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からくり空手  作者: 水前寺鯉太郎
第3部

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第66話:分析と旋律の激突

『からくり空手』

第66話:分析と旋律の激突


 「第二試合——佐野 対 木村! リングへ!!」

 アナウンスが響いた瞬間、秋吉会館のベンチが少しざわめいた。

 田所が腕を組んだ。「身内同士か」

 嵐は黙ってリングを見た。

 佐野が先にリングへ上がった。『ボルシチ・ギア』の関節部が、蛍光灯の下で鈍く光っている。タブレットを更衣室に置いてきた。データ分析なしで戦う——その意思表示だ。

 木村が後からリングへ上がった。『クロオビ・隼Mk-II』の腕部モーターが、高周波の音を立てている。不敵な笑みを浮かべながら、佐野を見下ろした。

 「佐野。俺と当たるとはついてるな」

 「……ついていない、と思っています」佐野は静かに言った。「木村さんのデータは、秋吉会館で最も蓄積されている相手です。しかし——」

 「しかし?」

 「データ通りに動くとは、限らない」

 木村の笑みが深くなった。「いいこと言うじゃないか」

 「始め!!」

 木村が動いた。

 詠春拳の「問路手もんろじゅ」の構えから、一瞬で懐へ潜り込む。連環拳の起点を作ろうとした——佐野はその踏み込みの外側へ、体を滑らせた。

 木村の拳が空を切った。

 「ヒット、佐野! 1点!」

 【佐野 01 - 00 木村】

 木村が眉を上げた。「……避けた。黐手チーサオで封じようとしたのに、触れさせなかった」

 「木村さんの黐手は、触れた瞬間に相手の動きを読む技術です」佐野が距離を保ちながら言った。「触れさせなければ、読まれない」

 「理屈の上ではそうだ」木村はステップを踏みながら言った。「しかし——理屈と体は別物だぞ、佐野」

 木村が速度を上げた。

 詠春拳の踏み込みは直線ではなく、わずかに弧を描く。佐野の「触れさせない」戦略に対して、木村は触れる前に制圧しようとしていた。

 連環拳が始まった。一秒間に三十発の連打が、佐野の周囲を包囲するように来た。

 佐野は後退した。しかし後退しながら、左腕で一発だけ受けた。

 その瞬間——佐野の右手が木村の左手首を掴んだ。

 「捕まえた」

 「なっ——」

 サンボの引き込み。掴んだ腕を支点に、木村の体勢が崩れた。佐野がそのまま足を絡めた。

 「ダウン、佐野! 3点!」

 【佐野 04 - 00 木村】

 木村がすぐに立ち上がった。

 「……一発だけわざと受けて、掴む機会を作った。——計算通りに動いたな」

 「はい。木村さんの連環拳は、左から始まる確率が78パーセントです。その一発目を囮に使いました」

 「78パーセントか」木村は首を鳴らした。「俺の癖を、データで持っているか」

 「秋吉会館で一番データがある相手です」

 木村は少し笑った。しかしその目が、変わった。

 「佐野。一つだけ聞く。お前はデータで俺に勝つつもりか」

 「……勝つつもりです」

 「なら——データの外から行くぞ」

 木村がアーマーの過負荷リミッターを、一段だけ解除した。

 モーターの音が変わった。高周波から——不規則な音へ。

 かつて進藤に使った「不協和音の連環拳」だ。

 佐野が即座に認識した。「第40話のパターン——しかし今回はリミッターの解除幅が違う。周波数の変化が、記録と一致しない」

 「そりゃそうだ」木村が踏み込んだ。「同じ不協和音でも、今日は違う曲を弾く」

 連打が来た。第40話の時より、不規則さの「種類」が違う。前回は周波数の変化だった。今回は——リズムの「抜け」だ。打つはずのタイミングに打たない。その「」が、佐野の予測を狂わせた。

 「クリーンヒット、木村! 2点!」

 【佐野 04 - 02 木村】

 「……間の取り方を変えた」佐野が距離を取った。「記録にないパターンです」

 「記録させないようにしてるからな」木村が不敵に笑った。「お前のデータは俺の過去だ。俺の今は、データにない」

 佐野は黙った。

 (データが通じない——ではなく、データが更新されていない。木村さんは常に進化している。記録は常に「過去」だ)

 木村の連打が続く。間の取り方が毎回違う。一定のパターンがない。佐野の計算が追いつかない。

 「クリーンヒット、木村! 2点!」

 「ヒット、木村! 1点!」

 【佐野 04 - 05 木村】

 逆転された。

 残り2分。

 【佐野 05 - 08 木村】

 3点差。佐野の顔から、計算の余裕が消え始めていた。

 「……どうした、佐野。顔色が変わったぞ」木村がステップを踏みながら言った。「データが通じないと分かったら——お前の空手はどうなる」

 佐野は答えなかった。

 (データがなければ、戦えないのか。俺の空手は——分析だけか)

 嵐が客席から見ていた。佐野の「迷い」が、マブイの揺れとして伝わってくる。

 三浦が隣で静かに言った。「……ここが、佐野くんの本当の試練ですね」

 木村が踏み込んだ。連打の間に——「間」を作った。

 佐野の予測が止まった。

 しかし佐野は、止まらなかった。

 データではなく——体が動いた。

 木村の連打の「間」に合わせて、佐野は前へ出た。木村の懐へ。データではなく、今この瞬間の感触だけで。

 木村の腕を掴んだ。

 投げた。

 「ダウン、佐野! 3点!」

 【佐野 08 - 08 木村】

 木村が立ち上がった。その顔に、初めて「本気」の色が乗った。

 「……データなしで動いたか」

 「……分析なしで動くのは、初めてでした」佐野の息が少し上がっている。「怖かったです」

 「怖かったのに、動けた」木村は静かに言った。「それが——お前の本当の空手の始まりだ」

 「分かりません。まだ」

 「分からなくていい」木村はリミッターを全解除した。モーターが悲鳴を上げる。「今から先は——お前の全部を見せてもらう」

 残り30秒。同点。

 木村の全力の連環拳が来た。不協和音、間の抜け、リズムの変化——全部同時に。

 佐野はデータを手放した。

 ただ、目の前の木村だけを見た。拳の軌道を、体で感じた。

 一発だけ、わざと受けた。

 その受けた衝撃を利用して、木村の腕を絡め取った。

 「ダウン、佐野! 3点!」

 タイムアップ。

【佐野 11 - 08 木村】


「勝者、佐野!!」

 木村がリングから降りてきた。

 嵐が「お疲れ様です」と声をかけた。

 木村は少し黙ってから言った。「……負けた。データじゃなくて、感触で投げられた」

 「悔しいですか」

 「悔しい」木村はきっぱり言った。「しかし——あいつが最後にデータを手放した瞬間、俺は嬉しかった」

 木村は客席の佐野を見た。佐野はまだリングの上で、自分の右手を見つめていた。データなしで動いた、その手を。

 「あいつはいい空手家になる」木村は静かに言った。「俺が育てた中で——一番、化けるかもしれない」

 【佐野 通算成績:9勝1敗】

 【木村 通算成績:記録更新——詳細は秘密】

 リングの上で、佐野はまだ右手を見ていた。

 データではなく、感触で勝った。その感触が、まだ右手の中に残っていた。

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