第71話:鉄の膝、柔の大地
『からくり空手』
第71話:鉄の膝、柔の大地
「第六試合——田村 対 ブンシリ! リングへ!!」
アナウンスが響いた瞬間、会場がざわめいた。
理由は二つあった。
一つは「田村」という名前。小川道場——先ほど小川勝己が金ライセンスの実力を見せた道場の選手だ。
もう一つは——田村が女性だということだ。
佐藤が思わず立ち上がった。「女性の選手だ! 初めて見た!」
佐野が静かに言った。「からくり空手のライセンス制度に、性別の区分はない。同じ土俵で戦う——それがこの競技の設計思想です」
「分かってる! でも、すごいと思って!」
田村がリングへ上がった。
二十代前半。小柄で細身だが、動きに無駄がない。柔道の道着の上に、関節部を重点強化したアーマーを纏っている。胸元のライセンスは茶色——通算100勝以上だ。
その立ち姿が、師匠の小川に似ていた。自然体。重心が均等。掴む場所を探している目。
対するブンシリが、反対側からリングへ上がった。
タイからの参加選手。ムエタイ——「八本の武器」と呼ばれる、両手両足に加えて肘と膝を使う格闘技の使い手だ。からくりアーマーは膝と肘に集中して補強が入っている。ライセンスは黒——通算150勝以上。
ブンシリが田村を見た。一瞬だけ、何かを言いかけて——止めた。
田村は気づいていた。「言いたいことがあれば、言ってください」
「……女性と戦うのは初めてだ」ブンシリは率直に言った。「手加減した方がいいか、迷っている」
「必要ありません」田村は静かに言った。「手加減されたら、私が侮辱される」
ブンシリは少し黙った。それから頷いた。「分かった。全力で行く」
「始め!!」
ブンシリが動いた。
ムエタイのステップ——軽やかなフットワークから、右ミドルキックが来た。腰の高さへの蹴りで、からくり補強された脛が唸りを上げる。
田村は受けなかった。下がった。
ブンシリの蹴りが空を切った。しかし着地と同時に、左の肘打ちが横から来た。
「クリーンヒット、ブンシリ! 2点!」
【田村 00 - 02 ブンシリ】
田村が距離を取りながら確認した。肘の衝撃が、アーマーの上から体に伝わっていた。ミドルキックを避けたと思った瞬間に、別の武器が来ていた。
(ムエタイは蹴りと肘が連動している——一つを警戒すれば、別の武器が来る)
ブンシリが続けた。
左ミドルキック——田村が下がった——右肘打ち。
右ローキック——田村が横へ躱した——左膝蹴り。
全ての攻撃が二段構えになっている。一つ目が「引き出し」で、二つ目が「本命」だ。
「クリーンヒット、ブンシリ! 2点!」
【田村 00 - 04 ブンシリ】
田村は下がり続けた。しかし目が——観察していた。
(蹴りの後に肘。蹴りの後に膝。——しかし蹴りを先に出すということは、蹴りの「踏み込み」が先に来る。踏み込みが来た瞬間が——掴む機会だ)
ブンシリが右ミドルキックを放った。
田村は下がらなかった。
ブンシリの蹴り足が伸びきる寸前——田村の両手が、ブンシリの蹴り足の「脛」を掴んだ。
師匠の小川が橋本のタックルを掴んだように。
蹴り足を抱え込み、軸足を払った。
「ダウン、田村! 3点!」
【田村 03 - 04 ブンシリ】
ブンシリが立ち上がった。その目が変わった。「……蹴りを掴むか。ムエタイで蹴りを掴まれたのは——久しぶりだ」
「師匠から学びました」田村は静かに言った。「全ての攻撃は、掴む機会でもある」
ブンシリが慎重になった。
蹴りを掴まれるなら——蹴りを出しにくい。しかしムエタイの核心は「八本の武器」の連動だ。蹴りを警戒されれば肘と膝が生きる。肘と膝を警戒されれば蹴りが生きる。
ブンシリは肘打ちから入った。
田村はその肘を——掴もうとした。
肘は短い。掴みにくい。田村の指先が滑った。
掴み損ねた瞬間に、ブンシリの膝が上がってきた。
「クリーンヒット、ブンシリ! 2点!」
【田村 03 - 06 ブンシリ】
「……肘は短くて掴みにくい。膝はさらに難しい」田村が距離を取った。「蹴りしか掴めない——しかしブンシリさんは蹴りを警戒し始めた」
残り2分。
【田村 05 - 09 ブンシリ】
田村が考えた。
蹴りを掴む。そのためには蹴りを引き出す必要がある。蹴りを引き出すには——自分から近づいて、蹴りを使わざるを得ない間合いを作ればいい。
田村は前へ出た。
ブンシリの間合いの内側へ、自分から踏み込んだ。
ブンシリは驚いた。自分の間合いに入ってきた相手を——膝蹴りで迎え撃とうとした。
田村はその膝が上がる瞬間を待っていた。
膝が上がった。軸足が一本になった。
田村の手が、ブンシリの軸足の踝を掴んだ。
払った。
「ダウン、田村! 3点!」
【田村 08 - 09 ブンシリ】
ブンシリが立ち上がった。今度は慎重さの中に——敬意が加わっていた。
「……掴まれるために、自分から飛び込んできた」ブンシリは言った。「怖くなかったか」
「怖かったです」田村は正直に言った。「膝蹴りが当たれば、大怪我でした」
「なのに来た」
「掴めると信じたから」
ブンシリは少し黙った。それから、構えを正面に取った。「……分かった。俺も、掴まれることを怖がらずに行く」
残り1分。
【田村 09 - 11 ブンシリ】
ブンシリが全力のローキックを放った。
田村は掴みに行った——ブンシリは途中で軌道を変えた。ローキックから膝蹴りへの切り替え。
田村の体が後退した。
「クリーンヒット、ブンシリ! 2点!」
【田村 09 - 13 ブンシリ】
残り30秒。2点差。
田村は息を整えた。
(もう一度、飛び込む。今度は膝の切り替えに対応しながら)
田村が踏み込んだ。ブンシリが膝を上げた——田村は膝の軌道を読んで、体を斜めにずらした。膝が肩を掠めた。しかし田村の体は止まらなかった。
ブンシリの懐へ入り込んだ。
袖と襟を掴んだ。
一本背負い——師匠から受け継いだ、柔道の正拳。からくり補強された腰の回転が、ブンシリの体を持ち上げた。
「ダウン、田村! 3点!」
【田村 12 - 13 ブンシリ】
タイムアップ。
「試合終了! 12対13——ブンシリの勝利!!」
田村はその場に立ったまま、息を吐いた。
惜敗だ。しかし倒れていなかった。
ブンシリが田村の前に来た。右手を差し出した。
「……田村。お前は今日、俺のムエタイを一番苦しめた。蹴りを掴まれると分かっていながら、蹴りを出さざるを得なかった」
「ありがとうございます」田村はその手を握った。
「ブンシリさんの肘と膝の連動、もっと研究します」
「俺も柔道の掴みを研究する」ブンシリは言った。
「次に当たる時は——もっと面白い試合になる」
客席で、小川勝己が腕を組んで試合を見ていた。
嵐が隣に来た。
「小川道場主。田村さん、惜しかったですね」
「負けた」
小川は短く言った。
「しかし——蹴りを三度掴んだ。あれは教えていない」
「え、教えていないんですか」
「ムエタイの蹴りを掴む練習は、危険が高いからあまりやらせていなかった」小川は田村を見た。「あいつが自分で考えて、試合中に実践した」
嵐は田村を見た。リングを降りながら、自分の手を確認している。掴んだ感触を、まだ確かめているようだった。
「いい選手ですね」
「ああ」
小川は静かに言った。
「田村は——もしかしたら俺を超えるかもしれない」
佐藤が田村が通り過ぎる時に声をかけた。
「田村さん! かっこよかったです!」
田村は少し立ち止まった。
「ありがとう。——あなたも秋吉会館ですか」
「はい! 佐藤です! 広島支部の!」
「広島支部」
田村は繰り返した。
「今年できた支部ですね。——いつか、手合わせしたい」
「ぜひ!!」
田村は小さく笑って、歩いていった。
佐野が佐藤に小声で言った。
「佐藤。田村さんのライセンスは茶色だ。100勝以上だぞ」
佐藤の顔が固まった。
「……それで俺に挑戦したいって言ったのか」
「そういうことだ」
佐藤は田村の背中を見た。
小さな背中だが——歩き方が、師匠の小川に似ていた。
「……稽古しよう、佐野」
「今更ですか」
「今更じゃない。今から始めるんだ」
【田村 通算成績:記録更新中】
【ブンシリ 通算成績:記録更新中】
大会は続いていた。




