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こんばんは、人類の敵です。  作者: 漣たきをん
第四話 ふたり、ふたたび
24/32

そのご




『那花L! 那花ねねL貴様応答しろ!』

 ついに全館のスピーカーを通してがなりたてはじめた沢城の声を、だけどねねは完全に封殺する。

『状況を報告せよ那花L! いったいアレはどうなっている!』

 それはこっちが聞きたいと、ねねは思う。

 今から数分前、今にも消えそうな声で状況が終了したことを告げた通信を最後に、まなとはまったく連絡が取れなくなってしまっていた。

 異なる三種のCF反応と度重なる水蒸気爆発から電波感度が悪くなるのはわかる。この対策自体非公式のため、守秘回線が間に合わなかったせいもあるだろう。だがしかしそれにしてもおかしい。チャンネル自体は開いている。向こうのマイクは音を拾っている。なのにまったく返答がないというのはどう考えても悪い予感しか想起させえない。

『軍法会議モノだぞ貴様ぁ!』

 公社は軍隊じゃなかったんじゃないですか? とツッコむ余裕もない。

 早足で廊下をぐいぐい歩く。延々とがなりたてる沢城の声は駐車場兼格納庫にも鳴り響いていて、すれ違う職員たちが心配そうにねねを見てくるけれど、その都度最高の笑顔と鉄壁の無表情でやり過ごし、手近の高機動車に乗り込む。

 整備員たちが心配そうになにか言っていたような気がしたが、かまわずアクセルを踏み込んだ。

 あるのかないのかわからないほど磨きぬかれたフロントガラスの向こうには、月のない夜が広がっている。

 さっきまで降りしきっていた赤い雨はいつのまにかやんでいた。それはつまりまなが言ったように確かに状況は終了していることを意味している。たとえ、どういうかたちであれ。

 やっとここまできた。そう言っていたまなのことを思う。

 そう、やっとここまできたと、あのこは言ったのだ。自分の勝手な悪い予感など、あたるわけがないとねねは思う。

 隠れていた月を見つけた。雲が失せたのか自分が雲から離れたのか、判断する前にいまだ黒煙が立ちのぼる高層ビルが見えてくる。十数階建てのビルの上層部が丸ごと吹き飛んでいるというのに、その隣のマンションはまったくの無傷のように見えて、1008の仕業か、沈思していて危うく見落とすところだった。

 48号線の入り口。規制を敷いた検問所で、職員たちが押し問答している姿が見えた。正直そのまま検問ごと突っ切ってしまいたいほどだったがそういうわけにもいかない。

 急停止させ、高機から降りる。

「なにごとなの?」

 押し問答していたひとりがこちらに気づいた。

「那花L」

「敬礼はやめて。なにか問題?」

 見れば職員たちと押し問答していた相手は子供のようだった。女子がふたり、男子がひとり。少なくとも高校生以上ではありえないだろう。

「あなたたちは?」

「責任者の方ですか?」

 女子のひとりが歩み出た。耳元の後れ毛が色っぽい、どこか大人びた雰囲気のある少女だった。

「ここを通してください。私たち、あのマンションまで行きたいんです」

「マンションまで?」

 嫌な予感がした。

「あなたたち、七瀬中の生徒?」

「はい」

 二年三組、冠月 桂と、少女は名乗った。

「友達の家なんです。お願いします。無事かどうか、確認だけでもしたいんです」

「ともだち?」

「同じクラスの、木桜雪晴って、いいます」

 ――ああ、思わず吐息が漏れそうになって、ねねはごまかすように視線をマンションのある方角へと馳せた。

 なによ、ちゃんとともだち、いるんじゃない。

 自分はいったい今、どんな顔をしているのだろうかと、ねねは思う。どういう顔をすればいいのだろうとも思う。誰にも顔を見られたくなくて、ただただマンションへと視線を据えたまま、ねねは自動的に答えていた。

「彼ならあそこにはいないわ」

「……知ってるんですか、ゆっ――木桜くんのこと」

 しまった、と思う。

「彼は今どこですか」

 鋭い娘だな、と思う。ねねのわずかな表情の変化を、冠月と名乗った少女は見過ごしてはくれなかった。

「知ってるなら教えてください。連絡を取るだけでもいいんです。お願いします」

「こういうとき、まっとうな大人なら教えないのよ。ほら――なんだ、世の中には、知らなければいいこともある、とかなんとか説得して」

 だけど冠月は、きっぱりと即答する。

「わかりません。私たち、子供ですから」

「それもそうか」

 自分だって、まっとうな大人とは言いがたい。

「お願いします、教えてください」

 声を上げたのは、一番後ろでじっと成り行きを見守っていた男子だった。

「俺たちの、友達なんです」

 ねねは躊躇する。

 あのこのともだちだから。だからこそ教えるわけにはいかないとねねは思う。

 だけどこんなときに、ここまでしてくれるともだちだから、だからこそ教えるべきなのかもしれないとも、思う。

 躊躇が沈黙を生み、沈黙が真実を今にも炙り出そうとしたその時だった。

 高機に内蔵された特雨警報機が、今までにない大音量で鳴り響いていた。



 どうしてこんなところにいるんだろう。雪晴は、呆けたように周囲を見渡していた。

 あたりはすっかり陽が落ちてしまっていて、腕時計を確認しようとしても、文字盤さえ読み取れなかった。街灯もない。いったい今は何時なんだろう。

 頭が痛かった。いったい自分は今までなにをしてたんだっけ、思い出そうとして、さらなる痛みにめまいがした。おかしい。この痛みはおかしいと思う。今までも昔のことを思い出そうとすると似たような痛みに襲われたことがあった。だけど今回は違う。ほんの、ついさっきのことを思い出そうとしてこんなに痛い想いをしたのは始めてだった。

 まあいいや、と思う。

 あきらめることには慣れている。考えて考えてわからないことは忘れてしまうに限る。そうやって今まで生きてきたのだから。たったひとりで、ここまできたのだから。

 バイトに行かないと。時間も場所もよくわからないからどっちのバイトに行けばいいのかもわからない。どちらにしてももう遅刻かもしれない。それでもこれ以上穴を開けるわけにはいかない。おばさんに、お金を返せなくな――

 目の前に、ひととせが立っていた。

 なんだろう、雪晴は息が詰まるのを感じた。なぜかはわからない。理由もわからず背筋を伝う冷たい汗があった。頭が痛い。

 目の前に、ひととせが立っている。

 そう、今の今まで確か自分はひととせと一緒にいた。いつだって自分はひととせと一緒にいることが多かった。頭が痛い。

 目の前に、ひととせが立っている。

 だけど今日はひととせだけだったろうか。ひととせよりも近く。ひととせよりもそばに、誰かがいたように思う。頭が痛い。

 思い出してはいけないと思う。いや違う。そんなものは最初から自分だけの妄想で、実際にはひととせしかいなくて、いつものようにひととせだけがそばにいて――頭が痛い。――バイトに行かなきゃ。とにかくバイトに行かなければいけないのだ。


 ――そう、ならなぜあなたは、そんなものを持っているの。


 目の前に、ひととせが立っていた。

 目が暗闇にだいぶ慣れていて、今なら腕時計の文字盤も見えるんじゃないか――だけどその時雪晴が自らの手元を確認したのは、バイトの時間を気にしたからじゃない。

 そこにあったのは、ナイフ。

 いつだって隠し持っていた小さな小さなバタフライナイフ。

 なんで赤いの。


 目の前に、ひととせが立っている。


 ひととせよりも近くに、彼女はいた。頭が痛い。

 ひととせよりもそばに、彼女はいた。頭が痛い。

 その日、初めて出会った彼女。違う。

 雪晴は、彼女のことを知っていた。今はもうこころの底の、一番きらきら輝いていたころの、だからこそ深く暗いところに閉じ込めていた、小さな、小さかった、あのころ。

 なにも変わっていなかった彼女。

 いつだって、そばにいて、今の今まで、そばにいて、言ってくれていた。

 ――あんたは、操られていただけでしょ。

 違う。僕は全部知っていた。

 ――赫眼さえいなければ、こんなことにはならなかった、そうでしょ?

 違う。全部、僕が望んだことだった。

 ――あなたをたすけたい。

 僕を救えるのは、この力だけだ。だから、

 だから――

 僕は、なにをした?


 彼女の膝枕から起き上がって、ゆっくりと振り返った。

 おぼつく脚に必死で渇を入れて、死にもの狂いで立ち上がった。

 座り込んだままの彼女へと、右手を差し出した。

 手を、取りたかったのだと思う。そしたら袖から飛び出して。

 そう、言い訳をしようと、ぼんやりと頭の奥で考えている自分がいた。

 気がついたら、

 気がついたら――


 あの時彼女は、血の泡を吹きながら、なんて言っていた?


 頭が痛い。

 どうして目の前が明るい? 今は夜だったんじゃないの?

 頭が痛い。

 これはフラッシュバック。見てはいけないもの。

 頭が痛い。

 雨が降っていた。あまりに激しくて、地面に無数の王冠が踊っているように見える。

 頭が痛い。

 赤い雨ではない雨。なのにそこには目を覆いたくなるような赤が流れている。

 頭が痛い。

 狂ったような勢いで側溝に流れてゆく。雨ではない赤い液体。

 頭が痛い。

 その赤の源は――彼女。

 頭が痛い。

 だけどそれは現実ではなくて――フラッシュバック――そう封じ込めていたもの。目をそむけていたもの。確かに存在していたもの。だけど今はないもの。決して目の前にあるはずのないもの。

 頭が痛い。

 なのにどうして、

 頭が痛い。

 どうして目の前に、彼女は倒れているのだろう。

「あ……」

 血の泡に溺れながら、ついさっき彼女が言った言葉が蘇る。


 ――そうやってあんたは、また私を殺すんだ。


「あああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ!」


 叫びが呼び起こすのは、今まで見たこともない、未曾有の赤い雨。

 この瞬間、七瀬市の半分は、地図上から姿を消すことになる。




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