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こんばんは、人類の敵です。  作者: 漣たきをん
第三話 孤独の肖像
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そのろく



 正直、どのように接してよいか雪晴にはわからなかった。

 ──笑いたくなければ、笑わなければいい。

 今朝、校門で投げつけられた言葉が頭について離れなかった。結局あの後まなはさっさと校舎の中へと消えてしまったから、それ以上話すことはできなかった。それが気まずさにさらなる拍車をかけていた。

 なんて声をかけよう。どんな顔をすればいい?

 どんな言葉をかけても、どんな表情を浮かべても、すべて見透かされそうでこわかった。

 かといって先生に言われた以上、無視するわけにもいかない。

 今朝用意されたのだろう、隣に備え付けられた空席に、まなが腰を下ろす。

 悩んで迷って、結局雪晴は無難な言葉をかけていた。

「は、はじめまして」

 瞬間、弾かれたように碧い視線が雪晴を射ていた。

 思わず雪晴が腰を浮かせてしまいそうなそれは鋭い視線だったけれど、すぐにまなは我に返ったように瞳を見開いていた。

 まるで、そんなことをした自分が、自分でも信じられないとでもいいたげに、苦虫を噛み潰したような表情で、視線を伏せていた。

「……あの、」

 声をかけようとして、結局それはまなには届かなかった。

 古今東西、転校生には宿命がある。それは儀式とかお約束とか様式美とかに置き換えてもかまわない。自らを紹介されたHR直後の休み時間。

 どこから来たの? 両親は日本人? 趣味はスリーサイズは彼氏はいるの? 押し寄せる人だかりから矢継ぎ早に放たれる質問はだけど、彼女の場合決して転校生の宿命だけが理由ではないだろう。いろんな意味で。

 それを知ってか知らずか、だけど答えるまなの調子にまったく変化は見られない。

「八久寺。日本人。お人形焼きのダース食い。上から83、54、81。好きなひとなら、3年前にいました。ぽんぽんは痛くありません」

 ちなみにその時彼女の胃腸の調子について言及した者はひとりもいない。いつもの癖かなにかだろうか、放たれた弾丸をかわすどころか真っ向すべて受け止めたはいいがなんだかとんちんかんな返答をしてしまったことが恥ずかしかったのだろう、わずかに耳を朱に染め視線をそらす金髪美少女の姿に教室中のボルテージが最高潮に高まる中、

「一週間前の夜、赫眼をやっつけたのはあなたですか」

 問うたのは冠月だった。

 教室が、しん、と静まり返る。

 その時の二年三組は、はっきりと三つに分かれていたように思う。

 もの珍しさと転校生のかわいさと乳と乳とうなじと乳にノックアウトされた者、

 かといって自分からは声をかけられず、どことなく近寄りがたい気分になって遠巻きにちらちらと視線を寄越していただけの者、

 そして彼女を、得体の知れない非日常からやってきた異物としてしか見れない者。

 それぞれがそれぞれの思惑で彼女に接していたクラスを、だけどその冠月の言葉が一瞬でひとつにしていた。

 それは、誰もが気になっていて、それでいてどうしてもできなかった質問。

 今や教室中の誰もが息を詰めてまなの返答を待っている。

 往村と咲良だけが、どこか心配そうに冠月を見ている。

 まなだけが、今までと同じ調子で答える。

「対策にあたったのは私。だけどやってない。手負いにしただけ」

 ざわりと、固まっていた空気が揺らいでいた。だけど冠月はその空気が最悪な方向に固まる前に質問を続ける。なにも彼女をつまはじきにするのが目的ではないのだから。

「……赫眼はまだ、生きてるってことですか?」

「あれしきで仕留められれば苦労はしない。何体も屠ってきたからわかる」

「ちょ、ちょっと待った!」

 まなを質問攻めにしていたグループから声が上がる。

「何体も、って、ってことは、赫眼って──一匹じゃないのか?」

 まなはうなずく。

「赫眼は、ひとを喰らう。喰われたひとは、赫眼に取り込まれる。取り込まれたひとは、新たな赫眼になる」

 ざわめきが膨れ上がる。「ドラキュラかよ」「でもなんか前テレビで似たようなこと言ってた」「じゃあいずれ世界は赫眼だらけになるとか……」

 まなが変わらぬ調子で否定する。

「それはない」

 どうして! どこからか声が上がる。

「赫眼は、赫眼も喰うから。ひとを襲う理由と同じ。同じものはひとつになるべき。それが彼らの根底にはある」

 再び、教室内が水を打ったように静かになる。誰もが目を瞬かせたまま固まった。

 意味がわからなかった。奇妙な感覚だった。それぞれの言葉の意味は簡潔なのに、並べられるとそれぞれがまったくつながりを持たないような。

「ごめんなさい」

 金色の向こうで、碧い瞳がかすかに揺らぐ。

「あまり慣れてない。話すこと。ごめんなさい」

 なぜだかはわからないが、どこか彼女には必死な部分があった。冠月の投げかけた質問の答えは、なんとかして皆に知らしめたいことそのものなのだ、とでもいうべき必死さ。

 悪いことをしたな、と冠月は思う。彼女なら、こんな公開処刑のようなことをしなくても、素直に答えてくれたかもしれないのに。

「赫眼って、なんだ?」

 当然のように、誰からともなくそんな声が上がる。

「……クドリャフカ博士の定説」

 まなはやはり片言で答える。

「アリスマジック地平面。鏡面分岐世界。この世は、七つの世界から構成されている。同一境界面において相互観測可能になることが証明されたのが四半世紀前。観測されたと同時にあちらとこちらが繋がって、鏡面分岐された。その時やってきたのが、赫眼」

 どんどんわけがわからなくなる。わからなくなるが、その話はどこかで聞いたような気がした。

 赫眼の起源、正体についてはそれこそ掃いて捨てるほどの諸説がある。

 別世界からの来訪者。それも今や誰が唱えたか誰も覚えていない有象無象の説のうちのひとつだ。

 いつの頃からか各地で散見され、それぞれが特有の人ならざる力を有している、この世のものならざるもの。

 そもそも特殊気象対策公社はなにも、赤い雨対策のためにできた組織ではない。

 赤い雨をダシに表に出てきただけで、母体となった組織はこれまでもずっと赫目と相対してきた。ずっと昔から。

「でも赤い雨の赫眼は特別。ダブルナンバー」

「だぶるなんばー?」

「別世界からやってきたとされる赫眼は、確認されているだけで9体。私たちは〝オリジナル〟とか、〝シングルナンバー〟とか呼んでる。アカシックゲートの向こうにいて、普段はめったに目にすることはない。目にしたくもない」

 また知らない言葉。

「あかしっくげーと?」

「オリジナルの持つ力と叡智の宝庫。超常の起源。オリジナルとは、一にして全。全にして一。それはもはやひとつの世界。その世界とこちらの世界を隔てる門。それがアカシックゲート」

 もうだめだ、と思う。聞けば聞くほどわからなくなる。だけどまなはかまわず続ける。

「その9体に直接喰われ、取り込まれた赫眼がダブルナンバー。直系のレプリカ。手ごわい」

「それが、一週間前やってきたやつ?」

「そう」

「どうしてこっちにきたの? その──赫眼は」

 冠月のその問いに、それまで淀みなく答えていたまなが、初めて押し黙る。

 わずかに沈黙した後、

「たぶん、なかったから」

「……なにが?」

「居場所が」

 一時限目開始のチャイムが鳴り響いて、そのまなの答えは半ば打ち消されてしまう。

 同時に教室の扉が開いて、「うらー、お前ら席につけー、なー」「やべ、タカミだ」

「ばっか、そこ俺の席」わずかに非日常に侵食されていた教室がいつもの世界を取り戻す。

 だから誰も気づかなかった。その答えを口にしたまなが、わずかに雪晴に視線を向けていたことに。




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