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こんばんは、人類の敵です。  作者: 漣たきをん
第三話 孤独の肖像
12/32

そのに




 学校は、休みになっていた。

 ダブルナンバーが七瀬中を襲撃したあの夜以来、雪晴は部屋でひとり寝込んでいた。

 朦朧とする意識の中、ひととせがずっとそばにいたような気がするけれどわからない。

 テレビでは、頑なにアニメを放送する某ローカル局を除き、ずっとあの夜のことをやっていた。

 第七十六次特雨事件。赤い雨の惨劇。七瀬市においては五度目のダブルナンバー襲来。過度な装飾と共に公社の初動のまずさと政府の融通の効かなさを叩くだけ叩いて、なけなしの視聴率を稼いでいる。

 夢とうつつの狭間で、そのすべてに雪晴は聞き耳をたてている。


 何度もチャイムの音を聞いた気がした。このマンションを知っているひとはそんなに多くない。とはいえ叔母が来ることなどありえないし、そもそもひととせはチャイムを鳴らさない。「連打すんなばかおっぱい」「おっぱいゆうな」「はいはい、ほらほらさわがない」病気のとき特有の心細さに負けそうになったけれど、なんとかこらえた。


 気がついたら、ひととせが枕元に座っていた。彼女には居留守が通用しない。おかゆを作ってくれた。熱かった。こぼして叱られた。

 おいしかった。


 国営放送が、今回の事件を報道しなくなった。

 ひととせは某ローカル局のアニメを見ていた。食い入るように見すぎてご飯粒をこぼしていた。注意したら、なぜか雪晴が叱られた。


 熱が下がった。チャイムが何度か鳴った。声を殺してやりすごした。

 バイトへ行こうとしてひととせに叱られた。ベッドに縛りつけられた。ひととせの涙目に見張られていつのまにか寝ていた。


 再び熱が下がったことを主張した。

 体温計五回、掌三回、おでこ二回で、ようやく許可が下りた。

 心底ほっとしたその顔は、表情の乏しい彼女が初めて見せた感情らしい感情だった。


 民放各局も、報道をやめた。

 久しぶりにリビングでおかゆ以外の食事をした。まだうまく握力が出なくて何度も箸を取り落とした。ご飯粒がぽろぽろこぼれてテーブルクロスを汚した。

 今まで叱ってくれたひととせは、もうそばにはいなかった。

 それはちょうど、事件から七日目の朝。

 休校が明けていた。



 カーテンを開け放った窓から、これでもかと陽光が差し込んでいた。

 いい天気だった。この一週間たまりっぱなしの洗濯物をやっつける絶好のチャンスだったけれど、今日は夜までバイトで、その後新しいバイトの面接だ。残念だけど、また今夜コインランドリーに行くしかなかった。

 テーブルの上に目を落とす。今日持っていく予定の履歴書。名前と住所、表面はもう目をつぶってでも書けるけど、いつものことながら裏面だけは苦手だった。特に特技欄は毎回何日も悩んで、結局前の中学の担任に一度だけほめられた──

 前の中学──そこまで考えて、雪晴ははたと沈思する。

 またあの違和感。確かに自分が経験したはずなのに、しっくりこない感覚。

 木桜雪晴。中学二年生。この街で生まれて、この街で育って、半年ほど前、今の七瀬中に転校してきた。だけどおかしい。この街で生まれて、この街で育って、他の街になんて行ったこともない。なのに、いったい自分は、どの学校から転校してきたのだろう。この街には、中学校は七瀬中ひとつしかないのに。

 やめよう。雪晴はこめかみを押さえる。昔のことを思い出そうとすると頭が痛くなる。そうでなくてもそのことについて言及すると叔母はあからさまに困った顔をするので、雪晴は考えるのをやめる。そういうふうに慣れている。

 履歴書をとっととやっつける。つけっ放しのテレビからは天気予報が垂れ流されている。特雨注意報はひとまず出ていないけれど、そこからなだれ込むように特雨の特集が始まる。

 特雨──赤い雨の特集は日に日に増えてゆくけれど、一週間前の赫眼について報道している局は今やひとつもない。

 いつものこと。どこかで情報規制されているということは皆薄々気づいてはいるけれど誰もなにも言えない。どこかやけくそのように各局こぞって赤い雨の特集に力を入れているのはもしかしたらせめてもの抵抗なのかもしれないけれど。

 画面には今や珍しくもなんともなくなってしまった八本の塔が大映しになっている。

 〝ローカパーラの雨傘〟

 その名のとおり閉じた傘にも似た巨大なそれは、モザイク社が社運をかけて投じた赤い雨対策の新たな切り札だ。

 SMCR──形状記憶カーボナイト樹脂は、リリースされて以来長年人々を苦しめてきた赤い雨に対して絶大な効果を発揮してきた。しかしながらそれはあくまで水際での防護策にすぎず、屋根や服や手にした傘のすぐ先には、肉も骨もやすやす砕く脅威が依然として隣り合わせに存在している。

 そこでモザイク社が着手したのがコーティング剤の気体化──揮発性SMCの開発だった。

 赤い雨はそれ自体は特に有害な物質というわけではない。高度二○○○メートル。なんの変哲もない液体を未曾有の人類の脅威に変えているのは、ひとえにその悪魔の数字があるからだ。

 だったら、その悪魔の数字を殺せばいい。

 赤い雨が降り来るという高度二○○○メートル。その高々度において揮発性のSMCを散布し巨大な〝傘〟と為す──それが、今や七瀬市のどこにいても目にすることができる巨塔の正体だった。

 高さ実に一九八○メートル。七瀬市全域を取り囲むように屹立する八本のそれは〝世界を守るもの〟の名にふさわしい。赤い雨は日を追うごとに頻度も強さも増しており、一刻も早いリリースを各方面から切望されてはいるのだけれども──

 テレビの電源を切り、書き終わった履歴書をかばんに詰めて玄関を出る。

「おはようございます」

 マンションの廊下、すれ違った住人に挨拶する。返事はせずに、どこか疲れたように会釈だけを返して通り過ぎていく人。無視する人。いつもなら全力疾走で雪晴を追い越してゆく小学生にもどこか元気がなく。エレベータの脇では主婦たちが不安そうにごみ袋を抱えて空を仰いでいる。吐息と共にもれるのは、一週間前の出来事。

 何十回目かの赤い雨。水橋さんのお嬢さんも見たらしい。赤い眼。バケモノ。

 どれだけ情報規制したところで人の口には戸は立てられない。それは今も昔もこれからも変わることはないのかもしれない。バス通りからも見える巨大な塔。ずいぶん前にほとんど完成しておきながら、いつまでたっても本格稼動しようとはしない。

 赤い雨対策としては折り紙つき。従来のコーティング剤が二ヶ月に一度再コーティングを余儀なくされていたことから、メンテナンス性やコストの面からも有用性は確かであり、それでいてなかなかゴーサインが出ないのは、揮発性カーボナイトの人体への影響が懸念されているからなのだとか。このままでは最悪計画自体が頓挫し、世界を守るはずの八本の塔はただの人類が手がけた最大のオブジェとなってしまいかねない。

 どうにかならないの。バスへ乗り込むOLたちが口々に漏らす。不安で不安でたまらない。一刻も早くなんとかしてほしい。

 街は、いつだって不安と嘆きであふれている。

 雪晴はバスの最後尾の端に腰を下ろしながら、イヤホンを耳に押し込む。ノイズキャンセル機能のついたごついカナルタイプのイヤホンで、雪晴はいつもそのまま目を閉じてバスに揺られているのが好きだった。

 周囲の音は、イヤホンからの逆位相の音波がほぼ完全に打ち消してくれる。

 眼を閉じることで、風景もまた雪晴の前から消え去ってくれる。

 世界と自分が、遮断される。

 なにも聞こえず、なにも見えないこの瞬間だけは、なにも思い出さず、なにも考えなくてもいい。

 だけどそれも、路線の終点に着くまでの短い時間なのだけれども。

 バスから降りて、イヤホンを外したその時だった。




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