3-6、行方不明②
〇×
練習室に集った人数は、八人也。
本来集まるべきは、十人。
うち一人は、白石伶。フィールドワークにて課外活動のために欠席。
うち一人は、新入生の小井戸 美帆。未だ連絡がないものの、この数週間で知った彼女の物静かな性格を思うと、恐らく前の講義が長引いているのであろう。一昨日から私用で休んでいる事を鑑みると、もしかしたら今日も同様か。
――練習まで、あと十五分。
練習室の端の方では、尚也を除いた二年生が顔を突き合わせ、新しく配られた台本を読み進めている。
その傍では、嶋山凌雅ともう一人の新入生――伊東 明奈が、緊張した面持ちで会話を交わしていた。練習室に入るなり台本を渡されたと思えば、「来月、デビュー公演やるからな」、と告げられたのだ。突然のとこに固くなるのも頷ける。
そして舞台の上では、未だ台本へ蛍光ペンを走らせる陽光と、その様子を落ち着いた呼吸で見守る赤塚兼吾が、淡々とした会話を繰り広げていた。
一方で尚也は、陽光と兼吾の傍に腰をかけたまま宙を眺めていた。新たな台本には一通り目を通したし、 二年生の演目に関しても、殆ど完璧と称して差し支えないほどには自主練習を重ねていた。
――……あと、十分。
練習室の扉の上についたデジタル時計をちらりと見やれば、時刻は十七時ちょうど。
いつの間にか賑やかな声に包まれたこの場は、どうにも時の流れが早くなっているようだった。
外で降り続ける雨の音も、そんな雨空の下を文句のらひとつやふたつ言い合いながら歩く学生達の声も、何も聞こえない。聞き馴染んだ声ばかりが広がる練習室では、今日もまた。
――気持ちの悪い一日が始まる。
尚也が皆の顔をこっそりと見回した、その瞬間だった。
「陽! 兼吾! 全然ダメだ、手がかりのひとつ、すら、……」
重たい扉が勢いよく開かれ、一人の青年の声が響き渡った。練習室は一瞬の後に静まり返り、扉を開け放したまま「しまった」という顔で立ち尽くす青年へ、十六の瞳が突き刺さる。
傘もささず走ってきたのか、荒い息を吐き出す青年は全身が酷く濡れていた。相当焦っていたのだろう。演劇サークルのメンバーが揃っていることも確認せずに扉を開けてしまったようだ。
――確か、……アキサカ先輩、だったか。
尚也は青年の姿をじっくりと見ると、記憶の片隅を探る。身長は陽光や兼吾と同じくらいの高身長。大学生らしく赤茶色に染めたマッシュヘアに、眉目秀麗な顔立ち。
――……間違うはずがないな。
この青年の名は、“アキサカ”だ。
三年生の三人と仲が良く、大学構内の喫煙所で話す姿をよく見かける。何かの講義で知り合い、今では四人で定例会という名の飲み会を開く仲なのだとか。彼らはそんな関係性であるから、【暁】とも関わりが深い人物だった。……陽光に釘を刺された夕暮れの公園でも、“アキサカ”は兼吾と行動を共にしていたのをよく覚えている。
「よ、秋坂。……その様子だと全滅か」
長い長い静寂の後、一番に口を開いたのは陽光だった。いつもと変わらない柔らかい声で、青年――秋坂の名を呼びながらゆっくりと彼に近付き、どこから取り出したのか一枚のタオルを手渡した。
――……全滅?
尚也は僅かに眉を動かすと、囁き声で繰り広げられる陽光と秋坂の会話に耳を澄ます。
「悪い。陽と兼吾に教えて貰ったツテは全部当たってみたんだが、誰も行方を知らないようだった。……伶とは連絡取れたか」
――誰も、行方を知らない。
「そっか。……うん、伶とは随分前に連絡が取れたよ。アイツも色々聞いてみてくれたらしいけど……」
「その様子じゃ、ダメだったか」
「ああ。今日……、いや。昨日、一昨日、……三日前から必修の授業すら欠席しているらしい」
――……それは、つまり?
深刻な表情で妙な内容を話す陽光と秋坂は、その会話をこの場にいる全員に聞かれていることを忘れている様子だった。慌てているような、それでいて何処か落ち着いているような、開放的で不思議な密会は続く。
「陽、秋、少し声が大きい。……もう、こそこそ探り回るのはやめた方がいい。逆に俺たちが怪しく見える」
舞台の上に台本を置いたまま合流した兼吾は、のんびりとした話し方は崩さずに、鋭い声色を発した。それに対して、陽光が目を細める。
「……でも、大事にはしたくない」
「大事にはしたくない? もう、彼女が姿を消してから三日だぞ。……この数ヶ月、伶の様子が変なことだって、結局曖昧なままなんだ。そろそろ然るべき機関に通報した方が良いと、俺は思う。いつまでも探偵ごっこなどしている場合では無い」
――……姿を消して、三日?
未だ静まり返った練習室には、兼吾の強い言葉だけが反響した。
最早、何かしらの事件が起きていることを隠す気はないらしい。尚也は輪になって話す陽光、兼吾、赤坂の三人を一瞥すると、下唇を噛んだ。
要約してみれば、存外単純な内容だろう。
彼ら三人、ないしは陽光・兼吾に共通する知り合いの一人が行方を晦まして、早三日。その間は大学の講義にも出ておらず、共通の友人や知り合いに当たってみるものの、その人物の姿を見たものは居ないという。
――この三日、会っていない……、否、会えていない人物が確かに居る。
――新入生の小井戸 美帆。
仮入部期間から一度も欠席することなくサークルの練習へ参加しているほど、演劇に対して意欲的な新入生だった。
それがこの三日、練習には顔を出していない。
――それに、そういえば。昨日。
『美帆ちゃん、今日もお休みかなあ。二限の語学にも居なかったの。グループワークだったのに……、元気だと良いんだけど』
と、もう一人の新入生――伊東 明奈が、凌雅に対してそんなことを零していた。かくいう凌雅もまた、『そういや俺も、小井戸から返信来ないんだよな』と、返していた。
――……まさか。
思い返せば、小井戸美帆は昨今流行りのSNSを毎日更新するようなマメな子でもあった。それがこの三日、確かに更新されていない。それどころか、オンラインになった気配も無かった。
尚也は急激に回り始めた思考に、思わず練習室の端へ視線を向ける。すると青ざめた顔の伊東明奈が視界に入った。その隣では、凌雅が硬い面持ちで警戒態勢を取っている。
近くの二年生もまた、何となく状況を飲み込んだ様子だった。俊介が「お前、何か知ってるか?」と目で訴えてくる。
――俺だって、知らねぇよ。
静かに首を振って否定し、再び陽光達へと顔を向ければ。
「分かった、分かったよ。でも、まだ三日だ。急用や旅行の可能性も否定出来ないだろう。小井戸、あ、……小井戸の家に押しかけた訳でもない。まずは今日、出来ることをやってから考えよう」
陽光が、そう続けた。
どうにも、普段は冷静な彼らしくない動揺を見せている。
「本当にそう思うのか?」
それに対し、更に語気を強めた兼吾が続けた。こちらも、普段は寡黙で温厚な彼らしくない仕草である。
最早、何かしらの演劇の練習をしている、と言ってくれた方がまだマシだった。
「三日だぞ。三日、誰とも連絡を取っていない。それに、この数週間とはいえ、小井戸と共に過ごしていれば、三日間も誰の視界にも入らないこと自体が有り得ない。陽ならもう分かっているだろう」
兼吾が勢いのままに陽光の胸ぐらを掴みかかろうとした所で、じっと固まっていた秋坂が割って入った。
「兼吾、待て、待てって。事情を説明していない後輩たちの前だ、もう少し落ち着けよ。……陽も、落ち着け」
伏せられていた名前が表立って発せられてしまった以上、もう誰も、迂闊に口を開くことは出来なかった。重苦しい空気だけが、練習室を支配していく。
すると、陽光がゆっくりと動き出した。
そして舞台上に戻ると、乾いた手拍子をひとつ、ふたつ、みっつ。自身の顔の前で大きく鳴らすと、いつもの柔らかい表情など一切なくした顔で続けた。
「今日の練習は取り止めにしよう。……各自、配布した台本を覚えてくること。次回の練習については目処が立ち次第連絡を送るので、見逃さないように」
唐突な練習中止宣言に身じろげば、陽光の真っ黒い双眸と視線が交差した。
――今、何か……。
「あと、小井戸と連絡を取れた際には即刻教えてくれ。以上」
――お前は、何を見た?
短く簡潔に。話を切り上げた陽光は、これ以上口を開く気はないようだ。舞台の上に座り込むと、取り出した携帯を熱心に操作している。
――黒澤陽光が、絡んでいるのか。
――はたまた、白石伶か。
――……そもそも、小井戸の失踪はどこから入手した?
尚也は、すぐ側にある陽光の背中を横目で見やった。
この一連の事件に黒澤陽光が絡んでいるとしたら、何故この男は今更焦った様子を見せる。それでいて、何故この男は動かない。ただ、ほんの一瞬。全てを見透かしたように此方を見た、その視線に何の意味がある。
黒澤陽光にとって、白石伶が異物なのか。
それとも別の重大な異物が混じり込んでいるのか。
――……この事件の連続は、偶然か、必然か。
情報が羅列されただけの今、それを整理した先に見える未来は、何だ。
少しずつ戻ってきた音のうるささに耳を塞ぎたくなりながら、尚也は陽光の背中から視線を外す。それから、大きく息を吸い込んで、その勢いのまま舞台上に寝転がった。
独特な木材の匂いが鼻いっぱいに広がって、誰かが歩くたびに軋む音や感覚が全身に伝わってくる。半袖から覗いた腕に伝わる舞台の温度は、酷く冷たかった。
次回更新▷▶▷2/19 19:00 『EP.3-7、白昼堂々①』
(EP.3-7も毎日更新の予定です)




