第55話:広島決戦、二つの星
『からくり空手』
第55話:広島決戦、二つの星
夜の広島支部に、嵐からの連絡が入った。
「吉岡一門、三中隊撃退。8勝になった」
佐藤が道場の真ん中で跳び上がった。「やったぁぁぁ! 嵐さん!!」
佐野はタブレットを見たまま静かに言った。「黄色まであと2勝か。——このペースなら、今月中に届く」
田所が腕を組んだ。「あの馬鹿、満身創痍で三百人倒したのか。帰ってきたら説教だ」
遠野が珍しく口元を緩めた。「……いや、褒めてやれ」
道場に暖かい空気が流れた。その空気を断ち切るように——扉が開いた。
使者は若い男だった。後藤道場の道着を纏い、無表情で封筒を差し出した。
「後藤道場・中国支部より、秋吉会館・広島支部への書状です」
三浦が封筒を受け取った。中を開き、静かに読んだ。それから佐藤と佐野を見た。
「……果たし状です」
内容は簡潔だった。
秋吉会館・広島支部の新人二名——佐藤、佐野——に正式な試合を申し込む。場所は広島県立総合体育館。三日後。セコンドは各一名まで。
差出人は「後藤道場・中国支部長 石田」。
「石田さんか」佐藤が唇を噛んだ。「先日の仕返しか」
「違う」佐野がタブレットに何かを打ち込みながら言った。「先日は非公式だった。今回は公式試合だ。勝敗がライセンスに刻まれる——つまり」
「俺たちを正式に潰しに来た」
田所が封筒を見た。「セコンド一名まで、か。誰がつく」
三浦が静かに立ち上がった。杖を突きながら、しかし眼光は鋭い。
「私が行きます」
三日後。広島県立総合体育館。
後藤道場・中国支部の五人が、リング脇に整列していた。全員が黒いライセンス——最低でも通算150勝以上の猛者たちだ。アーマーは統一された漆黒の日本拳法仕様。面と胴が、からくりによって強化されている。
石田が先頭に立っていた。先日と同じ冷静な目をしている。しかし今日は違う——公式試合の重さが、その立ち姿に乗っていた。
「……来たな、秋吉の新人」石田が言った。「今日は試合だ。礼儀は弁えている」
佐藤が前に出た。「おう。受けて立つぜ」
「セコンドは——三浦か」石田の目が三浦に向いた。一瞬だけ、その目が揺れた。「……あの三浦さんが、広島の新人についているとは」
「……久しぶりですね、石田くん」三浦が静かに言った。
石田の表情が、わずかに変わった。「……昔の話です。今日は敵同士だ」
佐野がその一瞬を見ていた。(三浦先生と石田さんは、知り合いか)
第一試合 佐藤(秋吉会館) 対 前田(後藤道場)
前田のライセンスは黒——通算160勝。日本拳法の縦拳を得意とする、重量級の使い手だ。
「始め!!」
前田が踏み込んだ。日拳特有の最短距離の縦拳が、佐藤の顔面へ向かう。
佐藤は——止まった。
桑原が教えてくれた「仕切り」だ。踏み込む前の一瞬の止まり。その止まりの中で、前田の重心を読んだ。
前田の縦拳が空を切った瞬間、佐藤のスラスターが点火した。ただし直線ではない——前の試合で身につけた不規則な軌道で、前田の懐へ滑り込む。
「ヒット、佐藤! 1点!」
【佐藤 01 - 00 前田】
前田の目が変わった。「……読んでいたのに、躱された」
「そりゃそうだろ」佐藤がニヤリと笑った。「俺、先週から全部変えたんだ」
試合は一進一退だった。
前田の縦拳は重く、佐藤のアーマーを確実に削っていく。クリーンヒットを奪われるたびに2点が刻まれ、佐藤のリードが縮まる。
【佐藤 05 - 06 前田】
逆転された。
客席で三浦が静かに見ていた。佐藤の戦い方を分析している——ではなく、ただ見ていた。
(佐藤くんの戦い方は、まだ「嵐の真似」だ。嵐が教えたことを、そのまま使っている。しかしそれは佐藤くんの空手ではない)
「佐藤くん」三浦がセコンドから声をかけた。静かに、しかし届く声で。
佐藤が一瞬だけ耳を傾けた。
「……嵐くんの動きを使うな。あなた自身の動きを使いなさい」
佐藤は一瞬、戸惑った。
自分自身の動き——それは何だ。
前田の次の縦拳が来た。佐藤はその瞬間、何も考えなかった。ただ体が動いた。スラスターを使わず、前田の縦拳の外側に体を預け、そのまま前田の腕を引っ張った。
レスリングでも柔術でもない。ただ「引っ張った」だけだ。
しかし前田の重心が崩れ、大きな体がよろめいた。その隙に、佐藤の右拳が胸板を叩いた。
「クリーンヒット、佐藤! 2点!」
【佐藤 07 - 06 前田】
「……なんだ、今の」前田が呟いた。「格闘技じゃない——ただの喧嘩の動きか」
「そう!」佐藤が答えた。「俺の空手は、まだ喧嘩っぽいんだよ!」
それからは佐藤のペースだった。型にはまらない、天性の勘による攻撃が、前田の「最適解」を次々と外していく。
残り1分30秒。
【佐藤 15 - 11 前田】
「勝者、佐藤!!」
第二試合 佐野(秋吉会館) 対 吉田(後藤道場)
吉田のライセンスは黒——通算175勝。後藤道場の日本拳法の中でも、特に「組み技」を得意とする技巧派だ。
「始め!!」
吉田は慎重だった。佐野の「サンボ流の投げ」を警戒している。距離を保ち、長い間合いから日拳の突きをじりじりと刻んでくる。
【佐野 02 - 04 吉田】
佐野は後退しながら、データを積み上げていた。吉田の突きの間隔。重心の移動。踏み込みの角度。
(吉田さんの日拳は、後藤道場の「規格」で最適化されている。つまり——パターンがある)
佐野はタイミングを計った。
吉田の縦拳が来た瞬間——佐野は前に出た。後退するのではなく、突きの軌道の内側へ踏み込む。吉田の拳が佐野の肩を掠めた。しかし佐野の体は止まらない。
「……っ」
吉田の懐に入り込んだ佐野が、『ボルシチ・ギア』の関節ロックを解除した。体を液体のように歪ませ、吉田の腕を捕らえた。
「クリーンヒット、佐野! 2点!」
【佐野 04 - 04 同点】
「……佐野の投げを警戒したら、突きの距離に入られた」吉田が舌打ちした。「逆をついてくるか」
「吉田さんの突きは0.15秒の溜めがあります」佐野が静かに言った。「後藤道場の規格化された動きの特徴です。——次からは、その溜みに合わせます」
吉田の顔色が変わった。
試合はそこから佐野の一方的なペースになった。
吉田が突きを放つ0.15秒の溜みに、佐野は体を合わせていく。突きが来るより前に動き始め、吉田の力を利用した投げへと繋げる。
一点、二点、三点。
残り2分。
【佐野 13 - 07 吉田】
吉田が突進してきた。規格の枠を外した、力任せの突撃だ。
佐野は躱さなかった。
吉田の勢いをそのまま受け取り、体の向きだけを変えた。吉田の巨体が、自分の勢いで宙を舞った。
「ダウン、佐野! 3点!」
【佐野 16 - 07 吉田】
「勝者、佐野!!」
道場に静寂が落ちた。
秋吉会館、二連勝。
石田が前に出た。「……見事だった、二人とも」石田の声に、先日のような「整理」の空気はなかった。「後藤道場・中国支部として、今日の敗北は認める」
佐藤が汗を拭いながら言った。「石田さん。三浦先生と知り合いなんですか」
石田は少し黙った。「……昔、三浦さんの道場に通っていた時期があった。後藤道場に移る前の話だ」
三浦が静かに言った。「……石田くん。今でも、あの頃の突きは残っていますか」
石田は答えなかった。
しかし道場を出る際、一度だけ振り返った。その目には——先日の「整理」とは違う何かがあった。
佐藤と佐野が並んで自分のカードを確認した。
【佐藤:通算7勝2敗】【佐野:通算8勝1敗】
「佐野、あと2勝で黄色だ」
「あなたはあと3勝」
「くそ、抜かされる」
「抜かされたくなければ、稽古しろ」
三浦が二人の横に立った。杖を突きながら、しかし満足そうな顔をしていた。
「……二人とも、今日は自分の空手で戦えた」
佐藤が三浦を見た。「三浦先生。石田さんのこと、もっと聞かせてもらえますか」
三浦は少しの間、黙っていた。
「……いつか、機会があれば」
広島の夜が、静かに更けていった。




