それいけ、かじゅブー
「性の転換は神への冒涜だ」と訴えるバチカンと「人は自分の性別を自由に選択する権利がある」と主張する人権団体とのあいだで、四半世紀にもおよぶ議論がなされたすえ、全宇宙評議会の最高法廷はついに性転換を合法とみなす判決を下した。ただし特別に規定された場合を除いては保険制度の適用外とされ、手術をおこなうには莫大な費用がかかる。それでも女性として生まれ変わることを夢見る男たちはせっせと金を貯め、手術を受けるために専門のクリニックの門をたたいた。
蛇つかい座のアルファ星にほど近いここ惑星シーメールの医療クリニック、ドクター・キリシマの秘密の部屋にも、毎日多くの若者が男という性を捨てにやってくる。なかには思いとどまったほうが良いのではとついアドバイスしたくなるような容姿のままならない者もいるが、ここではサービスの一環として整形手術も手がけているので、美しい男子はより美しく、そうでない者も……それなりに女性へと生まれ変わることができた。さらにこの手のクリニックとしては珍しく料金も割安だということで、評判は上々のようである。
キヨスクでこの星の地図を買おうか迷ったが、買わなくて正解だった。列車から降りた乗客はみな、まるで昆虫の死骸をはこぶ蟻の列のようにぞろぞろと同じ方向へ歩いてゆく。彼らの……いや彼女たちの向かう先が、そのまま俺の目ざす場所でもあった。
ドクター・キリシマの秘密の部屋。
その建物はクリニックと呼ぶにはあまりにもお洒落で、どちらかといえば近代ミュージアムのような外観をしていた。開け放たれた門扉をくぐると、目の前に睡蓮を浮かべた大きな池が広がっている。両側から噴水がしぶきを散らすその中央を、石畳の小路がまっすぐ建物までつづいていた。
ウッホーッ!
池に飛び込んで行水しようとするマリモちゃんを必死におさえ、俺はクリニックの自動ドアを通り抜けた。入ってすぐのところにある待合いロビーは、古代ローマ建築のパンテオンを思わせる半ドーム状の吹き抜けになっていて、その天井部分にはルネッサンス絵画などでよく見かける、ぷにぷにとはちきれそうな肉感の天使たちがびっしり描かれていた。その奥に、受付のカウンターが見える。俺はジャケットの胸ポケットからダンヒル製のカードケースを抜き取ると、名刺の一枚を指にはさんでつかつかと歩み寄った。そしてカウンターに肘を付き、とっておきのニヒルな笑みとともに受付の可愛い子ちゃんへひょい、とさし出した。
「俺の名はカズヤ・ブルーノ、見ての通りのしがない探偵稼業さ」
コンマ一秒の素早いウィンクをおみまいする。だが予想に反して彼女は名刺を受け取ろうとはぜず、きょとんとした顔で俺を見返してくる。しまった、挨拶がストレートにすぎたか。まずは警戒心を解くために軽いジョークでも飛ばしておくべきだったかもしれない。俺は内心の動揺をごまかすため、指をパチンと鳴らしてみせた。
「オーケーオーケー、どうやら今日の俺はすごくツイてるみたいだ。どうしてかって? だって君のような……」
そこまで言いかけたとき、思いきり後ろから突き飛ばされた。俺は指のあいだに名刺をはさんだまま、大理石の床をごろんと一回転した。目の奥でチカチカと星が瞬いている。首を左右に振りながらゆっくり身を起こすと、プロレスラーのように体格の良いオカマが、アイラインのきつい目で俺のことを睨んでいた。
「ちょっとあんた、横入りのクセしてなにぐだぐだ受付と喋ってんのさ。おかげでこっちは後がずーっとつかえてるじゃないのよ」
見ると、プロレスラーオカマの後ろにも受付を待つたくさんのオカマたちが列をなしていた。いっせいに敵意のこもった視線を浴びせてくる。ふっ、まさかレディファーストを主張するつもりではあるまいな。だったらまずその股のあいだにぶら下がっているものを切り落とすべきだ。しかたなく俺は、オカマたちが全員受付を済ませるまで待つことにした。
円形の待合いロビーからは、施術室へとつづく渡り廊下が何本も放射状に伸びている。それぞれの入り口にはナンバーが振ってあり、オカマたちは自分の手もとにある番号札と照らし合わせながら、次々とその廊下の向こうへ消えていった。しばらくして、最後に受付を終えたらしいオカマが、フレアスカートのすそをひらめかせながら俺の目の前をスキップしてゆくのが見えた。吸いさしのジタンを携帯灰皿へねじり込む。ふたたびカウンターへ近づいていった俺は、警戒の色を浮かべる受付嬢に向かい、待っているあいだに思いついた飛っきりのアメリカンジョークを口にした。
「あるとき友人のジミーが、アカプルコの港にある安酒場で現地の可愛い子ちゃんから声をかけられたんだってさ。てっきりナンパされたと勘違いしたそいつは、自分の股間を指さして、じゃあ今夜俺のマグナムを試してみるかい? っておどけてみせたんだ。そしたら彼女、ため息をつきながらなんて返したと思う?」
じわじわと笑いが込み上げてくる。しかし自分でジョークのオチに吹いてしまっては身も蓋もない。俺はわざと一呼吸おいて、受付嬢のキュートな顔を見つめた。つぶらな瞳が、ゆらゆらと揺れ動いている。よし今だ。タイミングを計って口を開こうとしたら、一瞬早く彼女が言った。
「ご予約はされてますか?」
そのあまりにも事務的な口調に、思わずジョークのオチを飲み込んでしまった。もう取り出せない。このタイミングで言っても可笑しくもなんともない。まあいいさ、このジョークは帰ってからミドリさんにあらためて聞いてもらうことにしよう。もっとも、それまで覚えていればの話だが……。
「予約はしていないよ。だって、べつに手術を受けに来たわけじゃないからね」
俺は肩をすくめて、ふっと鼻で息をついた。
「だいいち性転換なんてしてしまったら」
右手をピストルのかたちにして、受付嬢へ向ける。
「……君を口説けなくなるじゃないか」
ばっきゅーん。
笑うかわりに彼女はもの凄い形相で睨んできた。
「じゃあ、どのようなご用件ですか?」
どうやらかなりウブな性格のようだ。おれはフザけるのをやめにして、カウンターに寄りかかっていた上体を起こした。
「じつはですね、このクリニックで起きたある事件の捜査を……」
ウホッ?
とつぜん俺の横からマリモちゃんが顔をのぞかせた。それを見た受付嬢が、たちまち狼狽して声を引きつらせた。
「こっ、困ります、うちは人間が専門のクリニックですから、類人猿のかたは動物専門の病院を探してください」
「あらあら、なにを騒いでいるのかしら?」
背後から、カツカツとヒールの音が近づいてくる。受付嬢があわてて立ち上がり頭を下げた。振り向くと、ファッションモデルのような長身に白衣をまとった美しい女性が立っていた。反射的に彼女の股間へ視線を走らせる。どうやらそこが膨らんでいる様子はないことを確認して、俺は軽く会釈をした。バーゲンセール品の売れ残りを見るような目つきで俺をじろじろ眺め回していたその女性は、やがてゆっくりと口を開いた。
「私はこのクリニックの院長をしている、キリシマ・サエコです。どうやら性転換手術を希望する患者さんではなさそうだけど、いったいここへなんのご用かしら?」
「あなたがドクター・キリシマ……。申し遅れました、自分はこういうものです」
さっき受付嬢に渡しそこねた名刺を、そっとさし出す。ドクター・キリシマは、ピンセットがないのでしかたなく自分の指を使いました、とでも言いたげな手つきで俺の名刺をつまみ上げた。
「ふうん、私立探偵ねえ……しかも、わざわざ地球からやって来るなんて」
「じつは以前このクリニックで手術を受けたゴンザレス・マツオカさんの依頼でまいりました。ここで紛失したペニ……こほん、体の一部をなんとか見つけ出し、できればそのまま地球へ持ち帰って欲しいというのが彼女の願いです。どうでしょう、お時間は取らせません、ちょっとだけお話を聞かせてはもらえないでしょうか?」
ドクター・キリシマは、銀縁メガネの奥にある切れ長の瞳をすっと細め、眉間にしわを作った。
「べつに警察の捜査じゃないんだから、あなたに協力しなければならない理由はないわね。でもまあ、他所でうちの悪い噂でも広められちゃかなわないから、特別に話をしてあげるわ」
そう言って形の良いあごをしゃくってみせた。自分について来い、という意味らしい。最悪、寝静まるのを待ってこっそり院内に忍び込もうと考えていた俺は、心のなかで「ラッキー」と叫んだ。そして受付けの可愛い子ちゃんに、ぐいっと親指を立ててみせた。
「サンキュー、今日の俺は本当にツイているみたいだ。みんな君のおかげさ」
べーっと、思いきり舌を出された。