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からくり空手  作者: 水前寺鯉太郎
第3部

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第70話:投げと組みの哲学

『からくり空手』

第70話:投げと組みの哲学


 「第五試合——リキ 対 小川! リングへ!!」

 嵐が会場を見渡した。

 秋吉会館の四試合が終わり、会場の熱気は少し落ち着いていた。しかし次の試合のアナウンスが響いた瞬間——観客席の空気が再び張り詰めた。

 「小川道場の小川って——橋本さんの道場主ですか」佐藤が聞いた。

 佐野がタブレットを叩いた。

「はい。小川道場の道場主、小川勝己。柔道をからくり空手に融合させた使い手です。ライセンスは——金。通算700勝以上」

 「金か」田所が腕を組んだ。

「橋本を育てた親が、自分で出てきた」

 小川勝己がリングへ上がった。

 五十代。がっしりとした体格だが、脂肪ではなく筋肉の重さだ。からくりアーマーは柔道の「袖と襟を掴む」動作を最大限活かすため、両腕に集中して補強が入っている。胴体部の装甲は薄い。受けるためではなく、動くための設計だ。

 対するリキが、反対側からリングへ上がった。

 二十代後半。レスリング用の密着型アーマー『ダイナモ・スキン』を纏っている。ライセンスは茶色——通算100勝以上。

 体格は小川より一回り大きい。しかし小川の前に立つと——なぜか小さく見えた。

 「始め!!」

 リキが低く構えた。タックルの起点だ。

 小川は動かなかった。

 柔道の「自然体」——両足を肩幅に開き、重心を均等に保つ立ち方だ。掴む場所を探している。レスリングのタックルに対して、柔道家がどう対処するか——その答えが、この立ち方の中にある。

 リキが踏み込んだ。低いタックルで、小川の腰を捕らえようとした。

 小川は一歩だけ右へ動いた。

 リキのタックルが空を切った瞬間、小川の右手がリキの首後ろを掴んだ。左手が袖口を掴んだ。

 「一本背負い」の体勢に入った——しかし完全な投げではなかった。リキが踏ん張り、体勢を低く保った。

 「ヒット、小川! 1点!」

 【リキ 00 - 01 小川】

 「……掴まれた」リキが離れながら言った。

「レスリングで柔道家と戦うと、すぐ掴まれる」

 「当然だ」

小川は静かに言った。

「柔道は掴む競技だ。お前が来れば来るほど、掴みやすくなる」

 リキは作戦を変えた。

 タックルではなく、打撃から入ることにした。レスリングの長所ではないが——掴まれる前に距離を保つためだ。

 右拳を放った。

 小川はその腕を——掴んだ。

 右手で袖口を、左手で肘上を。からくり補強された指先が、リキの腕をしっかりと捕らえた。

 「クリーンヒット、小川! 2点!」

 「なっ——打撃まで掴んだ」

 「打撃も、俺にとっては掴む機会だ」小川は淡々と言った。「お前が動けば動くほど、俺は掴む場所が増える」


【リキ 00 - 03 小川】


嵐が客席で見ていた。


「……小川道場主の柔道、全部が掴みに繋がっている」


佐野が分析した。


「相手の動作を全て『掴みの機会』として設計している。打撃も、タックルも、全部が小川さんの柔道の中に取り込まれる」


「タックルが来れば投げる。打撃が来れば掴む。では——動かなかったら」田所が言った。


「動かなければ、小川さんが詰めてくる」佐野は答えた。「柔道の『崩し』——相手を動かして、バランスを崩す技術があります」

リキは動きを止めた。


待つ戦略だ。


小川が近づいてきた。一歩、また一歩。間合いを詰めながら、リキの「動く瞬間」を待っている。


リキは動かなかった。


小川の手が伸びた。リキの袖口を掴もうとした——リキはその手を、腕全体で払った。


払った瞬間に、小川の体が流れた。払いの力を利用して、リキの体を引き込んだ。


「ダウン、小川! 3点!」


【リキ 00 - 06 小川】


「……払っても、取られた」


 リキが立ち上がった。


「払った力を利用された」


「柔道は力を利用する」


「お前が力を出せば出すほど、俺はそれを使う」


 タックルは掴まれる。打撃は掴まれる。動けば利用される。払っても利用される。


 では——どうする。


(力を使わないで、相手を動かす。それがレスリングにできるか)


リキはレスリングの「クリンチ」で密着した。


 小川が袖と襟を掴もうとした。しかしリキは密着したまま、小川の腕の「外側」に自分の腕を回した。掴まれる前に、包み込む。


「……密着か」


「柔道の間合いの内側に入ってきた」


「ここなら投げられない」


「間合いが近すぎる」


「確かに投げにくい」


「しかし——」


 小川の腰が落ちた。


 密着した状態から、小川が「内股」の体勢を作った。間合いが近くても使える投げ技——からくり補強された腰の回転が、リキの体を持ち上げた。


「ダウン、小川! 3点!」


【リキ 00 - 09 小川】


「……密着しても投げた」リキが立ち上がった。呼吸が乱れ始めている。


「柔道には間合いを選ばない技がある」小川は静かに言った。「遠くても近くても、掴めれば投げられる」


残り2分。


 リキは限界に近い顔をしていた。しかし目に、諦めがなかった。


(全部、柔道の論理に取り込まれる。——なら、柔道の論理そのものを壊す方法はないか)


 リキは天井を一瞬だけ見た。それから——跳んだ。


 タックルではない。打撃でもない。リキの体全体が、小川の上半身へ飛び込んだ。


 抱きついたのだ。


 小川の両腕の「掴む動作」が、間に合わなかった。上から体重が乗ってくる——柔道の想定にない角度からの密着だ。


「クリーンヒット、リキ! 2点!」


【リキ 02 - 09 小川】


「……上から来たか」

 

 小川が体勢を立て直した。初めて、その表情が変わった。


「レスリングで、そういう飛び込みを見たことがない」


「柔道の想定にない動きをするしかなかった」



 そこからリキが攻めに転じた。


「上から飛び込む」という選択肢が加わったことで、小川の掴みの起点が一つ増えた


 しかし小川が「上」を警戒した瞬間、リキのタックルが低く入れる。


「クリーンヒット、リキ! 2点!」


「ダウン、リキ! 3点!」


「クリーンヒット、リキ! 2点!」


スコアが動き始めた。


「クリーンヒット、小川! 2点!」


「ダウン、小川! 3点!」


【リキ 07 - 14 小川】


 残り30秒。


 1点で小川が15点に達する。


リキが最後の飛び込みを放った。全力で、上から。


 小川が待っていた。今度は「上」への対処ができていた。リキの体を受け止め、そのまま一本背負いの体勢へ移行した。


 からくり補強された腰の回転が、最大出力を出した。


 リキの体が、大きな弧を描いて宙を舞った。


 マットに叩きつけられた。


「ダウン、小川! 3点!」


 タイムアップと同時に。


【リキ 07 - 15 小川】


「勝者、小川!!」


 会場が静まり返った後、大きな拍手が来た。


 小川がリキに手を差し出した。


「……レスリングで上から飛び込んでくる選手は、初めてだった。次は対処法を考えなければならない」


 リキは手を握りながら言った。


「小川道場主。俺のタックルを、全部掴みに変えた——俺は柔道を、もっと研究します」


「俺もレスリングを研究する」


「お互い、まだ知らないことがある」

 

 客席で、橋本が腕を組んで試合を見ていた。


 田所が隣に来た。


「橋本。お前の親方、強いな」


「当然だ」橋本は短く答えた。


 しかし、その顔に誇りがあった。


「あの人に勝てる日が来るか——俺も、まだ分からない」


 田所はリングの小川を見た。七百勝以上の積み重ねが、ああいう柔道を作る。


「……俺も桑原親方に、まだ勝てない」


田所は低く言った。


「だから稽古する」


 橋本がちらりと田所を見た。

それから小さく笑った。

 

「……同じだな」


 田所も笑った。「同じだ」


【小川 通算成績:記録更新中】


【リキ 通算成績:記録更新中】


大会は続いていた。

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