そのさん
「双子山山中にて大規模な水蒸気爆発を確認!」
オペレータの声に、沢城ははやる気持ちを押さえつけながら問う。
「『ひまわり』の復旧までは」
「あと一八○!」
気象省が誇る実質上の監視衛星が原因不明のトラブルに見舞われてからすでに十五分が経過していた。今も八久寺の担当部門が総出で復旧にあたっているがここまであの衛星が活動停止したのは公社発足以来初めてのことらしい。これでは映像で現場を確認することもできない。
あの女狐め――沢城は自嘲気味の笑みを浮かべる。しかしながらアレの単独運用が中央に露見した日には沢城とてただではすまないかもしれない。そういったことも計算づくなのだ、あの女は。
「現場のCF反応は」
「微弱ながら〝火狐〟の健在を確認! 対象のCFに関しては不明です! ノイズがひどく、とても拾いきれません!」
「誰があれを〝火狐〟だと特定した。あれはあくまでアレに似たなにかだ。間違えるな」
「も、申し訳ございません!」
「周波数をγ域にのみ特定。ノイズを除去しろ」
「了解です!」
感は、すぐにあった。
「爆心地にて新たなCF反応を確認!」
「……なに?」
沢城は思わず問い返すが、報告は翻らない。
「火ぎつ――アンノウンともダブルナンバーとも異なる、三つ目のCF反応です!」
わけがわからない、
「ダブルナンバーの反応が復活したわけではないのか?」
「分析結果、出ます!」
幾何学記号のみに包まれたメインモニタの中央、拡大されたウィンドウに映し出されたのはこの世の不可解を具現化したような文字列だった。
観測対象:R/E1008【管理下対象】
目の前に立っていたのは、やはり彼女だった。
脳内を焼き切らんとする尋常でない痛みをまばたきで押さえつけて、死に物狂いでまなは前方を見つめる。
日本人形。
目にしたものすべてがそう形容する以外にない濡れ羽色の髪、白い肌、朱色の頬。
逆巻く爆煙は未だ衰えず、だけどなぜか目の前の日本人形だけを避けて舞い踊っているように見えるのは決して気のせいではない。
春夏秋冬乃々香。第四世代の管理下対象。
この世の赫を一身に背負ったような小さな瞳を真正面に受け止めながら、まなもまた立ち上がる。
全身の筋肉が引きちぎれてゆくのがわかる。気のせいじゃなくぶちぶちという音が聞こえた。頭の痛みはどんどん強く激しくなってゆく。薄皮一枚で自身の身体をかろうじて支えながらも、まなはかすかに笑みを浮かべていた。
「手荒なまねをしてごめんなさい」
自分はちゃんと言葉を発すことができているだろうか。レベル4のダメージが予想以上だった。もう、ろくに舌も回っていないような気がする。
ひととせは微動だにせず答えない。かまわずまなは続ける。
「顕現した〝あいつ〟を抑えつけるには、この方法しかなかったのよ」
引きちぎれる筋肉に眉ひとつ動かさずまなはひととせへと踏み出す。
ひととせの赫い瞳にわずかに力がこもるのがわかった。
「無理しないで」
自分のことは棚に上げて、言い聞かせるようにまなは言う。
「立っているのもやっとでしょ? 先週と今日、あなたもほとんどの力を使い切ったはず」
そしてそれは、唐突に起こる。
「〝あいつ〟をここに、繋ぎ止めるために」
吹きすぎる突風が逆巻く爆煙を吹き飛ばす。
ひととせが守るように立つ向こう、とうとうそこに、まなは求めていたものを見つける。
できることなら、信じたくはなかった。どれだけ往生際が悪くとも、最後の最後まで希望を捨てたくはなかった。それでもだめだった。
確信したのは、ついさっき。最初の一合。こめかみをつかまれたまま押し倒された。
同じ味がした。食堂のとき。あいつの指にかぶりついたとき。
木桜、雪晴。
ようやく届いた、ダブルナンバーの正体。
「……だめ」
うつぶせに倒れたままぴくりとも動かない雪晴を隠すように、ひととせが一歩、まなへと踏み出す。
「勘違いしないで」
だけどまなはかぶりを振る。
「私は、あなたたちを処分しにきたわけじゃない」
いつだって聞こえていた、目の前の少女の声。
――誰にも、殺させない。
「守ってくれてたんでしょ、あいつを」
――殺しちゃ、だめ。
「抑えてくれてたんでしょ、あいつを」
初会敵の時から、違和感は感じていた。ダブルナンバーのことは資料でしか知らなかったけれど、空間を歪めて、特雨を召還する力があるなんて聞いたことがなかった。
そんな力を持つ赫眼は、まなが知る限りひとりしかいない。
あの〝オリジナル〟に最も近いところにいながら、雪晴が未だ完全に赫眼になることなくひとの姿を保っていられたのは、ひとえにひととせが雪晴の身体に乗り移り、赫眼からの侵食を抑えつけていたからだ。
「……わたしは、なにもしてない」
だけどひととせは、赫い視線をわずかに伏せる。
「わたしじゃ、とめられなかった」
雪晴と同化し、その力の大半を抑えることはできたけれど、コントロールまでは奪えなかった。みすみす、罪もない人々を雪晴の手にかけることになってしまった。
だけどまなは首を振る。
「そんなことない」
結果はどうあれ、ひととせが赫眼からの侵食を今の今まで食い止めることができていたのは紛れもない事実だ。
「お願い、協力して」
痛みをかみ殺し、動かない身体を引きずって、まなは振り絞る。
「――私は、あいつをたすけたい」
ひととせの表情は変わらなかった。もしかしたら雪晴になら微妙な変化を見極めることができたかもしれない。だけど少なくともまなにはただじっとこちらを睨んでいるようにしか見えなかった。
小さな日本人形の唇が、わずかに動く。
「……わたしは、あなたがきらい」
それはそうだろう、と思う。
「あなただけじゃない。ここには、きらいなものしかない。だけど、」
今度はわかった。視線だけが、後方の雪晴を捉えていた。
「あのひとは、ちがった」
そしてひととせは、視線を雪晴へ向けたまま、言う。
言って、くれる。
「……どうすればいい?」