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こんばんは、人類の敵です。  作者: 漣たきをん
第二話 観測対象:R/E0017
9/32

そのご



 自分はいったい、なにを呆けていたのだろう。赤い雨は、赫眼とともにやってくる。赫眼こそが、赤い雨を降らせている。そんなことは今や乳飲み子だって知っている世界の常識だ。

 なのに──

『まな?! 応答しなさいまな?! 那花AG!』

 姉に応えることもできなかった。ただただ前方で膨れ上がる気配に圧倒されていた。今まで感じたことのないCF反応だった。さっきまでとは感じが違う。桁も違う。周囲に未練たらしく滞留していた水蒸気たちが、宙空に浮かぶふたつの赫い瞳へ向かって、急激に収束していくさまを、ただただ見つめているほか術がなかった。

「これが、」

 収束したかつては少女だった水蒸気の雲の向こう──そいつの姿が見えた。

 身の丈は五、いや六メートル。高い渡り廊下の天井にほとんど頭がついているようにも見える。しかもどうやら下半身はまだ生成されていない。上半身だけで見上げるような巨躯。表面を覆うのは、ただれた肉のようにも見える波打つ液状の皮膚。びいどろのような真っ赤な双眸の下には、奈落の底を思わせるぽっかりと空いた口が見えた。

 これが、ダブルナンバーの正体。

 どこかで見た。頭のどこかで、能天気に考えている自分がいる。昔、〝あいつ〟が好きでよく見ていたアニメ映画。たくさんの巨大な芋虫どもが、ぱっと宙に舞ったかと思った瞬間、一瞬で──、

 そう認識した刹那、南の空が光ったような気がした。

 あっと思った時には、白い稲光が眼前の化け物を直撃していた。

「……っ!」

 とっさに両手で顔をかばった。そのまま衝撃で吹っ飛ばされそうになるのを必死でこらえたけれど無駄だった。再び背中を鉄扉で激しく打ちつけながら、とっとと役立たずのローファーを脱いでおけばよかったと思った。

 ピンポイントで直撃した稲妻は、今思えば、おそらくヤツ自身が召還したなにかだったのではないかと思う。すさまじい余剰電流が目視できるほどの電撃となってヤツの周囲を荒れ狂っていた。砕けて飛び散る渡り廊下の屋根、コンクリートのかけらが全身を打って、だけどそんなものに頓着している暇もない光景が眼前には立ちふさがっていた。

 最初に感じたのは、におい。

 厳密にはそれにはにおいなどない。科学的にはありえないけれど、だけどそのときのまなにはわかったのだ。

 鼻をつくような、水素のにおい。

 赫い双眸の下、ぽっかりと空いた奈落のような口が、かすかにゆらいでいた。瀑布を呼んだあの歪みとはまた違う。ゆらぎの中心──奈落の中央に針の穴のような光がきらりと穿たれたかと思うと、次の瞬間には猛烈な勢いで輝きを増していた。光が、ぽっかりと空いた奈落の奥で、すさまじい勢いで往復を繰り返しているのがはっきりと見えた。

 脳髄の中心をかき鳴らす、高周波が耳をつんざいた。

 ヤツがいったいなにをやろうとしているのか、まなはようやく理解する。

「──姉さん」

 役立たずのローファーとソックスを、手早く後ろ手に脱ぎ捨てる。

「略式申請。レベル4」

『おバカっ! レベル4に略式も格式もあるかっ! あんた会敵の時にもう使ったでしょ! レベル4は一日五秒まで!』

 小学生のテレビゲームだってもう少し許されてる。言い争っている時間はなかった。

「ゲートまでは開かない」

『当たり前よっ!』

「時間がないの」

『時間も術もないのは承知の上だっつの!』

「あ、なんだか回線の調子が悪いみたい」

『ちょっ、あんたね、』

 容赦なく回線を切断する。地面から愛刀を引き抜き、引き絞るのももどかしく、CFを起動させる。髪も瞳も、さっきまでの比ではない。ただでさえ金色に輝いていた長い髪は迸る燐光で光そのものに姿を変え、右眼の赫は左眼さえ侵食する勢いで輝きを増していた。起動からレベル4まで引き上げるのにコンマ一秒でやってのけたが、それでもまだ遅すぎた。

 眼前のぽっかりと空いた奈落のような口からは、いつそれが放たれてもおかしくないくらいの光と音が溢れていて。

 荒れ狂う自らの力を奥歯と共にまなが噛みしめたその瞬間、


 ついに光は、放たれていた。


 間一髪とは、このようなことを言うのだろう。

 まなが対赫眼急襲部隊の一員たりえているのはなにも、プラズマを自由に操れるからだけのことではない。プラズマはあくまでまなの能力の一端であり、その真髄は物質を自由に加速できることにある。

 そして、加速できるのはなにも、空中原子に限った話ではなかった。

 赫眼が光を放つよりも早く、まなの姿はその場からかき消えていた。

 いや、もしかしたらまなが動くより、赫眼が光を放つ方が速かったのかもしれない。それでもなおまなの動きは光の速さを凌駕していた。

 奈落の底から光が迸ったその時にはもう、まなは赫眼の懐深く踏み込んで、手にした刃を大きく上へ跳ね上げていた。

 切っ先は化け物の下顎部を直撃し、だけどプラズマを発生させる力も時間もなかった刃は蒸発させることはもちろん、斬ることも叶わず、放たれる光の迸りの行き先を捻じ曲げるだけで精一杯だった。

 赤い雨のレンズを光共振器にみたてた高出力化学レーザー。

 フッ素もヨウ素も使わず、ヤツがどうやって水素を重水素──いや、ともすれば三重水素まで──励起させたのかは知らない。昔話どおり、こいつには通常の物理法則など通用しないのかもしれなかった。奈落の底から放たれた悪魔がごとき閃光は、闇夜を一直線に引き裂き、校舎の時計台をかすめて、北西の夜空を光で抉ってかき消えた。

 轟音も爆発も、爆煙も突風もなにもなく、すべては静寂のもとに起こって終わった。

 目の前に、無数の射線が入る。それがまだ降り止まぬ赤い雨であることに、まなは最初気づかなかった。降りしきる雨が、自分の身体を貫き通してゆく。〝ひまわり〟の眼がないと知らされていなければ、まなは一目散にそこから駆け出していただろう。

 地面や大気と同じように、無慈悲に自らの身体を突き抜けて消えてゆく雨に、まなはようやく頭上の惨状に気づいていた。

 雨から自分たちを守ってくれていた、渡り廊下のコーティングされた屋根が、跡形もなかった。

 右手の背後、北校舎のてっぺんでかろうじて時を刻んでいた時計台が、最初からそこになにもなかったかのようにきれいさっぱり蒸発していた。

 校舎の向こう、裏山の半分がなにかにかじり取られてしまったかのようにすっかり形を変えていた。

 まなは戦慄する。

 レーザーの波長によっても異なるだろうが、大気中は減衰してしかるべきだというのにこの桁違いの威力はなんだ。

 ──でたらめだ。

 風体が風体だからって、そんなとこまであのアニメに準拠することないのに。

 再び水蒸気が、赫眼を中心に夜を蹂躙しようとしていた。屋根まで届かんとしていた巨躯がひと回り小さくなったように見えるのは気のせいだろうか。もしかしたらさっきの廃棄熱の冷却に手間取っているのかもしれない。

 本能的に後ずさろうとして、

「……っ」

 割れるような頭の痛みに思わず片膝をついてうずくまった。

 レベル4は一日十秒まで。さっきの姉の言葉が頭痛に拍車をかける。

 まなのCFは、対象を自由に加速できることにその真髄がある。とはいえ人間ひとりの質量を加速させる力など到底あるわけがない。

 まなが加速させたのは、ニューロンを駆け巡る電気信号──その速度だった。

 脳から運動神経へ。運動神経から筋肉へ。伝達に要する時間を極限まで削り取ることによって、赫眼の放つレーザーを超える速度を手に入れていたのだ。

 無論、それはまなの人並み外れた筋力とバネがあってこそではあったけれど、それゆえに神経細胞や筋肉繊維への負担は尋常ではなかった。

 両膝が、冗談ではなく笑っていた。動かそうとするたびにぶちぶちと引きちぎれるような音が聞こえるのは決して気のせいばかりではない。眩暈がするほどの頭痛に吐き気を覚えながらも、まなは歯を食いしばって立ち上がる。刀を支えに頭上を見上げる。

 びいどろのような赫い眼が、どこまでも無感動なままこちらを見下ろしていた。

 奈落のようにぱっかりと空いた口。ぐにゃりと視界がゆらいで、その向こうで、またも無茶苦茶な勢いで往復しだす光の束が見えた。

 ──まずい。本能が警鐘を鳴らす。

 身体が勝手に躱してしまいそうになって、死に物狂いでせき止める。この一撃を躱すのは簡単だ。だけどまだ部隊のみんなや、さっきの生徒たちは安全圏まで避難していないかもしれない。いや、それどころかこの角度で放たれたら、きっと近隣の住民にまで──

 気がついたらまなは、再びその場で大きくしゃがみこんでいた。

 脳内を焼き切らんばかりの頭痛と、一本一本引きちぎられようとする筋肉繊維の痛みを奥歯と共にかみ殺して、

「ぐ……っ!」

 渾身の力で跳躍。決してまなだけは濡れない雨の中へと躍り出ると、ありったけの力でヤツの名を呼んだ。

「赫眼!」

 赫い視線が、寸ぷん違わずまなを捉える。射線が変わった。願いは叶った。この角度であれば、学校も、近隣の人々も、逃げ遅れていたあの生徒たちも大丈夫。放たれたレーザーは夜になったばかりの空を一直線に貫き、虚空の闇へと消えるだろう。

 まなだけを道連れにして。

 後先など考えていなかった。ただ、レーザーの射線を変えなければ。それだけが頭の中にあった。それだけに、身体が従った。

 今となってはCFも起動できない。そもそもレベル4まで引き上げたが最後、それがすべての終わりになりかねない。

 夜になったばかりの空に自らの身体を投げ出して、身動きできなくなって初めて、まなは八方塞がりの今の状況に気づく。

 ──どうし

 よう、と今さらながらに思うが早いか、それは眼下で起こっていた。

 視界を根こそぎかっさらう悪魔のような白光。世界からあらゆる色が消え、為す術もなくまなの身体は無慈悲な虚空へと放り出されていた。これがダブルナンバーの力か──怨嗟したところで、だけど。

 ふと、まなは思う。どうして自分はそんなことを思っているのだろう。

 いや、違う。

 どうして、そんなことを思うことができているのだろう。

 一瞬にして山ひとつを消し飛ばした桁違いのエネルギー。そんなものをこの至近距離で放たれた日には、怨嗟するどころか、レーザーの光そのものを認識さえできるはずもない。レベル4のCFを起動しているならまだしも、視神経からの情報を脳が処理しきれるわけもないのだ。なにを知る間もなく、なにを思う余裕もなく、まなは跡形もなく蒸発していなければならなかったはずだ。

 なのに、そうはならなかった。

 非常にスローモーションではあったけれど、まなはその光を視ることができていた。まだ、まなの意識はそこに在ったのだ。

 眼下の赤い雨の巨人。自らの液状の身体のレンズを利用した無茶苦茶なまでの光の共振。だけど、おそらくは足りなかったのだろう。圧倒的なまでに性急だったのだろう。再び周囲に充満しはじめていた水蒸気が、やはり決め手だった。

 水素の励起により再び誘導放出された光はだけど、冷却の間に合わなかった赫眼の身体を木っ端微塵に破壊して、まるっきり収束されることなく周囲に四散した。

 眩い光と圧倒的な浮遊感と予想外な結末に、一瞬まなは自分が爆風に吹き飛ばされていることに気づかなかった。




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