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こんばんは、人類の敵です。  作者: 漣たきをん
第六話 世界を敵に回すとき
30/32

そのいち



『はい、こちら現場です。昨晩、突如降りそそいだ赤い雨の影響は堅固に守られたここ、市役所庁舎にも見られます。むしろ全面コーティング材によって構成されていたからこその弊害でしょうか。それほどまでに昨晩の赤い雨はこれまでにない激しいものであったことが伺えます』


『通信網?! あほか! そんなもん跡形もあるかい! 復旧までどれだけかかるか検討もつかんよ! ちょちょちょあんた! そっちは立ち入り禁止だよ黒コゲになりたいのかい!』


『内閣府では緊急閣議を招集。ほぼ廃墟と化した七瀬市北部の復興と、被災者避難民に対する今後の保証に対し、』


『十年前! 明らかに同じ圧力の雨が観測されているにも関わらず今回の事態を想定外というのですかあなたは?! だから私はもともとSMCRには反対だったんですよ!』


『ものすごい音がして。どかん、とか、ぐしゃんとか。そしたら、おかあさん、消えちゃった……目の前真っ赤になって、車が燃えたの。あつかったの……おかあさん……きえちゃ』


『想定外とは申しません。現行のコーティング法では十年前の圧力には耐えられないことは事前にシミュレーション済みでした。そのための算段は以前から、』


『声が聞こえたんです。――獣のような。いえ、違うな。そうじゃなくて、』


『ローカパーラとやらのことか! ふん、得体の知れないものを揮発化して世界にバラまくなど! 今回の事態も未然に防げなかった御社の言葉をそのまま信じろというのですか?!』

『人体への有害性は認められていないと何度も申し上げているはずです。今回の事態も、私どものローカパーラの雨傘がなければ、特殊気象対策公社の榴弾は対象を撃ち抜けなかった』


『――やっぱりあれは、人間の、――男の子の、』


『ダブルナンバーを――赤い雨を抑えられるのが私どもだけとは申しません。しかし現状に限って、それ以外に方法がないというのであれば答えはあきらかでしょう。私どもにはアレを駆逐する力と技術と理論があります。それを自負しています。皆様にもいつかそれをわかっていただける日がくることを祈っています』


 見るに耐えなくて、ねねはチャンネルを落とした。

 特殊気象対策公社。そのビルの地上15階にある狭い待合室。四方を窓もない白い壁に囲まれた小さな部屋はテレビを切ってしまうと物音ひとつしない。世間の大混乱が嘘のようだった。

 だがしかし昨晩の赤い雨は夢ではない。七瀬市の北半分を文字通り消滅させ、何万人もの被災者を生み出し、この先数年の通信網、交通網を人々から奪い去った張本人が、この先に確かにいるのだ。

 白く、音のない部屋の、たったひとつの出入り口を無造作ににらみつけたその時、はかったようにアナウンスが流れた。

『お待たせいたしました、那花L。どうぞ、先へお進みください』



 雪晴は、そこでもまたひとりだった。

 第五会議室とは名ばかりの、そこは取調室以外のなにものでもなかった。

 窓はひとつ。何重にも防弾、SMCRコーティングされた擦りガラスで、そもそも開くようにできていない。

 中央に幅広の机と二脚の椅子がある以外はこれといった家具もない。無駄にエルゴノミクスに基づいた若干座りにくい椅子に腰掛けて、雪晴はじっと机の天板を見ていた。

 目の前には、いつのまにかひととせが立っていた。

 いったいいつからそこにいたのか。どうやってここに入ったのか。空間を牛耳るこの赫眼にはいつものことながらその問いはどこまでも無意味だ。

「……やあ」

 顔を上げようとして、うまくいかなかった。

「身体のほうはだいじょうぶ?」

 ひととせからの返事はない。彼女が今まで自分のためにどれだけのことをしてくれていたのか、雪晴は十分理解していた。小さなその身を粉にして、自分をこの世界につなぎとめてくれていた赫眼の少女。だけど――

「今までありがとう」

 ひととせはやっぱり答えない。

「だけど、もういいんだ」

 今までに何度となくひととせへと告げたせりふ。今度こそしっかりと顔を上げて、彼女を見る。

「もういいんだよ、ひととせ」

 無表情だった赫い瞳が、くしゃりと歪んだ気がした。なにか言おうとして胸をそらして、結局、吐き捨てるように置いていったのは、あかんべえ。そんなこと、知ったことかと言うような。

 はっと思った時には、ひととせの姿は消えていた。

 だけど雪晴の脳裏には今もなおくっきりと残っている。

 てんでなっちゃいない、小さな小さなあかんべえ。

 初めて会ったあの屋上で、自分が教えたあかんべえ。それは、自分がかつてかけた呪いだと、雪晴は思う。

「……どうして」

 自分勝手な気持ちが、ひととせというかたちをとって今の自分を苛もうとしている。楽にしてたまるかと言っているような気がする。

「どうして、ほっておいてくれないんだ」

 あの時の、自分勝手な自分が。

「彼女、ここにいたわね」

 飛び上がってしまうところだった。跳ね上げた視線の先に、開いたドアに闇が切り裂かれるのが見えた。そこに立っていたのは――

「春夏秋冬乃々香。いたんでしょ、ここに」

 懐かしさと気まずさで、なかなか言葉が出なかった。いったい何年ぶりだろう、そして、なにをしに、ここへきたのだろう。

「ねね、さん……」

「……やっぱり〝姉さん〟とは、呼んでくれないんだ」

 どこか寂しそうに笑うその顔は、こわいくらいにあの頃のままだった。

 小さかった頃。雪晴はいつだって彼女のことを〝姉さん〟と呼んでいた。だけどまだ舌ったらずだったせいかどうしても〝ねねさん〟としか聞き取ってもらえなかった。

 呼んでいるのに、届かない。そんな想いはもうこりごりだった。だからやめた。

 喉が詰まって、そのままねねを見つめていると泣き出しそうになってしまいそうだったから、再び机の天板へと視線を伏せた。

「……ひととせのこと、知ってるんですか」

 半拍、間があった。

「お仕事だからね」

 その言葉が、雪晴を完全に現実へと引き戻す。ねねのお仕事。無論、雪晴は知っていた。最後に別れたあの日から、いったいどれだけの時間が経ったのだろう。いったい何年ぶりだろう。そして今になって彼女は、なにをしに、ここへきたのだろう。

「単刀直入に言うわ」

 そんなことは、問うまでもないことだった。

「今日は私、あなたを殺しにきたの」

 雪晴の視線の逃げ場を奪うように、机の天板にごとりと置かれる黒いものがあった。

 特殊気象対策公社に支給されている、一丁のワルサー。



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