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まけるな、かじゅブー

 ワームホールの長いトンネルを抜けると雪国だった……。

 いや、雪ではない。

 その正体は、幾世代にも渡って不法投棄された放射性廃棄物の残骸だ。それらが磁気嵐によって輝いて見えているのである。宇宙空間に散りばめられたその淡い光の渦のなかを、いま超光速列車が矢のごとく通過していた。

 タタン、タタン、タタン――

 オールト雲をたなびかせ、俺とマリモちゃんを乗せた星間横断列車は今、とある辺境の星へと近づいていた。

 惑星シーメール。

 もとは、オスカンダルとメスカンダルという二重惑星だったが、メスカンダルが浮気して獅子座流星群と駆け落ちしたために重力崩壊をおこし、現在では中性子星へと変貌してしまっている。それを見たモロッコの天文学者ジョルジュ・ピュルーマン博士が、面白がってそう命名したのだ。惑星シーメール……。 

 雪ふらば 犬よろこびて 穴をほる

 これは惑星シーメールに隠遁する、ある有名な俳諧師がうたったものだ。二年前に全銀河共通の大学センター試験でも設問として取り上げられた有名な句である。

 男の子 サオをとったら 男の娘

 これは今、俺が即興で作ったものだ。我ながら、あまり上手ではない……。

 とにかく車窓の向こうは見渡す限りの雪景色であり、俺はその不思議な眺めに奇妙なセンチメンタリズムをおぼえ、込み上げてくる感情に戸惑っていた。どこか懐かしいような、それでいて新鮮な驚きにみちているような……。

 ズボンのファスナーを開け、ごそごそと股間を探る。駅の税関を通り抜けるときにパンツのなかへ隠しておいたウィスキーのポケット瓶をゆっくり取り出す。一瞬、つんとスルメのような臭いがした。そういえばここ二、三日ばかり下着を替えていない。おかげでツマミなしに酒を飲むことができそうだ。キャップをあけ、ひとくちだけ喉の奥へ流し込む。アルコールが胃をちりちりと焼き、さっき食べたクソ不味い駅弁を十二指腸のほうへ、ぐいっと押しやった。同時に体内が、かあっと熱を帯び、頭がぼんやりしてきた。俺はもう一度、窓の外を降りしきる荘厳な雪景色を見やった。思えば遠くへ来たもんだ。というか、こんな辺鄙なところまで性転換手術を受けにやってくる、オカマたちの気が知れない。

「ぐがっ」

 頭上で、火星ブタが発情期にやるという求愛の雄叫びにも似たもの凄い音がする。さっきから意識的に聞えないふりをしているのだが、音は徐々に大きさを増していた。仕方なしに恐る恐る視線を上げてみる。

 マリモちゃんが寝ていた。

 俺の頭上、ほぼ真上あたりにマリモちゃんがいる。荷物を乗せるための網棚をハンモックがわりにして大いびきをかいているのだ。

「ぐがっ、がっ、がっ、ごわわわわーっ」

 どうやら彼女たちの種族というのは、外敵から身を守るために高い場所で眠るという習性があるらしい。そういえば事務所で昼寝をするときにも、わざわざ押し入れの点検口を開き天井裏へもぐり込んでいた覚えがある。過去にそれで、二度ほど天井ボードが抜け落ちて大惨事となっているのだ。

「ぐわわわーっ、ごわわわーっ」

 推定体重はマウンテンゴリラとほぼ同じ、二百キロ。それが俺の頭のすぐ上に横たわっているのだ。冷や汗が、つうっとこめかみを伝う。網棚は彼女の体重を支えきれず、すでにフレームの一部がひん曲がっている。崩壊して怒濤のごとく落下してくるのは、もはや時間の問題かもしれない。俺はぎゅっと目をつぶり、もう一度ウィスキーをあおった。

 死ぬほど席を移動したかったが、しかし狭い車内はすでに満席だった。

 俺の正面に腰掛ける、フリル付きのミニスカートをはいた乗客がこれ見よがしに足を組み替える。陶磁のように白くすべすべした太ももが持ち上げられた瞬間、ちらりと若草がのぞいた。どうやら下着を身に着けていないようだ。俺は唖然となり、そっと相手の表情を盗み見た。向こうも明らかに俺を意識しているようで、潤んだ瞳がねっとりと絡みついてくる。目を逸らし、ごくりと生唾を飲み込んだ……。

 白い肌に、紅いルージュが鮮烈に映えていた。

 小さな耳に揺れる真珠のピアス。

 髪の毛の色は、鮮やかなシャンパンゴールドだった。

 そして、青々とした髭の剃りあと。

 オカマだった。

 その隣に座る和服姿をした乗客もオカマである。そのまた隣に座る水色のチャイナドレスを着た乗客もオカマである。そのまた隣に座る……、つまりこの客車内における指定席のすべては、どの席も、どの席もオカマの姿で埋め尽くされていたのだ。ああ、早く駅に着かねえかなあ……。

 ぎしっ。

 頭上で、また金属のきしむ音がした。どうやらマリモちゃんが寝返りをうったらしい。すでに網棚は大量の魚を捕らえた漁網のように深く沈み込んで、俺の頭上すれすれのところまで迫ってきている。恐ろしいことだ。俺はウィスキーをぐいっとラッパ飲みすると、ふたたび現実から逃避するべく窓の外を流れる風景へと視線を戻した。

 ワームホールの長いトンネルを抜けると、そこは雪国だった……。その奇妙な景色にセンチメンタリズムをおぼえた俺は、込み上げてくる懐かしさと新鮮な驚きを……隣に座るプロレスラーのようにごつい体をしたオカマが、心持ち体をすり寄せてきた。きれいに剃りあげたスキンヘッドに、きらきらとラメが散りばめられている。なまめかしい秋波を感じる。荒い鼻息が聞えてくる。つんとアポクリン腺分泌液の酸っぱい臭いが鼻をつく。ああ、早く駅に着かねえかなあ……。

 ぶおっほーっ

 突然、鋭く汽笛が鳴った。客車内のスピーカーから、間延びした車掌のアナウンスが聞えてくる。

「ええ、長らくのご乗車ぁ、ありがとうございましたぁ。次は終点、惑星シーメール、惑星シーメール……」

 ブレーキのきしむ音がして、列車が急速にスピードを落としはじめる。けっこう乱暴な運転だ。慣性の法則にしたがって俺の体はぐんっと反り返りシートの背もたれへ押しつけられる。どういうわけか、隣のプロレスラーオカマが俺にしなだれ掛かってくる。思わず払い除けようとしたが、けっこう体重があるらしくビクともしなかった。

 と、そのとき――。

 ぴきっ、きん、きん、と金属の引きちぎられる音がして、どざざっ、ずずんっ! ついに網棚が崩壊し、大量の荷物とともにマリモちゃんが頭上から降ってきた。圧倒的な質量が、容赦なく俺の体を押しつぶす。

「むぎゅっ」

 一瞬目の前が真っ暗になり、俺は首や手足を不自然な方向にねじ曲げたままの哀れな姿勢で床にへばりついた。その脇を、オカマたちは自分の荷物を手に、なにごとも無かったかのようにすり抜けてゆく。けっこうクールな連中だ。パンティストッキングからスネ毛のはみ出たごつい足が、何本も、何本も俺の鼻先を悠然とかすめていった。

「終点、惑星シーメール、惑星シーメール、どなたさまもお忘れ物のございませんよう……」

 やっと目覚めたらしいマリモちゃんが、もぞもぞと体を起こしはじめる。尻の下でぺしゃんこになっている俺を見ても悪びれる様子すらない。もともと、そんな繊細な神経など持ち合わせていないのだ。うーんと両手を大きく広げ伸びをした後、ピクニックでようやく山頂までたどり着いたときのような晴れやかな表情で言った。ウッホーッ。やっと着いたのねー、良かった良かった、という意味らしい。

 それは、こっちのセリフだ。


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