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からくり空手  作者: 水前寺鯉太郎
第3部

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第64話:東京大会、孤高の極真

『からくり空手』

第64話:東京大会、孤高の極真


 一週間後。東京・駒沢オリンピック公園体育館。

 中・関東地区の公式リーグ戦が開催された。今回は個人戦だ。チームではなく、一人一人が自分の名前で戦う。

 受付を済ませた嵐が会場を見渡すと、秋吉会館のメンバーが揃っていた。

 佐藤が会場の広さに目を輝かせている。佐野がタブレットで出場選手のデータを確認している。田所がアーマーの最終調整をしながら、周囲を無言で睨んでいる。木村が首の骨を鳴らしながら軽くステップを踏んでいる。

 「久しぶりだな、全員揃うのは」木村が嵐の肩を叩いた。「お前、黄色になったそうじゃないか。遅えよ」

 「木村さんは今何勝ですか」

 「……秘密だ」

 田所が鼻を鳴らした。「木村、お前の負け数も秘密か」

 「うるさい田所」

 佐野がタブレットから顔を上げた。

 「嵐さん。一人、データが取れない選手がいます」

 「データが取れない?」

 「名前は登録されている。マスタツ。所属は——極真空手・直系道場」佐野はタブレットを眉間に寄せて見た。「しかし試合映像が一切ない。ライセンスの記録も、最低限しか開示されていない。分かるのは——黒ライセンスだということだけです」

 「黒か」田所が腕を組んだ。「150勝以上ってことだな」

 「それ以上は分かりません」

 佐藤が首を伸ばして会場を見渡した。「どいつですか、そのマスタツって人」

 返答より先に、空気が変わった。

 会場の入口から、一人の男が歩いてきた。

 背は高くない。体格も、特別大きくはない。しかし——歩くたびに、周囲の選手たちが自然と道を開けた。意識してではない。無意識に、体が反応している。

 男のアーマーは極限まで削ぎ落とされていた。胸部と関節部にのみ、薄いプレートが貼られているだけだ。余計なものが何もない。まるで空手着そのものがアーマーになったような、研ぎ澄まされた姿だった。

 ライセンスカードが、胸元で揺れている。

 黒だ。しかしその黒が——他の黒ライセンス保持者と、質感が違った。

 「……あの人か」佐藤が低い声で言った。いつものような元気がない。

 マスタツが歩いてくる。嵐たちの前を通り過ぎる——その瞬間、嵐の右拳が疼いた。

 以前、オズワルドの前でそうなったように。第七番の前でそうなったように。

 しかし今回は違う質の疼きだった。恐怖ではない。

 (同じ、極真だ)

 嵐は思わず振り返った。

 マスタツも、ほんの一瞬だけ振り返った。

 目が合った。

 マスタツの目は、静かだった。感情がないのではない。感情が——澄んでいた。濁りのない、深い水のような目だ。

 一秒も経たずに、マスタツは前を向いて歩いていった。

 「……なんだ、今の」佐藤が呟いた。

 木村が珍しく真顔になっていた。「気配が、尋常じゃない。あの男——いくつだ」

 佐野がタブレットを叩いた。「プロフィールには年齢の記載がない。しかしアーマーの設計年度から推測すると——三十代前半、くらいでしょうか」

 「三十代で、あのオーラか」田所が低く言った。「後藤道場でも、ジャッジメント・イレブンでもない。極真の直系——どこで、何を積み上げてきた男だ」

 嵐はマスタツが会場の端へ向かっていくのを目で追った。

 男が壁際に立ち、目を閉じた。周囲の喧騒が、マスタツの半径一メートルだけ静かになっているように見えた。

 受付の掲示板に、トーナメント表が張り出された。

 佐野が真っ先に確認しに行き、戻ってきた。その顔が、いつもより少しだけ強張っていた。

 「嵐さん」

 「何だ」

 「一回戦の組み合わせです」佐野はタブレットを嵐に向けた。「——嵐さんの一回戦の相手は、マスタツです」

 道場が静まり返るような沈黙が、秋吉会館のメンバーの間に落ちた。

 田所が低く唸った。木村が口笛を一音だけ鳴らした。佐藤が「え」と声を上げたまま固まった。

 嵐はトーナメント表を見た。

 「安道 嵐(秋吉会館・黄) 対 マスタツ(極真直系・黒)」

 黄色対黒。90勝以上の差。ライセンスだけ見れば、話にならない差だ。

 しかし嵐は、さっきの目を思い出した。

 澄んだ、静かな目。

 (同じ、極真の使い手だ。どこで何を積み上げてきたのか——試合で分かる)

 「嵐さん」佐藤が心配そうに嵐の顔を見た。「大丈夫ですか」

 嵐は答えなかった。

 代わりに、帯を一度締め直した。

 試合開始まで、あと一時間。

 マスタツは会場の端で、目を閉じたまま動かなかった。周囲の選手たちが準備運動をし、声を上げ、アーマーの確認をしている中で、一人だけ別の時間の中にいるようだった。

 嵐はその姿を、遠くから見ていた。

 (あの静けさは——三浦先生に似ている)

 しかし三浦の静けさは「空」の静けさだった。マスタツの静けさは——もっと密度が高い。凝縮された何かが、あの静寂の中にある。

 木村が嵐の隣に来た。

 「嵐。一つだけ言う」

 「何ですか」

 「あいつは、俺たちの知っている極真とは違う」木村は静かに言った。「同じ流派でも——積み上げてきた場所が違う。気をつけろ」

 「分かってます」

 「分かってない」木村は珍しく真剣な目で言った。「俺が感じる気配は、後藤道場でも、ジャッジメント・イレブンでもない。——あいつは、純粋に強い」

 純粋に強い。

 その言葉が、嵐の胸の奥に落ちた。

 「第一試合、Aブロック——安道 嵐 対 マスタツ! リングへ!!」

 アナウンスが響いた。

 嵐は立ち上がった。

 会場の視線が、一斉に集まった。黄色いライセンスの新鋭と、正体不明の黒ライセンスの対決——それだけで、観客が息を呑んでいる。

 リングへ向かう嵐の後ろで、佐藤が小さく叫んだ。

 「嵐さん——負けんなよ!!」

 嵐は振り返らなかった。

 ただ、歩いた。

 マスタツがすでにリングの上に立っていた。目を開いていた。さっきと同じ、澄んだ静かな目で、嵐を見ていた。

 二人の極真使いが、リングの上で向き合った。

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