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からくり空手  作者: 水前寺鯉太郎
第3部

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第53話:白を塗り替えろ

『からくり空手』

第53話:白を塗り替えろ


 稽古を作り直す——嵐のその言葉は、本気だった。

 翌日から、広島支部の朝稽古は一変した。これまでの「型を磨く」稽古から、「型を壊す」稽古へ。同じ技を同じ順番で繰り返すことを禁じた。右で打ったら次は左。立ち技の後は寝技。蹴りの後に投げ。嵐が「次は何か」を言わない。体が「考えながら動く」状態を作る。

 「……これ、キツいな」

 佐藤が三本目の組手を終えて膝をついた。息が上がっている。「いつもと違う動きをしようとすると、頭が追いつかない」

 「それでいい」嵐が静かに言った。「第七番は俺たちの『パターン』を読んだ。パターンがなければ、読まれない」

 「でも、パターンがないってことは——自分でも何をするか分からないってことじゃないですか」

 嵐は少し考えてから答えた。「……叔父さんが言っていた。マブイを空にしろ、と。空っぽだから、何にでもなれる。佐藤、お前が次に何をするか、お前自身が知らない——それが本当の『空手』だ」

 佐藤はしばらく考えた。「……難しいな」

 「難しい。だから稽古する」

 一週間が経った。

 佐藤と佐野の公式戦は着実に積み上がっていた。

 【佐藤:通算6勝2敗】【佐野:通算7勝1敗】

 黄色ライセンスまで、佐藤はあと4勝、佐野はあと3勝だ。

 しかし二人の顔色は、勝利数の割に晴れない。

 「……勝ってはいるが」佐野がタブレットを見ながら言った。「第七番が来てから、対戦相手の質が変わった気がする」

 「変わった?」

 「後藤道場の地方支部から、より上位のライセンス保持者が送り込まれてくるようになった。黒が増え、茶も出てきた。——意図的だ」

 嵐がその言葉を聞いていた。第七番が「観察」の結果を報告した。IKKCのマスターたちが、広島支部の動向を注視し始めた——その影響が、こういう形で出てきている。

 その日の午後、道場に見慣れない人物が訪ねてきた。

 大柄な男だった。道着ではなく、部屋着のような格好で、腹をさすりながら入ってきた。首から下げているライセンスカードが、鈍い金色に光っている。

 金——通算700勝以上。

 佐藤が息を呑んだ。「……あの人、金ですよ。金ライセンスだ」

 男は道場を見回し、嵐を見つけて、顔をほころばせた。

 「やあ、アンディの甥っ子。大きくなったなあ」

 嵐の目が、わずかに見開いた。「……桑原さん」

 桑原洋己。元関脇タツタヤマ。第8話で嵐が初めてダウンを奪った相手——そして四天王の一人、プラチナ保持者だ。

 「なんで広島に」

 「引退して、部屋の経営ばっかりじゃ体がなまる」桑原は豪快に笑いながら板間に腰を下ろした。「第七番が来たって聞いてな。ちょっと気になって、様子を見に来た」

 田所が腕を組んだ。「桑原さん、第七番を知ってるんですか」

 「知ってるも何も」桑原の表情が少しだけ変わった。「ジャッジメント・イレブンを作ったのは、IKKCのマスターたちだ。そのマスターの中に、俺の知っている顔がいくつかある。——あまり、良くない顔がな」

 道場が静まり返った。

 桑原はゆっくりと立ち上がり、板間の中央に立った。

 「嵐。一つ聞かせてくれ。第七番が来た時、お前はどう感じた」

 嵐は少し考えてから答えた。「……小さく見えた」

 「小さく?」

 「アーマーは銀色で、マブイも読めなくて、理屈の上では恐ろしい相手のはずだ。でも——何か、欠けてる感じがした。空っぽ、じゃなくて、最初から何かが入ってない感じ」

 桑原は嵐の顔を見た。それから、深く頷いた。

 「……そうだ。それが、お前が感じた『欠け』の正体だ」桑原は言った。「あいつらは、マブイを削ぎ落として作られた。だが、マブイを削ぎ落とすということは——負けた時の『悔しさ』も、勝った時の『喜び』も、全部ない。お前が感じた欠けは、そこだ」

 「欠けが、弱点になるか」嵐が問いかけた。

 「なるかもしれない。ならないかもしれない」桑原は正直に言った。「ただ一つ言えることがある。お前のその白いカード——」

 桑原が嵐の胸元を指差した。

 「あいつらの銀より、まだ軽い。だが、軽いものは——伸びる」

 桑原が帰り際、佐藤が声をかけた。

 「桑原さん! 俺、桑原さんと嵐さんの試合、動画で見ました。あの鯖折り、すごかったです」

 桑原が振り返り、佐藤を見た。それからニヤリと笑った。

 「お前、面白い目をしてるな。名前は」

 「佐藤です!」

 「佐藤。お前のスラスターの使い方、荒っぽいが——方向性は悪くない。一つだけ教えてやろうか」

 佐藤の目が輝いた。「本当ですか!」

 桑原は板間に戻り、佐藤の前に立った。「突進する前に、一瞬だけ『止まれ』。その止まりの中に、次の動きの全部を入れるんだ。相撲で言う『仕切り』だ。お前の空手に、それがない」

 佐藤は黙って聞いていた。

 「やってみろ」

 佐藤が構えた。スラスターを起動し——一瞬だけ、止まった。その止まりの中で、次の軌道を決めた。踏み込んだ。

 板間が、低く鳴った。

 桑原が眉を上げた。「……飲み込みが早いな」

 桑原が帰った後、道場に静かな時間が流れた。

 嵐は一人、サンドバッグの前に立っていた。

 白いカード。5勝。四天王の空席。第七番の銀。桑原の言葉——軽いものは、伸びる。

 嵐は正拳を突いた。

 音はなかった。ただ、サンドバッグが——大きく、揺れた。

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