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からくり空手  作者: 水前寺鯉太郎
第3部

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第53話:吉岡百人組手

『からくり空手』

第53話:吉岡百人組手


 果たし状は、朝の稽古が終わった頃に届いた。

 封筒は和紙でできていた。墨で書かれた宛名には「安道 嵐 殿」とある。差出人は「吉岡一門・総師範 吉岡清十郎」。

 佐野が封筒を手に取り、眉をひそめた。「吉岡一門……京都の道場だ。創立百五十年以上、日本最古のからくり空手道場の一つ。門弟数は三千人を超える」

 「果たし状か」田所が腕を組んだ。「古風なことをするな」

 嵐は中身を読んだ。短い文章だった。

 安道 嵐殿。貴殿の噂、京の地にも届いております。つきましては、吉岡一門の試練を受けていただきたく。場所は京都・吉岡道場。日時は三日後。——なお、これは貴殿一人への招待です。

 「一人、か」嵐は封筒を閉じた。

 「待て」田所が前に出た。「一人で行くつもりか。何が待ってるか分からないぞ」

 「果たし状だ。受けるのが筋だ」

 嵐は道着の帯を締め直した。「三日後、京都へ行く」

 三日後。京都・吉岡道場。

 築百年を超える木造の道場は、現代のからくり空手施設とは一線を画していた。床板は黒く磨き上げられ、柱には歴代師範の額が並んでいる。その奥に、白髪の老人が座っていた。

 吉岡清十郎。七十を超えているとは思えない、鋭い眼光を持つ男だ。胸元のライセンスは——金星。通算千勝以上。プラチナ審査を経験した者の証だ。

 「……よく来た、安道 嵐」

 「吉岡総師範。果たし状の意図を聞かせてください」

 「意図は簡単だ」吉岡は静かに言った。「アンディの甥が、どれほどの器か——確かめたい。我が吉岡一門の百人組手、三中隊分。受けてもらう」

 嵐は道場の奥を見た。扉の向こうから、気配がする。百人分の、殺気に近いマブイだ。

 「ルールを確認させてください」

 「シンプルだ。相手を一人ずつ倒す。ダウンを一回取れば次へ進む。時間制限はない。三中隊三百人を撃退した時点で、終わりだ」

 「ライセンスへの加算は」

 「各中隊を撃退するたびに一勝。合計三勝が君のカードに刻まれる」

 嵐は白いカードを見た。現在五勝。三勝加算されれば八勝——黄色まであと二勝だ。

 「……受けます」

 第一試合 吉岡一門・第一中隊(日本拳法)百名

 道場の正面扉が開いた。

 黒いアーマーを纏った百人が、整然と並んでいる。全員が日本拳法の「面」と「胴」を装着した、重厚な構えだ。ライセンスの色は様々——黄から茶まで。平均すれば、黒手前の猛者たちだ。

 「始め」

 吉岡の一言で、最初の一人が前に出た。

 日拳の縦拳が、最短距離で嵐の顔面を狙う。嵐は半歩右へ流れ、相手の拳が空を切った刹那——右拳を鳩尾へ叩き込んだ。

 ダウン。一人目。

 次が来た。また次が来た。

 嵐は余計な動きをしない。相手が踏み込んでくる力を利用し、最小限の一撃でダウンを奪う。田所との稽古で磨いた日拳への対処が、ここで生きていた。

 十人、二十人、三十人。

 四十人目あたりから、相手の質が上がった。黒いライセンスの使い手が来始める。一撃では倒れない。二撃、三撃が必要になる場面も出てくる。

 嵐のマブイが、じわじわと削られていく。

 六十人目。嵐の右拳に、疲労の熱が蓄積し始めた。

 (……まだ四十人いる)

 嵐は息を整えた。焦らない。一人ずつ。ただ、目の前の一人だけを見る。

 八十人目。嵐の足元が、わずかによろめいた。

 しかし止まらなかった。

 九十九人目が倒れ、百人目が前に出た。第一中隊の大将格——茶色のライセンスを持つ大柄な男だ。

 「……よく持った、安道」男が低く言った。「だが、俺は倒れない」

 「……試してみてください」

 嵐は、三浦から学んだ浸透の技術を右拳に込めた。表面を打つのではなく、装甲の内側へ波を送り込む。

 男の「面」が、内側から弾けた。

 百人目、ダウン。

 「第一中隊、全員撃退。安道 嵐、一勝」

 吉岡の声が道場に響いた。

 嵐には十分間の休憩が与えられた。

 水を一口飲み、右拳を確認する。装甲に傷はない。しかしマブイの残量は、三分の二ほどに減っていた。

 (あと二百人か)

 嵐は目を閉じた。叔父アンディが、ライセンスで銀星まで上がった道のりを想像する。千勝。この百人組手を何度クリアすればいい。

 ——その答えを考えるのをやめた。今は目の前だけだ。

 第二試合 吉岡一門・第二中隊(沖縄空手)百名

 第二中隊は静かだった。

 沖縄空手の使い手たち。重心が低く、無駄のない動きをする。三浦の空手と同じ源流を持つ技術が、百人分、嵐の前に並んでいる。

 「始め」

 最初の一人が、サンチンの構えで近づいてきた。

 嵐は、その動きを知っていた。三浦の背中を見てきた。しかし知っていることと、対処できることは別だ。沖縄空手の「受け」は、嵐の打撃をことごとく逸らし、反撃に変換しようとする。

 一人目に、四撃かかった。

 二人目に、三撃。三人目に、五撃。

 日拳の中隊より、一人あたりの消耗が大きい。

 二十人目で、嵐のマブイが半分を切った。

 (……このペースでは持たない)

 嵐は戦い方を変えた。

 浸透を使うのをやめた。代わりに——桑原が教えてくれた「仕切り」を使う。踏み込む前に、一瞬だけ止まる。その止まりの中で、相手の重心を読む。重心が乗った瞬間に動く。

 沖縄空手の「受け」は、相手が「打ってくる力」を利用する。しかし嵐が「止まった」瞬間、受けの起点が消える。

 三十人目から、一撃でダウンを奪えるようになった。

 五十人、七十人、九十人。

 最後の一人——第二中隊の大将は、嵐と同じ年頃の女性だった。緑のライセンスを持っている。しかしその構えは、ライセンスの色より遥かに深い「空」を体現していた。

 「……あなたが、三浦先生の弟子の弟子ですか」女性が静かに言った。

 「……そうです」

 「三浦先生の空手を、受け継いでいますか」

 嵐は少しの間、考えた。「……まだ途中です」

 女性は頷き、構えを取った。「なら、私が試しましょう。三浦先生の空手が、あなたの中にあるかどうか」

 試合は長かった。五分以上、二人は動き続けた。女性の空は深く、嵐の打撃をことごとく飲み込もうとする。

 しかし嵐は第39話でvan様と戦った時の感覚を思い出した。暗の空は、透明なものを飲み込めない。

 嵐はマブイの色を消した。力を消した。ただ、真っ直ぐに右拳を伸ばした。

 女性の「受け」が、一瞬だけ空を掴んだ。

 その一瞬に、嵐の拳が届いた。

 「……合格です」女性は倒れながら、小さく笑った。

 「第二中隊、全員撃退。安道 嵐、二勝」

 第二の休憩は五分しかなかった。

 嵐のマブイは、残り四分の一ほどだ。右拳の熱が、アーマーの外側まで滲み出ている。

 吉岡が近づいてきた。「……止めるか」

 「止めません」

 「第三中隊はエスクリマだ。棒と刃を使う。これまでとは種類が違う」

 「分かっています」嵐は立ち上がった。「受けます」

 第三試合 吉岡一門・第三中隊エスクリマ百名

 第三中隊が入ってきた瞬間、空気が変わった。

 全員がからくり強化された二本の棒——「カリ・スティック」を持っている。フィリピン発祥の武術・エスクリマをからくり空手に融合させた戦闘スタイルだ。打撃と武器が組み合わさり、間合いが読みにくい。

 嵐は、これまで対処したことのない種類の敵だった。

 一人目が踏み込んできた。二本の棒が、複雑な軌道を描く。嵐は一本目を躱したが、二本目が右肩を叩いた。

 「ヒット。しかしダウンではない——続行」

 嵐は構えを低くした。棒の間合いの外に出るのではなく、逆に内側へ潜り込む。懐に入れば、長い棒は使いにくい。

 一人目をダウンさせた。

 しかし次の一人が来た瞬間、隣からも棒が飛んできた。二人同時ではない——しかし連続して来る。消耗した体に、棒の衝撃が重なっていく。

 十人目で、嵐の膝が一度だけ落ちた。

 ダウンではない。しかし、限界が近い。

 (……マブイが、ほぼない)

 嵐は『昇龍』のシステムを見た。出力残量——八パーセント。

 ここから九十人。

 嵐は目を閉じた。一秒だけ。

 叔父アンディの声が、聞こえた気がした。

 『マブイを空にするんだ。機械になるな、人間になれ』

 (……そうか。からくりを頼るのをやめればいい)

 嵐は『昇龍』の全システムをスタンバイモードに落とした。出力ゼロ。ただの重い鉄の服になった。

 しかし身体は軽くなった。

 機械の補助がなくなった分、自分の筋肉だけで動く。疲れてはいる。しかし、これはかつて水汲み修行でやっていたことだ。電源を切った『クロオビ』を纏って山を下りた、あの頃と同じだ。

 二十人、三十人。

 嵐の拳は、からくりの火花を散らさない。ただの人間の拳が、一人ずつを確実に倒していく。

 五十人目を超えたあたりで、第三中隊の空気が変わった。相手が慎重になり始めた。「なぜこの男はまだ動けるのか」という疑問が、マブイの乱れとして伝わってくる。

 八十人、九十人。

 九十九人目が倒れた。

 第三中隊の大将が前に出た。金色のライセンス——通算七百勝以上。嵐の師・秋吉館長と同格の猛者だ。

 「……百人組手をここまで来た人間を、私は久しぶりに見た」大将が言った。「安道 嵐。最後だ。全力で来い」

 嵐は答えなかった。

 ただ、構えを取った。からくりなし。マブイなし。ただの人間の体と、三十七話分の空手だけで。

 大将の棒が唸りを上げた。嵐は潜り込んだ。棒が肩を掠めた。しかし止まらなかった。

 懐に入り込み、右拳を胸板に押し当てた。

 力はない。速さもない。しかし——重かった。

 三百人分の戦いの重さが、その一拳に乗っていた。

 大将がマットに膝をついた。

 「……ダウン」

 大将自身が、静かに言った。

 「第三中隊、全員撃退。安道 嵐、三勝」

 吉岡清十郎の声が、静まり返った道場に響いた。

 嵐はその場に座り込んだ。立っていられなかった。右拳の熱が、肩まで上がっている。全身が鉛のように重い。

 吉岡が近づいてきた。そして、嵐の前に膝をついた。

 老いた金星保持者が、白いライセンスの若者の前に、静かに頭を下げた。

 「……見事だった、安道 嵐」

 嵐はその言葉を、座り込んだまま聞いた。

 端末が鳴った。ライセンスカードに通知が来ている。

 【安道 嵐 通算成績:8勝0敗】

 黄色まで、あと二勝。

 嵐は白いカードを見た。まだ白い。しかしそのカードが、今日だけで少し——重くなった気がした。

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