表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
箱庭物語  作者: 彩都 らく
第三章、レイ
33/37

3-5、壁上の約束②

 ○×


 そんな時間がしばらく続いた後、尚也と俊介は深夜の街を歩いていた。閑静な住宅街には、二人分の足音が大きく響く。五月の生ぬるい風が二人の頬を撫でては、情のひとつも抱かせず通り抜けていく。

 

 三百五十ミリリットルを、一本分。

 互いの言の葉だけをつまみに、一滴残らず飲み干した時。「夜風にあたろう」と、静かな提案をしたのは俊介だった。

 

 尚也は、こちらを覗く双眸が僅かに揺れていたのを見逃さなかった。彼のその揺らぎは現状への不安か、ただ気の所為か、はたまた。

 

 外は暖かいからと上着のひとつも羽織らず、のらり、くらりと歩き続けて十数分経った今。二人は口を開くことはせず、ただひたすらに歩き続けていた。

 目的も行き先もなく、街灯の光に導かれるように進んでいた。

 

 ――そろそろ、帰ろうか。

 

 そう、切り出そうと息を大きく吸い込んだ瞬間だった。

 

「ねぇ、尚也」

 

 少し震えた俊介の声が、幽暗に小さく響いた。

 今すぐに消えてしまいそうな声色に思わず隣を見やれば、そこに俊介は居なかった。二・三歩後ろの方で立ち尽くし、彼は静かに尚也を見据えて離さない。

 

「……どうした、俊」


「来年には、……お前も、凌雅くんも、暁には居ないんだろう」

 

 口を真一文字に結んだ俊介は、喉の奥から絞り出すような声で、ひとつ。ずっと、いつだって、どんな時も。優しく朗らかな口調を崩さなかった彼の語気は、酷く鋭く強いものだった。

 

 ――それは……。

 

 おそらく、否、彼はずっと気が付いていたのだろう。気が付いていて、知らぬふりをしていてくれたのだろう。核心に迫ろうとする今も、正しく言葉にはせず遠回りをしようとしているところを見ると、未だ彼は揺らいでいるのか。

 

「……俊、俺は、」

 

 ――来年まで暁に居ることを許されていない。

 

 尚也の言葉は、その最後まで口に出すことを許されなかった。

 

「違うんだ。僕は、お前の正体が知りたい訳じゃない。……ただ、僕は、……ごめんよ」

 

 被せるように否定した俊介は、大袈裟に手を振ると地面にしゃがみ込んだ。彼の姿は、ただ淡い光に小さく照らされている。

 

 別段、尚也とて、誰かを苦しませるためにこの任務を遂行している訳ではない。別段、こうして目の前で今にも崩れてしまいそうな友人の手を振り払うことなどしない。

 

 ――……俺は。

 

 いつか、誰かに自分の正体がバレてしまうことなど、想定内のはずだった。

 

 それでも、黒澤陽光(くろさわようこう)を追いかけると決意したのは、自分だ。最初から無関係の人間を巻き込む選択をしたのは、自分だ。こんなにもあたたかい皆の日常を壊そうとしているのは、自分だ。

 

 ――でも、『怪異』に壊されるくらいなら。

 ――……誰かが、事件に巻き込まれるくらいなら。誰かが殺されるくらいなら。

 ――この手で、全てを解決する。

 

 自分が、すべての罪を被る覚悟のひとつやふたつ、出来ていた。

 

「なあ、俊」

 

 尚也は一歩踏み出すと、名を呼んでも顔すらあげない俊介に呼びかけた。しばらくして、「……なぁに」とくぐもった返事が返ってくる。

 

「行ってみるか、壁の上」

 

 ○×


「これって職権濫用じゃない……? 僕、捕まったりしない……?」

「捕まるわけねぇから大丈夫だって」

 

 夜が更け、より一層静まり返った街の一片をぐるりと囲む壁の上。地上よりも風が強く吹き荒び、肌寒いとすら思える空の下。

 

 俊介はどこか怯えた顔で、煌々と光り人々の行き交う街を見下ろしていた。それに対して尚也は、心許ない鉄柵に背を預けて、雲ひとつない満天の星空を見上げていた。

 

「……尚也?」

「ん」

「僕、実は結構前から気が付いてたんだよ。自分のことをひたすらに隠すところとか、実は全然講義に出席していないこととか、そのくせサークルには欠かさず来るところとか、……『怪異』、って単語を聞くとちょっとだけ身体が反応するところとか。……ほらねぇ?」

 

 どこかで出ると思っていた単語にほんの数ミリだけ肩が跳ねたのを見た俊介は、からからと笑う。

 

 ――そんなに、反応していたか。

 

 なるたけ、自身の感情は押し殺していたつもりだった。流石は自身を観察者と唄うだけある俊介のことだ、人の細やかな仕草をよく見ている。首を傾げてここ最近を振り返っていれば、俊介が続けた。

 

「あと、僕が確信を持ったのはつい最近なんだ」

 

 そう言って、携帯を取り出すと、手際よくひとつの動画を見せてきた。

 

 ――……これは。

 

 女性の大きな悲鳴から始まった動画は、少し前に世間へ出回ったものだった。桜舞う、見知った大学構内。画面の真ん中にいる『怪異』が、狐の仮面を被った怪異対策本部の手によって心臓を突き刺される瞬間を映した例の動画だ。

 

 確かにネット上からは消すことに成功したものの、個人で保存されていては仕方ない。

 

「人影に隠れたこの人、これ、尚也でしょ。それで、こっちの子が凌雅くんだよね」

「……ああ」

 

 俊介は動画を止めると、該当部分を拡大して指でなぞる。否定はせずにこくりと頷けば、俊介は満足そうに笑った。そして、今度は動画に映った尚也の服を指す。

 

「伶さん……のイヤリングの件もそうだけどさ、僕は、僕の制作したものに命を分けてあげているからね。もちろんサークルの小道具だけじゃなく、家に置いてある模型も、とにかく全部だよ。

 ……だから、分かるんだ。このシャツ、僕が作ったものだもん」

「命を、分ける」

「まあ、ほら。比喩みたいなものだよ。僕の作ったものなんていつかは忘れられてしまうものかもしれない。でも、さ」

 

 分からないと目を細めた尚也を横目で見た俊介は、静かに続けた。

 

「捨てる時、手放す時。そういう時に、ほんの少しでもいいから、僕という人間がいた事を思い出してくれたらいいなあ、なんて。身勝手で一方的で、僕なりの重たい愛情表現だよ。だから、それを少し穏やかに言い換えて、命を分ける、って言ってるんだ」

「……にしては、物騒な」

 

 言い切った俊介は携帯を閉じると、明るい街に背を向けた。尚也の返答に再び笑った彼は、鉄柵に両手をついて、真っ暗な世界を見やる。

 

 ――……命を分ける、か。

 

 自分に、そんなこと出来るだろうか。

 人に形ある贈りものをすることすら出来ない自分に、そんなこと出来るだろうか。

 形あるものを贈る、あげる。それ即ち……。

 

 尚也はポケットに忍び込ませたジッポライターに触れると、大きなため息を吐き出した。

 

 毎日は会えなくとも定期的にどこかで会える人物から貰ったものならば、大切にしたいと強く思う。しかし、もう二度と会えない人から貰ったもの、それは、いつしか誰かを縛り続ける呪いもなり得るのである。

 

「ね、尚」

「ん」

「もう少しだけ、身勝手なことを言っても良いかい?」

 

 俊介は未だその双眸を世田谷の街並みに向けたまま言う。尚也はそんな彼の静かなる横顔を見ながら、再び頷いた。

 

「来年の暁に、お前や凌雅くんが居ないことを想像することは、僕には出来ない。この様子だと、……伶さんの件も、どうなるか分からないんだろう、でもさ」

「うん」

「僕は、尚や凌雅くんのことを誰かに言うつもりはない。まあ、言えない、っていうのが正解なんだけど。……僕はそう、固く約束するよ」

 

 そこまで言い切ると、突然こちらを向いた俊介は小さく笑った。それから尚也の表情を見やると、狼狽えたように後頭部をかいた。

 

「え、あ、もしかして、僕にバレるのもダメだった? それなら今の話は無かったこと……」

「ダメじゃない、いや、本当はダメなんだけど、別に大した問題じゃない」

 

 ――これは、本当だ。

 

 怪異対策本部の偉い人達が、わざわざ暁に対して、「古川尚也の正体に気が付きましたか?」なんて変な質問をすることは一切無い。だから、つまるところ、立場がバレたかなんて事はどうだっていいのである。

 

「ただ、本当に誰にも言わないでくれたら助かるよ。……ありがとう」

 

 どうにも慌てた様子の俊介にそう言えば、彼は安堵の息を吐き出した。

 

「もし、来年。尚也のその感じだと、もっと早いかもしれないな。まあタイミングがいつかなんてのはどうでもいいけどさ、……お前が、僕たちの前から姿を消すのなら、その時はちゃんと言ってくれよ。何も言わないままに居なくなるなんて、それだけはやめてくれ。居なくなる前に、……あわよくば、四人でやろうね」

 

 俊介は、こちらへ踏み込んだ足を引くと、一歩分遠ざかった。そして、言葉を続ける。

 

「今日みたいな、鍋パーティー」 

 ――……出来たら、いいな。

 

 尚也は一呼吸置くと、心の中で返事をした。浮かんだこの言葉を口に出すことは叶わなかった。

 せめて、自分の存在そのものが呪いになることだけは避けておきたいのだ。


 そして暫く、尚也と俊介は何でもない話を繰り返した。明日の練習がちょっと面倒だ、とか、今夜はこれからどうしようか、とか、尚也はどこら辺に住んでいるんだ、とか。今までと変わらない、でもほんの少しだけ踏み込んだ話をひとつ、ふたつ、みっつ。

 

 大体、四十分は過ぎた頃。

 

「……帰ろう。ここは寒すぎる」

 

 季節の先取りをした半袖から覗かせた腕を震わせた俊介がそう提案して、

 

「そうだな、帰ろうか。……今日泊まっていいか?」

 

 尚也がそう返せば、目を見開いた俊介は少し嬉しそうな素振りをした。

 

「え、むしろ泊まれるの?」

「始発で帰る。もう終電もないし、俊が良いなら泊まる」

「……まっじで! 何する?」

「はは、何しようか。ゲームでもする? それか、ラーメンでも食いに行くか」

「いいねいいね、全部だよ。全部やろう!」

 

 地上から程遠い壁上とは思えないほど大きく跳ねた俊介の姿は、どこかあどけない。肩の荷が降りたような、それでもまだ、緊張しているような、そんな様子の全てが彼の声に込められていた。

 

 ――……気付いたのが俊介で良かったよ。

 

 尚也は何度目か分からないため息を小さく吐き出すと、最後に闇に包まれた街を一瞥した。そして、

 

「明日寝不足でぶっ倒れても知らねぇぞ」

 

 と言いながら、地上へ降りるエレベーターのボタンを押す。

 返ってきたのは、

 

「大丈夫さ。……もう、練習でヘマはしない。元の氷沼俊介に戻る、これもまた約束をしよう」

 

 と、自信満々な俊介の柔らかい声色だった。

 


次回更新▷▶▷2/16 19:00 『EP.3-6、行方不明』

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ