がんばれ、かじゅブー
心を込めて、この小説をかじゅぶさんに贈ります……ぷぷっ
その女は無言で俺のオフィスの前にたたずむと、怪訝そうな顔で頭上を見上げ、足下を確認し、また上を見上げて、そしてドア越しに俺の顔をきっと睨みつけた。キャッツアイをはめ込んだような黒目がちの瞳は、あきらかに非難の色をあらわにしている。俺は慌てて入口へ駆け寄ると、両足をふんばってその動かない自動ドアを強引にこじ開けた。
ぐぎぎぎ……。
「や、やあ、すみません、じつは昨日からエネルギーの供給を止められ……いえ、ドアが故障しているものでして。ご不便をおかけします」
大汗をかいて愛想笑いを浮かべる俺に軽く会釈をして、女はオフィスの中へと足を踏み入れた。ヒールの高い靴がリノリウムの床をカツカツと鳴らす。タバコ臭い室内に、ふわっとシャネルのエゴイストが香った。
粗末な応接セットのソファーに腰掛けると、女はタイトスカートのすそから覗く太ももを持ち上げて脚を組んだ。黒い網タイツが、脚のラインの美しさをいっそう際立たせている。その脚線美をうっとりと視界の端でとらえながら、俺はそっと名刺を差し出した。
私立探偵 カズヤ・ブルーノ
「ようこそ、我が探偵事務所へ――」
女は名刺には目もくれず、俺の顔をじっと見つめた。透き通るような白い肌に、エンジェルピンクの口紅が鮮烈に映えている。しかし憂いを帯びたようなその瞳には、あきらかに苦悩の色がにじんでいた……。
俺のオフィスを訪ねてくる客は、往々にして他人に言えないような悩みを抱えていることが多い。精一杯優しい笑顔をつくり、俺は穏やかに切り出した。
「今日は、どのようなご相談でしょうか?」
女は、一瞬ためらうように目を伏せたが、しかし思い詰めたような表情で俺を見上げると、小鳥のさえずるような可愛らしい声で……いや、浪花節をうなる講釈師のようなもの凄い声で言った。
「あて、どないしても兄ちゃんに探し出して欲しいものがおまんのや……」
俺はずっこけそうになる上半身を、かろうじてイスの背もたれに預けた。美しい顔に似合わずもの凄い悪声である。いわゆるだみ声というやつだ。大きく息を継いで気合いを入れなおすと、再び営業スマイルに戻って言った。
「探し出して欲しいもの、ですか?」
女が無言でうなずく。
探偵稼業をやっていると、探し物の依頼を受けることがけっこう多い。ラブホテルの化粧室に置き忘れてきた指輪、うっかり電車の網棚へ放置したアタッシュケース、迷子になったまま戻らないペット、なかには我が家に先祖代々伝わる家系図を探しだしてほしい、なんて依頼もある。俺は黒革の手帳を開きメモをとる準備をすると、彼女に言った。
「では、その探しものとやらを教えて下さい」
女は表情も変えず、こともなげに言ってのけた。
「――あての、ポコ◯ンや」
今度こそ本当にイスの上でずっこけた。今、彼女はたしかにポコ◯ンと言ったような気がするが、俺の聞き違いだろうか……。
「……い、今なんとおっしゃいました?」
「盗まれた、あてのポコ◯ン見つけだして欲しいっちゅうとんねん。まさか兄ちゃんが、ポコ◯ン知らんわけないやろ。うひひっ、ほれ、あんさんのお股にもぶーらぶーらぶら下がってまんがな」
まさか、俺をからかっているわけでもあるまい。なんだか急に関わりたくない気がしてきたが、仕方なしに訊いてみる。
「い、一応、詳しいお話を伺いましょうか。――あ、その前にお名前と……あと、そうですね、念のため性別もお願いします」
女は、白いブラウスの上からでも形の良いと分かるバストを突き出して、自慢げに鼻をうごめかせた。
「店では一応、ウェンディで通っとりま。しやけど本名はゴンザレス・マツオカいいまんねん。性別は、そやなあ……半月ほど前まではポコ◯ン付いとったさかいに、取りあえず男っちゅうことにしときまひょか、わはは――」
体中からへなへなと力が抜けてゆくのを感じた。最近うちの事務所にくる依頼ときたら、こんなろくでもない仕事ばかりなのだ。
ガタゴトン、ガタゴトン、ガタゴトン、ガタゴトン――
エネルギーの通わなくなった照明器具をぎしぎし揺らして、ビルの屋上すれすれのところを星間横断列車が走り抜けていった。
女の話はこうだ。
ニューハーフの店につとめながらお金をためて、ようやく念願の性転換手術を受けたはいいが、完全な女性になったとたん、さっぱりお客から指名がかからなくなった。あえてニューハーフの店に来るような客というのは、彼女たちの中性的な魅力に惹かれているのであって、完全な女性に変身してしまってはもはや興味が湧かなくなるものらしい。このままでは店をクビになる。そう思った彼女は、慌てて手術をしたクリニックへ駆け込んだ。五年前に施行された改正医療法により、医療機関は施術によって切り取ったペ◯スを一定期間冷凍保存することが義務づけられていた。
ところが、いざ再び男に戻ろうという段になって、保管されているはずの彼女のペ◯スがなくなっていることが判明した。どうやら何者かの手によって盗み出されたらしい。すぐに星間警察へ被害届を出したのだが、モノがモノだけに本気になって捜査をしてくれる様子もなく、クリニックのほうでもすっかり諦めムードになっているというのだ。
「切り取ったポコ◯ンは、三年たったら医療廃棄物として焼却処分されてまうらしいねん。あのクソ医者、あてにその処分されるポコ◯ンの中から好きなの選ばしたるさかい勘弁せえぬかしよった。ほんま冗談やないで。なあ兄ちゃん、あんたやったらどないだ? 他人の股間にぶら下がっとったもんをやな、自分のお股にくっ付けられまっか?」
そう言って女は黒いタイトスカートをまくり上げ、自分の股間を指さした。派手なデザインの透け透けショーツが俺の目を釘づけにする。再び男に戻るなんて……、ちょっと勿体ない気もするのだが。
とりあえずこの仕事を引き受けることにした俺は、彼女から必要経費として七十万クレジットを受け取った。思いっきり気が進まないが、金のためにはやるしかない。今月に入ってから公共料金の支払いにさえ困っているのだ。
「ほたら兄ちゃん、あんじょう頼んまっせー」
そう言い残して、女はそそくさと帰っていった。
俺はさっそく出張の準備に取りかかった。なにはともあれ、まずはその彼女のペ◯スを紛失したという美容整形クリニックを調べてみる必要がある。あたふたと携帯用の武器や替えの下着をボストンバッグへ詰め込んでいると、エネルギーの供給がストップされて動かなくなった自動ドアが、再び音を立てて開きはじめた。
ぐぎぎぎ……。
今年の春に雇い入れた助手兼ボディガードのマリモちゃんが、買い物から戻ってきたのだ。最近もっともお気に入りだという可愛らしいメイド服を着ている。
――女性、十八才。
履歴書に記載された性別と年齢だけを見て、俺は即座に彼女を採用した……。
「マリモちゃん、出張でちょっと遠くまで行くことになったから、すぐに支度をしてくれないか」
買い物かごから取り出したカップラーメンを棚の上に並べていたマリモちゃんは、俺のほうをふり向くと嬉しそうに瞳を輝かせ、そして胸を叩いてみせた。ウッホ、ウッホ――。
学名:ピテカントロッコ=ラフマニノフ。ペキンドラ星系の森林自治区に多く生息する、知的類人猿の亜種だ。
ふわふわパニエの付いたスカートからのぞく脚や、フリルで飾られたワンピースから突き出た腕には、のきなみ毛足五センチ以上の剛毛がびっしりと生え揃っている。顔は……ゴリラと、オランウータンと、テナガザルを足して三で割ったような感じだ。その彼女が、表情を輝かせて言った。ウッホッホーッ。
やだあ、なんか久しぶりの仕事ってかんじー、あたしちょー張り切っちゃうから。という意味らしい。
俺は、闇で作らせた二人分の偽造パスポートをレザーコートの内ポケットに突っ込むと、心配顔のミドリさんにウィンクしてみせた。ついでに投げキッスを送る。
「悪いけどしばらく留守にするぜ、ベイビー。ちゅっ」
シャコバサボテンのミドリさんは、なにも答えずただ窓辺の日だまりにたたずんで、薄桃色の花を咲かせているだけだった……。
つづく……かも
かじゅぶさん、ハッピーバースデー!