第51話:銀の使者
『からくり空手』
第51話:銀の使者
翌朝。広島支部の道場に、一人の人間が立っていた。
朝の稽古が始まる前の、まだ誰もいないはずの時間だった。
佐藤が最初に気づいた。道場の板間の中央に、銀色のアーマーを纏った人物が、ただ立っている。動いていない。呼吸しているのかも分からない。
「……な、なんだあいつ」
佐藤の声に、佐野が振り返った。タブレットを構え、データを読み取ろうとした——しかし画面に数字が出ない。
「……マブイの波形が、検出できない」
「どういうことだ?」
「存在しているのに、センサーが反応しない。まるで——」
「まるで、何もいないみたいだろう」
銀色の人物が口を開いた。声は男とも女とも判別がつかない、均質な質感だった。「それが私たちの設計だ。マブイを『持たない』ことで、あらゆる読みを無効化する」
騒ぎを聞きつけた嵐が道場へ入った。田所と遠野も続く。
銀色の人物は動じない。胸元の「銀」のライセンスが、朝の光を鈍く照り返している。
「ジャッジメント・イレブン——か」
嵐が静かに言った。
「正確には、第七番」銀色の人物が答えた。「名前はない。番号だけだ。それが我々の規格だ」
「番号だけ、か」田所が忌々しそうに吐き捨てた。「後藤のシステムより、さらに人間を捨てやがった」
「捨てたのではない」第七番が言った。「削ぎ落とした。名前、経歴、感情——それらはすべて『ノイズ』だ。からくり空手の純粋な物理量だけを残した結果が、私たちだ」
「何しに来た」嵐が問いかけた。
「宣戦布告ではない」第七番はゆっくりと嵐に向き直った。「観察だ。IKKCのマスターたちが、今シーズン最も注目している選手——安道 嵐。白いライセンスを持ちながら、ワールドカップ決勝まで勝ち上がった異常値。その実物を確認しに来た」
「……見て、どうだった」
第七番は少しの間、黙っていた。
「想定より、小さい」
佐藤が「なんだとっ」と前に出ようとした。遠野の腕が、それを静かに止めた。
「しかし」第七番が続けた。「マブイの残滓が、道場の隅々に染みついている。稽古の質は本物だ。——これは報告に値する」
第七番が踵を返した。
出口へ向かいながら、一度だけ振り返った。
「安道 嵐。一つだけ聞いていいか」
「何だ」
「君は、プラチナを目指しているか」
道場が静まり返った。
嵐は答えなかった。すぐには。
しかし第七番が扉に手をかけた瞬間——
「……ああ」
嵐の声は静かだった。「叔父さんが空けた席に、俺が座る。それだけだ」
第七番は扉を開けた。広島の朝の光が、銀色のアーマーを白く染めた。
「……では、トーナメントで会おう。私たちの『銀』が、君の『白』をどう判断するか——マスターたちも見ている」
扉が閉まった。
しばらく誰も動かなかった。
最初に口を開いたのは佐藤だった。「……名前もないのかよ。第七番って」
「名前を削ぎ落とした、と言っていた」佐野がタブレットを閉じながら答えた。「マブイの波形も検出できなかった。——これはやっかいだ」
「やっかいどころじゃないぜ」田所が腕を組んだ。「あいつ、俺たちの道場の空気を全部読んで帰った。稽古の癖、マブイの質、誰がどこに立つか——全部だ」
嵐は扉が閉まった方向をしばらく見ていた。
それから、道着の帯を締め直した。
「……稽古を始めるぞ」
「え、今すぐですか」佐藤が声を上げた。
「読まれたなら、変えればいい」嵐は板間の中央に立った。「昨日までの稽古を、今日から全部作り直す。——来い、佐藤」
佐藤は一瞬だけ固まり、それから白いライセンスをポケットに押し込んで、構えを取った。
広島の朝稽古が、新しい形で始まった。




