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箱庭物語  作者: 彩都 らく
第三章、レイ
34/37

3-6、行方不明①




 皐月の鍋パーティーから、約一ヶ月が経った。

 

 世間は春の過ごしやすい空気から、湿り気の高い梅雨の時期へと移り変っている。晴れている日の方が少ない昨今、毎日続く雨模様に皆の気分は下降気味であった。

 

 そんな今日日の演劇サークル【暁】では、平穏な日常が繰り広げられている、と言っても過言ではないだろう。

 

 あの日、壁上にて。氷沼俊介(こおりぬましゅんすけ)と交わした会話の後。俊介は、それまでの腑抜け具合が嘘のように、元の朗らかな彼に戻った。演劇の練習でミスをすることは殆ど無くなり、むしろ、より一層演技に深みが出たようにも思うほどである。

 

 俊介の成長は皆に良い影響を与え、「推理コメディ」の演目は大成功を収めた。さらには、公演期間が急遽延長となる盛況ぶりであったのだ。

 

 ――……まあ、正直。双子の方が心配だけど。

 

 尚也は練習室の舞台上に寝転がると、目を閉じた。

 

 この一ヶ月、ずっと平和だった訳ではない。確かに演劇の練習や本番公演に追われていた。たった七人しかいないサークルに、入りたての新入生がわずか三人の、十人で運営を回しているのだから、忙しいのはもちろんの事なのだが。

 

 白石伶の謎は、深まるばかりであった。

 

 痺れを切らした小松みどりが口を開こうとすれば、黒澤陽光(くろさわようこう)の鋭い視線で制止される。ならばと、小松あおいが赤塚兼吾(あかつかけんご)にそれとなく伺ってみれば、柔らかい声色で拒絶される。挙句には、命知らずの氷沼俊介が白石伶に真っ向勝負を仕掛けようとする始末だった。 

 もちろん、流石の尚也もその俊介の無謀さには苦言を呈したものの。

 

 ――……もう、時間の問題だろう。

 

 演劇サークル【暁】の平穏は、見せかけのものだった。

 

 皆、何事もないように日常を過ごしている。練習室の扉を開いた瞬間から、演劇サークルの一員としてなんて事ない時間を過ごしている。

 

 しかし、皆、形容することの出来ない気持ち悪い雰囲気を肌に感じながら毎日を過ごしていた。

 

 

「尚。尚〜。おい、尚也、……寝てんの?」

 

 舞台を構成する木材が発する独特な匂いに浸っていれば、尚也以外誰も居なかった練習室の扉が開かれた。遠慮もなしに入ってきた人物は控えめな足音を鳴らし近付いてくると、近くに座り込む。そして、尚也の名前を幾分か呼んだ後に、不思議そうな声をあげた。

 

 ――黒澤陽光だ。

 

 ふわりと甘い香りが漂い始めたことを考えると、陽光はおそらく喫煙所帰りなのだろう。

 

 目を閉じたまま固まること、しばらく。静かな練習室には、自身の不規則な呼吸が響く。それに重なるよう、陽光が控えめな声量で唄う鼻歌がひとかけら。結果、その妙な空間に耐えられなくなった尚也が先に根を上げた。

 

「……すみません、起きてます」

 

 目を開き、のんびりと上体を起こせば、存外近くに座っていた陽光と視線が交差する。さすれば陽光は、黒い双眸に光を宿らせて大きく笑った。

 

「わはは、だろうねぇ。寝ているにしては呼吸が浅い。しかもかなり不規則だった。それに瞼が何度か動いていたからね。すぐに狸寝入りだと分かったよ」

「……さいですか」

 

 ――この男は、本当に。

 

 人間をよく見ている。観察した上で、こちらの全てを見透かしているような瞳を向けてくる。

 

 如何なる時でも優しく甘い声色で話す陽光は、どんな人間でも魅了する力があると、尚也は思う。今こうしている間にも、余計な事を話してしまいそうな気分になる。

 

 ――あなたは、怪異ですか?

 

 少しでも気を抜けば、そんな事を口走ってしまいそうな気分にさせられるのだ。

 

「ところでだよ、尚也くん」

「なんですか」

 

 意識を遠くに飛ばしていれば、陽光が突然と口を開いた。そして、トートバックから紙の束を取り出して尚也に手渡す。

 

「なんと、新しい台本が出来ました。兼吾先生の新作だよ。新入生のデビュー公演にもぴったりな脚本だからね、……そうだな、七月の定期公演で披露したいと思っている」

「え、七月って……」

「そう、君たち二年生だけの演目があるねぇ」

 

 ――また無茶な。

 

 前回の公演が終わり、新入生と基礎的な練習を重ねていた昨今。二年生の四人には、陽光から課題を課されていた。

 

 二年生だけで脚本を作り、二年生だけで演出を捻り、二年生だけで演じろ、と。

 あと数ヶ月もすれば三年生は引退するのだから、お前たちだけでやってみろ、と。

 

 簡単だろう? と、拒否する事も叶わないまま与えられたこの課題は、実に難色を示していた。何より今までの脚本は全て兼吾が作成し、演出もまた三年生に頼っていたのだ。突然放り出された二年生に出来ることは少なかった。

 

 そんな二年生だけの演目が、ひとつ。 

 今ですら許容量を超えているというのに、そこへ新たな演目が、ひとつ。

 

「台本、読んでも良いですか」

「もちろん」

 

 尚也は陽光が頷くのを見届けると、手元の分厚い台本に目を通した。

 

 内容は、異世界ファンタジーを舞台とした恋愛もの。愉快な仲間たちに囲まれた可愛らしい一人の精霊が、偶然森に迷い込んでしまった一人の青年に恋をする物語。大きな事件こそ殆どないものの、真っ直ぐな純愛を描いたストーリーは、一度流し読んだだけでもその美しさが手に取るように分かる。それに。

 

「この精霊の仲間たち役ってのは、新入生が演じるんです?」

 

 演目の最初に登場する精霊の仲間A、B、C。各台詞こそ短いものの、頭から終わりまで登場する大事なキャラクターだ。さらには、演じやすくするためか、新入生の性格に寄せられているような気すらする。

 

「御名答。新入生のデビュー作だからな。まずは、とにかく楽しんでもらいたいんだとさ」

 

 尚也の疑問にさらりと答えた陽光は、舞台の上に台本を広げると、手にした蛍光ペンで文字をなぞっていく。尚也もまた、台本をしっかりと読み込んでいく。

 

「……今回の演目は、どうにも静かなお話ですね」

「うん、そうなんだよ。前回はとにかく賑やかで動きのある……、動きしかなかった演目だっただろう? 前回で掴んだ観客に、今度は静かな演目をやってみせると、彼らは何と思うだろうか」

 

 ――……そこまで、考えてるのか。

 

 思ったことを声に出せば、陽光は静かに答えた。言葉の節々に心底楽しんでいるようか色がのる。

 

「俺だったら、素直にすげぇな、って思うかもしれません」

「だろ? まあもちろん、前回の賑やかさを期待している観客もいるだろう。そこは、君たち二年生の手腕の見せ所だよね」

「……はーい」

 

 再び台本に目を落とした尚也は、小さく息を吐き出した。

 陽光の視線は、いつだって未来を見ているようだった。過去は基本的に振り返らない。それどころか、未来に背中を向ける行為自体を嫌うような人間である。

 

 ――意識をもっていかれてはいけない。

 ――意思をもっていかれてはいけない。

 

 最悪なのは、この現状そのものが全て陽光が考えた舞台の上であることだった。何事もなければそれで良い、などと甘ったれた考えはもう捨てなければならない段階である。

 

 ――現に、白石伶の件は何ひとつ解決していない。

 

 偶然か、必然か。それすらも分からない今、サークルに現を抜かしている暇などない。

 尚也は咥内を強く噛むと、鼻腔へ広がる鉄のにおいに顔を顰めた。

 

「ああ、そうだ。尚、今回も照明台本の作成をお願いしても良いかい?」

 

 広げた台本に文字を書き連ねていた陽光は、突然と顔を上げるとそう言った。それに対してすぐさま頷けば、彼は満足そうに口角をあげる。目を細め、いっとう柔らかい笑顔をこちらに向ける。

 

「ありがと……、おや?」

 

 御礼の言葉が落ちきる前に、練習室の扉が勢いよく開く音が響き渡った。同時に、一段と楽しそうな表情を見せた陽光は、そのまま立ち上がると扉の方へと歩いていってしまう。

 

 尚也は舞台に腰をおろしたまま。ただ、視線だけで見やれば、そこには講義終わりであろう皆の姿があった。先ほどで紙の捲る音しかなかった練習室は、各々がそれぞれ言の葉を交わしているせいか、どうにも賑やかな音で溢れかえる。

 

 ――……眩しい。

 

 こちらを認識するなり駆け寄ってきた後輩を片手であしらいながら、大きく吸い込んだ息をひとつ吐き出した。

 

 

 

次回更新▷▶▷2/17 19:00 『EP.3-6、行方不明②』

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