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こんばんは、人類の敵です。  作者: 漣たきをん
第二話 観測対象:R/E0017
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そのいち



 その部屋でまず目に付くのは無数のモニタだった。

 決して広くはないすり鉢状の部屋に整然と並べられた机は三十に満たない。が、それぞれに備え付けられたディスプレイモニタの数はその三倍ではきかず、極めつけに部屋の中央にはまるでそれが玉座でもあるように巨大な投影型のディスプレイが鎮座ましましていた。

 特殊気象対策公社。

 その第一即応戦略室。

 天井、壁ともにオーソドックスなベージュで彩られ、周囲を照らす明かりは目への負担軽減と機能性のみを追及したのっぺりとした昼光色のLED照明。どこかのコールセンターか証券取引所のトレーディングフロアと言われても誰もが信じたかもしれない。

 そこで飛び交う、怒号さえ聞かなければ。

「話が違う! 貴様らの予報は節穴か!」

 真っ赤な緊急回線用の受話器を手に、沢城は積年の恨みを晴らすように怨嗟の声を上げていた。

「1008は管理下対象だろう! ヤツならまだしも、ダブルナンバー相手に我々だけでどうしろというのか!」

 そうこうしている間にも頭上のメインディスプレイには目を覆いたくなる情報が舞い込み、周囲を取り囲む部下たちからは聞きたくもない報告が飛び込んでくる。

「対象捕捉。座標は予報どおり市内南東部、七瀬中校内です!」

「CFレベル測定不能! アカシックゲートの開門は今のところ確認されていません!」

 埒が明かない。沢城は受話器を叩きつけるように通信を打ち切ると、

「増援は!」

「八久寺の第二即戦室へ要請中! しかしながらスクランブルしても間に合うかどうか」

「同観測所より緊急入電! 炭素レベルが1を切りました!」

 空中炭素さえ操るか──忌々しげに沢城は吐き捨てる。

 相手は第四世代──しかもすでに気象省の軍門に下ったという管理下対象だというから単独での哨戒任務にも同意したのだ。なのに──

 頭上のメインスクリーンには、まるで呪いのようにその名前が赤く鮮やかに刻まれていた。


 観測対象:R/E0017


 ダブルナンバー──第二世代なんて、昔話の中だけの存在だと思っていた。

 一週間前の悪夢が、今もまざまざと蘇る。赤い雨の元凶ともいうべき〝赫眼〟

 あの時だって、三笠と八久寺を含めた即応戦略室を総動員してようやく撃退せしめたのだ。

 が、それも今回は望めない。

 あれから一週間。たった一週間だ。その前は十日、さらにその前は二週間だった。間隔がどんどん短くなってゆく。発現場所もここ七瀬市に集中している。癪だが、まんざらあの女の言うことも的外れではなかったということか。

 那花、ねね。

「──女狐め」

「一尉?」

「なんでもない。それと、私のことは室長と呼べ」

 が、それも今は感謝しておくことにする。この状況でアレを八久寺の研究所から呼び戻していたことは、まさに不幸中の幸いだった。

 沢城は覚悟を決める。もはや一刻の猶予もままならないのだから。

「──総員、第一種対策準備」



 体育館の中は、外よりも明らかに気温が低かった。

「天井が高いしな。あったかい空気と煙と誰かさんは普通高いとこを好む。あと断熱材もないし」

「そんな説明いらない。余計寒くなるし。てかその誰かさんて誰のこと?」

 ひとりステージの上に仁王立ちながら問う咲良へ、ゆっくりと往村は見上げながらツッコんだ。

「やっぱりそこは、スパッツじゃねえよなあ」

 ばつん、スピーカーが音を立てて、しつこいばかりに校内放送を繰り返した。

『特雨警報です。最終下校時刻を繰り上げます。校内に残留している生徒は速やかに下校、必ず手をつないで帰宅してください。繰り返します──』

 気楽に言ってくれるなあと、冠月は思う。相手がいないひとのことなんて、きっとこれっぽっちも考えてはいないのだろう。

「いいのか、帰らなくて」

 ステージ上段からの咲良の怪鳥蹴りを風○拳で迎え討ちながら、往村が問う。

「真太くん、冷たい」

 体育館の高い屋根。耳をすますことなく聞こえる断続音。校内放送が示すように、雨は時を経るごとに勢いを増しているように思う。でも、だからこそ待っていてあげたいと思うのだ。

「最終繰り上がったんだし、委員会ももう終わりでしょ? すぐにくるわよ」

「ならこんなとこにいたんじゃニアミスしないか?」

「でも委員会室の前にいたんじゃ見つかっちゃうし」

 下校時刻が過ぎているのに、そうなったら面倒だ。

「あいつもケータイ買えばいいのにな」

「基本料金がもったいないんだって」

「〝そんなに使わないですし〟」

 いつもの雪晴の答えをなぞる往村の声もどこか寂しそうだ。

「好きだよな、桂も」

「……?」

「木桜のこと」

「うん、大好き」

 ほんわか笑顔で冠月は即答する。

「木桜くん、いいこだし」

「でもさ、きっとたぶん、あいつ困ってるよ」

 浮きから36ヒットコンボでパーフェクトKOくらいながらも、咲良がどこかふてくされたように言った。

「さっきだって気づかれたくなかったんだろうしさ」

 冠月はちょっとびっくりして、よろりらと起き上がる咲良をみていた。

「気づいてたんだ」

「気づかいでか」

 なぜかふんぞり返る咲良から、助けを求めるように往村へと視線で問うが、見事なまでにそっぽを向かれてしまう。

 肩を落とし、冠月は白いため息をついていた。

「……私、嫌われちゃったかなあ」

「おかーさんはあいつにかまいすぎ」

「さくらちゃんにそれいわれるとへこむ……」

「なんでっ」

「あいつの場合、ひとりが好きなんだよ」

 割り込んだのは往村だった。

「どんだけこっちが気をかけても、結局大きなお世話とか思ってるかもしんないぜ」

「……真太くん、やっぱり冷たい」

「お前な、おかーさん泣かすな。お前はお前であいつを邪険にしすぎ」

「別に邪険になんかしてねえよ」

「じゃあなに」

 どこか言いにくそうに、往村は一瞬口ごもったけれど、

「……苦手なんだよ」

「?」

「あいつ、信用してないだろ、俺たちのこと」

 吐き捨てて、視線を外す。

「風邪でしんどいならしんどいって言えばいい。ケータイのことだってそうだ。〝そんなに使わないですし〟って。あーそーかよ、そんなに俺たちとは絡みたくないってことかよ。だったらずっとひとりでいればいい。見ててイラつくんだ」

「……ふーん」

 つまりそれって──そういうことだよね? 冠月は思う。思いながら、知らず知らずにやにやしてしまうのを、どうしても止めることができなかった。

 それに往村も気づいたのか、

「だ、だからっ、やりにくいだろそういうのっ」

 逃げるようにこっちに背を向けたけれど、真っ赤になった耳までは隠せなかった。

「真太くん」

「……なんだよ」

「大好きだよ」

「……お前な、誰かれかまわずそういうこと言う癖、やめろよな」

「?」

「……ったく」

「でもまあ、確かに真太くんの言うことも一理あるかも」

 かろうじてため息をこらえた冠月だったけれど、

「違うにょ」

 思いがけないところで異を唱える声が上がった。

「……さくらちゃん?」

「にょとか言うな」

 珍しく往村のツッコミを無視して、どこか寂しそうに咲良はぽつりと呟いていた。

「木桜が信じられないのは、自分自身でしょ」

 その言葉は体育館の広くて冷たい空気の中を一瞬漂って、冠月と往村の胸の中にすとん、と落ちた。

 思わず納得してしまった自分に驚いて、だけどそれを認めたくなくて、冠月は口を開こうとしたのだけれど、結局その先の言葉を告げることはできなかった。

「ちょっ、うわっ、ばか!」

「そっと! そっと運べ!」

 体育館の鉄扉の向こう。渡り廊下の方でにわかに騒がしい声がした。

「なんだ?」

 いち早く往村が駆け寄り、鉄扉を押し開く。

「おいどうした!」

 体育館から伸びる渡り廊下は南北の校舎を繋ぐ東側の渡り廊下と合流している。

 そのちょうど交差点の真ん中で、びくりと震える影があった。

「ゆ、往村……?」

 同じ制服。三本の傘を抱えて、すでに非常灯のともった渡り廊下に土足で上がりこんでいた。こちらを見上げた顔がわずかに怯えの色を称えていたのは無論、〝あの〟往村真太に声をかけられたからだけではなかった。

「あ、雨が、急に……っ、いっぱい、橘が……っ」

 怯えながらも要領の得ない説明をする生徒の向こう、さらにふたつの影があった。

 ぐったりとした生徒を、もうひとりの生徒が支えている。薄暗がりの中確かなところはわからないが、足元にしたたるものは、決して雨などではないだろう。

 戦慄と共に、往村が怒鳴る。

「なにやってんだ! 傘差さなかったのか!」

「さ、差したよ! けど、急にきつくなって! 突き抜けて!」

 三本の傘を抱える男子生徒の腕は、小刻みに震えている。

「突き抜けただと……? 今日の炭素レベルは3だぞ、そんなわけが……」

「だけど!」

「話はあとよ」

 ぴしゃりと、冠月が話を打ち切る。

 往村の言うことはもっともだけれど、今は考えている時間はなかった。

「往村くん、彼を中へ。頭を動かさないようにそっと運んで。さくらちゃん!」

「保健の先生、呼んでくる!」

 先回りして応えた咲良だったけれど、そのまま踵を返すことができなかった。

 かすかに、音がしたような気がした。

 なんだろう、その場にいる全員が頭の中に特大の疑問符を抱えることになった。

 いや、それはおそらく疑問符ではない。その場にいる誰もが、それがいったいなんなのか知っていたのだから。

 それがいったいなんなのか知っていて、それを誰もが認めたくなかっただけだった。

「なに……?」

 だけど咲良が、ついにその言葉を口にする。

「ばくはつ……?」

 咲良の呟きに召還されたかのように、再度同じ音がした。今度はさっきよりもはっきりとした爆発音だった。

 そして続く断続音。

 たたたたたん、とどこか小気味いいその音は、決して屋根を叩く雨の音ではない。

 どこかで聞いた音。それがいったいなんなのか、とっくにわかっていたのに、やはり脳がかたくなにそれを拒否していた。

 こちらからは中庭を対角線上に横切った向こう。東西に伸びる北校舎の西端。まず現れたのは黒い人影だった。

 薄暗がりのため黒く見えるのではない。全身を黒いスーツで覆った人影が、ひとり、かと思った時にはもう五人に増えていた。

 この激しい雨の中、傘も差していない。纏っているスーツには雨の衝撃から自らを復元する際に発生するコーティング独特の波紋がいくつも浮いている。ある者は全力で駆け、ある者は時折背後を振り返っては手にした黒く長いものをかざして、そして、

 小気味のいい断続音。薄暗がりに弾ける無数の火花。

 マンガやテレビの中でしか見たことがないそれの名前が、冠月の頭の中で形を成そうとしたその時にはもう、それはもうこの世から消え去ってしまった後だった。

 今、なにが起こった?

 ぐにゃりと男の頭上の空間が歪んだと思った瞬間、大量の雨が──雨なのか、あれは?──落ちてきて、そして、

 冠月の思考を揺るがすのは、悲鳴だった。

 くぐもった悲鳴の轟くその先。太陽の断末魔が消え失せたばかりの薄闇の中に、鮮やかにそれは浮かんでいた。

 輝くふたつの、赫い瞳。




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