そのはち
結局その日、まなはミルクとあんぱん山盛りを五回おかわりして、昼休みいっぱいを食事に費やしていた。
それにしてもよく食べるなあ、思わず本音をもらしてしまって、上目遣いでにらまれてしまうこともあった。咲良たちとはなぜか勝手が違った。初対面なのだからしょうがないのかもしれないけれど、初対面だからこそのいつもの距離感が雪晴にはどうしてもつかめなくて困惑していた。
「……ありがとう」
長い食事が終わり、席を立とうとした瞬間、まなが小さく礼をした。
ここまで案内したことに対するものだと思い当たって、
「なんでもないですよ、これくらい」
正直、咲良たちと食事するより疲れたような気もするけれど、雪晴は笑って言う。
「またなにかあれば、なんでも言ってください」
ぴくりと、まなが表情を変えたような気がしたけれど、その時の雪晴は気のせいだと思っていた。
しばらくまなはそのまま少し考えるように押し黙って、そして、
「……じゃあ、もうひとつ」
ゆっくりと、面を上げる。
絹糸のような髪がさらりと揺れて、垣間見えた碧い瞳はぞっとするほどきれいで、
「敬語、やめて」
「え」
「あなたに害意がないことは、常に言葉にしなくてもわかってる」
なんだろう、
「笑顔もそう」
どうしてこんなに、
「笑いたくなければ、笑わなくていい」
昼休み終了を告げるチャイムが鳴り響く。
途端、騒がしかった学食内が、さらなる喧騒で爆発的に満たされる。
椅子を荒々しく引く音、五分後の五限目開始にぶーたれる声、移動教室だからと急ぐ足音。
喧騒は爆発的であるがゆえに一瞬で、次の瞬間にはもう引いていく波のように遠ざかっている。
二年三組はこの後は現国、マメシバの授業であり、遅れて行ってもこわくはないが、だからといってサボるほど目立とうとも反抗しようとも思ってはいない。
だけど雪晴もまなも動かない。
人気の絶えた食堂で、ふたりだけがテーブルを挟んで立ち尽くしている。
「今朝も、言ってたですよね」
なるたけ平坦に、声音を抑える。
「僕は、そんなに笑いたくなさそうに見えますか」
「見える」
まなは即答する。
「笑ってるけど、笑ってない」
「笑いたくなくても、みんな笑うでしょ。いっつもむっつりしてたらそれはそれでおかしいですし」
「笑いたくないのに笑ってるほうがおかしい」
「……それでみんなが笑ってくれるならいいじゃないですか」
「あなたの笑顔は、誰も幸せにはしない」
はっとして、まなの顔を凝視した。
まなは変わらず堅い瞳のまま、まっすぐに雪晴を射抜いている。
「あなたはこわいのよ、他人の笑顔が。いつその笑顔が自分のせいで曇るかわからないから。だからあなたは笑う。誰のためでもない。結局、自分が嫌われたくないだけなのよ」
どうして、
「だけどあなたのそれは嘘だから。信じたひとは裏切られる。見抜いたひとは落胆する。自分のことしか考えられないひとに、誰かを笑わせることなんてできない」
なんだろう、雪晴はやっぱり思う。
初対面のひとに、どうしてここまで言われなくてはいけないのか。彼女がいったい自分のなにを知っているというのか。それは、いつもの自分であれば、適当に肯定し、曖昧に笑って、その場限りの謝罪でやりすごしていたようなことだった。それが雪晴の処世術だったし、今までそうすることでなんとかここまでやってきたのだ。なのに。
どうして彼女に対してだけは、気持ちを抑えることができないのだろう。
「行動した時点で、それは全部自分のためでしょう」
言ってしまってから、しまった、と思った。
だけどもう、後には引けない。
「誰かのためにって言ったって、それは結局、そのひとのためになにかしてあげたい、っていう、自分の願いを叶えるために動いてるだけで、」
「それは手段であって、目的じゃない」
ぴしゃりと言い切るまなに、ひとたまりもなく萎縮してしまいそうになるけれど、
「だ、だいたい、他人の気持ちなんて実際のところわかるわけないんですし、」
「そんなの当たり前」
「あ、当たり前って、」
「それで? その事実に胡坐をかいてればさぞかし楽でしょうけれど?」
「べ、別にそういうつもりじゃなくてですね、」
「敬語やめろ!」
びっくりして、雪晴はその場に固まってしまっていた。
まなもまた、そんな大声を出した自分が信じられないとでもいうように瞳を見開いているようだった。
雪晴はほとんど条件反射であやまってしまいそうになって、すんでのところで踏みとどまった。
どうしてだろう、いや、彼女が怒る理由はわかる。だけどここまで激する理由がわからない。だけどだからといって、いや、だからこそどうしたらいいかわからない。かける言葉が見つからなくて、かといってこのまま黙っていることが正解がどうかもわからずとにかく運を天に任せて口を開こうとしたそのとき、
「……ごめんなさい」
それは、ともすれば消え入ってしまいそうなまなの謝罪だった。
「言い過ぎた。忘れて」
それだけ言い捨てて早足で脇を通り過ぎていく。
揺れる金色の髪が鼻先をかすめて、なぜか胸を締めつけた。後を追う気などないくせに振り返ってしまって、
まなが、背中を向けたまま立ち止まっていた。
なんだろう、思う間もなく、
「──春夏秋冬乃々香」
「え」
一瞬、まったくその言葉の意味するものが理解できなかった。
ひととせのことだと思い当たった瞬間、今朝、咲良が言っていたことがなんとなくわかったような気がした。
まながひととせの名前を漢字で呼んでいるように聞こえたのは雪晴が警戒しているからだろうか、それとも、
「知ってるでしょう、春夏秋冬乃々香。一年一組の」
「知ってま──るよ、それが?」
「今日、同じ一年一組のこにも聞いてみた」
「?」
「『あー、そういえば、』というならまだマシ。『誰だっけ』、というひとが大半だった」
「…………」
「一度でわかったのは、あなただけ」
「……なにが言いたいの?」
まなは応えなかった。
我慢できずに、雪晴は言ってしまっていた。
「彼女は関係ない」
「私はなにも言ってないけれど」
後悔した時にはもう遅かった。
まなはまるでそれだけ聞けば十分だとばかりに、今度こそ早足で学食を後にする。