
とっても素敵。
口元を緩めた麻衣子は、おしゃべりな主婦や女子高生たちの声をBGMとして聞き流す。
そして店員が水を運んでくるのと同時に、店自慢のブレンドコーヒーとレアチーズケーキを頼んだ。静佳の前には既に、花のような香りを放つ紅茶とレモンパイが置かれている。
「それは良かったわ。それで、今回見せたいのはこれよ」
麻衣子は鞄の中から封筒を取り出す。とても簡易な、真っ白い封筒だ。それを静佳に渡すと、無言で開けるように促す。
静佳はそれを恐る恐る開き、中身を見た瞬間、絶句した。
「何よ、これ……っ」
封筒の中には、静佳の写真が入っていた。
しかも、いろんな男を連れて歩いているという静佳の姿が。
静佳は怒りのあまり、もう何も言えないらしい。
「入手先は答えられないけれど、こんな写真が出回っているみたいよ?」
きっと貴女の婚約者サマも、この写真を見たのでしょうね。
にっこりと微笑みながらそう言ってやれば、静佳の唇がわなないた。
「こん、なの……知らないっ……」
「でしょうね。わたしも、貴女がそんなビッチだとは思わないわ」
寧ろビッチなのは、逆ハーレムを作り上げているあの女だろう、と、麻衣子はひっそり呟いた。
こんな醜聞、一歩間違えれば静佳のこれからにも関わる。お金持ちも楽ではないのだ。
十中八九、あの女、愛川姫芽だろう。
麻衣子の代わりにヒロインの位置に辿り着いた現ヒロイン。
彼らにとってのお姫サマ。
「貴女がいじめられている理由も、その写真が原因みたいよ?」
「…………」
テーブルの上で握り締められていた静佳の手は、ぶるぶると震えていた。
そんな静佳を見て、麻衣子は鞄の中から別のものを取り出す。
そのとき、タイミング良くコーヒーとケーキがきた。
麻衣子はコーヒーの香りを堪能すると、薄い唇ですする。店自慢の一品というだけあって、確かに美味しい。レアチーズケーキとの相性も抜群だ。
「それでこれが、わたしが考えた復讐方法」
あの女を陥れるので最も効果的なのは、周りではべるあの男どもが離れた挙句、自分の今までやってきた悪行がバレることだろう。
あんな可愛らしい顔をして、とんでもないぐらいえげつないことをするのね、と麻衣子は肩を竦める。そういう麻衣子も、人のことは言えない。
差し出したノートを無言で受け取った静佳は、恐ろしいほど据わった眼でノートを凝視した。
ぱらぱらと、ページがめくられる音は、麻衣子にとっては心地良い。
「……麻衣子」
「あら、なぁに?」
「わたしは、あの女だけは許さない」
刹那、麻衣子の唇がつりあがった。
それは、つまり、肯定。
この復讐案を受け入れるという、間違いのない肯定だ。
「ところで静佳は、婚約者サマを取り戻したいとは思っているの?」
「……まさか」
吐き捨てるような響きに、麻衣子は少しばかり驚いた。静佳の第一印象で言えば、寄りを戻したいとでも言うのかと踏んでいたからだ。
「あら意外」
「あんな男、親に言われなかったら婚約なんかしてない」
「なるほど。政略結婚なのね」
麻衣子の記憶では、御園家は旧華族の血統。人脈は人一倍ある。
一方で元婚約者サマの西園寺輝彦は、今をときめく大富豪。人脈のみを求めるのであれば、御園家との婚約はあり得るのだろう。
にしても、親同士が決めた婚約を勝手に取りやめるとは。
哀れな男だと麻衣子は嘲笑する。静佳には他の嫁ぎ先を探してあげよう。勿論、西園寺など目ではないような、格式高い家系に。
それくらいの人脈はあるのだ。
「あんな男、落ちればいい」
「ふふふ。静佳ったら、情熱的ね。素晴らしいと思うわ、その執念」
麻衣子には前世での乙女ゲームの記憶がある。
その全てを費やして、静佳の復讐を成功させましょう。
そしてわたしのことを楽しませてね?
□■□
それから二週間後、蒔いた種が芽を出した。
愛川姫芽の取り巻きの一人である帰国子女でハーフの先輩こと一ノ宮晴人が、唐突に学園に登校しなくなったためだ。
噂によれば、一ノ宮家の跡取りが女に現を抜かすな、との牽制とともに、一週間の登校を禁じたらしい。
麻衣子の頬が笑みで歪む。
さて、これで、一ノ宮晴人は一週間は退場。
麻衣子にとって最も面倒臭い相手は一ノ宮晴人だ。妙なところで勘が良く、異変にもよく気付く。
その噂を聞いて、麻衣子は静佳に連絡を入れる。
書いた文はただ一言。
『はじめましょうか』
麻衣子は携帯をしまい、しっとりと微笑んだ。
取り巻きのあなたたちだけ見向きもしないなんて、可哀想でしょう?
そんなに愛してるのなら、どこまでも一緒に堕ちればいい。
甘美な毒は、体全てに浸透するまで気付けないのだから。
愛川妃芽は今、幸せの絶頂期にあった。
妃芽の愛らしい容姿は当たり前のように全ての男を虜にし、彼女は直ぐに逆ハーレムを作り上げた。
その中でも彼女のお気に入りは、この学校のイケメンたちである。
彼らをはべらせるのは楽しくて仕方がないのだ。その上いつだって、彼らは妃芽の望む言葉をくれる。
少し残念なのは、一ノ宮晴人が家から謹慎を食らったこと。
帰国子女でハーフな晴人は、妃芽の中では一番のお気に入りだったのだ。家なんて面倒臭い限りである。
そんなことを思いながらも、妃芽はいつも通り教室に入る。
しかし教室に入った瞬間、中が一瞬で静まり返った。
なに?
なんなの?
妃芽は眉をひそめた。何故自分がそんな視線で見られなくてはならないのか、皆目見当がつかなかったからだ。
訝しがりながらも、妃芽は自分の席につこうとする。
そのとき、気付いた。
黒板には、写真が貼られていた。
問題は写真が貼られていたことではない。
その写真に、妃芽が写っていたことだ。
写真の中の妃芽は、今お気に入りのイケメンたちとキスをしていた。
妃芽は顔を朱に染めた。周りの椅子と机を倒す勢いで駆け、黒板の写真を破り捨てる。
「誰なの、こんなもの貼ったの!!」
答える者はいない。
妃芽は息を荒げる。こんな写真がイケメンたちに見られたら、幻滅される。
だって妃芽は、イケメンたちの誰のものでもない、というからこそ可愛がられているのだ。
教室内にいた生徒たちを睨んでいくが、答える様子はない。
妃芽はほぞを噛んだ。そしてどすどすと音が鳴りそうな勢いで自分の席に戻る。
──とんでもないビッチ。
そんな呟きが聞こえたのは、どこからだったろうか。
思わず振り向いた妃芽は、ぎりりと唇を噛み締める。
どうしてこのわたしが、こんな辱めを受けなくちゃいけないわけ?
見つけたら絶対に落としてやる。そう決めた妃芽は、ギラギラに装飾された爪を噛んだ。
まぁそんなもの、幻想に過ぎないのだが。
──その日から、愛川妃芽の未来は壊される。
□■□
『愛川妃芽は最低最悪の女』
そんなレッテルは直様学校全体に広がった。
人の不幸は蜜の味、とはよく言ったもので、その中でもストレスの多い貴族子女たちには格好の餌食となったのだ。それも、御園静佳の噂なんかチリのように掻き消える勢いで。
それはそうだろう。今をときめくアイドルのような存在の愛川妃芽には、敵も多い。
特に、女子生徒の敵が。
いつも通り図書室の自分の聖域で本を読み耽っていた麻衣子は、唐突に響き渡る雑音に眉をひそめた。
「……ああ、はじまったの」
ちらりと外を一瞥すれば、そこには言い争う女子生徒たちの姿が。
言わずもがな、愛川妃芽とその他の女子生徒たちである。
女子生徒は愛川妃芽に何かを言っている。そして愛川妃芽も、それに対して反論していた。
「……あら、頬叩いた」
女子生徒に叩かれた愛川妃芽は、それはそれは怖い顔で女子生徒たちを睨んだ。
「あなたたちごときのブスが、何調子に乗ってるのよ。見向きをされてないのに!」
愛川妃芽の嘲笑が響き渡る。そこには、可愛らしい女の子の愛川妃芽はいない。ただただ生々しい女の姿をした、醜い何かがそこにいた。
「All the world's a stage
And all the men and women merely players.」
麻衣子の呟きはひっそりと佇むように、余韻を残して消えた。
All the world's a stage
And all the men and women merely players.
※シェイクスピアより引用。
意味:「この世は舞台、人は皆役者」
次回で終わる予定。